36話、甘辛+ピリ辛=無限の胃袋
さて。熱々の湯気を昇らせたホイコーローとエビチリ、どっちから食べようかしら。ご飯は平べったい皿に盛られているので、トントンと叩ける場所が広い。
ならば、左側はホイコーロー。右側はエビチリゾーンに分けられる。よし、決めた。ホイコーロー、エビチリの順番で食べていこう。まず記念すべき一口目は、食材が大きく切られたホイコーローをっと。
「んっ、思ってたより辛いわね」
キャベツと豚肉を取り、大口を開けて頬張ってみれば。ピリッとした刺激を感じたけど、その刺激を和らげる甘味が出てきた。これは確か、甘辛って言えばいいのかしら?
全体に満遍なく絡んだ茶色のタレは、見た目通りに濃厚。瞬間的で甘辛な刺激の後に来る、ガツンと利いたニンニクの風味。これだけで、ご飯が何杯も進みそう。
しかし、ちゃんと噛み進めていけば。シャキシャキとした歯応えのあるキャベツから、じわりと滲み出てくる丸みを帯びた甘味が。
やや厚めながらも、脂身が多くて柔らかい豚肉からは。こってりしたタレの油とは相反し、サラサラした肉肉しい濃い甘さを含んだ油が、瞬く間に口の中を満たしていった。
微かだけど、なんだか懐かしい塩味もあるわね。これは、赤味噌の塩味かしら? コク深くもあり、ニンニクと等しく食欲を湧き立たせる、どっしりとした塩味だ。
短冊切りされた、ニンジンもそう。噛むと、タレや他の食材にも負けないぞという、健気で力強い甘さが弾けるように広がっていく。
どうしよう。まだ二口しか食べていないのに、気分はもうホイコーロー一色だわ。ご飯との相性も抜群だし、最高!
「う~ん、おいしい~っ」
「いやぁ~。この値段でこの量で、この美味さよ。コスパも最強だし、常連になっちゃおうかなぁ」
「流石は、中華料理と言った所ね。文句無しのおいしさだわ」
「だねぇ。さてさて、エビチリの方はっと」
ターゲットをエビチリに変えたハルが、新たな割り箸を綺麗に割る。そのまま大きなエビを数個取ると、割ったばかりの割り箸を皿の端っこに置いた。
料理ごとに箸を変えるのかと思ったけど、エビチリを先に頬張ったハルは、ホイコーローを食べていた箸と同じ物を使用している。
しかしハルは、新しい割り箸を再び割り、今度はホイコーローの皿へ置いた。一体、何がしたいのかしら?
「メリーさん。ちょっと遅くなっちゃったけど、取り箸を用意したよ。料理を別皿に移す時は、これを使ってね」
「とりばし?」
「ほら。私達が持ってる箸は、もう口を付けちゃったじゃん? それで料理を取るのは、気分的にちょっとなーって、思ってさ」
ああ、なるほど。それでわざわざ別の箸を用意したんだ。けど───。
「別に。あんたと一緒に食べる分だったら、私は全然気にしないわよ?」
「え? マジで?」
「マジよ。まあ、ハルが嫌だって言うなら、取り箸を使うわ」
本音の一部をさらけ出すと、ハルの丸くなった目が、右側へ逸れていった。表情は、呆けているようなほぼ真顔。
しかし数秒後。ふわりとほくそ笑んだハルの視線が、私の方へ戻ってきた。
「いや、私も全然気にしてないよ。ならこれからは、取り箸なんていらないね」
「そう。なら、何も気にせず普通に食べましょ」
「オッケー」
気を取り直す意味も込めて返すと、ハルはなんだか嬉しそうにはにかんだ。鼻歌まで歌っているし、急に機嫌が良くなったわね。
それじゃあ、私もそろそろエビチリを食べてみよっと。エビチリが盛られた皿は、全面が鮮烈なオレンジ色に染まっている。
とろみが強そうなあんに浮いている、白っぽくて四角い形をしたのは、たぶん刻みネギね。見える食材は、その二つのみ。至ってシンプルだ。
クルンと丸を描いた、大ぶりのエビを箸で持ってみたけど、ずっしり重い。身がしっかり詰まっている証拠だ。よし、食べるわよ!
「ふゎっ……。ピリッとしてて、ぷりぷりしてる~」
ホイコーローよりも刺激的な辛味を追う、やや尖った強めの塩味。しかし、それらを邪魔しないほのかな甘さと、なんともバランスの良い絶妙な酸味も兼ね添えている。
ああ、すごい。このチリソースも、ご飯が何杯もいけそう。真っ白なご飯の上に乗せて、一気にかき込んでいきたいわ。
でも、エビチリはそれだけじゃない。主役のエビには、噛めるもんなら噛んでみろという、歯を弾き返すようなプリップリな弾力があり。
その弾力に打ち勝てば、チリソースの酸味や辛さを、柔らかくほぐしてくれる旨味を含んだ淡麗な甘さが、染み渡るように隅々まで広がっていく。
どうしよう。ホイコーローよりも、エビチリの方が好きかも。四角くく切られたネギも、濃いチリソースには負けず良いアクセントになっているから、私の食欲を爆発的に上げていく!
だからこそ、ハルに貰ったご飯だけじゃ、まったく足りない! この食欲具合なら、私も三合ぐらいはペロリといけちゃうかもしれないわ!
「はぁ~……。中華料理、さいっこう~」
「やばっ、ご飯が足りないかも」
「そうね。これだったら、麻婆豆腐丼があっても食べられるんじゃないかしら?」
「むしろさ? 辛さで食欲が刺激されて、余計に足らなくなるかもよ?」
「それも十分ありうるわね」
決して虚言じゃない。私とハル、嘘偽りなく言っている。甘辛なホイコーローと、ピリ辛なエビチリが、私達の食欲の天井をぶち壊してしまったのよ。
もう、麻婆豆腐丼なんて恐るるに足らずだわ。さあ、いつでも来なさい。無限の胃袋を持つ私達が、相手をしてあげる。




