後手
山民 は確かに、話が得意とは言えない。
少なくとも芸には程遠い。そんな自覚はあった。
むろん、その場でその場で言い返す事は出来る。
けれどもそれは、返せるというだけだ。
それ以上でも以下でもない。
「言ったな。なら、先にお告げを頼むぜ、師尊」
「ふむ。素直なのは君の長所だ。 武林 で、さぞ君は鍛錬を積んだのだろう」
「ああ、その通り」
「腕立て、倒立、瞑想、あるいは刀の素振りを」
「大きく違っちゃいねえよ」
「そこが違う」
「……意味が分からねえ」
「範囲が狭い、と言っている」
事実として、山民 と並ぶ者は滅多に居なかった。
数少ない者のひとりは、病に倒れ既に亡い。
その自分を、狭いと評するとは。
「……続けろよ」
それでも、怒りより先に好奇心が勝った。
いくつもの秘術を持つであろう、目の前の者への。
「君はよく鍛えられている。およそ今まで、不意を打たれることも無かったはずだ。確かに、その点では認めよう――だが」
「だが?」
「とっさの対応は、ふだんの君の修行に含まれていまい。そこを補うのはあくまでも実戦――と、こう来るはずだ」
「合ってるだろ」
「間違ってはいないが、的確でもない」
「なら言ってみてくれ、的確なその答えってやつを」
わずかに、師尊は考えている。
誤魔化すための雰囲気ではない。
答えは既に持っている。
その答えを、正しく伝えるための言葉。
そんな言い回しを、探すような間だ。
「――無作為」
「あん?」
「敵が常に真正面から、常に最速で来るとは限らない。違うか」
言って、師尊は右腕を伸ばし、手を広げる。
そのまま指先を 山民 の額へと近づけた。
ほどなく、そっと指が触れる。
音もなく、中指と額の中央とが。
「……何を?」
「不意打ちだよ」
静かに言い。
やがて師尊は、右手を戻した。
「……遅れをとるような速さじゃねえ」
「ふむ。ある意味それは正しい」
「違うってのか」
「たとえば、私のこの指。これが毒手だったらどうだ」
その存在は無論知っている。
砂に毒を混ぜ、手にすり込み洗う。
日々それを繰り返すことで完成する秘技だ。
しかしあの技の体得者は、手の色が変わるはず。
朱砂なら赤色に、鉄砂なら錆色に。
まさかと思いつつ、相手の手の色を見る。
白に近い肌はかすかに赤い。
けれどもその色は、血の域を出ない。
少なくとも、そのはずだ。
「……」
左手で、山民 は己の額を確かめる。
軽くぬぐうも、変わった様子はない。
変化があるとすれば、わずかな水の手触り。
汗。己の。恐らくは、そうであるはずだ。
ようやく、山民 は結論づける。
「冗談だろ」
「限りなく本当だよ、山民 ――たとえ話の方は」
手玉に取られている。そんな自覚はあった。
その事への悔しさも、間違いなくある。
「君は素直だ。素直過ぎるくらいに」
「……悪かったな」
「繰り返すが、素直さは長所だ。後はそれを、諸々の習得に向ければいい」
「搦め手をふさぐ方法が、そっちにはあるってのか」
およそ武芸の心得があるとは思えない。
そう思えるほど、綺麗な手を持つ者に。