川釣り
釣り竿の先端で、かすかに動きがあった。
川面のせいではない。そう山民は考える。
だが引くには早い、今は探り時だ。
握り手の角度を変え、わずかに釣り糸を張らせる。
間違えようのない手応え。
水面の下、獲物は食いついている。
判断と同時、山民は動いていた。
勢い任せに引き、糸先が浅瀬から弾ける。
ざっと両手の大きさと、空中の獲物を見て取る。
瞬間、手の中で魚が跳ねた。
「……納得いかねえ」
川面につけた魚籠へ、手にした魚を放り込む。
形といい大きさといい、魚には申し分がない。
不満があるのは他でもない、もう一人の釣果についてだ。
「――ふむ。ごく当然と思うが」
言われて、師尊の方を見る。
本当を言えば、見るまでもない。
何度も横目で確認していたのだから。
こちらはこれで3匹、むこうは大漁。
正確な数は、意地で数えていない。
「そっちの魚、減ってねえな」
「食べてないからな」
「なんでだよ」
「山民、君が焼かないからだ」
遠慮ではない。恐らく、やった事がないのだ。
師尊と名乗る、おそらくは占い師。
この占い師には、およそ生活の匂いがない。
そう山民は感じている。
けれどもそれを、浮世離れと言っていいものか。
なぜなら、裁縫や傷の手当はきれいなのだから。
何かしらの欠落と、その一方の丁寧さ。
どのような暮らしを送ってきたのだろう。
山民には、いまひとつ見当がつかない。
「今更だが、どうやって生きてきたんだ」
「 霞 を食べていた」
「……冗談だよな」
「半分ほどは」
「……分かった分かった、もう聞かねえよ」
それ以上を聞いたとして、はぐらかされるに決まっていた。
逃げる獲物を追えるほど、口に自身がある訳でもない。
話したくなれば話すだろう、そう思うことにする。
「俺にだって、聞かれたくない事はあるからな」
「たとえば何を」
「……聞かれたくない事って言っただろ」
「おおよその話でいい。以後、触れない事にしよう」
「腹が減っただろう、その話はまたな」
「ふむ。賛成しなくもない」
「ありがてえ……しっかし、こうも釣れるはずはないんだがなあ」
魚の身になって考えるといい。
餌を取りに行った同族が戻らない。
その事自体は、取り立てて不思議ではない。
鳥からも熊からも、常に狙われる身だからだ。
だが立て続けに戻らないとなれば、魚なりに警戒は働く。
釣果は本来、打ち止めになって不思議ではない。
「まあいいや、焼くか。魚に好き嫌いはあるか?」
「ふむ。あまり苦くない方が良いな」
「川の魚ってやつは多かれ少なかれ苦いんだが……まあ、 腸 をなるべく避けてくれ」
「分かった」
拾っておいた枯れ枝は、河原の砂地に並べてある。
端には枯れ葉と小枝、中心に行くにつれて太い枝。
こうする事で、火をつけ易くできる。
山民は火を熾し、端の枯れ葉へ移した。
やがて火は、葉から枝へと移っていく。
ささやかな炎の赤と、小枝が弾ける音。
どこかしらの、安らぎを感じるひと時だ。
程なく、太い枝にも火がつく。
火はくすぶり、しばらく熱を放つことだろう。
たとえば、そう、魚を焼くに十分なほどの。
「それじゃ、その荷物の中、もらえるか」