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「ゐーっ! 〈ムック、レオナ、まだ時間あるか? 〉」
幕間の扉から帰って、開口一番、俺はそう言った。
「ええ、大丈夫ですよ」
「問題ないピロ」
「ゐーっ! 〈ちょっと食品部で飯でもどうだ? 〉」
「畑じゃないピロ? 」
ムックがガッカリしたように肩を落とす。
く……驚かせてやりたいが、説明しないと感覚設定︰リアルに変えることはないだろうしな。
「隊長、ご安心を。この前仕留めた猪豚の余りをキーサンの肉じゃが屋に卸したんです。
ちょっとした実験ですが、ハズレはないかと思いますよ」
ナナミめ。やるな! 自分の猪豚を出汁に感覚設定を変えさせたか!
「それは楽しみピロ! 」
「私はもちろん行きますからね! 」
レオナも嬉しそうだ。
俺たちはキーサンの肉じゃが屋台に寄る。
「ゐーっ! 〈おやじ、どうだ? 〉」
───任しときな。バッチリだぜ! ───
「ゐーっ! 〈んじゃ、四人前頼む〉」
俺がお代を置こうとすると、キーサンに止められる。
───よせやい。まずは味わってくんな。気に入ったなら、商売しようや───
なるほど、自信はあるようだ。
俺は四人前の肉じゃがを手に、皆のところへ行く。
レオナは気を効かせて、冷えたビールを用意してくれたらしい。
「ゐーっ! 〈さあ、まずはシシャモの勇気に! 〉」
「「「かんぱーい!! 」」」
キュッ、と一杯。喉越しを楽しむ。
ムックはウーロン茶らしい。
うん、相変わらず俺の【全属性耐性】は仕事してる。
俺も二杯目からはウーロン茶でいいかもな。
それはさておき、肉じゃがだ。
具材はシンプルに、肉、じゃが、人参、玉ねぎだけだ。少し色味の濃い出汁がたっぷり掛かっている。
俺はこの出汁がある肉じゃがが好きだ。
じゃがいもが溶け出した出汁を最後に啜るのが、なんともたまらないと思っている。
照り照りとして形のハッキリ残るじゃがいも。
箸を入れればひと欠片たりとも煮崩れていなかったように見えるじゃがいもが、くしゃりと壊れる。
俺はたっぷり目に入っている玉ねぎをひとつまみ、じゃがいもの欠片を包むようにして口に運ぶ。
くぅっ!……色味は濃いくせに、なんて優しい出汁の味だ。
ホロホロと口の中で崩れるじゃがいもの確かな風味、出汁に含まれる猪豚の旨味と脂がちゃんと中まで浸透したいるのが分かる。
そして、甘味。これは砂糖じゃ出せない玉ねぎの甘味だ。
シャクリ、と玉ねぎには芯が残っている。
この音が心地よい。
ムックなどは、真っ先に肉から口に運ぶ辺り、まだ若い。
だが、おっさんには、このじゃがいもの風味、玉ねぎの優しい甘さ、そして染み込んだ猪豚の旨味と交わる出汁の広がりこそが至福だ。
はふっ、はふっ、と口から熱を逃がす。
ビールをひと口。
魔法の粉から作った安物ビールの苦味と肉じゃがの出汁が口の中で溶け合う。
くぅぅ……。つい唸るほどに喉が鳴る。
次は人参か、それとも湧き上がる衝動に身を任せて、肉に行くか。
「はぁ……なんですかね、このホッとするお味は…… 」
レオナが蕩けたような顔をしている。
俺は思い切って、人参と肉を併せて口に入れる。
人参の甘味が肉のしっかりとした肉肉しさと合わさって、口の中を踊る。
これは肉の荒々しさを感じる。
甘味の中から顔を出す肉の旨味を出汁が結び付けている。
まさか、人参と肉だけでこれだけパンチがあるとは。
じゃがいもと肉の組み合わせにしたら、どうなるんだ?
くっ……ビールじゃ物足りなくなってきた……この出汁を際立たせるのは日本酒か?
いや、米だ! 日本酒特有の辛味に併せるのも魅力的だが、今は大地に包まれたい気分だ。
俺はキーサンのところへ向かう。
「ゐーっ! 〈おやじ、米だ! どんぶり飯をくれ! 〉」
───ふっ……なら、最後でいいんでコイツも試してみな───
キーサンが出して来たのは、堅く焼きしめた黒パンスライスだ。
「ゐーっ! 〈おい、おやじ、分かってねえ、分かってねえよ。ここまでの仕事をするやつが、なんだって黒パンなんだよ…… 〉」
俺は、ガックリと肩を落とす。
───能書きは食ってみてから、だろ?
オススメはこのスライスに芋を潰して、上に肉だ───
「ゐーっ! 〈まあ、そこまで言うなら試してみるが……日本人の舌は厳しいんだぞ…… 〉」
半信半疑で黒パンスライスを持っていく。
肉じゃがは、その名の通り、肉とじゃがの組み合わせこそが重大だ。
肉とじゃが。肉の旨味を受け止めるじゃがとそのホクホク感。さらにはじゃが特有の風味が混じり合って、出汁という襷を繋ぐ。
肉じゃがの魅力だ。
ここに米の甘味と香り、食感を足そうという日本人の業の深さよ。
古い人に言わせると、今の米はもっちり感と甘味が足りないらしいが、現状で俺は魔法の粉製の米に満足している。
舌が慣れているせいか、米といえばニューラグーン製粉の物が好きだ。
そして、キーサンの店の米はニューラグーン製粉の物を使っているのはチェック済だ。
やばい、止まらなくなるな。欲を言えばみそ汁が欲しくなるが、この肉じゃがはご飯のおかずとしても最上級だ。
「ぼ、僕もご飯貰って来るピロ! 」
「私も」
「あ、わ、私も少しだけ…… 」
ムックもナナミも、レオナでさえも、ご飯の魅力に負けたようだな。
この出汁が多めに掛かっているのが、ご飯にワンバウンドさせた時に最高なんだよ。
汁を吸った最後のご飯を口に運ぶ。
おっと、つい白米の魅力に負けて、ご飯を終わらせてしまった。
いちおう、黒パンスライスのために、少しだけ肉じゃがを残してあるが……合うのか?
残すのも気が引けるし、試すだけ試してみるか。
黒パンスライスの上部は少ししっとりしている。バターか。
俺はキーサンの勧め通り、芋を載せて潰す。
最後に残った肉を載せる。
……まあ、渡した材料から言って、まだあの鍋には残っているだろうし、ここまででかなりの満足感だ。
この黒パンスライスが合わなくても問題はない。
そう思いながら、俺は黒パンスライスに齧りつく。
それまで俺は大地に優しく撫でられているような満足を感じていた。
だが、これは違う。
大地の往復ビンタみたいなもんだ。
和食だと思っていた肉じゃががバターに包まれた瞬間、獰猛な牙を見せる。
暴力的なコクと硬い黒パンの『噛み砕け! 』という指示に俺の顎が軋みを上げる。
ザクリ、とした黒パンの硬さを噛み締めるとバターのコクが襲って来る。
だが、その奥には確かに慈母のような優しい甘味のじゃがいもがあり、それを補佐する猪豚の旨味がある。
そして、それらを繋げているのは、しっかりと旨味を蓄えた出汁だ。
やめろ! 俺はもうオッサンなんだ!
こんな肉ポテトバーガーみたいなジャンクは胃が悲鳴をあげちまうっ!
そう思うものの、俺の顎は硬さを噛み締めるように、バターの塩味によって際立つ甘味を求めて肉ポテトを飲み下す。
「ゐ……ゐーっ! 〈や、やるじゃねえか、おやじ……まさか、こんな若かりし頃を思い出させてくれるとはな…… 〉」
俺は口元に垂れたバターと出汁の混合物を、ペロリと舌で舐めとった。
「ハグハグハグ…… 」
「凄い! 洋食になりましたよ! 」
「う〜ん。前からNPCドールの可能性に着目していましたが、これはもう食材次第で革命が起きるレベルです…… 」
俺たちは最後の一滴まで出汁を啜り、満足した。
今日はもういいかと思っていた畑での怪人世界産食材を収穫するくらいに。
さらに言うなら、天然食材を減らしてまでも怪人世界産食材を増やしてしまった。
「グレンさん、そのドローンを一台、貸して貰えませんか? 」
「ゐー? 〈どうするんだ? 〉」
「研究して、全自動化を目指します! 」
レオナの目がやる気に満ちていた。
「ゐーっ! 〈マジか!? やれるなら、大分、楽になるな…… 〉」
「これでも本業は生産職ですからね! レギオンレベルも上がってますし、やれると思います! 」
「ゐーっ! 〈おう、頑張ってくれ! 〉」
「あ、そう言えば大部屋の大画面にも出てましたけど、明日の『作戦行動』は参加しますか? 」
「ゐーっ? 〈作戦行動? 時間は? 〉」
「夜、八時からですね」
「ゐーっ! 〈それなら行けるな! 〉」
「じゃあ、予約入れておきますね! 前回、敵戦闘員殲滅部隊だった人は優先予約できますので」
なるほど、つまり経験値を諦めた補填というやつか。
「ゐーっ! 〈また野菜、売るか? 〉」
「いえ、今回は戦争に向けた作戦行動なのである程度めぼしい方に声を掛けてありますから、人員は足りると思います」
戦争に向けた作戦行動ね。どんな作戦になるか楽しみにしておくか。
帰りにまた、レオナに頼んで水田用と蓮根用の土地を買って貰った。
金はあるんだよな。俺。




