八
およそ十七年前 辰帝国
辰国北部でリショウは研究に没頭し、最長老の恩恵を受けるべく、弟子の育成にも日々励んでいた。
魔術師は、基本的に実力主義だ。力のある者が上に行き、力無き者は蹴落とされる。
リショウの序列は十位。気を抜けば他の者に老師の座を容易に奪われかねないのだ。
ロアン老師が弟子を引き連れ、行方知れずとなり、自分の序列を上げるのにまたとない好機の今、リショウは何かしら功績を上げるか、手柄を立てる機会を窺っていた。
ロアン老師の弟子はどれも優秀で、序列の上位を彼の弟子の多くが占めていた。席が開けば、埋めたくたるというもので、弟子がそこに入る事ができれば、リショウの評価も上がるのだが、弟子の一人が、序列に組み込まれそうな程に成長してはいたが、ロアン老師の弟子には及ばない。実に悩ましい限りだった。
序列二位の彼が姿を消した事こそ、魔術師一団としては痛手でしか無いが、彼の置き土産があれば、それもいずれは何の問題も無くなるだろう。
ロアン老師。彼程、抜きん出た魔術師もそうはいない。殊更、弟子の育成に力を入れ、その実力は恐ろしいの一言だった。
ロアン老師は一言で言えば、武人だ。鍛え抜かれた肉体に短刀を構え、こちらが魔術を発動するよりもが早く動いてみせる。そして、弟子達もまた、同じ手法を使い、易々と上位の魔術師達を蹴落としていくのだ。
そんな者達が姿を消し、十年が経った頃、捕らえられていた女が逃げだした。ロアン老師の弟子の中で最年少の女。
名をユーリックと言った。
ロアン老師の他の弟子と同様かそれ以上に優秀で、並の魔術師など簡単に退けると有名だったが、誰もが言った。
『あれで、女とは、勿体無い』
『男に生まれていれば、さぞや老師になる事も容易であっただろう』
女の身分は低い。器量が良ければ、貴族や老師に取り入る事も出来るだろうが、並なら、それまで。ひたすらに、師の下で雑用をこなすしか無い。
その女も結局、独り立ちはせずにロアン老師の下にいたと聞く。一度顔を見た限りでは、器量は良かったが、振る舞いは男に近く、あれでは貴族に取り入る事も難しいだろう。結局、そのロアン老師にすら見限られ虜の身となったというが、問題は、その女の希少性だった。
その身に死を持たず、魔素を取り出しても死なない。それが人かどうかの議論がされ、ありとあらゆる実験と研究が行われたが、何一つとして解明されなかった。
だが、取り出した魔素は本物だ。最早、それで十分だった。
女からは日に一度、魔素が取り出され、最長老に納められた。時には、それを褒美として下賜される事もあったが、魔素には容量がある。受け入れる器は、鍛えれば大きくなるが、女の魔素の濃度は濃く、受け入れる事が出来るのは最上位の魔術師ぐらいだ。そして、数にも限りがある。何か手柄を立てねば、そう易々とは、下賜されない。リショウは幾つかの褒美を受理したが、その効果は中々の物だった。
だからこそ、逃げた女を捕らえるのは、自分でなければならないと思っていた。
知らせを受けたリショウは、最長老の命令の下、女の足跡を辿った。だが、どれだけ女を探そうとも、不思議なまでに女に辿り着かない。
女の赤目は珍しい。あれ程、特徴的な人物を探し出すなど容易にも思えていたが、いつも空振りばかりで影すら見当たらない。
わかったのは、女が子供連れである事、馬に乗っている事。それだけだった。
探しているのは、リショウだけではないのに、他から見つかったとの話も無い。
「(上手く逃げるものだ)」
リショウは探すべき女に関心すらしてしまいそうだった。
何とか情報を集め、女が辿った道を探し出し、ようやく辿り着いた地は、白き山近くの廃村だった。女の故郷でもあったそこで、足跡は途絶えた。
その先に向かったのだろうとは分かっても、誰も山を登りたがらない。神などいないと、半ば強引に部隊を進ませたが、誰一人戻っては来なかった。
あの女は不死身だ。未だ山に篭っている可能性もあるだろうが、実際にその山にいるかも分からない存在の為に、それ以上の犠牲を強いるのは無理があった。
既に目標を見失ったも同然となり、指揮も下がり始め、リショウは一度体制を立て直す必要があった。
それからも、国中で魔術師達が女を探し回った。船で異国へ渡った可能性は低い。あれは国が管理しているもので、そう易々とは乗れるものでは無い。だとすれば、女は一体何処へ消えたのだろうか。
影も形も見せぬ女に、辰国に居ないとリショウは結論付けていたが、諦めるわけにはいかなかった。
最長老は命令を撤回する事は無く、リショウには腹を空かせた化け物に見える様になっていた。
早く見つけなければ。
リショウはやはり白き山を登ったままだと考えた。だが、同じ場所へ探しに行く事など、到底無理だろう。
あの山には、神話がある。
神が住み、決して誰も通さず、命を奪う。
国中で誰もが知るものだった。信仰など無いに等しいこの国で、何故、その話だけが信じられているのだろうか。
リショウは、山を調べた。幸いにも身分は老師。国の文献を閲覧することが可能だった。中央都市にある、国が管理する文献をひたすらに読み漁り、それだけでは足りない。信仰の消え去った国で、目に見えぬもののこん先を辿るには容易では無く、国中の文献を探し回るしか方法はなかった。
そして、十年以上が過ぎた頃、白き山の話を綴った、一冊の文献を見つけた。
字体は古く、かなりの年月が経っている。誰が書いたのかすら、わからないものでも、リショウはすがる思いで、それを読み解いていった。
リショウは、それを解読していくうち、それが神話だと気づいた。神話と思えばそれまでだが、リショウはそれが正しければ、もしかしたら……そんな思いがよぎった。
――
遥か昔、この大陸には多くの神々が住んでいた。人と共に生き、囁き、時には手を貸した。
だが、人は次第に目に見えぬ神を信じなくなった。
神々はこの地を捨て、神の眷属を筆頭にその血を継ぐ者、そして御使である龍と獣人を守るべく、信仰の厚い地に国を創り、白き山を打ち立てた。
あちら側は男神が、山の頂は龍が、こちら側は女神が守り、決して何人も通さない。
我らが信奉すべき女神が此方に残るのならば、我らも残ろう。そうすれば、女神の信仰は残り続け、女神が消える事は無い。
――
俄には信じ難い話だ。リショウはどこまでこれを信じるかを考えた。白き山の向こうなど、見えはしない。海からも同じだ。辰帝国とエンディルが挟む海域は、船が通れない。流れが悪いのか、船が海に呑まれ姿を消す事で有名だった。
それを考えると、白き山を登るなど無謀だが、海からも同様だった。
だが、既にそれ以上悩む時間は無い。女を探すためとはいえ、リショウは時間をかけ過ぎていた。一度、最長老に進捗状況の報告をしなければならないが、ここで道を誤れば一体どうなる事か。
世迷いごとと、罵られるのだろうか。リショウは不安を胸に、調べた全てを最長老に渡すべく、会合が開かれる地へと向かったのだった。
――
――
――
北部、最長老の住まう地で、その他の老師も集まり会合が行われた。最長老の隣の席は空いているが、他はすべて埋まっている。
ロアン老師が消え、変わった顔ぶれといえば序列八位の男が共に姿を消した事ぐらいだ。その男の席は埋まったが、現在も序列二位の席は空いたまま。
新しく八位の席に座る男は、若く優秀との事だが、リショウから言わせれば、逃げた女よりも格下でしかなかった。
部屋を見渡し、老師達の表情を伺いながらリショウは調べた全てを晒したが、予想通り他の老師達はリショウが調べたそれを嘲笑った。
「これだけの時間をかけて、結果がこれとは」
リショウは笑われる事など、わかっていた。それでも、これに賭けるしか無いほどに追い込まれていた。
最長老の怒りを表せば自分はどうなるだろうか。
リショウに不安が積もっていったが、意外にも最長老の反応は違った。調べたそれに目を通し、静かに口を開いた。
「あの女は死を持たぬ身であった。到底、人とは思えない存在がいれば、これもまたあり得る話だ」
険しい顔つきに、蓄えた白く長い髭を触りながら、最長老はリショウを見た。
「リショウ、山は人では越えられぬ。皇帝に海域を探す権限を進言しよう。そちらから、この地を探してみよ」
命は繋がったが、命令はまたも自分に下った。調べたのが自分だから仕方が無いが、あるかどうかもわからない国を探し出すなど、出来るのだろうか。
やるしか無いと分かっていても、リショウの不安が拭われる事は無かった。
大型船が二隻用意されたが、どちらも異国へ渡るための国軍の船。最長老は、リショウだけでなく、もう一名の老師を筆頭に、リショウの弟子と同行者として集められた魔術師達を国軍の者として、旅立たせる事にした。
旅路は難航した。大型の頑丈な帆船だが、海は荒れ続けている。雇われた船員達は、大金を積まれ、行き先など告げられていなかったのだろう。その海域に行くのは自殺行為だと言ったが、脅してでも行く必要があった。
そして、海に出て一月が経った頃、海が凪いだ。荒波があれ程続いていたというのに、不気味なまでな静けさに、誰もが恐怖した。
進路は合っている。船員の一人が、此処は波が鎮まる事は無いのにと、小さくつぶやく。
暫く進むと、突如嵐が襲った。とても帆を広げてはいられない。甲板にいては海に振り落とされる。リショウと魔術師達は船の中で嵐が過ぎ去るのを待つしか無かった。
そして、それは突如起こった。
大きな鐘の音と思える音が響き渡った。それは耳を塞いでも鳴り響き、頭が割れるかと思う程の音は鳴り続ける。
とても、耐えられるものでは無い。一人、また一人と意識を失い倒れていく中、リショウも又、意識が途絶えた。
――
リショウが目覚めると、最初に目に入ったのは、白い天井だった。正確には、それが天幕だと気付くにに、暫く掛かった。
あの音の後に気を失い、そして何処かに辿り着いたのだと気が付いた。
起き上がれないまま暫くもしない内に、同行者の一人に声を掛けられた。その後ろには、数名の気品漂う者達。それは、決して辰帝国で見ることの無かった、独特な青い髪色と金の瞳を持つ者達だった。
古風だが、高貴な衣を見に纏う男達。不思議と顔立ちがよく似ていて、兄弟の様にも見える。
「(此処が目的の場所だろうか)」
ぼんやりとした意識の中、青い髪の男の一人がリショウに話しかけた。明らかに高位の身分と思われる男は、リショウの様子を伺うように話しかけている。
よく見れば、青い髪の男の一人は軍人の様で、その腰には剣がぶら下がっている。辺りを見渡せば、それらしい者達が天幕の中、警戒を敷いていた。
これ以上警戒されれば、身動きが取れなくなる。あの女がこの国にいる事も確かなものでは無い。
何より、あれの貴重さを知られてはならない。
言葉を選び、相手に警戒されぬように、話し続けた。そして、男はある程度話すと、背後の者を引き連れ去っていった。
それから、何日かして、リショウは起き上がれる様になった。
ここが、辰では無い事だけは確かだが、何処なのかはわからない。確認しようにも、周りは軍隊で囲まれ、警戒されている。天幕の外を僅かに出るぐらいしか許されない。
とても、自分のいる状況を整理のしようも無かった。
目覚めてから、十日あまり経つが、一向に話が進む様子は無い。あまりにも対応が遅い。焦りばかりが募り、同じく隔離されている同行者たちも、明らかに苛立っていた。
ある日、荷物が返された。嗜好品も含まれており、僅かに緊張の糸が解けたが、全てが返されたわけでは無かった。
「(魔術書や、書状が無い。エンディルの言葉だけ選り分けたのか?)」
読めないものは不審に思われたのか、意図的に抜かれていた。
そして、次の日、それは現れた。