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虚構の夢人  作者: 柊
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 陽皇国(ようこうこく)

 それは、世界から閉ざされた国だった。神を信奉し、不可視だがその存在は確信的に信じられている。この国の民に、神はいるかと問えば、信仰の無い者ですら、「神はいる」と答える程だった。

 陽皇国には九の省がある。中心を皇都がある麟省(りんしょう)。更にその麟省を囲む様に、四つの省、(ぼく)省、(ろく)省、(かん)省、(きん)省が存在する。そして、更にその四つを囲む、(らん)省は青海(せいかい)と呼ばれる海、(うん)省、(おう)省、(たん)省は白仙山(はくせんさん)という山の神域(しんいき)に面している。海は四海竜王が、山は白神と呼ばれる龍が、神の力をもって外界との関わりを閉ざし、何ものだろうと近づけはしない。

 だが、十五年前。一人の異邦人が丹省面する白仙山を越えて陽皇国へと辿り着いた。それは、唯一の例外とされる事象と言われ、今も、その手法に関しては秘匿とされている。


 藍省 省都スイカク


 (そう)一族治める、藍省。青海に最も近く、その海を監視する役目もその一族が引き受ける。時折、神の恵みと呼ばれる()()()()が辿り着くが、大抵は小さな荷物や船の残骸、ごく稀に生きた人間などがあった。

 神域で人は生きられないと言われている。ならば、辿り着いたそれらは、神によって生かされた事を意味するのだ。彼等は保護され、言葉こそ通じなかったが、その技術や知識を披露しては、国によって丁重に扱われた。

 蒼一族は、そんな時折ある小さな異常の為に、青海を監視する役目を常に置いていた。


 省都スイカクにある瑠璃城。その最上位に座すのは諸侯、蒼正亥(せいがい)

 その正亥の下に突然の知らせが舞い込んだ。

 神が創造せし、志鳥(しちょう)と呼ばれる白い鳥が羽ばたきと共に、ガラス窓を擦り抜けて正亥の手に留まった。嘴が動き始めたかと思えば、それは青海の監視人を務める正亥の甥孫の声で話し始める。


『青海に突如、大きな船と思しきものが現れました』


 それが指す意味は、ただ一つ。神の贈り物では無い()()が、神域を通り抜け、閉ざされたこの国へと辿り着いた事を意味している。

 凶兆を告げた鳥は消え、十五年前を彷彿とさせる事象に、正亥は至急、軍を派遣した。


 ――

 

 発見したのは、近海で漁師を営む男だった。

 青海は全てが神域ではなく、ある一定の海域に近づくと神域とされていたため、男は藍省より決められた領域で代々漁を行なっている者だった。

 その日も、朝早くから息子を連れて、浜への様子見へと出た。朝靄で大して近場も見えず、下手をすれば神域に入ってしまうやもしれない。その様な愚行を犯す事もできず、今日の漁は諦めるかと話していた時だった。


 突如、大きな鐘の音と思しきものが鳴った。

 大きく太く鳴り響くそれは何処から鳴っているとも分からず、あまりの音の大きさに二人は耳を押さえた。音は一向に鳴り止まず、それどころか更に大きく、重なり合う。

 これは聞いてはいけない音だ。

 そう思った時には、既に手遅れだった。男は次第に、眩暈と共に脚がふらつき、その場に膝を突いた。

 息子はどうだろうか。朦朧とし始めた意識の中で、なんとか息子に目を向ければ、地に臥し、ピクリとも動かなくなっている。

 異常だ。これは神の知らせに違いない。

 漁師の男は村へ知らせに行かなければと、思っても立ち上がる事は出来なかった。何より息子が心配だったが、どんなに大声で声を掛けようにも、音で声は掻き消えてしまう。

 自分も、もうダメかもしれないと男の意識が途切れかけた時だった。

 音は、ぴたりと止まった。

 男は耳を押さえていた手を恐る恐る離した。鼓膜が破れたのかとも思ったが、声を出してみると、確かに自分の声は聞こえる。

 だが、今度は不気味なまでに辺りは静寂になった。直ぐそこにあるはずの波音もせず、海鳥の鳴く声も聴こえない。

 男は恐怖に包まれるも、何とか立ち上がり、息子に駆け寄った。幸いにも息子は息があったが、意識を失っていた。

 ふと、朝靄が晴れてきた。薄らと開けた視界の中に、水平線が姿を表そうとしていた。が、それよりも先に目に飛び込んだのは、見上げる程に巨大な、木で出来た黒い()()だった。

 見た事もない、()()。だが、よくよく見れば、それは大きな船だ。禍々しく黒ずみ、そして、それがこの国の物でもない事も。


「アシ!何があった!」


 遠くで叫ぶ同じ村の者の声に、男は我に返った。音が聞こえる。波音も正常に聞こえ、異常は過ぎ去ったのだと、男は胸を撫で下ろしていた。

 鐘の音は男だけでなく、村にも届いていた様で、浜の向こうに立つ村人も何かに怯えている。


「息子が倒れた、人を呼んでくれ!あと、智庚(ちこう)様に知らせを!外界のものだ!」


 それを聞いた者は、目に飛び込んだ遺物が視界に入ったのか、慌てて村へ引き返した。

 この浜には、よく外界のものが流れ着いた。船の残骸や、外界の荷物、死体。生きて辿り着く者は稀で、男は今迄に一度も見た事は無かった。

 男はごくりと唾を飲み込んだ。

 姿を保ったままの船が辿り着いたことは無いと聞く。この船は、一体何を運んできたのだろうか。

 中には何か居るのだろうか。

 静かに佇むそれに、男の背にぞわりと走るものがあったが、物言わぬそれを、ただ、見上げるしかなかった。


 ――


 村人から知らせを受けた蒼智庚は、諸侯であり、大叔父である正亥に急ぎ志鳥(しちょう)を送った。

 志鳥は言葉を運ぶ。白玉(はくぎょく)から白い鳥が姿を現し、言葉を伝えると、瑠璃城の有る方角へと羽ばたいて行った。

 智庚も、急ぎ浜へと向かった。その身を波打たせると、その姿は青い龍へと変わる。蛇の様に長い身体と尾に鋭い爪、金の瞳を携えたそれは、龍人族と呼ばれる者達のもう一つの姿だ。

 その身は、ふわりと宙に浮くと、自由自在に飛んで行った。


 浜には漁師の男の他に、多くの村人が船を取り囲んでいた。


「あ、智庚様!」


 青い龍が飛ぶ姿を見た誰かが、近づくそれを指差した。青く輝く鱗が、鈍く光っては勢いよく浜へとやってくる。そうして、船の程近くまで来ると、船の上空を下見の様にぐるぐると回っては観察したかと思えば、今度は村人達に近づくと人の姿に戻っていた。


「何をしている、危ないから帰りなさい」


 全てではないが、龍人族と言うのは高位の者が多い。殊更、智庚の着ている衣は上等で、身なりだけでもそう判断出来るだろう。

 しかし、長年の付き合いというものがあると、人は油断する様で、智庚が然程厳しくないと知っているのもあって、村人達は少々強気だった。


「でも、見つけたのは俺です。このまま帰れません」


 神の贈り物であれば、見つけた者に恩恵もあると考えたのだろう。だが、明らかに異常な物体を前に、智庚の顔は険しくなった。


「アシ、小さな贈り物であればそれも良しとするだろう。だがこれは異常だ。諸侯に知らせを出したが、恐らく軍や国に判断を委ねるほどの事になる。今の内に、帰りなさい」


 厳しい智庚の顔に、村人はたじろいだ。智庚が龍人族という事、そして鐘の音の事も有り、村人達は引き下がるよりない。少しばかり恨めしそうな目を残しながらも、おずおずとした足取りで帰っていった。

 その背を見送ると、智庚は船へと目を向けた。長年、青海を見守ってきた智庚も、見た事のないそれに驚きを隠せなかった。


「(こんなに大きな物が海に浮かぶのか)」


 陽皇国にも船はあったが、漁や川を渡る程度の小船や遊覧船の様に小さなものばかりだった。波音は聴こえるが、未だ生き物と呼べる声はどこにも無く浜の不気味さに、幾年前に起こった異邦人の事象が頭に浮かんだ。


「(また、何か起こるのだろうか)」


 例の異邦人に会った事は無いが、今は平穏に暮らし、丹省を治める(きょう)一族の一人と結婚したと噂ながらに聞いたことがあった。

 十五年前の混乱は、軍事力が低下していた渦中に起こった事態だっただけに、異邦人は処刑される既の事態だったと聞き及んでいる。混乱は収まり、やっと平穏を取り戻したというのに、また国が乱れるのでは無いかと、不安が襲った。

 智庚は海を見た。朝日が登り、澄み切った青色が視界に広がっている。

 蒼家は四海竜王に寄り近い存在だと言われていた。龍の身の色が似ているだけとも言われるが、似姿が似ていると、自らも近しい存在なのではと思いたくもなるのだろう。

 青海を領域とし、外界からの侵入を阻む存在として、四海竜王を崇めてきた。それでも、四海竜王に語りかける事も出来なければ、言葉を聞く事も出来ない。

 青海の神は言葉を口にしない。

 四海竜王と言葉を交わせる神子(みこ)も居ない。

 本当に居るのかどうかも誰も知らない。

 ただ、四海竜王という名だけが伝えられてきた。海からの侵入者が居ない事だけが、存在証明でもあった。

 だが、今日、それが崩れた。

 浜から少し離れた場所に住む智庚にも、鐘の音の様な音が聞こえていた。長く鳴り響いたそれに、異常を感じても何の音であるかなど、考えもしなかった。

 あの音が、四海竜王の言葉であったなら、それは警告か、それとも祝言(ほぎごと)か。

 智庚はただ、待つしか無かった。


――


 其れから二刻程して返事の変わりに、藍省の軍が浜へと降り立った。


「叔父上自らお越しとは」


 智庚の言葉に、軍を率いてきた蒼夏珀(かはく)将軍は頷いた。屈強な体付きを見せる青髪の男は、本来なら、智庚にとっては従叔父(いとこおじ)に当たるが、子供の頃より叔父と呼んでいた。


「何が起こるか分からない。用心に越した事は無いだろう」


 夏珀もまた、幾年前の事象を思い浮かべていた。

 異邦人の来訪と共に起こった、混乱。それは、妖魔の増加だった。それまで見る影も無くなり、その内見ることもなくなると言われていた妖魔。討伐では無く、調査のみが行われていた状況で、突如妖魔が増え始めたのだ。

 妖魔が出現するとされていた場所は決まっており、その内の一箇所は、藍にある崑崙山だった。妖魔は増えすぎると山を降りて人を襲う。即時討伐対象として軍が編成されたが、長く妖魔討伐など行われていなかった事も有り、龍人族すらまごつく始末。

 ここ数年で漸く妖魔討伐を楽に行える程、軍が整ってきた。その矢先にこれだ。


「念の為、崑崙山も警戒する様に命じた」

「どう見ますか」

「四海竜王は何とも言えんな。白神の神子すら対話が成り立たない存在だ。兎にも角にも、()()の中身を見ない事にはな」


 夏珀の言葉に智庚は船に目を向けた。空から見た船上に人は皆無で、黒ずむ木造のそれは、未だ沈黙を続けている。

 夏珀は、(よう)校尉と(りん)校尉、十数名の兵士を連れて船の内部を調べた。中は広く、何が起こるともわからない。


「手分けして調べよう」


 夏珀は、より深い下部を調べる為、下へと続く道を探した。


「(外界の技術は恐ろしいな)」


 まるで一つの家の様な造りに、夏珀は関心した。船を調べ技術を会得した所で、この国には不要な物ではあるが、それでも文明の違いをまじまじと見せつけられている様だった。

 迷路の様なそれに、夏珀は漸く下へと続く道を見つけた。あいも変わらず、人の気配もなく、死体もない。

 只の船が流れ着いただけなのだろうか。

 夏珀にはそうであって欲しかった。幾年前の混乱を思えば、それが一番良い。

 だが、その思いも虚しく、夏珀は人と思しきそれを見つけてしまった。居住区と思われるそこには、多くの人が横たわっていた。見た事の無い衣服に、それが異邦人である事は、一目瞭然だ。

 夏珀は、一番手近にいた者の生死を確かめようと近づいた。仰向けに倒れた女の顔立ちは、陽皇国の民と見間違う程だった。

 これが国に紛れたら、誰にも判別がつかないだろう。


「(そういえば、(きょう)(はく)夫人もそうでは無かったか?)」


 夏珀は一度だけ例の異邦人と会った事があった。異邦人として来訪した女は、姜家当主の養女となり、丹省の校尉の一人を担っているが、当主の甥と婚姻関係を結んだ事も有り、姜伯夫人と揶揄される様に呼ばれていた。

 だが、その揶揄は実力を見た誰かが羨んだ結果でもあった。数年に一度催される御前試合で、校尉として姿を現して女は実に堂々とした姿だった。

 そして、その実力を前に、夏珀は打ち破れた。


 顔立ちが似ているなら、彼女と同じ国の者だろうか。夏珀は思考を巡らしながら、不意に眼前に転がる女を見ると、女の胸が上下し、僅かながらに呼吸をしているではないか。

 夏珀は慌て、背後にいた兵士に全ての者の生死を確認する様に命じると、兵士達は驚きながらも、一人一人を確認して回った。


「蒼将軍、全て生きています」


 報告した兵士は動揺していた。それもその筈だ。神域を通ってきた者で、一人流れ着いたならまだしも、船ごと来たなど、あってはならない事だったからだ。

 夏珀は動揺を隠しつつ、冷静を装い、智庚への連絡や、楊校尉と林校尉の状況を調べてくる様に命じた。

 夏珀はそこを動かなかった。弱っているとはいえ、これらがもし、姜伯夫人の様な強さを持ち、邪な考えを持っているとしたら――。


「(この件は皇宮に渡る事になるだろう)」


 夏珀の役目はあくまで、皇軍にこの件が渡るまで、混乱が起きない様にする事だけだった。

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