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転生しても関西弁が抜けずにいたら女神様から幸運を約束されたので度胸と愛嬌だけで生き抜きます

作者: 瑠璃色満足


 ──神聖歴674年、春。

 

 服飾雑貨屋の娘、レッカ・ホムラアマギには幼い頃から抱えている小さな悩みがある。

 

 それは、『訛っている』事。

 

「まいど! また来てな〜」

 

 店の看板娘として働いているレッカは、日々訪れる客達に対して、独特の訛りを交えた言葉で接客をして愛嬌を振り撒いている。

 

 ただ、それがこの地域特有の訛りかといえば、そういう訳でもない。

 

「レッカちゃん。今日も訛ってるねえ」

 

「よっ! 可愛いよ、看板娘!」

 

「せやろ? 皆も真似してええねんで!」

 

「え。いや、それはちょっと」

 

 何故か、レッカだけが訛っている。

 

 他の家族にすら、訛りは無い。親兄弟全て、普通の喋り方をしている。

 

 レッカは物心付いた時には既に、訛っていた。

 

 両親曰く、それ以前の幼い頃に言葉を喋り出した時、もう既に訛っていたらしい。

 

「ん〜、なんでウチだけこうなんやろ?」

 

 ずっと疑問には思ってきた。

 

 他の誰にもこうした訛りは無いし、けれどもこれのせいで話が通じないという事も無い。何故か通じてしまうのだ。

 

 結局のところ特に不便は無いし、自分以外に他の誰が困る訳でもない。

 

 だから、度々指摘はされるものの、さして気にしてもいなかった。

 

 レッカという少女とは、それ程までに頭がゆるい14歳なのであった。

 

 

 

 

 

 ──ある日、レッカは夢を見る。

 

 何か超常的な力によって招待されたのは、幻想的な異空間だった。

 

 見渡す限りの眩い白が視界を埋め尽くし、どこまでも続く大地にその果ては存在せず、足元は揺らいで地に足付かないような、不思議な感覚がする。

 

 明らかに異質な世界に精神を閉じ込められて困惑する中、どこからともなく声が聴こえてくる。

 

「よく来たな、人類。この私の住まう楽園へようこそ。歓迎するぞ」

 

 男性とも女性ともつかないその不可思議な声音には、不思議と疑いや不安を抱かせないだけの威圧感と安心感が含まれているようにも思えた。

 

「この私こそ、救世の女神クスウェ=アヴァロン。お前たちの住まう世界に慈悲を振り撒く偉大なる超越者にして、勇敢なる乙女たちに寵愛を授ける絶対存在。お前たち人類が崇め奉るべき、唯一の神である」

 

「はあ……?」

 

 女神を自称するその存在は、レッカが今まで耳にした事も無い程に高慢で傲慢な物言いをする。

 

 正直に言えば、頭の弱いレッカにはあまりその小難しい言葉の意味が分かっていなかった。

 

「ふ。状況が飲み込めないようだな。それも無理はない。突然この私の招待を受けて怯まない者など、存在しないのだからな」

 

 レッカの心を読み取って、女神はその間の抜けた応対を許容する。

 

 心が広いというよりはただ、人間の行いの一つひとつなどに気を配る程、興味も無いといった様子にも思える。

 

 そんな高圧的な神様に呼び出されて尚、レッカはいつもと変わらぬ軽い感じで口を開いた。

 

「女神様、ウチになんか用なん? なんで呼び出されたんか、全く心当たりが無いねんけど」

 

 そんなゆるい話ぶりに、姿なき女神はふふっ、と鼻を鳴らす。

 

「『それ』だ」

 

「それって?」

 

「その特徴的な喋り方。それについて話がある」

 

「あ、これ? 女神様、この訛りについてなんか知っとるん?」

 

 レッカはずっと、興味があった。

 

 これがいったい何なのか知りたいと、昔から思っていた。

 

 けれど、その答えを知っている者には今まで出会う事が出来なかった。

 

 神様が何かを教えてくれるというのなら、それは願ってもない出来事なのだ。

 

「教えて教えて教えてぇな! これ、ほんまになんなん? 何でウチだけ訛っとるん?」

 

「ふむ。まずお前は、魂の輪廻転生というものを知っているか?」

 

「りんね、てんせい? 何それ」

 

「ある世界で一生を終えた者の魂は、この私によって次なる世界へと導かれる事により、新たな命となって誕生する。そうして生まれた者が生きる中で経験を積んで、そしてまた死ぬ。その魂は再び別の世界へと移動して、転生する。それを永劫の彼方とも思える長きに渡り繰り返していく中でこそ、ヒトの魂は次第に強固なものへと昇華していく。そして、その魂はいずれ高次な世界へと至り、遂には神と同一の存在にまで到達する事になる。分かるか?」

 

「……は??? さっぱりわからん!」

 

「ふふ。まぁいい。お前たちにそうした摂理が理解出来た所で、何が変わる訳でもないのだからな」

 

「はあ……?」

 

「では、この私が伝えたい事を端的に述べるとしよう。お前のその言葉遣いの癖は、前世でのそれが色濃く受け継がれてしまった事による。まぁ、ちょっとした手違い、だ」

 

「……え? それってつまり、女神様がなんかやらかしたって事?」


「やらかした、とは人聞きが悪い。全知全能のこの私であっても、ごくごく稀に、そういう事が起こり得るというだけだ。お前が生きる上では何も困る事の無い、ほんの些細な手違いに過ぎん。まぁ許せ」

 

「いやいやいやいや! 謝る時の態度とちゃうやろ、それ!?」

 

「何を言っている、この私が詫びる事などあり得ない。これは神によるちょっとした報告に過ぎないのだぞ?」

 

「うわぁ、全く反省してへんやん……」

 

「ただ、詫びの代わりに少しばかり、この私による慈悲をお前にくれてやろうかと思ってな。これから先、お前を待ち受ける運命に対して、この私が少しだけ手を加えてやる。お前には必ず幸せな結末が授けられる事を、ここに約束しよう」

 

「え、ほんまに!? 信用してええの?」 


「当然だ。この私こそが神なのだぞ。絶対なる至高の存在が契りを違える事など起こり得ない。お前には幸福が約束された。それが揺らぐ事は絶対に無い」

 

「なんやよう分からんけど、やったー! ありがとうな、神さん! ウチ、嬉しいわぁ」

 

「随分と気安いな。だがこの私は寛大だ。星の海よりも広い心で、その愛嬌を受け止めてやろう。ふふ」

 

 こうして、救世の女神による庇護を受けられる事が約束されたレッカ。

 

 夢から目覚めてそう経たない内に、それを実感する事になる。 


 

 

 

 


 店の看板娘として接客応対に勤しんでいた時、不意に記者を名乗る女性がレッカの元を訪れる。

 

「噂の看板娘さん! 是非とも取材させて下さい!」

 

 どうやら地域新聞の類だったらしい。

 

 快く取材を受けたレッカの振り撒く愛嬌が、その女性記者のノリに乗った筆によって世間へと伝えられる事になる。

 

 それを目にした人が、その明るい看板娘を一目見て生の声を聞こうと押し寄せる。

 

 客足が伸びる中、前の女記者の紹介だと言って服飾関係の雑誌記者がやってきた。

 

 店で取り扱っている商品を紹介するつもりで取材を了承したのだが、雑誌記者はレッカの容姿の方に注目していた。

 

「この訛りのせいで、ちっさい頃から近所の男子連中には馬鹿にされとってんなぁ」

 

 と取材の中でボヤくレッカだったが、そのルックスは抜群に良いものであった。

 

 特徴的な赤毛が目を引く為、実は男子からも『黙っていれば美人』と言った扱いではあったのだが、本人にその自覚は全く無かったらしい。


 そうして雑誌の中でモデルのような事を少しした所、今度は著名な画家を名乗る人物から手紙が届く。

 

 是非とも貴方を描かせて欲しい、というその内容には、流石にレッカも困惑していた。

 

「いま店が繁盛してんのに、絵のモデルやる為にえらい遠くの街まで行くんは無理やわ。ごめんな」

 

 そんな内容を簡潔に手紙へと記して返信した。

 

 興味が無い訳でも無かったが、かといって長期間この店から居なくなる訳にはいかない。

 

 なにせレッカの本業は、この店の看板娘なのだから。

 

 愛嬌を振り撒いてお客様を呼び込む事こそがレッカの仕事。

 

 新聞と雑誌でその役目は十分に果たしたのだから、後は実際に店を訪れてくれるお客さん達に恩返しをする方を優先するべきだという考えを持っていた。

 

 そうして店が繁盛する中、次に訪れたのは、なんと貴族だった。

 

 著名な地方領主のご子息が、雑誌で見たレッカに一目惚れしてわざわざ訪ねてきたのである。

 

「僕はジークフィール・マルガスク。君に一目会いたいと思って、遠路遥々やって来たんだ」

 

「そうなんや。そりゃあご苦労さん。ほい、お茶どうぞ」

 

「──! 君は、面白い言葉遣いをするね」

 

「あーうん、よう言われる」

 

 身分の違いも歳の違いも、レッカにとっては関係ない。

 

 相手への礼を失している事になど気にも止めず、レッカは普段通りに訛った言葉で気安く話す。

 

 周りから敬われるようにして育ったジークフィールにとって、レッカのそうした態度は新鮮であり、強く興味を引かれた。

 

 だから、数日の滞在だけで彼の心はすっかりその虜になっていた。

 

「レッカ! 是非とも僕のお嫁さんになってくれ!」

 

 凛々しい顔立ちの貴族様が突然そんな事を言うものだから、流石のレッカも驚いてしまう。

 

 相手は20代中盤くらいの好青年。当然お金も持っていて、礼儀作法も弁えていて、馬も乗りこなせて、何より顔が非常に良い。

 

 それに対して、レッカはまだ14歳の少女である。

 

 無論、特権階級ともなれば、このくらいの歳の少女でも婚約だとか妾だとか、そういう浮ついた話は出てくるものだ。

 

 しかし、街の服屋の娘でしかないレッカには、これまで全くの無縁だった世界のお話。

 

 そう気軽に返事も出来ない中、前世からの影響か、頭の中にはレッカが知らないはずなのにその意味が分かる、不思議な単語が思い浮かぶ。

 

「……ジークって、『ろりこん』なんやな」

 

 何とかレッカの気を引こうと努力するジークフィールをそういう風に評しつつ、彼女はくすくすと笑っていた。

 

 それはなにも、高貴なご身分のジークフィールの滑稽な姿を笑った訳ではなく、ちょっとした思い出し笑いにも近いものだった。

 

「神さん、ちょっとやり過ぎやで。贔屓してくれるんは嬉しいけど、ここまで上手くいくとは思えへんやんか」

 

 世間が自分の個性を受け入れて、愛してくれている。

 

 それはレッカにとって、何よりも喜ばしい事だった。

 

 



 

 転機が訪れたのは、ジークフィールが一旦その縁談の話を保留にし、家臣に引っ張られるようにして泣く泣く実家へと戻っていった後の、ある日の夜のことだった。

 

 レッカは翌日の分の品出しをする為に、一人で夜の店に残って作業をしていた。

 

 今は働く事への活力に溢れていて、心は満たされていた。

 

 ジークフィールの事は嫌いではない。

 

 彼は一生懸命で良い人だし、縁談を断る理由が思いつかない程には人格者だった。

 

 ……少しばかりなよなよしているというか、頼りない所は見え隠れしていたが。

 

 だからレッカは、彼との事をどうするかについても真面目に考え始めてはいた。

 

 とはいえ、家業を放り出して貴族の嫁になるというのは想像もつかない事でもある。

 

 現状との違いがあまりにも大き過ぎて、決断が出来ずにいた。

 

 やっぱりジークフィールの事は嫌いではないし、むしろその頑張りには好感が持てるから尚の事、───

 

 悶々とそんな事を考えていたその時、事件が起きる。

 

「んっ!? 誰やあんた───」

 

 気付いた時には手遅れだった。

 

 麻袋を被せられ、手足を一瞬にして拘束されていた。

 

 手慣れた何者かによって、レッカは拉致されてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 ──次に目を覚ました時、レッカが最初に目にしたのは、間近に迫った女の顔だった。

 

 見た所、30代前半といった所だろうか。

 

 若くはないが、そう老けてもいない。

 

 経験を積んできた者特有の、色気を感じさせる類の容姿をしている。

 

 その視線はどことなく正気ではないようにも思える程に不安定に揺らいでいて、全身に纏う雰囲気には怪しげなものを感じられた。

 

 その女は何故か、絵筆を手にしている。

 

 ねっとりとした声で、レッカへと告げる。

 

「いらっしゃい、新しいお人形さん。ようこそ、私のアトリエへ……」

 

 女は恍惚とした表情で、ふさふさとした毛先の絵筆をレッカの太腿へと這わせる。

 

 レッカは当然くすぐったさと不快感にその身をよじるも、声を出せずにいた。

 

 口にはマスク状の拘束具のような物を被せられているらしい。呻く事は出来ても、声を発するような事は出来なかった。

 

「ふふふ。大丈夫よ。あなたを傷付けたりする事はないから安心して? ……まだ、大丈夫だから」

 

 絵筆の女は、妖しい笑みを浮かべながら離れていく。

 

 どうやらここは牢屋の類らしい。

 

 3方向を堅い壁に囲まれていて、天井もそう高くはない。狭くて圧迫感がある。

 

 通路に面した方だけは鉄格子のようになっていて、双方向に見通せる。

 

 何か行動を起こせば、あの女には筒抜けのようだ。

 

 牢の中には今寝かされているベッドが一つ。後は一応、洗面台のようなものと便器もある。

 

 それ以外には何もない。窓すらも無い事から地下室なのかもしれない。

 

 罪人が閉じ込められるような牢獄の中でも、極めて質の悪い方のそれだった。

 

 分かる限りの状況を把握し終えて、レッカは心の中で溜息を吐く。

 

 この間まで全てが上手くいっていたのに、突然のこれである。

 

 あの高慢な女神様の事もそろそろ信用しかけていたのだが、途端に嘘くさく感じてきて、そして憤慨する。

 

 幸運が約束されたはずなのに、何故こんな牢獄に閉じ込められなければならないというのか。

 

 贔屓し過ぎじゃないのかとボヤいていたのを聞かれたのかもしれない。

 

 だとしたら、とんだ意地悪女神だ。

 

 そんな事を考えながら、どうやってこの場所から脱出するかを思案し続ける事しばらく。

 

 事態が動く。

 

「ふふふ。それじゃ、アトリエに行きましょうねぇ……」

 

 逃げられないように縄で繋がれて、女に連れられて牢屋を出る。

 

 冷たい廊下を進み、階段を昇って更に進むと、その先には明るい陽射しが降り注いでいた。

 

 女がアトリエと呼ぶそこは、とある屋敷の中にある広間か何からしい。

 

 大きなステンドグラスを通して色鮮やかな光が射し込み、どこか美しさすら感じるその場所こそが、女の仕事場。

 

「わたし、画家なの。貴方に一度フラれた、ね」

 

「──!」

 

 雑誌の取材を受けた後に送られてきた、著名な画家によるモデル依頼の手紙を思い出す。

 

 あの時断られた腹いせに、拉致までやってのけたという事なのか。

 

「婦女子専門画家のミスティック、とでも名乗っておきましょうか。私の絵って、実は結構人気あるのよ?」

 

 不敵な笑みを携える女画家ミスティックは、自慢を兼ねた自己紹介をして満足げだった。


 ミスティックは広間の中央に置かれた椅子にレッカを座らせると、その口元を塞ぐマスクを外しながら問い掛ける。

 

「あなたは自分自身の事を、美しいと感じたことはある? それとも、可愛いと感じたりする?」

 

「ぷはっ! え、なに? なんの話なん、それ……?」


「あら? 可愛らしい言葉遣いね。そっか、ギャップを狙って普段からつくってるんだ。意外と計算高いのね」

 

「は? ちゃう、ちゃう! これは元からやねん。生まれつき」

 

「こんな時でも設定を貫くなんて、度胸あるじゃない。そういう子、嫌いじゃないわよ」

 

「いや、ちゃうねんって! ほんまにこれは元からで、」

 

「ああ、いいから、そういうの。とりあえずまずは、そうねぇ。……これに着替えましょうか」

 

 そう言うとミスティックは、衣装棚からきらびやかなドレスを引っ張り出して見せつけてくる。

 

 黒をベースにした下地に、金や宝石をあしらった豪奢な装飾が施されている。

 

 レッカは衣服を取り扱う店の娘としてそれなりに目利きも鍛えられていた為、一目見ただけでその衣装の価値を理解していた。

 

 驚いた様子で目を見開いて、ミスティックへと問い掛ける。

 

「え?え? なにこれ、めっちゃすごいやん」

 

「あなたにはこれを着て、わたしの絵のモデルになって貰うわ」

 

「……ほんまに?」

 

「価値が分かるあなただからこそ、この服を着るに相応しいの。その言葉遣いだけは気になるけどね」

 

 そうしてレッカは抵抗する事もままならない内に、ずるずるとミスティックの手の内へと引き込まれていってしまう。

 

 ここから逃げ出すにしてもまずはここが何処なのかを把握してからでないと、脱走計画など立てようもない。

 

 それに、自分を店から攫ったのはミスティック本人ではなく、複数の男たちだった。

 

 もしそれが彼女の部下か何かだとしたら、まだ屋敷のどこかに潜んでいて、監視の為に目を光らせているのかもしれない。

 

 戦う力など当然持っていない看板娘にとっては、ここから無理に逃げ出すのはリスクが大き過ぎる。

 

 それに、ミスティックは抵抗さえしなければとても優しかった。

 

 絵を描く前には必ず、風呂に入れてくれた。

 

 ドレスに着替える際にも拘束具を外して痛くないようにしてくれたり、体に傷が無いかのチェックなんかもしようとする。

 

 恥ずかしさはあるけれど、従順なフリをしていれば危害を加えるような事はしてこない。

 

 牢屋に住まわせているのも今は仮であって、従う事を約束するのならもっと良い部屋に換えてやる、とも言ってくれた。

 

 段々と、ここから逃げ出そうという意欲も薄れ始めていた。

 

 

 

 

 

 絵のモデルの仕事は、一日2時間程度に限られていた。

 

 顔を合わせた事は無いが、どうやら他にも『お人形さん』が居るらしい。

 

 レッカも含めて一日に四人程度の少女を、モデルとして使っているようだ。

 

 ミスティックは筆が遅く、たった2時間の作業ではあまり進まない。

 

 それでも、その絵の全貌が明らかになってきた頃には、絵画には疎いレッカですらも見惚れる程に、美麗な一枚が出来上がろうとしていた。

 

「これ、ほんまにウチなん……?」

 

「ふふふ。そうよ。これがレッカ。あなたの本当の姿。ああ、美しい……」

 

「ウチ、こんなべっぴんさんとちゃうで?」

 

「あなたがそう思っていても、周りから見ればこんなものではないわ……」

 

「そうなんかなぁ……」

 

「大丈夫よ。わたしが必ず、あなたの本当の美しさを引き出してあげるからね……」

 

 妖艶な表情を見せるミスティックの企みは、それから暫くして、レッカの知る所となる。

 

 

 

 

 

 ──拉致されてきてから、もう何日経ったのだろうか。

 

 数えるのも忘れるくらいの時が経過した頃に、ミスティックは遂にあと一息で絵が完成する事をレッカに告げる。

 

 喜びに打ち震える彼女は、レッカを牢屋から連れ出していつもの広間へと向かう。

 

 ただし、今は夜だ。

 

 いつも絵を描くのは日中だった。ステンドグラスの光の傾きで大体の時刻が分かるくらいに、あの場所には慣れ親しんでいた。

 

 星々の煌めく、穏やかな夜。

 

 レッカは再びきらびやかな黒いドレスを着せられて、その広間に配置されている、いつもの椅子へと腰掛ける。

 

 女性を象った美しいステンドグラスを抜けてくる優しい光は、恐らく満月によるものだろう。

 

 いつもとは違った薄暗く幻想的な雰囲気に、レッカは内心ドキドキしていた。

 

「ふふふ。緊張してるの?」

 

「ちょっとだけな」

 

 持ち前の愛嬌ですっかりと打ち解けた気になってるレッカは、拉致事件の犯人であるミスティックにも相変わらず気安い。

 

 具体的に約束はしていないが、この絵さえ書き終われば何事もなく解放して貰えるのではないかという、淡い期待があった。

 

 そう思ってしまうくらい、普段のミスティックは優しかった。

 

 だから、───

 


 

  

 

「──これで、完成まであと一歩」

 

「ほんま? 後はなにが足らんの? もうめっちゃよう出来とると思うけど……」

 

 神々しいステンドグラスを背景に、豪勢な屋敷の中で座す御令嬢を描いた絵画。

 

 素人目には、そこに何が足りないのかさっぱり分からなかった。

 

 その絵は既に完成されていて、それ以上何かを付け足すというのは憚られる行為にすら思える。

 

 しかし、ミスティックは言う。

 

「一番……、一番大切なものが、まだ描けていないの」

 

「いっちゃん、大切なもん?」

 

 ミスティックの求める、それは、───


 

  

 

 

「この可憐な乙女の美しさが、壊される瞬間───」

 

 

 

 

 

 冷たい声と共に、レッカの目の前に彼女の顔が迫る。

 

 その表情は、歪んだ笑顔。

 

 悦びに満ち満ちた者がする、自らの快感が果たされる事を求めるかのような表情で。

 

「わたしはそれこそが、芸術だと思うの……!」

 

 飛びかかってきたミスティックは、レッカの肩を掴んで床へと押し倒す。

 

 そして勢いそのままに、黒いドレスを引きちぎっていた。

 

 きらびやかな服をびりびりと破いて、あははは、と笑い声を上げる。

 

 レッカは驚きと恐怖に顔を歪めて、殆ど声を出せずにいた。

 

「──ぇ、ぇ?」

 

「いい! いいわよ、その顔、その表情! 美しく可憐で純粋な少女の顔が、初めて穢れを知って恐怖に歪むその瞬間っ! それこそが芸術、それこそがアート! あは、あははは!」

 

 まるで人が変わったように、ミスティックは笑う。

 

 ……いや、これこそが本当の彼女。

 

 最初に連れて来られた時にも垣間見た、ミスティックという既に壊れている女性の、本来の姿なのだ。

 

 それを悟って、レッカは涙する。

 

「なんで……? なんでなん? なんでこんな事すんの……いやっ、やめっ、───」

 

「あは、いい! 本当にいいわ、その表情っ! もっとよ、もっと見せて! その幼気な表情が、悪い大人の住む世界へと染め上げられていくその様を! わたしに見せなさいっ!」

 

 そう言って、狂気すらも感じられる笑い声を上げるミスティック。

 

 レッカはただ、怯えて、震えて、逃げ出そうとしていて。

 

 けれど、覆い被さるようにして組み付いて拘束してくるミスティックとは、体躯に差が有り過ぎる。

 

 抵抗ままならないままに組み伏せられて、もはやお気に入りとも化していたいつものドレスが強引に破かれていく様を、ただ見守るしかないでいた。

 

「ひどい……、なんでこんなん……」

 

 あられもない姿にされて、小さな嗚咽を交えて涙を流す。

 

 けれど、ミスティックは止まらなかった。

 

「まだよ……、もう一息。もう一息なの。普段のあなたはどこまでも明るくて、前向きで、わたしにすらも気安かった。こんなわたしにすら、甘い微笑みを向けてくるようになっていた」

 

「ウチは、信じとったんやで……? きっとほんまは、悪い人やないんやって……ウチは、あんたの事……!」

 

「それは嬉しかった。……けどね、」

 

 そう言ってミスティックは、レッカの細い首に両手を当てる。

 

「わたしはあなたが、嫌いだった」

 

 そう言って、首を掴んだ指に力を込め始める。

 

 途端にレッカは息が出来なくなり、もがく。

 

「あなたのその気安さが、大嫌いだった……! 言葉の一つひとつに棘が全く感じられなくて、暖かみすら覚える! 何なのよ、それ! 救いを求めてわたしにすり寄ってくる人形は沢山居たけれど、あなたのは違う!」

 

「───っ! ───〜っ!!」

 

「わたし以外に頼る対象が居る。わたし以上に信頼を寄せる何かが存在していて、わたしの事を憐れんでいるかのような視線を送るっ! それが許せなかったのよ、人形の分際で!」

 

「──〜〜〜っ!!」

 

 ミスティックの歪んだ考えは、レッカには理解出来ない。

 

 けれど、言わんとする事は分かる。

 

 要は、レッカは自身が神様の寵愛によって救われる可能性を、心のどこかではまだ信じていたのだ。

 

 ああして契りを交わした以上、今置かれているこの状況だって、約束された幸福の一環なのだ、と。


 きっと状況は、好転するはずだ。

 

 そのきっかけが齎されるのを、自分は待っているのだ、と。

 

 そういう風に思い込もうとしていた。

 

 それが、ミスティックの怒りを買った。

 

 ミスティックが求めていたのは、恐怖に震える少女の姿。

 

 怯える事なく飄々としているレッカの姿は、むしろミスティックにとっては壊し甲斐のある存在に見えていたらしい。

 

 だからこうして今、殺されそうになっていて。

  

 

 

 

 

 ──そういう心優しい少女だからこそ、救いの手が差し伸べられるのもまた、必然なのである。

 

 

 

 

 

「──カ! 目を開けてくれ、レッカ! 僕のレッカ! レッカ・ホムラアマギ!」

 

 男の声が頭に響いて、レッカは重い瞼を開ける。

 

 目の前には、貴族らしからぬ涙に塗れた情けない表情を見せる優男の顔が有った。

 

「──ジーク?」

 

「レッカ! ああ、良かった! 生きていたんだね、レッカ! 本当に良かった!」

 

 滝の様に涙を流すジークフィールに抱き付かれ、レッカは夢心地から目を覚ます。

 

 場所は、どこかの病院らしい。その一室で眠っていたようだ。

 

 この場所に居る理由も、ジークフィールが泣いている理由も、あの状況から助かった理由も、ミスティックがどうなったのかすら分からない。

 

 ただ、今だけは素直に生きていた事を喜びたい。

 

 レッカはジークフィールの体をしっかりと抱き締め返して、一緒に涙するのだった。

 

 

 

 

 

 その後知ったのは、あの屋敷が燃えたらしいという事。

 

 ある満月の夜、突然の出火によって全焼したとか。

 

 その焼跡の中で何故かレッカは生き残っており、意識を失って倒れている所を発見された。

 

 その他にも、地下室から数名の少女が救出されたらしいと聞く。

 

 しかし、屋敷の主人である女性画家は見つかっていない。

 

 遺体はどこにも無かった、とか。

 

 灰になる程に燃え尽きたのか、或いは一人で逃げ出したのか。

 

 ただ一つ気になるのは、広間のステンドグラスのある壁だけは綺麗に焼け残っていて、ちょうどそこから光が射し込む先の床には、不審な焦げ跡が残っていたそうだ。

 

 そういえば、あのステンドグラスに描かれていたのは、金冠を背負った美しい女性だった。

 

 とても人間とは思えない、白い衣の絶世の美女。

 

 それはもしかすると、───

 

 

 

 

 

 全てが終わった後、順調過ぎる程に早く回復を果たしたレッカは、ジークフィールに実家の服飾雑貨屋へと連れ帰る事を願った。

 

 ジークフィールとしてはそのままレッカを自分の家に連れて行って嫁に迎えるのもやぶさかではなかったらしいが、その計画を素直にレッカへと話した所、キツく頬をつねられた。

 

 レッカは自分の無事を家族へと報告すると共に、やはり店を継ぎたいと考えるようになっていた。

 

 貴族のお嫁さんというのも悪くはないが、自分にはきらびやかなドレスというのは似合わないのだと痛感したからだ。

 

 ああいうのを着こなして愛嬌を振り撒いていると、また何か嫉妬やら憎しみやら、小難しい感情の対立に振り回される事になりなねない。

 

 特に貴族の世界なんかだと、尚更だろう。

 

 そういう事を避ける為にも、やっぱりレッカにはただの看板娘こそが相応しい。

 

 そうした気持ちを素直に話したら、ジークフィールも分かってくれた。

 

 けれど。

 

「それでもやっぱり、僕は君を諦め切れない!」

 

「え、その、気持ちはほんまに嬉しいねん。ウチかて、ジークの事は嫌いとちゃうというか、割と、その、好きやねんけど……」

 

「本当かい!? 今の言葉、本気なんだね?」

 

「う、うん。目覚まして初めてジークの顔見た時、ほんまに安心してん。着飾ってないほんまのウチを見てくれるジークなら、好きになってもええかなって……」

 

「君の想い、受け取ったよレッカ! 僕は、貴族を辞めるっ!」

 

「え?」

 

「僕が君の家に、婿養子に入るよ。大丈夫さ、僕の家の事は元々、僕の兄が継いでくれる予定だったんだ。だから何も問題はない。お父様たちも分かってくれるさ!」

 

「せやろか……そんな上手くいくんかなぁ」

 

「勿論、上手くいくさ! なにせ、僕のお嫁さんは幸運に恵まれているのだからね!」

 

「……ま、せやな! ウチは神さんにもジークにも愛されて、めっちゃ幸せや!」

 

 

 

 その後、暫くして、───

 

 奇跡の生還を果たしたレッカの事は、すぐに新聞等で伝えられた。

 

 悲劇の看板娘として注目を集め、その美貌と愛嬌にまた客足が賑わう。

 

 店は存分に、繁盛していた。

 

 

 

 そんなある日、───

 

 ジークが泣きついてきた。

 

 両親に婿入りを強く反対された上に、こっぴどく叱られて涙するジークフィール。

 

 そんな彼と共に、レッカはその実家へと乗り込む事になり、そして。

 

 持ち前の愛嬌で、御両親にも気に入られる。

 

 そして、むしろ頼りないジークの事を託される事になる。

 

 少し締まらない話だが、それもまた、レッカが幸運に恵まれているという証であった。

 

 そうして二人は結婚を果たし、今度はおしどり夫婦として皆に愛される。

 

 女神の寵愛を受けたレッカは、後に多くの子宝にも恵まれる事になるのだが、それはまた別のお話─── 

 

 

 

「そこのあんさん! もし少しでもおもろいと思ったんやったら、ちょこっとそこの★押してくれると嬉しいねんけど……」

「ほう。お前でも他人からの評価など気にするのだな」

「うわ、神さん!? どっから見てんの?」

「ふふ。この私は常にお前たちの事を見守っているぞ」

「え、なにそれ、こわ」

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