とある本の虫の思い出 3)好まれるから存在する
作者です。
創作の場で、論議の的となる言葉の一つに「テンプレ」がありますね。カタカナ語ですね。英語のtemplateから作られた略語です。英語のtemplateの意味は皆様お手元の辞書なり何なりを、ぜひご参照くださいませ。
ところで作者は、元々は本の虫です。
児童書から始まり様々に読み漁りましたが、一時期夢中になっていた分野がありました。それは世界各国の神話や寓話や口承文学(を文字に記載したもの)です。
極地から赤道直下まで、様々な気候の土地に人は暮らします。時と場所が変われば常識も異なり、価値観も様々、物事の是非も多様な神話は、時間も距離も飛び越えた世界旅行のようで、大変面白く不思議な物語を読み漁っておりました。
世界に一つしか無いものとして太陽を例にしますと。太陽は、何処にあっても同じ太陽ですが。世界各地の物語では、女性であり、男性であり、慈愛の神であり、厳しい神であり、と様々に語られ、子供の頃はその違いを楽しんでいました。
様々な違いがある世界各地の物語に、ほぼ必ず語られていたのが悲恋です。神と人、精霊と人、同じ人であっても身分が異なり、国が異なり、部族が異なり、様々な要因で結ばれない悲劇の物語。
死して結ばれることを願った二人は星になり、虹になり、風になり、鳥になり、海の生き物になり、と様々に語られたりします。
神話の時代でなくとも悲恋は人を惹きつけるのでしょうね。
伊勢物語の芥川、シェイクスピアのロミオとジュリエット、近松門左衛門の曽根崎心中、ブロードウェイミューミカルのウェスト・サイド・ストーリー、等、極一部を記載しました。多くの方があれもこれもと思い浮かべておられることでしょう。
人に語り継がれ読みつがれ演じられるのは人がその物語を好むからです。神話の時代の物語が今も語り継がれ、新しく生まれた物語も古典となり生き残り続け、新たに生み出されているのではないでしょうか。
テンプレだから、存在するのではなく。好まれるから存在するのではないでしょうか。悲恋以外にも多くある物語のテンプレは、結局、人がそれを好きだからに尽きるのではないでしょうか。
ところで、テンプレの一つ「悲恋」について語りましたが。
作者としての私は、ハッピーエンドが好きです。様々な時代の世界各地の悲恋を目にしたせいでしょうか。せめて私の紡ぐ物語の中では、恋人たちには幸せになってほしいなと思っております。ハッピーエンドも間違いなくテンプレですね。
是非、作者の紡ぐ物語にお付きあいをいただけましたら幸いです。




