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虚構の夢人  作者: 柊
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序幕

前作、幻想の異邦人の続編になります。

 暗闇が辺りを包み込んでいた。

 暗闇に閉ざされた視界の中、冷たい空気が漂い黴と血生臭い匂いが鼻につく。

 嫌な匂いだ、あの頃を思い出す。

 懐かしくも悍ましい匂いは、微睡の中にいたユーリックの思考を覚醒させるには十分だった。

 思考がはっきりとした瞬間、ふと手足に違和感を感じた。ジャラリとした金属の音が耳に届くと、その感覚はより鮮明になる。ユーリックは、冷たい石の床に座り込む形で、手は吊るされ、足は繋がれていた。触れる鉄の冷たい感触が、悠李の手に生々しく伝わっては、遠い過去になる筈だった記憶を呼び起こさせる。

 暗闇に目が慣れると、鉄格子と石でできた壁。昼か夜かもわからない、光の閉ざされた地下牢がユーリックの瞳に映っていた。

 身動きが取れず、何故()()にいるのかが理解できなかった。

 もう、過ぎ去った過去の筈だ。状況が飲み込めず、枷を外そうともがくも金属音が響くばかりで、なんら状況は変わらない。

 ユーリックに恐怖が込み上げていた。

 また、戻って来てしまった。


「(嫌だ。いやだいやだいやだ……!)」


 恐怖が募り、逃げたい一心でもがき続けた。ジャラジャラと、金属特有の音が煩く耳に届くも、意味はない。どれだけ力を込めようが、これが外れない事などよく知っていた。それでも、染み付いた十年分の記憶が、逃げろと警告を続けている。枷が肉に食い込み血が出ようが、ユーリックは只管に暴れ続けた。

 ふと、暗闇の奥深くから重苦しい扉の開く音が響いた。階段を降りる靴音がコツコツコツと、徐々に近づいている。

 その音が、古めかしい感情までを呼び起こす。少しづく灯るくなり、次第に近寄るそれに嫌悪感、憎悪、そして殺意が、沸々と湧いていた。

 あの男だ。ユーリックが喚き叫ぶ度に、あの男は笑うのだ。


「今日は妙に暴れてるな」


 何度、何度この男を殺してやろうと思ったことか。

 角灯の薄明かりに照らされた男の下卑た顔を見る度に、手足の不自由さを、より恨めしく思えていた。自由であったならば、この男を殺す事など、容易であっただろう。

 

「殺してやる……」


 憎しみから生まれる殺意を向けても、にやつく男の表情が変わる事はない。文字通り、手も足も出ないユーリックの言葉など、男には戯言でしか無かった。


「さてと、始めるか」


 楽しげに鼻歌を鳴らしながら、男は鍵を開けると、ユーリックの近くに角灯を置いた。


「今日は良いものを持ってきた」


 そう言って男は、手に持っていた箱をわざとらしく見せつけた。男がそれを振ると、小さな金属が入っているのか、細い金属同士がぶつかる繊細で独特な音がユーリックにも聞こえていた。

 男がユーリックに徐々に近づき、箱を開けると、取り出したのは針だった。ユーリックの目に、これから何をするか、説明が無くとも理解出来るようにか、針を眼前でちらつかせる。

 ユーリックの表情は変わらない。だが、ピクリと眉が反応し動くと、男は満足して、口の端を吊り上げて笑う。そして、反応に満足するとユーリックの手を掴み、指と爪の間にゆっくりと一本刺した。

 じわじわと突き刺さる鋭い痛みにユーリックは顔を歪ませるも、声を上げるわけにはいかなかった。それは男をより楽しませる行為だ。


「何だ、つまんねえな」


 落胆するも、男は続けた。更に一本、また一本と数が増えていく。それが、片手を越えると、痛みは増していた。

 とても、耐えられるものではなかった。


「う……うぅ」


 何本目かの度重なる痛みに、ユーリックは堪らず声が漏れた。

 男はユーリックの顔を覗き込んだ。苦痛に悶えている姿を気に入ったのか、その表情はこの上なく上機嫌だった。まるでお気に入りの玩具で遊ぶ子供だ。鼻歌混じりに残酷な行為に愉悦を見せる男は、狂気に満ちている。


「さて、全部終わったな」


 男はユーリックの姿を眺めた。

 手の指全てに針が埋まって、僅かに手を動かすだけで痛みが走る。肩が震え、顔は青ざめ、ユーリックが囚われる前の姿を知っている男にとっては、これ以上の楽しみはなかった。


「良い様だなあ、ユーリック」


 男は、身悶える姿に満足したらしく、再びユーリックに手を伸ばした。手に魔素を込め、ユーリックの胸元に手を入れる。肉体を傷つける事なく、手は身体の内部へと入っていく。男の手がぴたりと止まった。

 男はわざと力を込めた。


「うっ……」


 歯を食いしばりながらも、呻くユーリックを面白がり、男は思い切り手を引き抜いた。


「あああ!!!」


 ユーリックの絶叫が地下牢に響き渡った。


――


「……り……悠李(ゆうり)!」


 ユーリックは()()を呼ぶ声に目を開け起き上がった。呼吸が荒く、心臓の鼓動が鳴り響く。暗い室内に、今、自分がどこにいるかがわからなかった。半ば放心状態で辺りを見回すと、隣で心配そうに自身を見つめる男が目に入った。

 何度も「悠李」と呼ぶ。ユーリックは、その言葉を、男が何度か繰り返すうちに、漸く()の自身の名であると思い出した。そして、その名を呼ぶ白髪混じりの高年の男が、自身が選んだ夫の蚩尤(しゆう)である事も。


「ここは……」


 蚩尤を見てはいるが、その瞳に蚩尤は映っていない。虚ろな目をする悠李を、蚩尤は強く抱きしめた。ゆっくりと力強い温もりが伝わり、僅かに取り戻した正常心で、悠李は漸く自分がいる場所が紅砒城(こうひじょう)にある居宮の一室である事を理解した。

 虫の音が静かに響く真夜中、月明かりに照らされただけの寝室で、蚩尤は悠李を抱き止めたまま、再び寝台へと身を預けた。


「悪い夢を見ただけだ」


 眠りながら震え身悶える悠李が、どんな夢を見ていたかなど、想像に難く無い。悠李が語った過去はほんの一端でしかなかっただろう。蚩尤の知らぬ一端は悍ましく、今も悠李の中に根付き、その心を蝕んでいた。

 

「蚩尤様……」


 か細い声で呟く様に、いつもの気丈な姿など何処にも無い。


「大丈夫だ」


 悠李の頭を撫で、髪を梳く。手入れがされた髪は、絹のようで、蚩尤は幾度となく繰り返した。悠李を落ち着かせようとしているのか、はたまた遊んでいるだけか。どちらにしても、悠李の気を紛らわせている事には変わらなかった。

 悠李は蚩尤に擦り寄りながら、自分の手を見つめた。針は刺さっておらず、痛みもない。目で見なければ、それが現実と受け入れられない程、鮮明な夢だった。

 蚩尤は、その手を掴むと自分の口元に引き寄せた。虚ろな目で自分の手を眺め、現実にいながら、未だ悪夢に侵されている。悠李を現実に引き戻そうと、呼びかけ、その身に触れ、自分が隣にいるのだと証明し続けるしかなかった。


「悠李、ただの夢だ」


 その手に蚩尤の唇が触れる度に熱が増す。悠李の目に、漸く、はっきりと蚩尤が写った。

 これは、現実だ。蚩尤の姿を、くっきりと瞳に映し、何度も、何度も頭の中で言い聞かせた。


「蚩尤様……」

「私がいる。何も恐れなくて良い」


 だから、何処にも行かないでくれ。

 悲痛な叫びをその身に隠し、蚩尤は悠李の背中に手を回し、腕の中に閉じ込めた。少しばかり、息苦しいが、蚩尤の熱が伝わり、暖かい。

 その身に顔を埋め、悠李は瞼を閉じると、再び微睡みの中へと落ちていった。

 静かな寝息に、蚩尤は悠李の頭を覗き込んだ。


「(過去の記憶を消してやれたら、どんなに良いか)」


 悠李が白仙山を降り立ってから、十五年が過ぎた。

 悠李は時折、悪夢に魘されたが、何の夢を見たかなど、悠李は決して口にしなかった。

 蚩尤もまた、尋ねようとはしなかった。

 魘され、くぐもった声に異常だと、その度に悠李を悪夢より呼び覚ましたが、夢か現実かが判別できていない時すら暫しある。その姿は、過去に囚われたまま、夢を彷徨う恐怖の顔色だけが残っていた。


 悠李は言った。

 今いるこの状況が、夢に思えてならない、と。

 現実の方が夢だと宣う姿に蚩尤は心を痛めた。悠李は最初から、この国が御伽噺の様だと言っていたのだ。

 蚩尤は悠李に問うた。

 今、幸福か、と。

 悠李は一言、とても幸せだと答えた。その表情には、幸福が満ち溢れている。夢の様と宣う現実は、悠李にとって確かに幸福である事は間違い無いのだろう。

 それなのにも関わらず、蚩尤には夢と現実の狭間で彷徨う悠李が何処かへ消えてしまいそうな気がしてならなかった。

 あれだけ強い精神が有ると言うのに、何故こんなにも儚げな姿がここに有るのだろうか。一体、未だ何に囚われていると言うのだろうか。


「悠李、この国には貴女を害する者は居ない」


 眠りについた悠李に、その声が聞こえる事はない。それでも、蚩尤は自分が口にしなければ不安になった。

 そう、何人もこの国へ入ってくる事など出来はしない。だが、悠李だけがこの国から去る事が出来るのもまた事実だった。


「(私は何を不安になっているのだ)」


 悠李がわざわざ、自分を捕らえていた者達の下へなどへ戻るはずもない。根拠もない不安が、蚩尤に降り掛かる。

 大丈夫だ、目の前から消える事など有りはしない。

 悠李を抱き寄せる腕に力を込め、自分に言い聞かせた。

 蚩尤が悠李へ愛情を向ければ、不器用ながらも悠李も蚩尤へそれを返した。辿々しくも、それは確かに本物で、手放す事など出来はしない。

 一度失ったそれを、二度と失いたくは無いと。

 蚩尤は静かに眠りについた悠李を抱き留めたまま、己もまた、瞼を閉じた。

 どうか、次は安らかに眠れるようにと願いながら。

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