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46話、一つしか選択肢がない分かれ道

「ああ~、食った食ったぁ~。幸せぇ~……」


「ふう、とても満足したわ」


 えんがわもさることながら、途中で挟んだ中トロ、煮穴子。追加で注文した大トロもおいしかった。中トロで、ようやく気にならない程度の生臭さを感じられたわ。

 けど、私は一切気にならなかったわね。生臭さも風味の一種として楽しめたし、これなら他の魚介類も難なく食べられるかもしれない。

 煮穴子は、タレのせいもあってか。お菓子に近い甘さがあった。穴子は寿司っていうよりも、蒲焼で食べてみたい。焼いた事により香ばしさが増し、絶対にご飯と合う味になってくれるはず。

 そして、特に驚かされたのが大トロ。見た目が、もはや霜降り肉そのものだった。油もそう。甘味が強く、噛めばまとわりついてくるような、サラサラとした油が大量に出てきたっけ。


 流石は、金皿と言った所ね。しかし、総合的なおいしさは、やはりえんがわが一番。時点で本ずわい、次に生ウニ。もちろん、オーロラサーモンやあら汁も忘れてはいない。

 振り返ってみると、金皿が上位を占めているわね。まあ、仕方ないか。本当においしかったんだもの。今度は、いつ食べられるんだろうなぁ。


「食後の粉茶もうんまっ、一生飲んでられるや」


「確かに、なんだか落ち着くわね」


 やや渋めで、熱い粉茶を飲んでみれば。自然に「ほおっ」とため息が零れるような、心地よい余韻と安らぎを感じる。これ、たまらないわね。ハルの家でも飲んでみたいわ。


「う~んっ……。さぁ~て、そろそろ帰りますかぁ」


 両手を大きく上に伸ばしたハルが、「くぅ~っ」と気持ち良さそうな唸りを上げる。


「雨は……、やっぱり降ってるわね」


「だね。あんな空模様だもん、降らない方がおかしいでしょ」


 すっかり夜闇色に染まった、一枚が大きい窓ガラスへ視線をやる。その窓ガラスには、店内の光を反射している水滴がびっしり付着していた。滴っていく水滴もあるし、相当降っていそうね。


「すみません、お会計お願いします」


 そんな事にはお構いなしと、ハルが店員を呼ぶ。来たのは、私達をテーブルまで案内し、最初に頼んだあら汁を持ってきてくれた店員だった。


「それでは、お皿を数えさせて頂きますね」


 愛嬌のある声で話し始めた店員が、指を差しながら皿を数えていく。これ、合計でいくらになるんだろう? 高いお皿も頼んだし、結構な値段がしそうね。


「それでは、カウンターまでどうぞ」


「はい、分かりました」


 店員に言われるがまま、ハルがそそくさと立ち上がったので。私も席を立ち、二人の背中を追っていく。

 窓の近くまで来ると、雨の降り注ぐ音が聞こえてきた。どうやら雨足も強そうだ。

 静かな店内をグルリと半周し、入口付近でハルの背中がおもむろに止まった。危ない。よそ見をしていたから、ぶつかる所だったわ。


「合計で二万八千四百円になります」


「ははっ……、たっけぇ」


 外はかなり湿っていそうなのに。酷く乾いたハルのから笑いが、三枚の一万円札に乗り、店員に渡っていった。


「三万円って、お味噌汁が何杯作れるの?」


「お味噌汁? え~っとぉ……? ネギが、一本百円だとして。豆腐は、一丁三十円ぐらいでしょ? 味噌って、二百円ぐらいだったかな? それで、メリーさんは一日に五杯ぐらい飲むとしてだ。……一年ぐらいは、持つかなって感じ?」


「そ、そんなに……?」


「超雑な計算だから、かなり適当だけどね」


 緩くほくそ笑んだハルが、店員からおつりを受け取る。……嘘でしょ? お味噌汁を一年分飲めるお金が、たった数時間で消えっちゃったっていうの?

 それに、ハルが言った各食材の金額が正しければ。金皿一枚で、お味噌汁を二十杯分ぐらい作れるじゃない。恐ろしい事実だわ。聞かなければよかったかも。


「……ハル。お寿司って、とんでもなく高いのね」


「私が、高い寿司ばかり頼んじゃったせいもあるけどね。でもさ、満足したなら、それでいいじゃん?」


 いつもの様に、軽く話を纏めたハルと共に、二つの扉をくぐる。雨の匂いが充満した外へ出ると、ハルは傘を差し、一歩前に出てから私が居る方へ振り向いた。


「さあ、メリーさん。どうする? ここが、メリーさんの分かれ道だよ」


「分かれ道?」


「そう。私と一緒に家に帰って、あたたかーい風呂に入ったり。もっこもこの布団に潜り、タブレットをいじれる暇の無い夜を過ごすか。ここで私と別れて、一人寂しい夜長を過ごすか。二つに一つの分かれ道さ」


 ……ハルめ、元から一つしか無い道を提示してきたわね。やけに澄ました顔をしているし、あの道を選ぶのは何かと癪だわ。

 けど、もう一つの道を行くのだけは、本当に嫌だ。こんな暖かい生活を知ってしまったからには、戻りたくないし、戻りたいとも思わない。

 朝日が出てくるまで、ただ一点を見つめて過ごす夜だなんて。


「あんた。意地が悪いって、よく言われない?」


「ここまで悪い私を出せるのは、メリーさんと家族ぐらいなもんだよ。で、どうする?」


 追撃がてらに、ハルはなんとも柔らかな笑みを浮かべた。これじゃあまるで、悪魔のささやきだわ。しかし、もう私の心は、そのささやきに抗おうとすらしていない。

 頭も心も、私より先に歩むべき道へ進んでいる。ハルと一緒に帰り、不自由の無い生活を共に過ごしていく道へね。

 ……さようなら、使命を全うしていた頃の私よ。これから私は、人間は一切殺さず、人間と生きていく道を選ぶわ。

 言葉には出さず、心の中で過去の私と決別した今の私は、一歩前に出て立ち止まる。諦め気味に鼻から息を漏らし、待たせていたハルに顔を合わせた。


「なにボーッと突っ立ってんのよ? 濡れたくないから、早く帰りましょ」


 そう催促するも、ハルは何を思っているのか想像も付かない真顔のままでいる。けど、数秒後。やたらと無邪気でワンパクそうな笑顔にすり替わった。


「そう来なくっちゃねー。ようこそ、メリーさん。人間が暮らす世界へ」


「誰せいで来たと思ってるのよ? でも、悪い気はしてないわ。これからよろしく頼むわね」


「うん、これからよろしくね!」


 ハルったら、やたらと弾んだ嬉しそうな声をしているじゃない。何がそんなに嬉しいのかしら? 私には理解出来ないわ。

 っと。傘の中は広いけど、私がかぶっている帽子のつばが雨に当たっているわね。濡らしたくないし、取らないと。


「いやぁ~。メリーさんと相合傘をするだなんて、そうそう出来る体験じゃないよね。私が初めてやった人間なんじゃないかな?」


「たぶんね。光栄だと思いなさ……、ん?」


 今、雨の匂いの中に、『銚子号』で初めて感じた生臭い匂いが漂ってきたような? いや、気のせいじゃない。確かに生臭い匂いが、ほのかにしている。

 おかしいわね、お店からはまあまあ離れたっていうのに。匂いの出所は……、あれ? もしかして、私の体から?

 たぶん、気のせいだと思うんだけれども……。でも、着ているワンピースから、ほんのりと香ってくるような気がする。ああ、駄目だ。一回気になると、とことん気になってくる!


「メリーさん? ワンピースを顔に付けて、何やってるの?」


「なんだか、店内と同じ匂いがするような気がして……」


「マジで? 私はなんも感じないけどなぁ。メリーさんって、鼻が利くんだね」


 ハルも私と同じように、腕やら服の匂いを嗅ぎ始めたけど。ハルには匂いが感じていないのか、眉をひそめていくばかり。


「うーん、分からん。まあいいや。メリーさん、帰ったら風呂に入りなよ」


「え、風呂?」


「そっ。七、八分ぐらいで沸くから、一番風呂に入らせてあげる」


 風呂。お風呂って、テレビでやっている旅行番組の、終盤頃に入るやつだっけ? いや、あれは露天風呂か。お風呂は、夜になるとハルが毎日入っているやつだ。

 確か、浴槽にお湯を張って、その中に肩まで浸かるのよね。それで匂いが落ちるのかしら? まあ、物は試しよ。せっかくハルの部屋に泊まるんだし、体を綺麗にしておかないと。


「それじゃあ、入らせてもらうわ」


「オッケー。んじゃ、ささっと帰っちゃいますか」


「そうね、真っすぐ帰りましょ」


 お風呂、かぁ。私には無縁の物だと思っていたのに、こうも簡単に触れられる機会が訪れるだなんて。初めての経験になる事だし、しっかり堪能しておかないと。

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