128話、正確な答えが無い謎
グツグツと煮立ったもつ煮を、おたまでほどよくかき回し。良い感じに具材がばらけた所を見計らい、専用の別皿に移し。あまりすくえなかった、もやしとキャベツを追加で取った。
もつを箸で掴んでみると、煮込まれてかなり柔らかくなっているのか。少し動かすだけで、プルプルと左右に揺れていく。
この揺れ具合、ちょっと楽しいわね。見ていて飽きないわ。
「うわっ! プリップリなのに、すごい弾力がある」
私を楽しませたプルプル感を裏切る、しなやかで歯を押し返すほどの弾力よ。すぐに噛み切れるとばかり思っていたから、驚いちゃった。
このもつとやらも、噛めば噛んだ分だけ味が湧き出してくるわね。ご飯をかき込みたくなるような、ほんのり感じるクセの無い、もつ特有の臭み。
しかし感じたのは、ほんの一瞬だけ。醬油ベースの汁に隠れていたニンニクと、シャキシャキしたニラが臭みを消してしまった。
そして、やたらと目立つプリプリした白い脂身部分。ここを重点的に噛み続けると、甘さが際立つ旨味を含んだ油がじゅわりと出てきて、更に噛みたくなる欲求を高めていく。
ずっと噛んでいられるから、なんだかスルメイカを噛んでいるような気分になってきたわ。それほどまでに、薄れ知らずな旨味が出てくるのよ。
ゆえに、飲み込むタイミングが、まるで掴めない。合間にキャベツやもやし、豆腐を挟んでも、そう。
他の具材は、すぐ飲み込めるというのに。一番最初に口へ入れたもつが、まだまだ味が出てくるせいで、ずっと口の中に留まっている。
「ねえ、ハル。もつを飲み込むタイミングって、いつだか分かる?」
「う~ん、かなり難しい質問だね。私も分からないけど、人によりけりかな? もつの味が無くなったらで、いいんじゃない?」
「……もつって、いつ味が無くなるの?」
「そういえば、なかなか無くならないよね。最適なタイミングって、マジでいつなんだろ? ネットで調べてみようかな」
私と同じく、口をずっと動かしているハルが、テーブルに置いていたスマホを操作し出した。その間にも、ハルの口は止まらないでいる。
「いくつかサイトを見てみたけど、たぶんちゃんとした答えは無さそうだね」
「あら、そうなの? ちなみに、どんな事が書かれてたの?」
「え~っと、数回噛んだら飲み込むやら。私が言ったように、味が無くなったらでしょ。あとは、他の料理を食べたくなったり、飲み物を飲むタイミングで一緒に飲み込んだり~、とかかな」
「へぇ、人によって色んなタイミングがあるのね」
言い換えてしまえば、気分によって飲み込むタイミングを変えられる訳よね。なら、そんなに難しく考える必要は無いと。
「あっ、噛むのに疲れたらって人もいるみたいだよ」
「それは単に、飲み込むタイミングを失ってるだけじゃない?」
「かもね。ちなみに私も、今そんな状態であります」
「安心しなさい、私もよ」
だからこそ、次のもつを口に運べないのよ。誤魔化す為に、イカの一夜干しを一つ食べてみたけれども。これ、状況が悪化しただけだわ。
イカの方も、もつに負けぬ、ぶりんとした力強い弾力があり。何度も噛んで柔らかくなってくると、香ばしさを兼ね揃えた甘じょっぱい旨味が、どんどん濃くなっていくばかり。
けど、もつほど耐久力は無いようね。ちゃんと噛み切れるし、難なく飲み込めるほど小さくなってきた。よし。このタイミングで、もつと一緒に飲み込んでしまおう。
「ふうっ、ようやく飲み込めたわ。これでやっと、新しいもつを食べられるわね」
「しゃーない、水で流し込むか」
どこか諦め切れていないハルが、水を一気に飲み干していく。私もそろそろ、ジンジャーエールっていう飲み物を頼んでみよう───。
「飲み物、ねぇ」
メニュー表を手に取り、ドリンクの欄を開いてみた。私達が飲めないお酒を含むと、総勢で約六十種類の飲み物がある。
そして、その九割がお酒だ。流石は居酒屋ね、沢山あるわ。
私が唯一知っている、生ビール。そういえば、ハイボールっていうお酒も、テレビのCMでやっていたっけ。なら、一応これも分かる。あとは、名前を見ても想像すらつかない。
「メリーさん、なんか追加で頼むの?」
「ジンジャーエールを頼もうと思ってるんだけど……。ねぇ、ハル。お酒って、おいしいの?」
「お酒? いや~、どうだろう? 二十歳になった時、ビールをちょろっと飲んだぐらいだからな~。確か、結構苦かった気がする」
「へぇ、ビールって苦いのね」
見た目は、泡がこんもり乗った黄色いサイダーみたいなのに、甘くないんだ。じゃあ、ブラックコーヒーが苦手な私も、きっと飲めないわね。
逆に、甘そうなお酒といえば、カルーアミルク。苺サワーっていうのも、イチゴが入っているなら絶対甘いわよね。
「なに、飲みたいの?」
「苦いんでしょ? なら、私は遠慮しとくわ。あんたは、飲みたいと思わないの?」
「私ぃ~? ムリムリ。全然飲めないよ。しかも、飲んだらベロンベロンになって、メリーさんにダル絡みしちゃうよ。なのでパスっ」
固い意志を見せつけて、両手でバツ印を示すハル。そうだ。私もそれが嫌で、絶対に飲まない方がいいって忠告していたわ。
けど、ちょっと気になるのよね。酔っぱらったハルが、どういう奇行に走るのかを。自分の身を犠牲にして、後押ししてみようかしら。
「今日は、おめでたい席なのよ? 一回ぐらいだったら、ぶれーこーで許してあげるわ」
「マジで? ……本当にぃ~? 目が覚めたら、私あの世に逝ってない?」
「大丈夫よ。たとえ、あんたがとんでもない事をしでかしてきても、私は何もしないって誓うわ」
「ええ〜、マジでぇ? う~んっ……」
そう軽く誓うと、ハルはしかめっ面になりながら腕を組み、糸目寸前まで細まった目を右へ逸らした。このハルは、長考し過ぎてフリーズしてしまう方のハルだわ。
私の予想は正しく、静止画の如くピクリとも動かなくなってしまった。あまり長くフリーズされると、呼吸をしているのか判断がつかず、だんだん心配になってくるのよね。
新しいもつを口に入れて、数分待つも、ハルは動き出す気配を一向に見せてはくれず。
しかたなく、もつを飲み込んだ矢先。ハルの両肩がガクッと下がり、観念したかのようなため息をついた。
「別に、飲んでもいいけどさぁ。本当にいいの? 絶対後悔するよ?」
「望むところよ。掛かって来なさい」
「なるほど? 覚悟は決まってる訳ね。んじゃあ、ひっさびさに飲んでみようかな~。何かあった時は、よろしく頼みますぜ?」
「任せなさい。あんたが寝落ちしても、ちゃんと家まで送ってあげるわ」
「りょーかい。念の為、財布を預けておくね。一万円で足りると思うけど、足りなかったら二万円出しといてちょうだい」
淡々と説明していたハルが、私の前に折り畳みの黒い財布を置いてきた。嘘でしょ? 財布を私に預けるって、もう正気を失う前提じゃない。そこまで酷くなるっていうの?
なんだか、決してやってはいけない事を、やってしまったような気がしてきたわ。ハルに限って、そんな事ないわよね? ……たぶん。




