十九
丹省 省都キアン 紅砒城
元老院の会議から何日かして、祝融も丹へと戻った。
城の中を闊歩し、溜まった仕事を片付けようと、早々に自室に向かおうとしたが、道を遮る者が一人。
「お話が有ります」
いつになく、真剣な眼差しを向ける蚩尤。話など、一つしか無い。
「戻ってきたばかりの当主を労う気は無いのか……と言いたいところだが、悠李の事だろう。部屋で話す」
蚩尤を引き連れ私室に赴くと、一月、丹を離れていた割に机の上には書類は殆ど無かった。
「勝手ながら、印章を拝借しました。残っているのは、勾や脩へ来る縁談の手紙だけです」
「流石だな……しかし懲りない奴らだ。捨てても良かったのだが?」
「一応、目を通すと思いまして。燃やすなら、ご自分でどうぞ」
意味深だった。分かりきったことでは有ったが、含みの有る言い方に、不満が手に取る様に分かる。
二人が来客用の長椅子に腰掛けると、蚩尤は溜まっていた、胸中を晒した。
「悠李の火傷の経緯は聞きました。ですが、あれはどういう事ですか」
真っ直ぐに祝融に怒りをぶつける様は、相手が当主である事など忘れている。
「……俺も驚いた。治らないとは、考えていなかった」
悠李の腕を見るたびに、祝融は後悔していた。
「まるで、普通になったと。不死身に普通など、有りえますか?」
「有りえない、だろうな」
悠李は死なない、傷は治る。それが、前提だった。
何故かなど、わかるはずもなければ、試す事も出来ない。起こってしまった事に、それ以上悩むわけにもいかず、目の前の不安を抱える男に謝るしかなかった。
「怪我の件は悪かった。悠李にも謝ったがな。痕は残るかもしれん」
「何故、力を使ったか聞いても?」
それには、祝融もどう答えてい良いものか、悩んだ。ただ、そこにあったものを使ったとしか、言えなかった。
「何故だろうな。花月が慌てて俺を呼びにきて、悠李の苦しむ姿を見た時、それしか無いと思ってしまった」
「……悠李は夢を見なくなったと、安心しています」
「そうか、それは良かった」
あくまで、結果論ですが、と蚩尤は憤りを見せた。
「出来れば、二度とやらないで頂きたい。どの様な事があっても」
蚩尤の怒りは尤もだった。いくら手段が無いと言ったところで、自身の妻が負った痛々しい痕を見れば、感情が沸き立つものだろう。
「安心しろ、俺も二度とやりたくはない」
祝融は、蚩尤の怒りを受け入れていた。元々、殺されるかもしれないと冗談めいた言葉を口にしていたぐらいだ。それなりの覚悟はしていたのだ。
後悔ばかり見せる祝融に、蚩尤も次第に怒りは薄れていた。
「それが聞きたかった。あと、もう一つですが……」
ついでにと、蚩尤は更に口を開いた。
「なんだ?」
「遺言の様な言葉は送らないで頂きたい。玄瑛の仕事が疎かになります」
「念のために、送っただけだ」
「祝融様は何の為に、四海竜王の御許まで?悠李は止めたと言っていました」
祝融は四海竜王に会う機会は最初で最後だと考えていた。
当主を危険に晒せないと、止める悠李を押し切ったのも、それが理由だった。
「あれらなら、俺をどうするか、見てみたかった」
言葉を濁した祝融に、蚩尤は祝融が何を望んだか。もし、それが叶ったならば、祝融が帰って来る事は無かっただろう。
「……それが、遺言の理由ですか?」
落ち込む蚩尤に、祝融は目を逸らした。死を望んだなど、口にはしなくとも、同義であった。
「そうとも取れるな。残念ながら、俺を許す気も、殺す気も無いらしい」
「悠李はどうやって説得を?不死身で有る事を話したのですか?」
「いいや、丈夫に生まれたと言った。信じたかどうかは分からんが」
適当な理由を並べ、周りを説得した。
丈夫なのは、事実だったが、実際に神域に入った時には、一日と保たなかった。
「周りに怪しまれます。言動には、お気をつけ下さい」
呪われたなどと知れたら、祝融の立場は立ち消えるだろう。
「そうするとしよう」
態度は崩さずとも、一向に目を合わせない祝融に、蚩尤は何も言えなかった。今はもう望む事は無いが、蚩尤もまた、死を待っていた者だけに、糾弾する資格は無かった。
蚩尤は、これ以上は無意味と、話を変えた。
「後、もう一つ」
「……まだ有るのか」
「無事なら無事と、仰ってください。寿命が縮みます」
不死には寿命は無い。有りえないと分かりつつも、祝融はその言動につい、笑ってしまった。
「悪かった。忙しかったんだ」
「祝融様と良い、悠李と良い、自分達を基準に考えないで頂きたい」
「説教か?」
「ええ、悠李にもしました。祝融様と違って、大変反省しております」
まさか、甥に説教される日が来るとは。
祝融はそれが面白かった。祝融に対等では無いにしろ、祝融に対してそこまで物が言えるのは、蚩尤だけだと改めて実感していた。
「それは、見ものだな」
はたから見た、お互いの姿だけなら、何も可笑しい事では無いのだろう。だが、今の状況に祝融の笑いは止まらなかった。
「反省しておりませんね」
「している。多分な」
子供の様な物言いに、当主らしさは無かった。それでも蚩尤は、祝融らしいその姿に胸を撫で下ろした。
祝融は一頻り笑うと、真剣な面持ちで蚩尤を見た。
「蚩尤、少し、雲行きが怪しい」
「それは、外界の話でしょうか?」
「皇宮だ」
皇宮。その言葉に蚩尤は身構えた。
龍人族が纏める国で、何より不穏な言葉だった。
「皇帝の言動に、少々な」
「陛下が?彼は、その様な方では無いでしょう」
龍人族らしい。そう言われる程、真面目で、皇帝の賢明さは良く知っていた。
だからこそ、祝融の言動に疑問を持った。
「……悠李に気を使っているのは、純粋に俺の養女にしたからだと思っていたが……違うやもしれん」
皇帝は、十五年前の事があってから、何かと悠李に贈り物をしていた。
祝融が養女にした異邦人は、皇帝が認める存在と、周知させる為だと祝融は考えていた。だが、会議で皇帝が口にした言葉は、寧ろ逆だ。悠李の立場を危ぶませるものばかり。
それを目の前で見ても尚、祝融も、迷いがあった。皇帝としてだけでなく、良く知る友人でもあったため、疑いたくは無いという思いもあったからだが……。
「此度の件で、動き出しますか」
「かもしれんな。蒼公が、辰国の魔術師を手に入れた。悠李の真価を問われる時が来たと思えば良いのか、はたまた……」
「皇帝すら、その力を御許に置きたいと?」
「可能性は有る。少昊に限って、それは無いと言いたいが、どうだろうな」
出来れば、そうあって欲しい。祝融の願望とも思える言葉だった。
「龍人族も、また、人であったと考えるべきでしょう」
「……俺は、選択を間違えたのかもな」
祝融はぽつりと溢した言葉に、蚩尤は遠い過去を見た。
「未来など、誰にも分からないのです。ましてや、別の選択をした所で、待っていたのは同じ時代かもしれない」
「だと良いが」
「祝融様、貴方は今や丹省治める姜家当主です。赤帝であった事はどうぞ、お忘れください」
赤帝。それは、炎帝の孫で有り、焔皇国二代目皇帝の名だった。
「……そう呼ばれるのは、懐かしいな」
祝融は、窓の外を見た。そう呼ばれた過去は遥か遠く、今や祝融が赤帝であったと知る人物も殆どと言って良い程いない。
僅か、在位二十一年。炎帝八人目の孫であり、皇位継承権十位でありながら、皇位に着いた。
そして、全てを清算し、皇位を黄家に禅譲を行った。人が治めるでは無く、心惑わされぬ龍人族の治世が必要と考えて。
蚩尤は、幼いながらに、祝融の赤帝であった姿を覚えていた。皇都が朱色に染まっていた時代、それを築き上げたのは炎帝だったが、その時は全てが赤帝のものだった。
蚩尤は、記憶の中に残るその景色が、今でも忘れられ無かった。




