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171話、またのご来店を、心よりお待ちしております

「すみません。そろそろ帰るので、お会計をお願いします」


「ああ。そういえば、まだだったね。すっかり忘れていたよ」


「あら。なら、丁度いいんじゃないかしら?」


「……うん、そうだね」


 表情を柔らかくほころばせたマダム女将会長と共に、副会長が小さくうなずいた後。二人して、私に顔を合わせてきた。


「メリー君。今日は来店初回サービスとして、会計は無しでいいよ」


「え?」


「この歳になって、若かりし頃にしか得られなかった、初心を鮮明に思い出す物を貰えましたからね。是非、初回サービスを快く受け取って下さいな」


 来店初回サービス? 会計は無し? つまり、二つのだんごはタダになるってこと? あと私、マダム女将会長に何か与えるようなことをしたっけ?

 思い当たる節は、特に無いはず。誘われるがまま、ここでおいしいだんごを食べて、マダム女将会長が点てたおいしい抹茶を飲んだだけ。これは間違いない。

 けどそれが、二人にとって会計を帳消しするほどの出来事だったとでも? ……すごく気になるけど、マダム女将会長が先に釘を打ってしまったし、聞くに聞けない状況だわ。

 そして私は、有無を言わさず初回サービスを受け取らなければならない。これ、何かの罠じゃないわよね? もしかして、試されている?


「ほ、本当に、いいの?」


「ええ。これ程、心が大らかになれた時間を過ごせたのは、久しいですからね。私達の気紛きまぐれな御礼だと、軽く流して下さいな」


「気まぐれな、お礼……」


 ならば、警戒する必要は特に無いかしら? あまり躊躇ためらってしまうと、悪い印象を与えてしまうかもしれないし……。

 けど用事は、まだ済んでいない。私のお会計分は、素直に受け取るとして。ハルの分は、しっかり払わせてもらうわよ。


「……そう、分かったわ。ありがたく頂戴しておくわね。けれども」


 一旦、口を止めた私は、ピースの形を作った右手を顔の隣まで挙げた。


春茜はるあかねにも食べさせてあげたいから、みたらしだんごとあんだんご、追加で二本ずつ購入するわ。こっちの方は、ちゃんと払わせてもらうからね」


「おっと、そう来たか」


 よもやの反撃にも関わらず、副会長はニヤリと不敵に口角を上げて、アゴに手を添えた。


「なら、春茜さんの分のお茶も、用意してあげないと」


「えっ?」


「貴方、茶筅ちゃせんと急須はお持ちで?」


 副会長と同じく、どこか妖々しくニヤニヤしたマダム女将会長の質問に、黙ったまま首を横に振る私。

 急須って、テレビのドラマで何回か観たことがあるので、なんとなく知っているけれども。ちゃせんって、一体なんなの? 初めて聞いた物だから、皆目見当すらつかないわ。


「そう。なら、来客用の物を貸してあげますわね。そちらの茶碗は、今日開けたばかりの物ですから、貴方に差し上げます。ついでに洗って、桐箱に入れ直しておきますわ」


「さ、差し上げ……? ちょ、ちょっと待って! 別に、そこまでしなくたっていいわよ! 抹茶とほうじ茶は、帰りに買ってくから、用意しないでちょうだい!」


 私の慌てた制止を聞く耳も持たず、マダム女将会長が奥に行ってしまった。あの茶碗、ド素人の私でも分かる。きっと、それなりに高いやつだ。

 それに、抹茶の点て方も知らなければ、日常で飲む機会だって、ほぼ皆無。一般庶民の私が持っていても、宝の持ち腐れになってしまうわ!


「はっはっはっ。諦めるんだね、メリー君。それじゃあ、合計で三百八十円だよ」


「あ、はい……」


 いつの間にか、二種類のだんごを梱包し終えていた副会長が会計を始めたので、小銭入れから百円を四枚取り出し、カウンターに置いた。


「四百円だね。はい、二十円のおつりだよ」


「ありがとう……、じゃなくて! ちょっと、副会長さん! 会長さんを止めてちょうだいよ!」


「すまないが、それは叶わない相談だ。今の私では、あんなに上機嫌な母さんを止める勇気は無いよ」


「会長さんが、上機嫌……?」


「うん。母さんは、若い人に対して少し口下手でね。君に対して素っ気ない接し方をしているように見えるけど、君のことを相当気に入ったみたいなんだ」


 私が、マダム女将会長に気に入られた? だから、さっきからなんでなの? 私、マダム女将会長が点てた抹茶を飲んで、おいしいって言ったぐらいしかしていないわよ?

 ……もういい。マダム女将会長が、この場に居ない今、副会長にこっそり聞いてしまおう。


「あの、副会長さん? なんで私は、そこまで気に入られたのかしら?」


「母さんに気に入られた理由かい? 単純だよ。団子と抹茶を大絶賛していたからさ」


「団子と、抹茶を?」


「うん。実はだね、メリー君。和生菓子、簡単に言うと水分が多かったり、あん類を使った和菓子だね。君が食べた、あん団子とみたらし団子も和生菓子に該当する。そして母さんは、団子系の和生菓子を作っているんだ」


「あら、そうなの?」


 つまり私は、マダム女将会長が作った物を、二回褒めたことになる。いや、食べただんごは二種類だから、抹茶も合わせれば三回になるわね。

 なるほど、なんとなく掴めてきたわ。今の状況を、ハルが作った料理を食べていたり、揚げ物専門店に居る、しののめさんが作ったコロッケを食べて、私が『おいしい』と言った時に置き換えると、まあまあ分かりやすくなる。

 要は私、マダム女将会長が作った物を食べて、何度も何度も『おいしい』と褒めていたんだわ。……褒めていたという言葉選びは、ちょっと違和感があるわね。

 心に思った素直な感想。うん、これだ。私はただ、マダム女将会長が作った物を食べて、思った感想を素直に伝えただけ。

 けどそれで、マダム女将会長に気に入られてしまったのね。私だって、すごく気に入ったわよ。あなたが作っただんごや抹茶をね。


「お待たせしました。こちらの袋に、茶碗、茶筅、急須。ほうじ茶の茶葉と、抹茶を入れておきましたわ」


 頃合いを見て、奥から戻って来たマダム女将会長が、説明をしながら私に茶色の袋を差し出してきた。

 この袋、手提げ袋ってやつだわ。見た目が、普通の袋より頑丈そうね。


「あ、ありがとう、ございます」


 差し出された袋を落とさぬよう、両手でしっかり受け取った。重さは、それなりにある。本当に落としたくないから、バレないように浮かせておこっと。


「それで、抹茶の点て方や、お茶の淹れ方はご存知かしら?」


「まったく知らないから、インターネットで調べてみて、色々勉強してみます」


「あら、そう? 私がここで実演をして、手取り足取り教えてあげても構わないのだけれども。本当、便利な世の中になったわね。少々、寂しさを覚えるわ」


 そう、ややしおらしい表情になるも、クスリとほくそ笑むマダム女将会長。わざわざ口にしたということは、教える気満々だったんでしょうね。

 その期待に応えず、文明の利器に頼ってしまったことにより、ちょっと罪悪感が湧いてしまった。

 今度、同じ理由で誘われたら、気持ちよく応えてあげなければ。


「では、春茜さんにも、美味しい団子とお茶を振る舞ってあげて下さいね」


「分かったわ。また、ここの和菓子を食べたくなるほどの、おいしいお茶を飲ませてきます」


「そうっ。なら、春茜さんのご感想も、是非お待ちしておりますわ。ねえ、とおるさん?」


「うん、そうだね。茶筅と急須の返却は、いつでもいいから、その時にでも教えてくれると助かるよ」


「ええ、分かったわ」


 期待に応えられなかった分、こっちの方で頑張らないと。現在の時刻は、三時半を少し回った所。

 今日中には、ハルに振る舞いたいから、家に帰ったら早速勉強しよう。


「楽しみにしていますわね。それでは、メリーさん」


 態度を改め、初めて私の名前を言ってくれたマダム女将会長が、背筋をピンと正す。


「またの御来店を、心よりお待ちしております」


「いつでも待っているよ、メリー君」


 まるで、お手本のように綺麗なお辞儀を深々とするマダム女将会長に。満面の笑みで、私を見送りしようとしてくれている会長。


「ええ。絶対に、またここへ来るわ。それじゃあ、だんごとお茶、本当においしかったわ。ありがとうございました」


 再度、お礼を言いつつ、軽く会釈をしながら店の外へと出る。夏の容赦ない日差しと暑さが、程よく冷えていた私の体を温めていく。けど今は、夏の陽気よりも、私の心の方が温かい。

 副会長さんにお茶を勧められた時は、一時期どうなるかと思っていたけれども。いざ外に出てみれば、強めの名残惜しささえ感じている。


「さてと、ハルに最高のお茶を振る舞ってあげないと」


 どうせなら、次はハルと一緒に、ここへ来よう。私の口からよりも、本人の口から感想を聞けた方が、あの二人も喜ぶでしょうしね。そうと決まれば、余計に私が頑張らないと!

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