15話、適当で気まぐれな概念
「何をしてもいいと、ハルに言われたけども……。実際に来てみると、なんだか言い知れぬ罪悪感が芽生えてくるわね」
昨日ハルから、『テレビを観たいなら、いつでもここへ来て勝手に観ていい』と許可を得られたので、本屋へ寄らずに来たはいいものの。
鍵が掛かった扉をすり抜け、電気がついていなくて薄暗い玄関に入った途端。やってはいけない事をやっているような、変なモヤモヤ感が心に芽生えてきてしまった。
これまで、幾度となく人間の家に侵入してきたけれども。こんな気分になるのは、今日が初めてだ。家に、人が居るか居ないかの違いのせいかしら?
いや、それじゃないと思う。稀に、電話をしている途中にターゲットの人間が逃げ出していて、私が家に到着した頃には、既にもぬけの殻だった事がまあまああった。
そしてその時、家へ侵入した時は、こんな罪悪感なんて一切芽生えなかった。じゃあ、意識の問題かしら? なんとも不思議ね。
「モヤモヤが晴れそうにないし、一応ハルに電話をしておこっと」
平日の午前中から夕方頃にかけて、ハルは『調理学校』という場所に通っているらしく、電話に出ない事を知っている。
……電話が通じないと分かっている相手に掛けるのも、これが初めてね。しかも、わざわざ留守電を残す為だけに。
「えっと? 確か、何回かコールするとアナウンスが流れるから、『ピー』っていう音が鳴った後に喋ればいいんだっけ?」
ハルに言われた事を思い出すように復唱し、携帯電話を耳に当てる。
数回コール音が鳴ると、なんとも感情がこもっていない声が聞こえてきた。よし、やり方は合っているようね。
「あ、ピーって鳴った。えと、私、メリーさん。今、あなたのお家に着いて、これからテレビを観ようとしているの。……これでいいのよね?」
柄にもなく緊張しちゃったから、限りなく素に近い喋り方になっちゃったけど、まあいいか。しかし、これで罪悪感は多少なりとも無くなった。
誰も邪魔する者は居ないし、ゆっくりテレビを観よう。そう決めた私は、靴を脱ぎ、近くにあったスイッチを押して電気をつけた。
静まり返っているせいか。やたらと耳に届く足音を響かせつつ、いつもの部屋に入る。そこでもスイッチを押して電気をつけ、リモコンがあろうテーブルに顔をやる。
すると、リモコンの他に色んな物が映り込んだので、とりあえずテーブルまで近づき、右手にリモコンを。左手に、何かが書かれている紙を持った。
「なになに? 『テーブルと冷蔵庫にある物は、好きに食べていいよ。喉が渇いたら台所にコップがあるから、それを使ってね。春茜より』……。テーブルにあるもの?」
指示とも取れる文章を読み終え、紙を見ていた視線をテーブルへ移す。そこには、数本纏まったバナナ。木のカゴに数個入っている、丸々としたミカン。
それに、四角い透明の袋に入っている、中身が丸くて茶色が濃い物。袋に『醤油せんべい』と書かれているけど、これはなんだろう?
ミカンは、この前みかんゼリーを食べたから分かる。バナナも、ミカンと同じ果物よね。……あれ、野菜だっけ? どっちだったかしら?
とにかく料理本にも、たまに載っていたので分かる。けど『醬油せんべい』は、どの料理本にも載っていなかったから、本当に未知なる物だわ。
「持った感じ、ものすごく固そうね。食べられるのかしら、これ?」
匂いは無臭。食べるには、袋から出さないとダメみたいだけど。どうやって開けるの、これ? 端っこがギザギザになっているから、ここを引っ張るのかしら?
「なんだか、嫌な予感がするからやめておこう。ここは無難に、バナナを食べてみようかしら」
醬油せんべいを元あった場所に置き、代わりにバナナを一本だけ毟り取った。
これは、皮を剥いて食べるのよね。匂いは、ほのかに甘い。思わず深呼吸したくなるような、心が安らぐ匂いだ。
「確か、上の突出した部分を掴んで、下に引っ張っていけば~……。わっ、ペロンって剥けた」
力をあまり入れずとも、スルスルって剥けていった。中身が出てきたから、甘い匂いがより一層濃くなってきたわね。この匂い、好きかも。
他の部分にも皮が残っているので、三回に分けて剥いていく。全て剥き終わると、かなり瘦せ細っちゃった。この皮、結構厚いのね。なんだか勿体ない。
「……皮も、食べられるのかしら?」
けど、食べた痕跡を少しでも残したら、ハルにとやかく言われてしまう。あいつ、割と容赦無しに言ってくるのよね。
それのせいで、何度恥ずかしい思いをした事か……。よし、普通に食べよう。
「ふゎっ……。柔らかくて、あまぁ~い」
食感は、少しだけ噛めば自然にほぐれるほど柔らかく。嚙めば嚙むほど増していく、ねったりとしていて舌に吸いついてくるような甘さよ。すごい濃密だ。
みかんは、とにかくサッパリとしていて爽快感があったけど。バナナは、いつまでも後味が残っているし、余韻も深く感じる。果物って、色んな甘さがあるのね。もっと食べてみたいわ~。
「そうだ、冷蔵庫!」
ハルが残したメモには、『冷蔵庫にある物は、好きに食べていい』と書いてあった。もしかしたら、冷蔵庫にも新たな果物があるかもしれない。
「……そういえば、冷蔵庫って、なに?」
しまった、肝心の冷蔵庫という物が分からない。……あれ? もしかして私、かなりの世間知らず?
いや、私は『メリーさん』という都市伝説、もとい怪異よ? そんな事、知らなくて当然じゃ?
「そうだ。私と人間は、元々住んでる世界がまったく違うから、知らなくて当然の事なんだ」
危ない。なんだか、だんだん人間の世界に毒されてきた気がする。ハルを通して、深く踏み入れ過ぎちゃったわね。
しかし、前の生活に戻る気なんて毛頭ない。だって、おいしい料理が食べられないもの。料理が食べられない生活だなんて、もう絶対に嫌だ。ありえないし耐えられない。
「全ては、ハルがくれたお味噌汁や唐揚げのせいだわ。……早く食べたいなぁ、ハルの唐揚げ」
時計を確認してみるも、現在時刻は午前十時過ぎ。夕方まで、まだ八時間ぐらいあるじゃないの。八時間って、何時間待てばいいのかしら?
時間の進みが、やたらと遅く感じる。一秒って意識して数えてみると、案外長いわね。こんなに長かったっけ? あの時計、壊れているんじゃないの?
「料理本を読んでる時は、時間があっという間に過ぎていったのに。時間の流れって、適当で気まぐれなやつね」
姿の見えない概念に文句を垂らし、鼻からため息を漏らす。
「いいや、テレビを観よっと」
そう。本来ハルの部屋に来た目的は、テレビを観る事だ。時間に文句を言う為じゃない。
ハルが昨日教えてくれた情報によれば、この時間帯の六チャンネルという所で、料理に関する物がやっているはず。
そして十二時からは、四チャンネルで! 昨日は、おいしそうな中華料理がいっぱい出ていたのよね。今日は、一体どんな料理が出てくるんだろう。楽しみだわ。




