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17話、強くも儚い甘さと、新しい衝撃を受ける味

「さて、またハルに留守電を入れないと」


 昨日、ハルがみかんゼリーを出してくれる時に、こっそり後をつけて冷蔵庫がどれなのかを探り、無事に分かったけれども。

 いざ、開けようとした途端。これはやってはいけない行為だと、本能が直接訴えかけてきて、ハルの家に単独で上がった時よりも、強い罪悪感に駆られちゃったのよね。

 たぶん、これも意識の問題だと思うけど……。毎度毎度、一体なんなのかしらね。人間にとっては、これらが罪深い行為に当たるのかしら?

 でも、私は人間じゃなくて怪異なのよ? なんだか癪に障るわ。一抹の面倒臭さを感じるも、私は携帯電話を取り出し、右耳に当てた。


「私、メリーさん。今、あなたのお家にある冷蔵庫を開けようとしているの。これでよしっと」


 一種の通過儀礼を終え、携帯電話をしまい込み、冷蔵庫を開ける。中にこもっていたヒヤリとする冷気を浴びつつ、中身を確認してみた。


「うわ~、色んな物が入ってる」


 正面部分は、隙間なくギッチリと物が詰まっている。この部分は、あまりいじらない方がよさそうね。

 扉の上部分にある物は、綺麗に並べられた六つの卵。明後日の夕方にオムライスが出るから、全部無くなっちゃうかもしれない。

 近くに立て掛けられたチューブ状の物は、調味料ね。からし、わさび、しょうが、にんにくとある。からしとわさびって、まだ食べた事がない。おいしいのかしら?

 その隣にあるのが、まん丸な青い容器。これが、昨日ハルにおすすめされたチーズね。ハルが言うからには、絶対においしいはず。ならば、今日はチーズを食べよっと。


「あとは~、飲み物が欲しいわね」


 飲み物は、主に牛乳、オレンジジュース、リンゴジュース。オレンジって、みかんと同じ物だっけ? どうせなら、まだ味わった事がない物を飲んでみたい。

 他には、麦茶とカフェオレ、調整豆乳。……カフェオレと豆乳? 一体どんな飲み物なんだろう? 想像すらつかない。ちょっと気になるから、これらを飲んでみようかしら?


「いや、また今度にしよう。ここは無難に、テレビでもよく見る牛乳をっと」


 冒険するのをやめた私は、チーズと牛乳を取り出し、冷蔵庫を閉めた。牛乳は、どうやら封が開いているようだ。開け方が分からなかったから、助かったわ。


「えっと、コップは~……、あった」


 飲み口が下になって置かれたコップを見つけ、キッチンまで歩いていく。空いている箇所に牛乳とチーズを置き、コップの飲み口を上にして置いた。


「注ぐのは初めてだけど。まあ、なんとかなるわよね?」


 そういえば、これも初めての体験だ。ドバッと出しちゃって、盛大に零しちゃうのだけは避けないと。じゃないと、またハルに馬鹿にされてしまう。


「蓋は開いてるから、こうやって引っ張れば……。よし、開いた」


 あとは、両手で大事に持ち、開いた部分をコップに近づけてゆっくり倒せばいいのよね。……本当に、それでいいのよね? とりあえず、やってみよう。


「ちょっとずつ、ちょっとずつ倒してぇ~……。あっ、出てきた! でも、量が少ないわね。もう少し倒してみよ、ちょ、いきなり出すぎじゃない!? わ、あっ!?」


 いきなりドバッと出てきたせいで、驚きながら慌てて牛乳パックを立たせる。

 息を荒げてコップを確認してみると、ふちギリギリまで真っ白な牛乳が注がれていた。


「あ、あっぶな……。飲み物を注ぐのって、こんなに難しいんだ……」


 乱れた呼吸を整えながら、ひたいから噴き出した汗を手の甲でぬぐう。


「ふうっ、なんとか注げたけど。持ったら絶対に零れる量よね、これ」


 顔をコップの縁の高さまで下げるも、やはり並々だ。むしろ、気持ち上にはみ出している気がする。

 なんで、この状態で零れないのかしら? 不思議だわ。


「仕方ない。コップを持たないで、少しすすっちゃおっと」


 今この場に、ハルが居なくて本当によかった。なんとなく屈辱的な飲み方だし、見られたら最後、絶対に笑われる。ハルが居る時は、細心の注意を払って注がないと。


「んっ、甘いっ!」


 顔をコップの飲み口に近づけて、少しすすると、口の中に、口当たりのいいサラリとした甘さが、ぶわっと広がっていった。

 なんてコク深い甘さなんだろう。でも、こんなに甘さが強いというのに、後味はまろやかでスッキリとしていて、口に留まる事なくすぐに消えてしまった。強くも儚い甘さだ。また飲みたくなっちゃうわ。


「う~ん、おいしい~っ」


 ようやくコップを持てるようになったので、もう一度牛乳を口に含み、甘さを充分に堪能してから飲み込んだ。

 もっと長く余韻を感じていたいのに、またスッと消えちゃった。せっかちな甘さね。

 でも、これは好きな甘さだ。麦茶とまではいかないけど、喉もしっかり潤う。流石に、ご飯との相性は悪そうだけど、なんだかバナナと合いそうね。今度、試してみよっと。


「次は、チーズってやつを」


 牛乳を飲み干してから、コップを台所に置き、代わりにチーズが入った容器を手に持った。

 どうやって開けるの、これ? 開け口らしき物が、まったく見当たらないんだけど。


「んっ。下の部分に、切れ込みっぽいものがある」


 つまりこれは、全体を蓋して覆っている感じかしら。ならば一旦置いて、両側面を持ち上げる要領で上げていけば……。


「やっぱり開いた! 見た感じ、二つぐらい無くなってるわね」


 中に入っていたのは、下の部分が丸っこくなっている三角の形をした、銀紙に包まれた物が四つ。二つ無いって事は、きっとハルが食べたんだろう。


「この銀紙の梱包は、どこから開ければ~……。あ、これかしら?」


 裏側を見たら、引っ張ってくれって言わんばかりの、赤くて半透明な出っ張りを見つけた。

 絶対にこれが開け口だわ。爪で引っかけて掴みやすくして、そのまま引っ張っていけば!


「ほら、開いた! うわっ、すごい香りがする」


 面白いように銀紙がペロンと剥けて、あらわになった中身から、クリーム色をした断面が見えた矢先。

 思わず仰け反りたくなるような、鼻にガツンと来る匂いが漂ってきた。刺激臭って言うんだっけ? この匂い。


「食べて大丈夫なのかしら? これ」


 一応、銀紙を全部外してみたけど。感触は、まあまあ固い。強めに押してみると、そこの部分はへこんだままだ。なので、弾力はほとんど無しっと。


「ちょっと、食べるのに勇気がいるわね。ハルは、こんな物を食べてるんだ」


 二つ減っているという事は、つまりそういう事になる。罠じゃないのは確かだ。だって、ハルがおすすめをしてきたんだもの。絶対においしいはずよ。


「よし。覚悟を決めるのよ、私。……いざっ! ……んっ!」


 感触からして固いと思っていたのに。案外柔らかくて、『モニュ』とした独特な食感。そして、とんでもなく濃厚だ!

 なにこれ? さっき飲んだ牛乳を超圧縮したような、底知れぬコクと乳の力強い風味を感じる!

 更に何よりも、乳の味を一層引き立たせる絶妙な塩加減。入れ過ぎのように感じるけど、これがまたいい。もう一口齧りたくなるような誘惑があり、クセになる味を生んでいる。

 それに牛乳と違って、後味と余韻がいつまでも続く。鼻で呼吸をすれば、チーズの味が瞬く間に蘇ってくるわ。


 まだ一口しか食べていないというのに、味と香り、両方の主張がとても激しく、それでいて後を引く風味が絶えない。すごいじゃない、チーズ。色々と新しい衝撃を受けたわ。


「なるほど……。ハルがおすすめしてくるのも、これなら頷けるわ」


 一口食べて味を知ってしまえば、もう食べる口は止まらない。だけど小さいせいで、二口でチーズが無くなってしまった。

 なんで、こんなに小さいの? もっと大きく作れば、いっぱい食べられるというのに。これを作った人間は、食が細いのかしら?


「もっと食べたいけど……。流石に全部食べたら、まずい、わよね?」


 私の未練がましい視線が、残った三つのチーズに集まっていく。ハルは、二つだけチーズを食べている。なら私も、二つだけにしておいた方がいいわよね?

 いや、そうした方がいい。このチーズの所有者は、私じゃなくてハルだ。ハルの物になる。それを全部食べてしまうのは、なんだか冷蔵庫を開けるよりも罪深い気がしてならない。


「ハルが帰ってきたら、食べてもいいか聞けばいいわね。なら、あと一つだけにしておこっと」


 そうだ、今悩む必要は無い。二つ残しておけば、ハルと私で一つずつ食べられる。もしかしたら、二つとも私が食べられるかもしれない。

 さてと。牛乳はたんまり余っているから、こっちはもう一杯貰うとして。そろそろ料理番組が始まるし、それを観ながらチーズを食べよう。もちろん、ちょっとずつ大事にね。

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