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虚構の夢人  作者: 柊
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 丹省 省都キアン 紅砒城


 春爛漫の桜舞い散る中、(きょう)悠李(ゆうり)は散歩がてら静かにそれを眺めていた。ゆっくりと酒でも飲みながら、花見でもしたい所だが、校尉として軍部で立場がある中、中々そんな優雅な事も言っていられない。

 仕方なく、仕事の合間に過ごす僅かな時間が日課でも有り、春の楽しみでもあった。


「叔母上!」


 悠李は遠くで叫ぶ姪の声に振り返った。まだ十八歳とあどけない表情を残す少女が、悠李へと走り近づいている姿が悠李の瞳に映る。姪と言っても、血の繋がりは無い。それでも、(こう)は悠李にとっては可愛い姪だ。出会った当初から、悠李に良く懐き、駆け回る頃には後ろをついて回っていた。それは今でも然程変わらず、ちょこまかと後をついて回っている。

 本当は、淑女らしくなって欲しいと、再三、勾の母である翠玲(すいれい)からも説得する様に頼まれていたが、当の本人は武官になりたいと引き下がらない。流石、古来より多くの武官を輩出してきた姜一族と言ったところで、才能はあった。

 今では、悠李の補佐官として軍に編成されるまでの実力だ。

 悠李より少しばかり若い見た目と、小柄では無いが、悠李よりも背丈は低い。まだあどけなさが残る可愛らしいと言える顔付きを見る度に、悠李は頭を撫でた。


「叔母上、もう子供では無いのでやめて下さい」


 少し前までは撫でられる度に喜んでいたのに、最近は恥ずかしいのか、嫌がるではないにしても拗ねた顔を見せる様になった。


「十八はまだ子供だ。それで、何かあった?」

「お祖父様がお呼びです」


 お祖父様と言っても、不死である姜祝融(しゅくゆう)の見た目は壮年程で、とても孫がいる程には到底見えないだろう。

 不死と呼ばれる者達は、その身に寿命がない。総じて若い姿というわけでもないが、とりわけ、姜祝融は誰よりも永く生き、若い姿を保っているとも言われている。

 悠李にとっては養父でもある訳だが、建前上の関係の為、父と思た試しはない。当の本人にも、幾度となく娘とは思ないと告げられている。

 その男の下へ向かう為、悠李は足を本城へ向けた。わざわざ勾を呼びに来させるなど、何かあったのだ。急ぐ必要があると早足になるが、歩いている最中も勾は悠李に話を続けた。


「元老院蒼公より志鳥が来たとの事です。詳しくは、直接話すとだけ」

「わかった。勾は、先に鍛錬場に行って、兵士達の訓練の指導をしていなさい」

「私も……!」

「貴女は呼ばれていないのでしょう?指示に従いなさい」


 勾の顔には、不満としっかり書いてあるが、悠李にも立場がある。今にも後をついて来そうな勾をその場に残し、祝融の執務室へと向かった。


 藍省は、陽皇国の最南端に当たる。悠李には馴染みもなく、夫と海を見に行っただけの場所だった。蒼公……蒼郭園とは御前試合の時に一度見かけた事ぐらいの接点しかない。

 何故自分が呼ばれるのか。お祖父様と呼ばれた姜一族当主である男の下へ向かうしか知る術はなかった。

 既に勝手知ったるとまでなった本城の中を颯爽と歩く悠李に、道ゆく者は足を止め、頭を下げた。養女とはいえ、悠李は丹省を治める姜家当主の令嬢であり、当主の甥の妻でもある。中には、未だ納得できないという顔を見せる者もいたが、それでも頭は下げた。

 堂々とした姿に、彼女がその立場に相応しくないと、声を上げるものはいないだろう。

 今では校尉となり、軍の信頼も厚い。悠李の実力は誰もが知るものに、なっていた。

 悠李にとって気にかかる事と言えば、姜校尉と呼ばれるよりも、姜伯夫人と呼ばれる事が殆どという事ぐらいだ。

 夫である蚩尤は、元諸侯だ。姜家当主の甥というのも相待って、当たり前なのだが、夫の知名度が高すぎて、足元にも及ばないと言われているようでならなかった。彼の事は好いているし、尊敬もしているが、敵わないと思い知らされる。

 悠李は、目的の部屋にたどり着くと、足を止めた。


祝融(しゅくゆう)様、悠李です」


 部屋の主からの返事と共に、扉を開けると、部屋の主である祝融の他に、諸侯である姜玄瑛(げんえい)と、悠李の夫でもある姜蚩尤(しゆう)が重々しい雰囲気の中で、悠李を待っていた。錚々たる顔ぶれが並び、どうにも只事では無いらしい。

 悠李が、空いていた祝融の正面に座ると、祝融は口を開いた。


「悠李、少々面倒な事が起こった」


 祝融の顔付きは険しい。普段温和な為、それだけでも十分に何かあったと言っているようなものだった。そして、行き着く間も無く、蒼郭園から送られてきた志鳥の言葉を話し始めたのだった。


『青海より、異邦人の来訪があった。その数、百五名。彼らの頭目と思しき男の話では、ユーリックなる者を探して、辰帝国より船で来たと言う。我々では判別が付かない事もあり、混乱を避けるため、同国出身である姜叔校尉の手を、お借りたい』


 悠李の顔は青ざめた。話からして、百五名が生きて、陽皇国へと辿り着いたと言う事だろう。何より、自分を探して来たとなれば、それは――


「青海から来る異邦人は稀では無かったのですか?」


 思わず、悠李は目線を落とした。

 

「本来なら、あり得ない話だ。だが、事は起こった。これ以上の詳細は、蒼公本人に会って聞くしかない」

「私に、それらに会いに行けと」

「正直、行かせたくは無い。どう考えても、お前を捕らえていた者達だ」


 祝融も、蒼郭園と同じく元老院だ。彼の立場を考えれば、自分は行くしかない。


「ご命令であれば、行きます」

「悠李、行く事は無い」


 口を挟んだのは、蚩尤だった。少々癖はあるが聡明な人物と言われ、悠李もそれをよく知っている。だが、彼は今、姜一族としてよりも、夫の立場で放った言葉だ。純粋に心配してくれる事はに悠李は嬉しいく思うも、姜一族としての立場を考えれば、国事を優先させねばならないだろう。


「蚩尤、分を弁えず発言出来ないなら、追い出すぞ」


 祝融の顔付きが、より険しくなった。決して、祝融が冷酷なわけではない。殊更、蚩尤は悠李の事となると、不用意な発言をする事があったからだ。その時の蚩尤は、聡明さなど、失われているのでは無いかと思う程。


「わざわざ、危険を犯す真似をさせる必要は無いでしょう」

「だが、元老院の要請だ。何より、行かなければ、悠李がそれらと同類と思われる事もある。立場を悪くするだけだ」


 信頼など、簡単に崩れる。悠李は、この十五年、その為に必死だった。異国の者、異邦人、そう呼ばれない為に、身を粉にして丹省に尽くしてきた。

 卑しくも、姜一族に取り入った女。そんな醜聞が飛び交い、異邦人としての素性と、当主の養女になった事がよりそれを際立たせた。表面上は、姜一族の当主である祝融が睨みを利かせれば済む話だ。だが、それだけでは、腹の虫が治まらぬ者もいる。

 悠李に出来る事は、養女として恥ずかしく無い立場である事を証明し続ける事だ。御前試合に出たのも、姜家当主の養女として、恥ずかしくない実力を持っていると証明するためだった。


「蚩尤様、これが国事であるなら、この国の民になった者として、丹に仕える者として、役目を果たさねばなりません」


 悠李は、笑って見せたが、蚩尤には悠李が無理をしているなど、一目瞭然だった。本音を言えば、昔の自分を知る者になど、会いたくは無い。だが、今居るこの場所を失いたくも無かった。


「申し訳ないが、諸侯として、お前をあちらに派遣するしかない」


 玄瑛が沈んだ顔を見せたが、彼も立場がある。


「俺もそちらに行くつもりだ。それらが、馬鹿な真似をするなら、俺が直接手を下す。それでも不満か」


 蚩尤も、悠李が行かなければならない事など、分かりきっていた。


「……分かりました」


 蚩尤の顔には、明らかな不満が広がっていた。祝融の強さは、身を持って知っている。それは確かな安心材料にはなるが、それでも不安がなくなる訳ではない。武官とはいえ、自分の妻が危険な地へわざわざ赴くとなれば、当然だった。

 祝融もそれを理解しているからこそ、同行すると決めていた。

 納得した顔では無いが、祝融は再度悠李に目をやった。


「悠李、蒼公には気をつけろ。元老院なんぞ、腹の中を探り合う狸や狐だが、蒼公に関してはそれを面白がってやっている節がある」

「……異邦人の対応の為に、呼ばれているのですよね?」

「混乱を招く真似はしないだろうが、わざと詳細な情報を送ってきていない。あくまで、お前を寄越す為の発言しかしていないのが気になる」


 蚩尤は溜息を着いた。政に関わる者など、元老院でなくとも、腹の中で何を考えているかなど分からない。その中でも蒼公は、蚩尤が嫌いな部類の者では無かったが、真面目な龍人族の特徴から、かけ離れたそれに、厄介という言葉しか思いつかない程だった。


「あれは、先代の元老院を追いやって、それになった身だ。諸侯であった時に会った事があるが、少々癖のある人物だった」


 蒼公は、当時元老院だった父を詰まらないと理由で、追い詰めた。世襲が当たり前のこの国で、自分が父親よりも優秀である事を証明し、蒼家当主の座から引きずり落としたのは、有名な話だった。


「先代は、今はどこかで、隠居中らしいが……」

「あまり首を突っ込まん事だ。兎に角だ、俺がいない時は、蒼公と直接関わることだけは、止めておけ。お前は口が回る方じゃない」


 悠李は口下手という訳ではないが、言葉を節々まで読み取るのが、達者とまではいかなかった。


「気をつけます。それで、いつ向かわれますか」

「明日出る。軍には、玄瑛から国事に関わる事になったと伝える。玄瑛、蚩尤、後を頼むぞ」

「御意」

「悠李、仕事は残っているか?」

「午後は兵士の訓練と書類が幾つか」


 兵士の訓練を行わなければならないが、自分がいなくとも、勾や他の補佐官が対応するだろう。悠李としては、剣でも振るった方が気晴らしになるが、明日出るのなら、止めておいた方が良いだろうとも思えた。


「訓練は他に任せます」

「その方が良いな。お前の印章がいる仕事を優先させろ」

「分かりました」


 悠李は席を立ち、早々に部屋を出た。足速に軍部へと向かおうとするも、祝融の執務室から少し離れた所で、勾が壁を背に待っている姿があった。


「訓練はどうした」

「……話が気になって」


 俯き加減に話をしては、目線を合わせない。まるで叱られると分かっていて悪戯をする子供の様だ。

 軍に籍を置いたなら、それ相応の立場を自覚しなければならない。だが、勾にはその覚悟が見えてはこなかった。


「子供じゃないと言うなら、仕事を優先させなさい」

「分かってます。ただ、お祖父様の様子がいつもと違ったので……」


 悠李は息を吐いた。自分を心配してくれた事は嬉しいが、上官としては、厳しくしなければならない。もどかしいと思いつつも、これが今の自分の仕事と割り切るしか無かった。


「明日から、祝融様に同行する事になった。今日も軍には顔を出さない。勾、補佐官としての役目を真っ当しなさい」


 正直、甘いと思った。分を弁え、上官という役目に徹しなければならないと言うのに、勾にはそれがなかなか出来ない。

 勾も勾で、内容が教えて貰えない事だと理解できているのだろうが、どうにも顔は不貞腐れている。考えている事がそのまま表情に出てしまうなど、未熟な証拠だ。


「期間はわからないから、詳細は追って玄瑛様が伝える。共工様や他の方々の指示に従う様に」

「……承知しました」

「後を頼みます」

「はい」


 悠李は渋々鍛錬場に向かう勾を見送ると、残っていた書類仕事だけでも片付けて帰ろうと、軍部のある別棟へと足を運んだ。

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