16話、食欲に直接訴えかけてくる料理
「私、メリーさん。今、旅番組を観ているの」
『へえ〜、珍しいチョイスだね。どんな旅番組なの?』
「バスっていう大きい乗り物に乗って、指定された目的地を目指してるみたいよ」
『ああ、あれか。合間合間に店に寄って、美味しい物を食べてるんだよね』
そう。ハルの言う通り、旅の過程なんてどうでもいい。昨日、ハルが帰って来るまで、テレビを観て時間を潰している最中。
たまたま観ていた旅番組で、おいしそうな料理が出てきたから、それを狙って観ている。
今出ている料理は、卵に包まれた『オムライス』。鮮やかな色をしたケチャップと、卵の配色がなんとも絶妙で、視覚の情報から食欲をそそってくる。見た目がおいしそうなのに、温かな湯気まで昇らせちゃって、まあ。
「おいしそう~」
「おっ、オムライスじゃん」
作っていた料理が出来上がったのか。テレビを観ていた私の視界内に、ハルが忽然と入り込んできた。……テレビに意識が集中していたせいで、ハルの気配にまた気付かなかったわ。
今日は、驚かなかったからいいけど。せめて、料理が出来た事ぐらいは電話で伝えてほしいわね。
「やっぱ、お店に出てくる物は違うね。焦げ目が一切無いし、綺麗に包まれてるや」
「ハルは、これに近いオムライスを作れるの?」
「ここまで綺麗に作るのは難しいけど、似たのは作れるかな?」
人差し指を顎に添え、視線を天井へ持っていったハルが言う。へえ、オムライスまで作れるんだ。ハルって、案外すごいじゃない。
テーブルを見た所。この前リクエストに出したチンジャオロースも、ちゃんと作れているし。どうしよう、まだ食べてみたい料理が沢山あるのよね。
というか、テレビを観る度に増えていく。例えば旅番組だと、旅館という場所で出てくる料理は、見た目がどれも豪華な物ばかりだ。
天ぷら、ステーキ、すき焼き、お刺身。そういえば、魚ってどんな味がするんだろう? モコモコとした衣がおいしそうな天ぷらも食べてみたいけど、魚も捨て難い。う~ん、悩むわ。
「どうする? 明日はオムライスにしてあげようか?」
「へっ? あ、いやっ。先に餃子を食べてみたいわ」
「餃子ね、オッケー。それじゃあ、その次にでも作ってあげるよ」
ぶつくさと言い始めたハルが、対面の席に座った。明日の食べる料理が決まったけど、今日食べるのはチンジャオロースだ。
細切りにされたピーマン、それにタケノコと牛肉。どの食材も、強い照りに包まれている。匂いは、どの食材でもない匂いがするわね。
とても香ばしくて、食欲に直接訴えかけてくる匂いだ。初めて嗅ぐ匂いだから、何を使っているのか分からない。
「ハル。味付けに何を使ってるの?」
「味付け? 醤油とごま油。牛肉の下味に、砂糖もだったかな。今回は、超シンプルにしてみたんだ」
「へぇ、そう」
なら、匂いの正体はごま油ね。油なのに、匂いがこんなに豊かで強いんだ。
ごま油って言うぐらいだから、ゴマから作っているのよね? ゴマ自体も、ここまで匂いがするのかしら? ちょっと気になる。
まあ、きっとその内分かる事だ。今は、目の前にあるチンジャオロースを堪能しよう。右手に箸を、左手に茶碗を持ち。さあ、食べるわよ!
「よし。それじゃあ、いただきまーすっと」
ハルがいつもの言葉を言っている中。私はチンジャオロースに箸を伸ばし、ピーマン、タケノコ、牛肉をまとめて取り。それらでご飯をトントンと叩いてから、口に運んだ。
「わあっ、色んな食感がするじゃない」
一番固く感じるのは、ピーマンかしら? 噛むと、ほのかな青臭さが中から出てくるけど、ゴマ油の濃い風味や醤油との相性は悪くない。これ、違う濃いめの味付けだったら、もっとおいしくなるかも?
次に、柔らかいながらも、コリッとしていて程よい弾力があるタケノコ。これは、あまり味がしないわね。周りの風味に、完全に負けちゃっている。けど、食感は一番楽しい。
牛肉は、ハンバーグの時とはまるで違う食感だ。こっちの牛肉は、キュッと締まった固さだ。
味は、一本一本が細いけど、肉肉しさは健在。端っこにあるプリッとした甘い脂身が、なんとも嬉しいわ。
チンジャオロースの食材全てに、トロリとした物が纏っているけど、これはあんね。
ごま油と醤油の味をしっかり絡めとっているから、食材全体に味付けが満遍なく行き渡っている。
なので、ご飯との相性もいい。チンジャオロース一口に対して、ご飯を二口いける。ごま油が、特にご飯の甘さを引き立ててくれるのよ。食も進むし、箸が止まらなくなっちゃう。
テレビで観た物とは、味付けがだいぶ違かったけど。ハルが作った、このシンプルなチンジャオロース。これも悪くない。何よりも、油っぽさが少ないんだ。
テレビでは、油をこれでもかってぐらいに使っていた。だから、かなり油っぽいと予想していたのに。
やはり作る人が違うと、味もここまで違ってくるのね。料理って、本当に面白いなぁ。
「メリーさん、美味しい?」
「うん、そうね。テレビで観たチンジャオロースとは違うけど、これも十分おいしいわ」
「なるほど、そりゃよかった。ちなみに、テレビのチンジャオロースはどんな感じだった?」
「とにかく油をいっぱい使ってたわ。食材が全て沈んじゃうほどにね」
「沈ませたって事は、たぶん油通しかな? 食材をすぐに出してなかった?」
油通し? そういえば、その時は食材に味付けをしていなかった気がする。それに、十秒か二十秒そこらで出していたわね。
「確か、出してたかも」
「やっぱりね。それは、食材を一回油で揚げてるんだよ」
「揚げる? なんでそんな事をするのよ?」
「まあ、一種の下準備みたいなものさ。本格的な中華料理って、ちゃんと作ろうとすると工程が結構多くなるんだよね。それに作るなら、空焼きと油ならしをした中華鍋で作ってみたいなぁ」
まったく興味をそそらない単語を羅列していくハルが、味噌汁をすする。けど、本格的な中華料理には、かなりの興味があるのよね。
ホイコーローや麻婆豆腐は、見た目からして絶対にご飯と合うはず。……そんな事を想像したら、夕ご飯を食べている最中なのに、またお腹がすいてきちゃった。
「ハル。本格的な中華料理を食べるには、店に行かないとダメなのかしら?」
「ん? ああ、そうだね。そっちの方が早いと思うよ」
「そう。なら適当な日にでも、私から声を掛けるわ」
「おっ、本当? いいよ! いつでも待ってるからね」
よしよし、ハルも協力的に約束してくれた。どうせなら、チャーハンも食べてみたいわ。どうしよう。この調子だと、お店に行ったらまた目移りしちゃうかもしれない。
しかし、今度はちゃんと私の意志で、食べたい料理を決めるわよ。強い誘惑を放つ料理に負けず、自らの意志でね。




