73話、えんがわの魔女狩り
「私、えんがわさん。今、メリーなの」
『落ち着いて、メリーさん。自我が乗っ取られそうになってるよ?』
「え? ……あっ。私、メリーさん。今、えんがわなの」
『おお、打ち勝った』
危ない。えんがわを食べたい欲が強過ぎて、決め台詞が逆になっていた。けど、今は些細な問題よ。ようやく、待望のえんがわ丼を食べられるのだからね!
「ハル? 後どれぐらいで出来るの?」
『今バーナーで炙ってるから〜。そうだね、もう五分ぐらいで出来ると思うよ』
「そう、分かった……、へっ? あぶ、る?」
バーナーで炙る? バーナーっていう物が分からないけど。炙るだったら、なんとなく想像が付く。確か、魔女を狩る時に使う言葉だったはず。
とどのつまり。今ハルは、誰かに魔女狩りを執行している事になる。料理を作る台所で? ……嘘でしょ? 誰を魔女狩りしているというの?
「ね、ねえ、ハル? 誰を、火炙りしてるの?」
『ん? えんがわだよ』
「えん、がわ……?」
これから夕食で食べるはずのえんがわが、ハルの手によって火炙りにされている? そんな事をしたら、えんがわが丸焦げに───。
「え、あっ……。ちょ、ちょっと! 何このご時世に、えんがわに魔女狩りなんて執行してるのよ!?」
『へ? 魔女狩り?』
「そうよ! えんがわを磔にして、火で炙り尽くそうとしてるんでしょ!? 勿体ないから今すぐやめなさい!」
『ごめん、何を言ってるのかサッパリ分かんないけど……。えんがわの表面を軽く焼いてるだけだよ?』
「……え? そうなの?」
『うん。脂が滲み出てくる程度に、かるーくね』
えんがわの表面を、軽く焼く? それが、炙るっていう事? じゃあハルは、生でも完成されたおいしさを誇るえんがわに、わざわざ火を通して───。
「ちょっと、どっちにしろよ! なんでえんがわに、余計な一手間を加えてるのよ!?」
『えっ? 駄目だった?』
「当たり前でしょ! いい? えんがわっていうのは、捌かれた時点で完成された料理になるのよ! 生でも十分おいしいのよ! それなのに、なんでぇ、えんがわを焼いちゃうのよぉ……」
『……もしかして、泣いてんの? ええ~、そうかなー? 『銚子号』で食べた炙りえんがわとか、めっちゃくちゃ美味かったけどなー』
「へ? 銚子号?」
『そうそう。メリーさんがえんがわ祭りを始めたから、それに対抗しようと思って、私は炙った寿司を注文しまくってたじゃん』
記憶に一切無い情報が出てきたせいで、唖然として固まる私。……そういえばメニュー表の中に、『特選炙り三カン』なる物が、あったような気がする。
けど、ハルが食べていたなんて、まったく知らなかったわ。
「……本当に、食べてたの?」
『知らなかったの? うーん、マジか。そういやメリーさん、夢中になって食べてたっけ。まあいいや。それじゃあ、先に言っとくね?』
電話越しから聞こえてるハルの緩い声が、凍てついた物に変わった。……なに? この恐怖すら覚える、ハルの冷めた声は? 思わず気圧されて、背筋に悪寒が走ってしまった。
『炙ったえんがわ、超絶美味いよ? 覚悟して待ってな』
その挑発的な言葉を最後に、通話が切れた。しかし、数秒経てども、全身が金縛りにあったかの様に動かせない。
最強の都市伝説であるこの私が、たたの人間に戦慄している? それとも、えんがわの新たなる可能性に、全身が喜びに打ちのめされた?
魚を炙ると、そこまでおいしくなるの? 確かに、この前食べた鮭は、とてもおいしかった。でもあれは、全体的にちゃんと火を通した物だ。
そして、今回の炙りとやらは、表面を軽く焼いただけ。ハルの言う事が正しければ、火が通った部分と生の部分があると予想出来る。……本当においしいのかしら?
「ヘーイ、メリーさん。最強の炙りえんがわ丼、お待ちぃ」
「……来たわね」
ねったりとした声で、不敵な笑みを浮かべているハルが、大きなお盆を携えながら部屋に来ては、テーブルに丼ぶりと小皿を並べていく。
丼ぶりの上には、片や、雪原を彷彿とさせる純白で大ぶりのえんがわが。片や、煌びやかな光沢を放つ焼け野原と化した、控え気味に焦げ目の付いたえんがわが、半々に敷かれている。
小皿も二つあるわね。片方には、醤油とすりおろされたわさび。もう片方は、ネギ塩ダレかしら? ニンニクと酸味が利いていそうな、なんとも食欲をそそる匂いがするわ。
「焼いたって言っても、本当に表面を軽くなのね」
「そうだよー。裏の方は、火が通ってないから生のまんまさ」
「ふーん、そう。わさび醬油とネギ塩ダレがあるけど、どれをどっちにかければいいの?」
「それは、完全に好みの問題かな? まあ、生の方にわさび醬油。炙った方にネギ塩ダレが合うと思うけど、逆もまた然りだよ」
「なるほど……」
要は、好きな方にかけて食べればいいと。ならば先に、各えんがわを両方で試してから、上にかけた方がよさそうね。
「んじゃ、いただきますか。海鮮祭りの初日、いただきまーす!」
「いただきます」
とりあえず、約束されたおいしさを誇る、炙られていないえんがわの方から食べるべく、持った箸を伸ばしていく。
一枚が『銚子号』で食べたえんがわよりも大きくて、ずっしりしている。これは食べ応えがありそうね。まずは、わさび醬油に付けてっと。
「んっふぅ~、おいひいっ!」
口の中いっぱいに頬張り、ツンとしたわさび醬油の風味を感じてから、しっかり噛んでみれば。どこか懐かしい弾力と、しなやかさを兼ね揃えたコリコリ感が待っていた。
これよこれ、ようやく再会出来たわ! 一枚が大きいけど、魚特有の生臭さや脂臭さが無いので、ゆっくりとえんがわの甘い脂と旨味、楽しい食感を堪能出来る。
それにしても、油が多いわね。醤油の香ばしさと、わさびの清涼な辛さや風味にも負けていない。それに今回はしその葉も無いから、えんがわの旨味がダイレクトに伝わってくる。
だからこそ、待望の一口目は満足度が高く、余韻も凄まじい。ああ、もう飲み込むのが勿体ない。一生噛んでいたいわぁ。
「ああ~、幸せぇ~」
「へぇ~。えんがわの丼ぶりは初めて食べたけど、めちゃくちゃ美味いじゃん。うん、炙りも良い感じだ。うんまっ」
「あっ、そうか。炙った方もあるのよね」
えんがわと久々に再会出来た衝撃により、すっかり忘れていた。炙られた方は、やはり生と見比べてみるも、光沢が滑らかで強い。もしかして、これ全部油なの?
焼かれた事により、中に詰まっていた油が出てきたと? それにしても、量が多くない? 下にあるご飯にまで染み込んでいる。
……とりあえず、初めての炙りえんがわ、食べてみるわよ!
「んんっ!? なにこれ、まるでお肉じゃない!」
炙られた表面は、弾力とコリコリ感が失われているけども。身が厚いので、火が通っていない裏面は、両方とも健在だ。なので、一口で異なった食感が楽しめる。でも、問題はそこじゃない。
焼かれた事により、歯応えがかなり柔らかくなっていて、噛む度に油が弾けんばかりに溢れてくるせいで、まるでジューシーなお肉を食べているかのような食感に変わっている。
その油も、香ばしさが段違いに上がっているわ。これはもう、えんがわという魚の域を超えた一種のステーキね。
旨味に深いコクがプラスされているから、炙りえんがわ単体でも、とんでもなくおいしい。
そして、備え付けのネギ塩ダレよ! 大量の油を中和する、程よい酸味。炙りえんがわの深いコク、旨味が凝縮された油、香ばしさをグンと引き立てる強めの塩味やニンニク。
更に食欲を刺激する、ほのかに香るゴマ油。これら全てが、炙りえんがわと最高に合う! しかも、まろやかな酸味を含んだ酢飯との相性も抜群に良い!
ああ、もうダメだ。箸と食べる口が止まらない。今日まで、生のえんがわが一番だと思っていたのに。
たった一口で、考えが覆されてしまった。口の中でとろけていく炙りえんがわが、この上なくおいしい。
「ああ~、しゃいこう~……」
「どう? メリーさん。炙ったえんがわも、悪くないでしょ?」
「うん……。私の好きな料理ランキング、三位になったぁ……」
「おお、マジか。実質一位じゃん。まあでも、しばらくは目まぐるしく変動するだろうね」
どこか意味深な発言をしたハルが、炙りえんがわを食べて「う~ん、美味いっ」と舌鼓を打つ。
「それ、どういう意味なの?」
「明日になれば分かるさ。料理名は、まだ明かさないけど。明日の夕食は、私がリクエストさせてもらうよ」
勿体ぶるハルが、ニヤニヤしながらテーブルに肘を突き、手の平に頬を置く。
まだ明かせない料理をリクエストする? ハルめ、一体何を作ろうとしているの? すごく気になるわね。
「それは別にいいけど。気になるから、ヒントぐらい教えてちょうだい」
「ヒント、ねぇ。うーん、そうだな。丼物じゃないとだけ、言っておこうかな」
「丼物じゃない……。そう」
ならば、海鮮丼は除外出来る。だとすると、天ぷら、お刺身、お寿司、揚げ物類? むう。海鮮類を使った料理が、あまり出てこないわね。
せめて、何の食材を使うかも聞いておけばよかった。仕方ない。答えにたどり着けないだろうけども、後でインターネットで調べてみよっと。