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夏の呪いとラムネ色の海  作者: Hiroko
10/33

9

「行かないってば」私はなんだか胸の中にもやもやしたものを残しながらそう答えた。

「なんだよ。意地っ張りなところは相変わらずだな」

「ほっといてよ」

「まあいいよ。それなら俺も授業受けるから」

「他の女の子は誘わなくていいの?」

「興味ねーよ」

「何よそれ。それじゃあまるで私に興味があるみたいじゃない」私は自分で言って、なんだか恥ずかしくなった。てかもしかして、それって核心突いてたらどうすんのよ。って、はあ、私まさか、自分で秋谷は私のこと好きなんじゃないかって思ってる? 

「お前、いま頭の中で何考えてたよ?」

「え、いや、どういうこと? 別に何も考えてないわよ。なんでそんなこと聞くのよ」

「いやーーー、なんか頭フル回転させてわけのわからない想像してました、って顔だったぞ?」

「気のせいよ。暑さのせいよ、きっと」

「まあいいけどよ」

「それより秋谷、次の授業は何なのよ」

「俺は英語だよ。綾子は?」

「私は数学」

「なんだよ、別々かよ」

「なあに、残念だった?」

「はいはい……」


それから二人でご飯を食べて、別々の教室に行って授業を受けた。

授業は九十分。

普段の授業より長いもんで、私はお尻が痛くなってしまった。

集中力も続かないし、暑さでだるいし、「あーーー、もう駄目!」って声に出さずに言ったつもりが思わずみんなに聞こえたみたいで笑われてしまうし、もうほんと、つくづく私は勉強に向いてない。

あんなに座っているのが苦痛だった椅子なのに、授業が終わってみると一気に疲れて立ち上がる気力がなくなっていた。みんな放課後の夏休みを満喫しようと騒々しくあっという間に出て行った。

私は……、私は……。

窓の外に目をやる。

なんだろう、この憂鬱な気持ちは。

ぜんぜん夏休みを楽しもうと言う気になれない。

心のどこかにブレーキでもついているみたい。

「はーあ、なんだろうな、いったい……。秋谷は何してんのよ。ちょっと迎えに来てくれてもいいじゃない」

「なんだよ、呼んだか?」

「ひゃいっ!?」と思わず変な声が出てしまった。

「なんてリアクションしてんだよ」

「秋谷が脅かすからじゃない!」

「いま俺の名前呼んだよな?」

「あんたヒーローかなんか!? 名前呼ばれたくらいでホイホイ出てこないでよ!」

「まあピンチって感じでもなかったけどよ、なんか死にそうな顔してたのは確かだぜ?」

「何よそれ。勝手に人の顔見ないでよ」

「はいはい、すみませんでした。で、呼ばれてないヒーローが来たわけだけど、これからどうする?」

「どうするって、帰るわよ」

「帰りたくない、って顔してたくせによ」

「どんな顔よ、それ」

「家に帰って独りになりたくないって顔だよ」

「勝手に決めないで、そんなこと」

「じゃあ独りにしてやるよ」

「やめてよ」

「何が?」

「そう言う駆け引きみたいなこと」

「じゃあしばらく一緒にいようぜ」

「またほら」

「素直に言っただけだよ。だいたい俺が綾子に駆け引きなんかするかよ」

「私を女と思ってないでしょ」

「逆だよ」

「え? 逆って?」

「なんでもねーよ。それよりほら、花火大会行くか? 今からでも間に合うぞ」

「花火かあ」

「嫌か?」

「行きたいんだけどね、制服で行くの嫌だな」

「まあ確かにな。だからサボろうって言ったのに」

「そうもいかないわよ。一応、受験生なんだから」

「じゃあ、これからいいとこ連れてってやるよ」

「いいとこってどこよ。まさか、変なとこじゃないでしょうね?」

「綾子おまえ、なに想像してんだよ」

「なにって! 何でもないわよ……」

「ったく、それはそのうちな」

「ちょ、ちょっと! そのうちってなによ! 私ぜったい……」

「いいからほら、行くぞ」そう言って秋谷は私の手を引っ張って教室を出た。



セミの声が右からも左からも上からも前からも後ろからも迫るように聞こえてきた。

セミの声に押しつぶされそうだ。

「ねえちょっと、どこまで歩くのよ!」

「少しは我慢しろよ、ぜったい気に入るから!」

秋谷は学校を出ると、途中のコンビニでおやつやジュースを買い込み、バスで一駅分くらいの距離をぶらぶらと歩き、私を見知らぬ山の中に連れて行った。

どこに続いているのかわからないけれど、舗装もされていない完全な山道だった。途中、ハイキングでもしているのか、大きなリュックを背負った老夫婦と、さらにしばらくしてから虫取り網とカゴを持ったお母さんと子供と思しき親子とすれ違った。

「やっぱりちょっとねえ、変なこと考えてるんじゃないでしょうね?」

「なんだよ、変なことって。具体的に言ってみ?」

「そんなの言えるわけないでしょ!」

「じゃあ外れだよ。何も考えなくていいから、黙って俺について来い」

「そんな昭和の夫婦歌謡みたいなセリフ言わないでよ」

「お前、いつもどんなテレビ見てんだよ」

「失礼ね……、どんなって……」

「ほら、ここ川、渡るから気を付けろよ」

道の途中に小さな小川が流れていた。

「え、ちょ、ちょっと待ってよ」

秋谷は「ほら、つかまれよ」と言って手を差し出してくれた。

その手につかまって川を渡ると、なぜかはわからないけれど気持ちが落ち着き、さっきからなんだか秋谷に言いすぎてるなと自分を反省した。

川を渡り切っても秋谷は私の手を離そうとはしなかった。私も別に嫌な気はしなかったので、そのまま手を繋いで歩いた。

気が付くと空は薄闇に包まれていて、木々に囲まれた山の中は空よりも早く暗くなっていった。見えはしないが、どこかに小さな川の流れる音がずっとしていた。風はなく、どこかでヒグラシの鳴く声が夜の訪れを告げていた。

「ねえ、なんだかちょっと怖い……」

「心配すんなって。俺がいるから」

私はなんだか手を繋いでいるだけでは不安で、気が付くと秋谷の腕にしがみつくようにして歩いていた。

足元が暗くなると、秋谷はどこで用意したのか懐中電灯を取り出し、足元を照らした。もしかして、最初から私をここに連れてくるつもりだったのだろうか。けど最初は、花火大会に行こうと誘っていたし、ただの偶然なのかも知れないと、それほど深くは考えなかった。

「ほら、見て見ろよ」そう言って秋谷は立ち止まり、懐中電灯の明かりを消した。

「えっ?」と言って私は落としていた目を上げて、前を見た。「うっわ、すごい!」

「な?」

目の前には、まるで蛍光の塗料をまき散らしたかのような無数のホタルが、辺り一面に静かに光を灯していた。

私は言葉を失った。

そもそもホタルを見るのも初めてだった。

それも一度にこの量だ。何百、もしかしたら何千もいるのかも知れない。そのほとんどは、木々の葉や地面に生えた草にとまってじっとしていたが、それ以外はふわふわと宙を舞いながら光るものもいて、それはまるでこの世の光景とは思えないほど美しくもあるが、それゆえ違う世界に迷い込んでしまったような例えようのない不安と恐怖をない交ぜにした空恐ろしい風景でもあった。

秋谷にしがみつく手に思わず力が入った。

「綺麗だろ?」

「うん、すごく。でも、綺麗すぎてちょっと怖い」

「怖い?」

「うん。なんだか、違う世界に連れて行かれちゃいそう」

「うん……、なんかわかる気がする……」秋谷はそう言って、なぜか怯える私の体を抱きしめてくれた。その時ばかりは私は何も言わず、抱きしめられた秋谷の胸の中で、そっと目を閉じ秋谷の静かな呼吸の音に耳を澄ませた。

「さ、怖かったら下向いてていいから、もう少し歩くぞ」

「まだ行くの?」

「ああ。もう少しだけ」

「わかった……」私はそう言ってまた秋谷の腕にしがみつきながら歩いた。

川の音が遠ざかるにつれ、蛍の数も減って行った。

それでもやはり、夜の森の中は暗く、怖いことに変わりはなかった。

私はふと、森の中に何かの気配を感じ、そちらに目をやった。

赤いホタル?

そう思って目を凝らしてみたけれど、その正体はわからなかった。

ただ、パタパタとうっすら赤い光(恐らく蝶のような昆虫のものだろうと想像した)が、しばらく私たちの後ろを付いてくるように思えたのだ。

私はしばらくその赤い光が気になり、次第に目を離せなくなっていった。

あれ、なんだろ……。

そう声に出してつぶやいたつもりだったけれど、秋谷は私の声に気づいてはくれなかった。

ねえ、秋谷。怖い……。

もう一度秋谷にそう話しかけたのに、やはり秋谷は気づいてはくれなかった。

やがて私は立ち止まった。

どうしても、その赤い光から目が離せなくなったのだ。

まるで催眠にでもかけられたように、私は徐々に、徐々に、その光の方に近づいて行こうとした。魂が吸い取られて眠りに落ちて行くような、不思議な感覚がした。

遠くで秋谷が呼ぶ声がした気がしたけれど、それは山の向こうから聞こえてくるように、はっきりと聞き取ることはできなかった。

パタパタ……、パタパタと、赤い光は私をどこかに誘うようにゆっくりと遠ざかりだした。私は抗うことができず、ゆっくりとその赤い光の後を追った。

身体の力が抜け、もはや私は自分の足で歩いているのかどうかさえ感じられなくなった。

ただわかるのは、この暗闇の中で、私をどこかに導いてくれるのは唯一この赤い光だけだと言うことだった。

「駄目です!!!」その声は、いきなり私の目を覚まさせた。

女の子の声だった。

振り向くと、そこにはまるで幽霊のように髪の長く色の白い女の子が立っていた。

「ついて行ってはいけません。あれは使者です」

「使者?」

「はい。あの世とこの世を結ぶ使者です。あれについて行っては、もう戻ってくることができなくなります」

「あなたはいったいどこから……」

「それは気になさらずに」女の子はそう言うと、ふっと姿を消した。


気が付くと、私は地面に倒れ、秋谷に抱きかかえられながら名前を呼ばれていた。

「おい! おい! おい綾子!」

「……、え……、え?」

「おい、大丈夫かよ!?」

「大丈夫って、なにが?」

「何がってお前、いきなり手を離して歩き出したかと思うと、いくら止めてもすごい力で振りほどいてどんどん歩いていっちまうからさ。びっくりするじゃねーか。挙句に気を失って倒れるしさ、いったい何があったんだよ」

「何がって、赤い光が……」

「赤い光?」

「そう……、赤い光に誘われて……」

「そ、そんなの俺には見えなかったぞ」

「だ、だって……」そこで私は何も考えられなくなり、何かの糸が切れたように大声で泣き崩れた。

「おい、大丈夫かよ……」

気持ちが落ち着くのに、どれくらいの時間が経ったのかわからなかった。

その間、秋谷はずっと私を抱きしめていてくれたようだった。

昼間はあんなに暑かったのに、なぜだか私は少し寒さを感じた。

「ごめんね、なんか変なことになっちゃって」そう言って私は何とか自分で立ち上がった。足元がふらついたけれど、それを見て秋谷が支えてくれた。

「いや、連れてきたの俺だから」

「最近ね、なんだか変なの。いろんなこと忘れちゃうし。変に憂鬱になったり、急に泣き出したり、立ちあがることができなくなったり。でも今みたいなのはね、ほんと初めて」

「いいよ、気にすんなって。翔也のこともあるから、気持ちが不安定なんだよ」

「ねえ、その翔也って人、だれ?」

「お、お前、翔也のこと……」

私は秋谷が驚く顔をしたのが予想外の反応だったので、逆に首を傾げてしまった。

「本当にお前、翔也のこと、思い出せないのか?」

「え、う、うん……」

「名前も?」

「うん。ぜんぜん……」

「そ、そっか……」

「ねえ、誰のこと?」

「いや、いいよ。今はやめておこう。そのうちちゃんと話してやるから」

「え、うん……。秋谷がそう言うなら……」

そのまま来た道を下るのかと思ったら、秋谷は「逆に上る方が近いから」と言ってさらに山道を上って行った。

しばらく歩くとなるほど舗装された道に出た。そしてその上には展望台があり、「ここから花火が見えるんだよ」と秋谷は言った。「戻る時はまっすぐ階段を下りるだけだから、こっちの方が楽なんだ」

「本当だ。よくこんな場所、知ってたね」そう言いながら、私はちゃんとした道と人工の建物を見ただけで少しほっとした。疲れた二人は少し休むことになり、展望台のベンチに座りながら、遠くに小さく上がる花火を見物した。

「去年、俺、独りでここで花火見てたんだ」

「え、そうなの?」そう言われて私は……、そう言えば、去年の花火の記憶がないことに気が付いた。きっと、誰も行く相手がおらず、家でゴロゴロしていたのだと思った。「それなら、一緒に行けばよかったね。誘ってくれればよかったのに」

「そうだな。誘いたかったな……」

「誘いたかった? 変なの……」

「ああ、そうだな。今年も綾子が一緒でなきゃ、独りでここに来ようと思ってたんだ」

「ああ、それで懐中電灯持ってたんだ」

「うん、まあな。けどまさか、綾子と二人でここまで来るとは思ってなかったよ」

「まあなんか、疲れちゃったけど秋谷にここに連れてきてもらってよかったよ。ありがとう」

「ああ、いいって」

「来年もし、秋谷に彼女がいなかったら、一緒に行こうよ、花火」

「受験生じゃないのかよ」

「一日くらい、受験生サボっても大丈夫よ」

「そんときゃ、もちろん浴衣でも着てきてくれるんだろうな」

「浴衣? 見たいの? 私の浴衣?」

「まあ、そうだな、見たい」

「珍しいわね、そんな素直な秋谷。けど残念でしたー、私は彼氏にしか浴衣は見せません」

「綾子、ぜったい俺のこと誤解してるだろ」

「そう? そうかな。なにが?」

「俺はいつも綾子には素直でいたつもりだ」

「そう……、なんだ」

「いや……、やっぱ違うかも」

「どっちよ!」

「いや、いいんだ」

「言いなさいよ」

「綾子は俺のこと誤解してる。けど、綾子に素直になれなかったのは事実だ」

「どうして?」

「そりゃ綾子に、好きなやつがいたからだろ」

「ひへ?」

「お前、また変な声出してるぞ」

「だだ、だって!」

「綾子は忘れちまってるんだよ。まあ、その話はまた今度だ」

「そ、そんな……」

「とにかく、来年、一緒に花火大会な。約束だ」

「だからそれは、秋谷に彼女がいなかったらね」

「そんなん、作るに決まってんじゃん」

「ほら見なさいよ」

「綾子が浴衣着て、俺と一緒に花火大会来てくれれば済む話だろ」

「そ、それって……」秋谷に肩を抱き寄せられ、私は言葉を失った。

遠い街の向こうで、最後の花火が打ち上げられた。

大きく丸い金色の光は展望台まで届いたけれど、目を閉じて唇を重ねていた私たちの目には見えなかった。

まあいいよね。

また来年。



おしまい

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