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私は意識をして裕二さんとの会話を減らしていくようにした。
興味がない振りを装った。
夏休みの最初の、ほんのちょっとした退屈しのぎだったのだ。
そう思われるよう努力した。
けどそれは、私にとって逆効果だったみたい。
私の中の裕二さんへの想いは、一日いちにちと大きく募っていった。
八月に入り、夏期講習が始まって、私は学校に行った。
もう裕二さんはこの学校にはいない。
結局一度も学校で裕二さんの顔を見ることはできなかった。興味あったのに。毎日想像したのに。どんな服着て教壇に立つんだろう? どんな表情して授業やるんだろう? って。字は綺麗なのかな? 英語の発音とか聞いてみたい。わざとわからない振りして、裕二さんが私のノートを横から覗き込み、「ほら、前置詞の場所が変だろ? ここはこうだよ」みたいな会話が交わされるのだ。裕二さんの気配や体温を間近に感じ、私はきっと集中できない。
なんてことを考えている自分をちょっと嫌悪してみたり、にやにやしてみたり。
夏期講習はクラスが関係ない。あと五分ほどで授業が始まるので、人が集まり、教室がざわめき始めた。
私は知っている子が入ってはこないかと、教室に誰かが入ってくるたびにそちらに目を向けた。同じクラスのあまり話したことのない男子二人が入ってきた以外は、全員知らない顔だった。
私はあきらめ、窓からグラウンドに目を移した。
なんだか急に学校の景色が味気ないものに感じられた。
しばらくして私の退屈な夏期講習は始まった。
夏期講習は一限目、二限目、お昼休みをはさんで三限目とあった。
私の今週の授業は、一限目の英語と三限目の数学だ。
二限目は何もない。
暇だ……。九十分の授業時間、プラス昼休み……、二時間以上ある。こんなことなら午前中だけで授業を終わらすように時間割を組むんだった。と考えながら、どこか涼しい場所はないかと学校を彷徨い、気が付くと一階の一年生の教室に来ていた。
この教室なら影になっているし、人もいなくて涼しいかも。と思いながら私はその教室で落ち着くことにした。太陽が直接当たらないせいで、空気がほんの少しひんやりしている。
私は自分で詰め込んだお弁当を開け、ぬるくなったペットボトルのお茶を飲んだ。
「あれ?」と教室の外で男子生徒の声がした。私は自分のことだと思わず、気にせずご飯を食べていたのだけれど、その男子生徒は友達を引き連れ教室に入ってきて私に話しかけた。
「ねえねえ、名前……、えーーーっと、飯束さんだよね、確か」と、男の子の一人が言った。
「え、そうだけど……」私はその男の子に見覚えはなかった。どこで知り合ったのだろう。
「隣のクラスの木梨だけど、覚えてる? こっちは、同じ部活の山本だ」
「いえ、あの、ごめんなさい。覚えてない」と私は答えた。
「やっぱりそうか……」と言われて、何がやっぱりなのかさっぱりわからなかった。
「あの、なにか用?」
「実は僕たち、今日は夏期講習とは別の用事で来ててね」
そんなこと別に聞いてないけど。
「ある調査をしてるんだ」
「調査?」
「そう。つかぬことを聞くけど、飯束さん、最近学校の近くで黒い蝶とか見かけてない? 羽に赤い模様のあるやつなんだけど」
「ちょ、蝶?」と私は首を傾げた。
「そう。比較的大きめの、アゲハチョウのような黒い蝶だ」
「み、見てないけど」それがどうしたと言うのだろう。
「そうか……、残念」
残念ってなによ。さっきから聞いてもいないのに勝手なことしゃべって、「やっぱり」だとか「残念」とか。私はだんだんと腹が立ってきた。
「ねえ、さっきからなんなの? 蝶がどうしたって言うの? 何の調査なの?」
「いや、ああ、ごめんごめん。僕たち都市伝研究部の部員なんだ」
都市伝研究部!?
「僕は専門的に魔術を研究しているんだけど、どうやら最近、この学校で僕の知っている魔術を使った人がいると言う噂があってね、いまそれを確かめるための調査をしているんだ」
「あなたたち、都市伝研究部?」
「ああ、そうだよ。思い出してくれたのかい?」
どうも話がかみ合わない。思い出すって何? 私が初めてその名前を聞いたのは、夏休みに入ってから、裕二さんの口からなのだけど。
「いえ。私はあなたたちのことは知らない。ただ、知り合いから聞いただけだから」
「そうなんだね」そう言いながら、木梨君は私の前の席の椅子をこちらに向け、そこに座った。山本君は、私の隣の席に座った。もしかして、そのまま腰を落ち着けて話し込むつもり?
「で、蝶がいったいどうしたの?」
「うん。実は僕の研究している中東の魔術があるんだけど、その中に、魔術を使った人の元に黒い蝶が神様の遣いとして現れる、ってのがあるんだ」
「神様の遣い?」
「うん、そうだ。あまりいい兆候ではないんだよね」
「いい兆候ではないってどういうこと?」
それよりさっきから何もしゃべらずに横に座って視線だけを投げかける山本君が気になって仕方ないのだけれど。まあいいわ。
「その蝶は、魔術の代償を探して魔術を使った人の近くに現れるって言うんだ」
「代償?」
「そう。神様にしろ悪魔にしろ、なにか願い事をするためには代償を払わなければいけない。それは食べ物であったり、歌や踊りや祭りでいい場合もあるけど、時には人の命を供物にすることもある」
「人の命?」
真夏の高校の夏期講習に来た女子高生が聞かされる話でもないでしょうよ、と思いながらも、私はよほど人の話に飢えていたのか、木梨君の話に相槌を打った。それに気を良くしたのか、木梨君の話はまだまだ続いた。
「そう。生贄だ。そしてそれは時に、魔術を使った人の大切な人。例えば身内や、恋人や友達の命を奪うこともある。もしそれができないなら、本人の命を奪ってしまうこともね。でもまあ実際は、その蝶がなぜ現れるのか、どういう役割なのか、ってのはわかっていないことが多いんだ。悪魔との契約のサインとして、体に痣の現れる人もいるって噂だしね」
「痣?」
「うん。蝶の形をした黒い痣が現れるらしい」
「なんだか気味の悪い話」
「まあね。そしてその蝶が、最近この学校で見かけられるようになったって噂があるんだ」
「この学校に? その蝶がいるの?」
「うん。噂だけどね。いま、その蝶を実際に見たって人がいないか探していたところなんだ。てっきり君がそうだと思ったのだけど」
「私が? どうして?」
「だって君……、僕のノート、見ただろ?」
「ノート? なんのこと?」
「やっぱり覚えていないんだ」そう言って木梨君は山本君と顔を見合わせ、お互い頷き合った。
「ちょっと何よ、教えてよ。二人で納得してないで」
「いや、これはとてもデリケートな問題なんだ。下手をすると僕たちまで巻き込まれる可能性もある。魔術を解く手助けをするようなもんだからね」
「って、何よそれ。私に関係することなんでしょ? 教えてよ」
「悪いが、少し時間をくれないか」そう言って木梨君と山本君は急に立ち上がった。
「え、ちょっと、なんなのよ、もう! 変な話して独りにしないでよ!」そんな私の言葉など聞こえないかのように、二人はそそくさと教室から出て行ってしまった。
私はもやもやとした気持ちのまま三限目の授業を受け、帰り支度をした。
もうさっさと帰ろう。そう思いながらも、心の中ではやはりまた、裕二さんのことを考え始めていた。そして私はさっさと家に帰ればいいものを、何となく裕二さんに会えるのではないかなんて妄想を抱きながら、特に目的もなく職員室の周りや一年生の教室の辺りをぶらぶらした。
「いるわけないよね……」
どうしてもっと早く知り合わなかったのだろう。
きっとこの学校のどこかですれ違っていたに違いないのだ。
その時は、今の私がこんな気持ちになることも知らずに、裕二さんのことなんて知らない教師の一人として目の片隅にも入れなかったに違いない。
「飯束さん!」と廊下の角を曲がったところで突然大きな声で呼び止められた。
「ふひゃっ!」と私は驚いて変な声を出してしまった。
目の前にさっきの木梨君と山本君がいた。
「探したんだよ」
「勝手に探さないでよ!」と私はびっくりした勢いで理不尽なことを言ってしまった。
「ごめんごめん。でさあ……」と木梨君は飛んできたボールを避けるように私の言葉をさらりとかわし、自分の話題に持っていった。
「さっきの話の続きなんだけど」
続きがあるのね。
「ある程度、君に話すことにしたよ」
ある程度、って何よ。
「君が使った魔術について」
「はあ?」と私は口を開けて間抜けな表情をしてしまった。
「もしこのあと時間があるならば、僕たちと少し話さないか?」
何なのよ、この下手なナンパみたいなセリフ……。と、思ったけれど。
◇あなたなら、どうしますか? ◇
今はそんな気分じゃないからやめておく。 32へ
話が気になるから二人について行く。 33へ