162話、運命の瞬間
「さあさあ、皆の者! 夕食を持って来たぞ~」
「おっ、待ってましたー!」
「ついに来たーっ!」
コータロー君とカオリちゃんが、二杯目の麦茶を飲み終えた頃。タイミングを見計らっていたかのように、大きなお盆を両手で持ったハルが部屋に来た。
テーブルに並べていく皿には、もはや馴染み深くもあり、週一最大の楽しみである、総勢十個以上盛られた大きな唐揚げ。あればあるだけ嬉しい、マヨネーズがかかった千切りキャベツ。
優しい湯気がゆらりと昇り、和風の匂いが気分を落ち着かせてくれるお味噌汁。そして、唐揚げを食べる際に、おかわりは決して免れない山盛りのご飯。
うん。いつ見ても、食欲が無限に湧いてくる素晴らしい景色だわ。いつもだったら、すぐさま食事の挨拶をして、唐揚げをかぶりつく所だけど───。
「うわぁっ、めっちゃうまそーっ!!」
「いい匂いがするーっ! すっごくおいしそう~っ!」
二人の反応が気になり、そっと横目を流してみれば。キラキラな眼差しをしていて、子供さらながらな笑顔の二人が見えた。よしよし、掴みは上々なようね。
「今日作った唐揚げ、たぶん過去最高の出来なんだ~。中は熱いから、気を付けて食べてね」
「マジで!? じゃあ、絶対うまいじゃん!」
「春茜お姉さん、食べてもいいですか?」
既に待ち切れない様子のカオリちゃんが、握った両手を上下に振りながら言う。
「う、うん……、どうぞ」
「やった! それじゃあ、いただきまーすっ!」
「いただきまーす!」
今まで聞いてきた中で、一番声の張った挨拶を交わした二人が、右手に割り箸を持つ。さあ、ついに来たわね。この時が。
私も、早く唐揚げを食べたいけれども。急に黙り込み、どこか緊張していそうな眼差しで、二人を凝視し出したハル同様。
いつの間にか、私の視界も唐揚げではなく、二人へ釘付けになっている。
心なしか、鼓動が早くなってきた。唾を飲み込む音も、耳元で鳴ったのかと疑うほど近い。ハルも、背筋をピンと正して固唾を呑んでいる。
今二人は、割り箸で大ぶりな唐揚げを掴み、裏表を返して笑顔で吟味している状態。……大丈夫、大丈夫よ。ハルが作った唐揚げは、必ず二人の口に合う。
けど、一抹の不安を感じていないと言えば、嘘になる。寸前まで、そんな感情なんて一切抱いていなかった。二人がサクッと食べて、嬉しそうにおいしいと言い、全ては大成功に終わる。
数十秒前までは、そうなると確信さえしていた。しかし、実際は違う。二人が割り箸を持った途端、強烈な焦燥感に駆られて、気が気じゃなくなってきた。
世界の全てが、私を焦らそうとスローモーションになり出した中。コータロー君は大口を、カオリちゃんは口を小さく開き、唐揚げを齧った。
二つ分の唾を飲み込む音と重なる、『カリッパリッ』という軽快な咀嚼音。二人が唐揚げを噛み始めてから、永遠にも思えた数秒後。
二人の閉じていた目が、いきなりグワッと大きく開いた。
「う、うんめぇ~っ! この唐揚げ、すっげぇうまいっ!」
「……え?」
「こんなにおいしい唐揚げ、初めて食べたやっ! おいしい~っ!」
「お、おいしい……?」
嬉々と弾けた眩い二人分の感想を追う、息を吐いたかのように抜けた、か細いハルの声。目を丸くして呆然としているし、まるで信じられていないようだ。
「うん! ハル姉、これで店出せるんじゃないの? ほんっとにうまいよ!」
「お、お店?」
「春茜お姉さん! 今まで食べてきた唐揚げの中で、いっちばんおいしいよ! 大好きになりそう!」
「一番……、大好き? ……あぁ、そう、なんだ。そんなに美味しいんだ、私が作った唐揚げ」
喜んでいるようで、笑っているようで、泣いているように見えなくもない複雑な表情で呟いたハルが、小刻みに震える唇を噤み。
その顔がやや下に向いた後。「……そっか、そうなんだぁ」と言い、とても女々しくほくそ笑んだ。
「よかったわね、ハル。二人共、とても気に入ってくれたみたいよ」
「うん、すごくよかった。……やば、めっちゃ嬉しい」
ハルったら。二人の前で、なんて顔をしているの。左手で顔半分を隠したけど、隠れていない方の瞳に、涙が薄く溜まっているわ。
きっと、感情が抑え切れないぐらい嬉しくなっているんでしょうね。その気持ちは、私も同じよ。
涙は出ていないけど、思いっ切り叫びたくなるぐらい、左胸がカッと熱くなっているわ。
「さあ、ハル。冷めないうちに、私達も食べちゃいましょ」
「……うん、そうだね。それじゃあ、いただきますっ!」
「いただきます!」
私達も、幸せに満ちた挨拶を交わし、右手に箸を持つ。この夕食が終わったら、ハルを祝福してあげよう。
いや、違うわね。お菓子や飲み物を用意して、祝賀会を開こう。
そして、ハルをいっぱい褒めてあげるのよ。やっぱり、あんたが作った唐揚げは、世界一おいしいんだとね。




