鰯雲(いわしぐも)
恋をしました。
相手は俺より3つ年上のお客様。
しかも既婚だなんて!
この胸のトキメキよ…消えてくれ!!
「店長、今日は機嫌良さそうですね。」
「今日は予約が入ってるんだよ。相川さんの。」
「ああ…店長の憧れのマダムっすか。」
「お前ら!俺のこと話すなら聞こえないようにやってくれ!ってか、なんでみんな俺の心が分かるんだぁ〜?!」
「いや…バレバレっすから。」
俺、須藤渉29才
片想い歴5年目の美容室雇われ店長。
この店に配属になって二週間目。
彼女に出会った。
一目惚れだった。
緊張している俺に、彼女は笑って言った。
「頑張ってる人を見るのは有意義な時間ですね。」
でも、彼女は二児の母。
しかも下の子に至っては妊娠中から出産後まで見守っている。
何度となく諦めようと…好きでいることを止めようとしたのに…
職業上、2〜3ヶ月毎に『惚れ直して』しまっている。
惚れ続けて、頑張り続けて、店長まで登り詰めたのに!
なんでだ…
なんでその他大勢の女に目がいかない?
俺はこんなに一途な想い人だったか?
「店長、また片想いに凹んでますよ。」
「大丈夫だよ。もう少ししたら凹み具合が変わるから。」
「お前ら〜!」
「あ(・◇・)店長、来ましたよ!」
「えっ?!」
外は風が強いらしい。髪を右手で抑えながら、うつむき気味でこちらに歩いてくる彼女が…
…ヤバい。目がそらせない。
「い…いい…イらっしゃいませ!!」
あ!どもった上に声裏が選った!(ノ><)ノ恥ずかしい。
「ぷっ。須藤さんオモロ♪(≧ε≦)」
2ヶ月ぶりの笑顔
可愛い…(〃∇〃)
「相川さん。お待ちしてました。お荷物お預かりしますね。」
「は〜い」
彼女から手荷物を預かり番号札を付け、同じ番号札の付いたキーホルダーを手渡す。
「今日は〜どうしますか?」
気を取り直して、誠実な店長口調を心がける。
「今日、須藤さんやってくれるんでしょ?じゃあ、お任せで。」
「え?えっと〜、こんな感じがいいとか…ないんですか?」
ドキドキを隠すように彼女の髪にコームを当てる。
彼女の髪に触れる。
柔らかい…
鏡越しに彼女と目が合った。
…うっ!
赤面しそうになるのをごまかすように、ヘアカタログを手にしてペラペラっとページを捲る。
「どんな感じかぁ〜…んー。『人間不信』な感じ?」
「へっ?!人間不信っすか?なんかあったんですか?」
「んー。離婚調停申し込んできた。」
「重っ」
思わず声に出してしまった…
「ははっ(o^∀^o)だから『人間不信』でお願いします。」
「お願いしますって…」
参ったな。
少し考える時間を貰おう。
「分かりました。やってみます。その代わり、終わってから『こんなんじゃイヤ!』とかナシですよ。」
「大丈夫。須藤さんだもん。信じてます。プレッシャーかけちゃう?」
「めっちゃプレッシャーですね…(T_T)」
洗髪等は新人に任せて、スタッフルームに行く。
スタッフルームの冷蔵庫に入れておいたお茶のペットボトルを取り出す。
「今日は『人間不信』でしたね。」
「ああ…」
「髪型によっては店長も人間不信の対象にされちゃいますね?」
「ああ……。真宮ウルサい!」
この店で一番長い付き合いになる真宮にからかわれ、ヤケになる気持ちを静める。
彼女の指名が取れるようになって三年。
最初は事細かい指示と相談だったのに…ここ一年はこんな調子の注文。
前回は『反抗期』
前々回は『春風』
その前は『思い出』
…イメージなんだ。
イメージ。
人間不信の人間がたどり着いたイメージはなんだ…?
ふと、5回前の注文に目が止まる。
『自己改革』
多分、ここからスタートしていたんだ。
彼女の心の葛藤が見え隠れした注文の言葉に集中する。
………見えた。
彼女の求めるイメージはいつも抽象的且つ、願望。
特別じゃなくていい。ささやかな背中を押すキッカケが必要なんだ。
そんな今の彼女に必要なものは…
「欲 だ。」
「は?人間不信だろ?」
「いいんだよ!」
自分の中のイメージがいま一つ固まらないままに彼女のもとへ。
髪を濡らし、ファッション誌に目を落とす彼女の姿が飛び込んでくる。
やべっ…キレイだ…
また赤面しそうになり、やっぱりスタッフルームに引き返せそうかと思った瞬間、呼び止められる。
「あ。須藤さん。このお茶美味しいね。」
ふわっと笑った彼女が、いつになく元気がないことに…
見たことのない男に対する怒りすら込み上げてくる。
「相川さん。やっぱ元気ないっすね。」
「ええ?そうでもないよ〜。新たな一歩が目前っていう新鮮な気持ちあるよ。」
「やっぱり、原因って姑さんですか?」
「…そっか。須藤さんには愚痴ってたんだね〜私。…うん。そうだよ。お義母さんと私の間に挟まれて、旦那は苦しくなっちゃって。逃げちゃった。」
「え?逃げた?」
「うん…行方不明。」
「それって、警察届けなくていいんですか?」
「うーん。実家には毎週帰ってるみたいだから。」
「家には…?」
「もう1ヶ月過ぎたよ。子供もいるし、中途半端もね…って思って調停を考えてみた」
笑顔を作るその姿が儚くて…職場じゃなかったら抱きしめたい!と思った。
「相川さんも、少し休んだ方がいいですよ。」
苦しい。
もし、もっと早くに俺の気持ちを伝えていたならば
『そんな男なんて捨てて、俺のとこに来ればいい』
そう言えたのかもしれない。
悔しさを噛み締め、彼女の髪にハサミを入れる。
濡れて毛束になった彼女の一部が床に落ちる。
まるで彼女の涙のようだ。
「ねぇ、須藤さん。私ね、こんなに不安定な生活を強いられてても、旦那を嫌いになれないんだ。『好きか?』っていうと、違うと思うんだけど。なんか『可哀想』って気持ちが強いんだよね。」
「可哀想ですか?面倒だからって逃げることが?」
ハサミを止め鏡越しの彼女を見つめる。
どんな顔をしているのか、確かめたくなる。
俺の視線に気づいた彼女が顔を上げ、視線が合う。
「逃げることに必死で自分の言葉を失うことは…可哀想だよ。」
視線を逸らす気配なく
それどころか、強い視線を俺に刺す。
そうだ…俺の知ってる女性の中で、彼女ほどの『強さ』を持った人はいない。
本当に強い人は、底知れず優しいんだって…分かったから、他に目が向けられないどころか、彼女以外を受け入れたくなくなっていたんだ。
「だから、最後くらい自分の言葉を取り戻して欲しいなって、調停決めた。」
「優しいですね。」
「え?私は最後の嫌がらせにも思えるけど?」
「いえ…優しいです。相川さんは。」
彼女は、ふっと微笑んで、また手元の本に目を落とした。
数滴…格好つけたモデルの上に涙が落ちた。
ダメだ。
相川さんを守る方法を考えよう。
こんな打たれきった彼女は見たくない。
「店長、お願いしま〜す」
くそっ
タイミング悪く、別の指名が入る
「す…すいません。ちょっと行ってきます」
「はい。いってらっしゃい。」
決して視線を上げないけれど、必死に明るく言う彼女の背中が愛おしくて
また苦しくなった。
しばらく彼女の席から離れ、別のお客の話も耳に入って来ない。
一つの空間に十数人いるはずなのに…
俺だけ違う空間にいるような感覚で、頭の中は怒りと悔しさと悲しみが渦を巻いている。
普通に考えたら、ずっと好きだった人がフリーになるチャンスなのに…喜べない。
ふらっとスタッフルームに行き、お茶を飲む。
「店長、チャンスを棒に振るんですか?」
「チャンスじゃねぇよ!俺の好きな彼女がいねぇもん。」
「店長の好きな彼女ねぇ。」
くそ!また真宮に絡まれた。
…ん?
俺の好きな彼女?
「真宮、わりい。俺の客一人お前に任せる。」
「はいよ〜」
そうだ。
俺の好きな彼女が今ここにないなら、俺が作ってやればいいんだ。
俺の好きな
『自信と確信を秘めた強さ』
を引き出してやればいいんじゃねぇか!
急いで彼女のもとに戻り、急いで続きのハサミを入れる。
終わったら髪を乾かす。
また仕上げの調整にハサミを入れる。
一連の作業の間、一言も口を開かなかった。
そんな俺を彼女は無言で納得しているようだった。
「こ…こんな感じでどうですかね?」
「わ。軽くなったぁ。…あれ?昔、こんな髪型してたよ。私。なつかしー。」
「はい。初めて相川さんに出会った時、俺一目惚れしました。」
「え?!」
驚いている彼女を無視して続ける。
「あれから5年。何かあるごとに思い出す言葉があります。」
「………」
「『頑張ってる人を見るのは有意義な時間ですね。』あなたが言ったんです。この言葉に支えられ、今の俺がいます。」
彼女が何かを思い出したのを見てとれた。
「だから、俺が今度は言わせて下さい。」
ずっと言いたかった言葉。
「好きです。そろそろ俺の5年越しの片想いにご褒美を下さい。子供2人くらい、俺頑張れるから。俺、相川さんが欲しいから。調停でもなんでも、やるだけやったら黙って俺のとこに来ればいいじゃん!」
彼女の顔が赤らむ。
俺は言えたことに満足感を覚え、もう帰って祝い酒を飲みたい気分だ。
…ん?もう帰って?
「あああ!すすす…すイません!」
職場だったこと忘れてた。
「ぷっ。やっぱ、須藤さんオモロー!」
彼女がケラケラ笑う。
店内中の視線が刺さる。
すごい恥ずかしい。
でも、なんか嬉しい。
やっと、彼女が笑ったから。
目に溜まった涙を拭いながら彼女が笑顔を向ける。
「私、もう人を信じないって決意しようと思ってた。でも、こんな近くにイイ男っていたのね?」
「はい。ずっと見てましたよ。」
互いに笑いが込み上げた。
会計を済ませた彼女を外まで見送る。
風に短くなった髪をなびかせて、彼女は振り返る。
「須藤さん!調停終わったら、美容師じゃなく、一人の男として見てあげる。だから…」
彼女が少し空を見る
「いいですよ。もう5年も経ってるんで。この先何年でも、俺あなたを待ちます。」
彼女の口元が緩む
「須藤さん。私、須藤さんの5年が無駄なものじゃないように…もっと強くなるね!」
もう…十分すぎるほど強いのに…
「須藤さん、ありがとう。またね!」
彼女は走り去って行った。
髪が軽く風に揺れる愛おしい背中が見えなくなるまで
その場に立ち
さっき彼女が見ていた空を見上げた。
鰯雲
彼女に次会った時はどんな顔をすればいいのかな…
ま、いっか。
この際、開き直ってやるのもいい。
*-----二年後-----*
「店長。落ち着きないから、もう上がっていいですよ。相川さん待ってるんでしょ?」
「バカ。須藤さんでしょ。」
半年前、再びプロポーズ。
6年半温めた恋が報われ、今日婚姻届を提出に行く。
「…悪い。じゃあ、後は頼む。」
「はいはい。明日はノロケ話は聞きませんからね。」
「聞かせるよ!」
店員たちにからかわれながら、職場を出る。
ポケットの中には子供たちへのプレゼント。
俺がパパかぁ…
夕焼け空に鰯雲。
「イワシ食いたいな…」
そうだ。今日は美味いもんでも食べに行こう。
読んでくれてありがとうございました。
この作品は2作品目で、モデルになった人物が数人います。
彼らにも、ハッピーエンドを期待してるような…そうでもないような…( ̄∀ ̄)