斬月刀
命令とあれば、それに従う。
少なくとも、そう思っているのは確かだ。
武人として身を引いたつもりではいた。
それでも、まだ武人として存る心は告げている。
――受けた恩義には、相応の恩義を返す。
――命を救われなら、命をもって報いることだ。
――自ら思える内は、武人として死んでなどいない。
では、と山民は思う。
恩を受けた相手からのそれが、命令でないならば?
「礼儀抜きの呼び名、駄目か」
「……いや」
命令ではない。決して、命令などではない。
それでも。
それが、恩人の望みならば。
「別にダメじゃねえ。ダメじゃねえから、その石ころをしまってくれ」
そう山民が言い。
初めて気付いたかのように、師尊は石をしまった。
そっと、今度は左の胸元に。
厚さの分だけわずかに、片側の衣服が膨らむ。
その様子に。
山民の方もまた、初めて気付く。
左右の胸元が、決して平板ではない事に。
どうであれ恩人には変わりない、そのはずなのだが。
若干の気まずさを誤魔化すように、尋ねる。
「……んで、だ。ひとつ聞きたいんだが」
「何なりと」
「倒れた時に持ってたはずなんだが、俺の刀は」
「ふむ。それならば、すぐそこに」
その武器は、木の幹にたてかけてあった。
ありすぎるほど、見覚えある形だった。
わずかにつぶれた下端も、そっくりそのまま残っている。
まだ手にして間もない頃の痕跡。
まぎれもない、愛刀の柄だ。
山民は近寄り、手にする。
「……なんだ、こいつは」
覚えのあるのは柄までだった。
握り応えといい、間違えようがない。
ただ刃が違う。
真っ直ぐのはずの刃が、三日月の形に置き換わっている。
「こいつは、その……」
「私の仕業ではない。その気は無いからな」
「その気だけがないのかい、それとも」
「昔はあった、これでいいか」
「……済まねえ、聞きすぎた」
「ふむ。素直なのは良いことだ」
手に取り、そのまま握る。
感触は、そのまま己の獲物だ。
「こいつは……」
それだけではない。
手に馴染んだ。
最初からそうだったかのように。
「……でもなあ」
三日月の刃。
これを果たして、刃と言ったものか。
決してなまくらではない。
だがこの形は、用を成すとは言いがたい。
「不満か、若いの」
「山民、て言ってるだろ」
「これから振り回すようなら、名前では呼びかねる」
「……こいつでも駄目かい」
「君の心がけ次第だ。その形でも、生死は左右されるだろうからな」
確かに、そうだ。
まっすぐの刃ほど直接的ではない。
それでもそれが、武器であることに代わりはない。
当たりどころ次第で、相手の運命は変わることだろう。