十六
応接間に移動し、蒼公は満足といった表情を見せた。
「中々、強かな男だった」
あっさりと国を見限り、長い物には巻かれろと、陽皇国に付くと言った姿勢に、蒼公はご満悦だった。
「蒼公、念のために言っておきますが、結界はそこまで長くは持ちませんし、リショウを拘束して置ける手段でもありません」
「構わん。自分の立場を弁えている。問題はないだろう」
その自信は何処から来るのか。
確かにこの国に逃げ場は無い。だが、もし辰が攻め込んで来る事があれば、リショウがどう出るかなど、予測は出来ない。
「確かに、彼は穏健派ではありました。ですが、裏切らない補償にはなりません」
悠李は、真剣だった。肯定する発言はあくまで、利益だけ追求したもの。それに連なる被害に関しては、何一つとして考慮していないものだった。
「安心しろ、それぐらいわかっている」
危険は承知の上か、蒼公は余裕の笑みを浮かべていた。
「……悠李は直に丹に帰る。その後に何が起こっても、こちらは干渉しない。宜しいな」
祝融は、蒼公の態度に訝しみ、苦言を呈したが、蒼公の態度は変わらなかった。
「ああ。その時は、力でねじ伏せるだけだ」
悠李は、笑みを浮かべたままの蒼公が発した言葉に、背筋に冷たいものが流れた。笑っているのに、目は酷く冷たい。
蒼郭園の冷酷な一面が、そこにあった。
だが、一瞬で表情をころりと変え、蒼公はいつもの飄々とした態度に戻っていた。
「それはそうと、校尉。ルネという女だが……」
「正直、彼女は用済みでは?リショウが居るなら、不要でしょう」
「確かにな。だが、念の為、駒の一つとして取っておく」
駒と言い切った。リショウが手に入った事で、ルネの価値が一気に下がったのだろう。
「話が有るそうだ。どうする?私用なものだから、特に応える必要はないが」
悠李には、話は無い。だが、駒と呼ばれた彼女のこれからを思えば、話くらい聞いてやるべきかと、息を吐いた。
「……一応聞いておきます。彼女はどちらに?」
「こちらに連れて来させよう。悪いが、内容は聞かせてもらう」
「それだと、何も話さないのでは無いのか?」
「構いません。お二人がいて発言できない内容なら、それこそ問題でしょう」
どうせ、大した話では無いだろう。
悠李は、特に気に留める事も無く、二人の同席に同意した。
蒼公が、部屋の隅にいた女官に、ルネを呼ぶ様に命じれば、暫くすると、兵士二人に連れられ、ルネは姿を現した。
蒼公に促され、席に着くも、ルネは、蒼公と祝融の姿に戸惑っていた。やはり、悠李以外には聞かれたく無い話だったのだろう。
口を開くか迷っている様子だった。
「貴女の発言は全て開示する必要がある。念のために言っておくけれど、会う機会は殆ど無いと言って良い」
ここで言わないのなら、聞く気はない。悠李の脅しにも近い物言いに、ルネは悠李の顔色を伺いながら、口を開いた。
「謝ろうと、思ったの」
悠李は、表情を変えなかった。
「何を?」
「ロアン老師に、貴女の恋人の情報を話した事」
悠李の表情が僅かに動いた。
「恋人では無い。友人だ。謝るなら、彼に謝るべきだ」
「死人にどうやって謝るの?彼、殺されたんでしょう?」
悠李は、手を握り締め、怒りを堪えた。その目には、今にも殺意すら浮かばんとする。淡々と言葉を続ける、ルネに、僅かでも同情したのが馬鹿らしく思えていた。
「貴女も彼を庇って罰せられたと聞いたから、謝ろうと思ったけど……」
「それを言う為に、わざわざこの国に来たのなら、とんだ間抜けだが」
怒りが含まれた言葉に、ルネは肩を竦めた。悠李を怒らせる事など、最初から分かっていた事だ。大きく息を吐き、悠李の怒りに触れながらも、言葉を続けた。
「それとこれは、関係ない。ただ、あの国にはもう、居たくなかっただけ」
寂しげな表情を浮かべ、悠李を捉える瞳は僅かに揺れていた。
「実力の有った貴女には理解出来ないでしょうけど、前よりもずっと、住み難くなった。女には特に」
「二十年以上経っても、何も変わっていないな」
「以前よりずっと、酷くなってる。最長老は、貴女が居なくなって、より獣と化した。弱い女から、どんどん命を喰われている」
「私に逃げた事を責めているのか?」
敵意では無いにしろ、悠李の冷たい言葉に只管に耐えた。
彼女の怒りは最もだった。傀儡同然に扱われ、誰もがユーリックに道具としての価値を押し付けたのだ。
「……いいえ、決意が出来た」
「何を?」
「国を捨てる事を。好きで、あんな事をして生きていたと思ってるの?」
ルネのその言葉に、悠李は何も返せなかった。ルネはそういう手段を好んで使っていると、勝手に思っていた。悠李は、その手段を使いたくないと、必死だったが、ルネにはその手段しか無かったのだ。
「あんな陰鬱な国、こんな機会でも無ければ逃げられない」
「ヘマをしたのだと、思っていた」
「する訳ないわ」
呆気にとられる悠李を見て、ルネは少し安心した表情になった。
「貴女、変わったのね」
その言葉に他意は無かった。
ルネにとっては、表情の無い悠李しか見たことが無かった。だが、今は怒りを見せたり、驚いたりと、当たり前の表情がそこにある。
もう、人形だった頃のユーリックは、此処には居ない。
「良い所みたいね」
その言葉で、悠李は穏やかな表情を見せた。
陰鬱な国で過ごしていた頃では、決して見ることの無かった、悠李の表情に、ルネも何処か納得したようだった。
「話は、それだけ」
その言葉で、蒼公が兵士に指示を出すと、ルネは兵士と共に、部屋を出た。
ルネの後ろ姿を見送り、蒼公は徐に口を開いた。
「校尉、恋人がいたのか」
「友人です。その件に関しては、私用なものなので、お話しする義務は有りません」
大して面白い話でも無いだろうに、ニヤニヤと笑みを絶やさない。そっけない態度を見せても尚、それは変わらなかった。
悠李は、蒼公から目を逸らし、ルネが座っていた椅子に目を向けた。
「彼女は、どうなりますか」
「何だ、やはり気になるのか」
悠李は蒼公をちらりと見るだけだった。
「……いえ、特には」
「引き入れたからには、ぞんざいに扱うつもりは無い。使い所はこれから考えるがな」
「そうですか……」
情が湧いた訳でも無い。悠李自身も、何故そこまでルネを気にかけるかが分からない。悶々と考え込むも、答えなど、出るはずも無かった。
「さて、今回の件は、これで終いだ。協力に感謝する」
機嫌の良い蒼公と違って、祝融は逆に気は進まないと言った表情を見せた。
「俺は、まだ終わってないがな。会議で、面々と話をせねばならんと思うと、面倒だ」
元老院の会議が執り行われるとなれば、嫌でも周公達と向かい合わなければならない。特に周公は、祝融を快く思っていない。今回の事象の担当が蒼公とは言え、その場にいたのなら、祝融も何かしら問い詰められるだろう。
「嫌なら、後進に席を譲ったらどうだ?」
「後進は俺の甥だが?」
にやにやと祝融を見ていた蒼公だったが、祝融の甥の姿を思い出すと、一瞬で表情を凍らせた。
「……それは、遠慮したい。傍観できれば、さぞ面白いだろうが、あの男の性格からして俺以上に場を荒らすに違いない」
巻き込まれる事は必須と、乾いた笑いをした。不意に悠李が目に入った。
「校尉は、よくあの気難しい男と夫婦になろうと思えたものだな。噂では夫婦仲は良くないと聞くが」
悠李は思わぬ言葉に、きょとんと呆けた表情になった。
「……その様な噂は初めて聞きましたが、悪くは無いです」
軍務に勤しんでいる為、悠李は噂話に疎い。いつの間に、そんな噂が広まったのか。首を傾げていると、代わりに答えを出したのは祝融だった。
「公私混同が無いからな。知らねば、誰も夫婦とは思わん程、達観している」
蚩尤と悠李は、私情と仕事は別と割り切っていた。確かに、公の部分だけならば、そう見られても仕方がないと、悠李は納得した。
「仕事に徹していると言って下さい」
人聞きが悪いと言い返した言葉に、反応したのは蒼公だった。つまらないといった顔を見せ、息を吐いた。
「なんだ、噂は当てにならんな」
「……まさか、それを出汁に悠李を取り込もうと思っていたのか」
「ああ、使えると思ったが、もう必要無い」
蒼公が欲しかったのは、悠李という存在では無く、藍を守る為の手段が必要なだけだった。
背後に丹という存在がいる悠李よりも、この国に対して無知なリショウがの方が余程扱い易い事だろう。
「では、そろそろ失礼する。校尉も俺も仕事が溜まる一方だ」
祝融の言葉と共に二人は立ち上がった。
「校尉は公務だが、貴公は金儲けだろう。そう焦らずとも良いでは無いか」
「戻るにも一週間掛かる。無為な時間を過ごすのは御免だ」
「相当儲けているらしいが、それ以上稼いでどうする」
祝融は実業家の一面もある。姜家は資産家で、その殆どが、祝融の個人的な資産だと知ったのは、悠李も養女になって暫くしてからだった。
そして、その資産が貴族の中でも、桁違いな事も……。
そのお陰といえば良いのか、祝融は、孫娘の勾だけでなく、義理の娘である翠玲や諸侯の妻である珊子、勿論、養女である悠李にも、何かと高価なものを買い与えていた。
掛かる金額に、毎度のことの様に遠慮がちになる悠李に、金を使う事も丹の為になるとまで説き伏せた程だ。
「金はどれだけあっても困らんからな。それに掛かる時間は実に有意義なものだ」
そう言うと、祝融はそそくさと蒼公に背を向けていた。悠李もまた、それに続く為、今一度、蒼公を見た。
「では、蒼公。失礼致します」
「もし、夫と養父の顔が見るのが嫌になったら、是非とも蒼家を頼ると良い。今回の件も有る、歓迎しよう」
冷淡な一面を見た後なだけに、腹の奥底の本心に何を考えているかも分からない。飄々としたばかりの男に、悠李の返事は愚直と言える程に真っ直ぐだった。
「もし、その様な事がありましたら、是非とも蒼公を頼りに伺います。ですが、まず、無いでしょう」
裏切る事は無いと言い切る悠李の姿も、蒼公が何を言おうが、一切動じない祝融の姿も、蒼公は僅かばかりに面白くは無かった。
「それはそれは……」
表面は笑顔でも、冷え切った目が悠李に向けられていた。
二人を見送り、卓に座り直すと、今迄、二人が座っていて椅子を見つめた。
「(なんとも詰まらない回答だった)」
混乱を起こしたいわけでは無いが、動揺程度は見せると思っていた。丹では確かな信頼関係が成り立っている。どの道入り込む余地など無かったのだと、蒼公は改めて実感させられたのだった。




