十八
皇都 シンラン 真偽の間
真偽の間で、皇帝と八省の代表が集まり、議論を交わしていた。議題は、勿論、藍に異邦人が多数訪れた事と四海竜王の神託だったが、蒼公が二人の魔術師を抱えた事により、会議は荒れた。
魔術師の危険性、皇軍に対し敵意を向けた事、既に生き残りの魔術師は蒼郭園の手中にある事。
そして、姜悠李が同国出身である事。
祝融は、傍観に徹したかったが、悠李に関わる事ともなれば、そうもいかなかった。
皆、顔つきは険しく、事が事だけに、蒼公に疑いの眼差しすら示す者もいた。騙されているのでは無いか。殺した方が安全では無いか。そう、口にする者もいた。
その嫌疑の眼差しの中、蒼公が狼狽える事はない。寧ろ、いつも通り面白がっているのか、その表情は余裕を見せ笑っている。
各々の口から不満や疑惑が溢れる中、蒼公が口を開いた。
「リショウという男は中々使える。情報源として、決して殺しはしない」
と、蒼公が主張した。藍は、青海に面しているため、危険も多く、対処出来る要因も必要と、頑なに譲らなかった。異物が流れ着くのは、いつだって藍なのだ。
祝融もこれに肩を持つしか無かった。リショウが危険と判断されたなら、悠李も同様の存在と見做される可能性もある。それだけは、絶対に避けなければならなかった。
「今回の件で、私も同行したが、義娘の助言がなければ、皇軍の被害は甚大であっただろう。今後の為にも、彼らの知識と情報は必要だ」
これに関しては、何一つ虚偽は述べていない。悠李が居なければ、死者も出ていただろう。
「四海竜王は、いずれ封が解けると言った。それがいつかは分からないが、今の内に策は講じておくべきだ」
「だが、その男も、姜公の御息女も裏切らないという保証はどこにもない」
またか、と祝融は言葉を発した男を見た。
嫌な笑みを浮かべた周公が、じっとりとした目つきで祝融を睨んでいる。祝融に恨みでもぶつけているかの様に、事を荒立てる発言でしかない。
「(周公は、国を滅ぼしたいのか?)」
そう思える程、周公は相変わらずと、祝融に敵対した。
「周公、貴公は中央部に近いから、その様に言えるのだろうが、全ては青海から来る。事が起こってからでは遅い」
流石に、蒼公も怒りを見せた。藍が最初に被害に遭うのだと、言わずにはいられなかった。
「先程、姜公が言った通りだ。姜校尉の助言がなければ、死者も出ていただろう。それの意味も分からぬほど、耄碌されたのか?」
周公は不死だが、老いている。周公の顔がいきり立つも、明らかな侮辱の言葉に眉を顰め、苦言を呈したのは皇帝だった。
「蒼公、発言には気をつけよ」
「これは失礼」
怒りは収まらないが、皇帝が口を開いた事により、蒼公も口を閉ざすしか無かった。
「蒼公と姜公の主張は分かった。反対は多数だが、実際には必要であろう。姜公、御息女はそなたから見てどうだ」
「義娘は至って真面目だ。武官として責務をこなし、今回の件も、直様、藍に赴き手を貸した。これの何処に裏切る要素が有る」
「蒼公、そなたが庇護下に置いた二人はどうだ」
「様子見の途中ではあるが、大人しいものだ。国に帰れば殺される事を懸念して、こちらに残ったのは確かだが、分は弁えている。問題無いだろう」
「では、もし裏切った場合はどうする?」
蒼公は躊躇する事無く、答えた。
「手は下す。その為に監視役は常につけてある」
迷いなど、無いだろう。僅か数日前に出会ったばかりで、情も無い。蒼公は答えなど容易に出た。
その様子を見て、皇帝は祝融に目を向けた。
「姜公、そなたはどうだ?」
皇帝の発言は祝融を試しているとしか、思えなかった。
「断じて、あり得ない話だ」
校尉として実績を重ね、日々邁進する悠李の姿を祝融は知っている。だが、それをこの目で見た事が有るのも、この場では祝融ただ一人と言うのも、また事実だった。
「仮の話だ」
祝融は感情を押し殺し、皇帝が淡々と述べる問いに、静かに答えた。
「もし、本当にその様な事があったのなら、義娘はこの手で封じる。甥は妻を失った悲しみに暮れ、自ら命を絶つだろうな。……これで満足だろうか」
皇帝は、祝融の答えに納得した様に頷いた。
それでも尚、何かを企んでいるとしか思えない程、輪を乱す発言を繰り返した。
「結構。現状、脅威として見るか、手段と考えるかは悩ましいものが有るのも確かだ」
決定打が無いと、わざと反対派を煽っている。反対派の面々は好都合と、ここぞとばかりに声を上げた。
「陛下、そもそも、異国の者に絶対的な信頼など、あり得ません」
「神々が危機感を植え付けたかった存在ならば、脅威と考えるべきでは?」
「今は、大人しくしているだけやも。仲間が此方に来れば、その本性を見せるやもしれぬ」
「姜公の御息女も、腹の中では何を考えているやら」
祝融は自分を侮辱されるならまだしも、悠李を最初から敵と認識する発言に、腑が煮えくり返りそうだった。
そのまま、怒りをぶつけてしまおうか。そんな思いすら浮かびそうな程、腹の中で沸々と怒りが湧いていた。
「(流石に、まずいな)」
それまで、様子見で傍観していた桜省代表である風鸚史は、祝融の性格をよく知っていた。二人の付き合いは永く、義兄弟でもあり、共に悪友と呼べる程だ。風鸚史の姿こそ、老齢ではあったが今も二人の関係は対等だ。
だからこそ、祝融が悠李を身内として認識し、怒りを抑えているのだと、一目で察していた。
祝融が軽率な行動も発言もしないと分かっていても、その心情が曇る事を恐れて、風鸚史が口を開こうとした時だった。
「各々方、新しく来たばかりの者達ならいざ知らず、国に尽くす姜校尉まで侮辱するとは。愚かにも程が有る」
蒼公が悠李を庇う発言に、風公は驚いた。場を荒らす事はあれど、誰かに味方するなど、その場にいた誰もが想像もしていなかった事だろう。
それに驚いたのは、祝融も同じだった。
「貴公等には、それ程までに信頼のおける官吏がおらんと見える。普段から、自らの臣を疑っているのか?なんとも、嘆かわしいことだ」
やれやれと、大袈裟に振る舞う蒼公の姿に、周公は食ってかかった。
「姜校尉が、こちらに来たから、魔術師共がこちらに来たとは考えないのか?彼女が波紋を起こしたと言う考えは?」
波紋など、言うべきでは無いと、蒼公は更に言い返した。
「神の導きを波紋と言ってしまえば、それこそ信仰が揺らぐだけだ」
蒼公は、その目で神を見たわけではない。だが、悠李は確かに神託を得て、四海竜王に導かれたのだ。そして、持ち帰った言葉は――
『その知を、その力を、死を持たぬその身を、彼の地の為に捧げよ』
どう解しても、これからも悠李を必要とするものだった。
「……姜校尉は、白神に導かれた。神は全てを語らん。神の言葉をどう解し、どう見るかはそれぞれだ。私は、彼女がこの国の封印が解ける為用意された存在として、選ばれたのだと考える」
「その神は時期に消える」
「だが、まだいる。四海竜王の言葉を伝えたのも、女神の知らせを受けたのも、姜校尉だ。神子ではないが、神の声を聞く者を貶めるなど、あってはならんのでは無いか?」
周公は、ぐうの音も出なかった。実際、波紋という言葉も、神への冒涜に近い。珍しい蒼公の真剣な姿に、風公も乗った。
「蒼公の言う通りだ。四海竜王の言葉が聞けたのも、彼女が居てこそだろう。異国の生まれだからと、邪険にしていれば、彼女の真価は見えなくなるばかりだ」
蒼公が何故、悠李を庇ったかは、分からないが、風公はここぞとばかりに畳み掛けた。
「そもそも、神子リュカすら彼女を気に入っているというではないか。陛下、神子が認めた存在ならば、疑う余地など無いのでは?」
「……確かに一理ある」
どうにも、皇帝が納得していない。決め手に欠けるのか、思案を続けるなか、突然に口を開いたのは、墨省代表である、玄號潤だった。
「陛下、姜校尉は現状、神の導きの下にあります。その様な者を邪険に扱うのは得策とは言えません。もし、仮に脅威と仮定したとしても、姜公の下にいるのが得策では?彼女の実力を御前試合で見ましたが、将軍等を一網打尽にしました。彼女に敵う者は、そうはおりますまい」
豪雷の父でもある男だが、豪雷が祝融の麾下になった事により、祝融との仲は芳しくは無かった。だが、発言は祝融というよりは、悠李の肩を持つものだった。
「成程、それは一番説得力が有る解答だ」
「姜公並びに、姜家は猛者揃い。羨ましい限りです。出来れば、息子を同等の強さにして頂きたいものだ」
――
会議は終わり、祝融は真偽の間で他の者が退席する中、蒼公を呼び止めた。
「人を庇うのは、珍しいな」
「素直に助かったとは、言えないのか」
先程の真剣な眼差しとは打って変わって、いつもの飄々とした態度を見せる。
「まあ、風公はともかく玄公まで庇うとは思っていなかったが。そちらも大きいだろう」
「……あれには、息子をできる限り育て、墨省に返せという意味も含まれていたがな」
それには、祝融は溜息しか出ないが、なんとか無事終わった事は、確かだった。
「校尉に助けられたのは、事実だ。知識が無ければ、あれらを野に放っていたやもしれん」
そのお礼だと、蒼公は言った。
「封印が解けたとも気づかず、ある日突然、大軍が押し寄せ国は一夜にして滅ぶ……それが想像できん者達に何を言ったところで無駄な気はしたがな。今回ばかりは、陛下の言動に惑わされたな」
「……ここでは慎め。聞かれれば、不敬と見做されるぞ」
「確かにな。姜公、気をつけた方が良い。今まで以上に、皆が、力を手に入れようと躍起になる。彼すら、そう考えていると、思った方が良いかも知れん」
彼が、誰を指すか。考えずとも、答えは出た。皇帝が、わざと混乱させる発言に、祝融も訝しんではいた。
皇帝の事は昔からよく知る。共に英雄と呼ばれ、皇帝となった後は賢君と称えられた。
「腹の探り合いなど、している場合では無いと言うのに」
何の為に、危険を冒してまで四海竜王の身許まで行ったのか。いつ来るやも分からないとは、いつ来てもおかしくは無いと同義だと、祝融は捉えいた。
それは、蒼公も同じだった。
「残念だが、危機感など、そう簡単には目覚めぬ。その差が埋まるのは、事が起こった時だ」
蒼公の達観した考えに、祝融も理解はしていた。
だが、それではまるで……
「誰も神を信用していないと取れるな」
その答えに、蒼公は乾いた笑いを見せた。
「……ここでは、不敬では無かったのか?」
神々の言葉を聞ける者は、白神の神子だけ。
だが、それも、殆ど言葉を口にしない。
神の存在が、少しづつ、薄れ始めていた。