402〈終わりのはじまり、終わりの終わり〉
神々の凋落。
大いなる者と讃えられた彼らは、理を得て、神と呼ばれた。
神はその理に合わせて、様々な権能を示す。
それは、人々の祈りによって作られ、祈りを集めるために振るわれた。
だが、神は永遠に近しくも永遠ではなかった。
人はその短命ゆえに、移ろい変わりやすく、時と共に祈るべき神は変遷を迎える。
神は人と共にあるものではなく、人のためにあるものだった。
祀られぬ神はまつろわぬ神となり、死す。
人に必要とされなくなった神、人に寄り添えなくなった神に待つのは、黄昏の時だ。
それは、終わりの灯火のように、強く光って消え行く。
明く、明く、沈んでゆくのだ。
父が皮肉げに言った。
やつらは終わりだ。いや、終わるべきだ。
そうだろう?
お前のために兄は鎖に繋がれ、妹は死者の国に繋がれている。
全てはお前をこの海の底に縛り付けるためだ。
お前たち兄妹は全員が愚かだ。
お互いをお互いの足枷にして、繋がれている。
誰か一人が足枷をちぎれば、全員が自由になれると言うのに……。
兄妹のために外に出る気概もないのか?
「なんでそんなことに……」
僕は悲しみでどうにかなりそうだった。
でも、この悲しみを流すための涙も、海の底では流れない。
涙も波のひとつとして、寄せては返すだけだ。
聞け。我が息子よ。俺のことはいい。
だが、兄と妹はどうする?
そこで流せぬ涙に思いを馳せて、終わりか?
兄と妹の足枷になっている自分を嘆くだけか?
「い、いやだ! 僕はそんな自分、いやだ!」
ならば、兄を想い渦を巻け!
妹を想い波を立てろ!
雷神から受けた屈辱をすすげ!
大いなる海に落ちる雷の無力さを教えてやるのだ!
「兄さん! ヘル! 僕が行く! 僕が行くよ!」
我知らず、僕は叫んでいた。
俺も行こう! 息子の立てる波に乗って!
大いなる者たちの先導者として!
父が勇壮な雄たけびを上げる。
兄妹に言わせれば、父を名乗る扇動者、神に連なる裏切り者かもしれないが、その時、僕ははじめて父に必要とされた喜びに、たしかに打ち震えていた。
「終わりを始めるのは、僕だ!」
それは巨大な蛇だ。まるで、その場にいたかのように俺には見えた。
三人の予言者。
彼女たち紡ぐタペストリーにそれは描かれていく。
海が荒ぶり、俺の毛皮を濡らす。
そして、新たに場面は描かれていく。
「ああ、愚かな兄さん……あの扇動者に乗せられたのね……でも、この日は予言されていた。
ならば、私も行かないわけにはいかない。
あのひとつ目が集めた永遠の戦士たち。
その戦士たちのために藁の死を被った非業の者たち。
死者の戦士を持つ者がお前だけではないのだと、私が教えましょう……。
行くわよ、ガルム」
そうして、私は死者と死者たちの無念を集めてできた最凶の番犬を連れて、国を出ようとする。
私の半身は死に侵されて、光の元ではこの半身が動かない。
だから、ガルムが必要だった。
ガルムに跨り、その毛に顔を埋めると、少しだけ兄を思い出す。
弟妹想いの兄。想う相手が弟妹しかいない兄。
もう少し上手く生きられればと思うが、それは私も同じだった。
ヴィーザルやマグニに従っていれば、兄たちと暮らすこともできたかもしれない。
別にこの身を投げ出してでも、兄たちがいればそれでも良かったのだ。
ただ、兄たちはそれを許さなかった。
それが嬉しくもあり、悲しくもあった。
そんな兄妹だからこそ、兄が始めたなら私が動かないなど有り得ない。
私はガルムの首筋を撫で、前進を促した。
私の国、ニブルヘルと極寒の国ニブルヘイムを繋ぐ橋にひとりの戦士が立っていた。
養父だった。片腕を兄に与えた最強だった戦士。
今では見る影もない『最強』の肩書きが虚しく寒風に揺れているように見えた。
その元『最強』と私は対峙する。
「ヘルよ! お前なら分かるはずだ。
例えどれほどの力がお前たちに備わっていようと、お前たちは勝てない。
止まれ!」
「それで妾が止まると思うてか!
行け! 我が死者たちよ!
我が権能によって、光を押し留めん!」
私に備わる権能。夜を齎す力。
陽の光を覆い隠して、死者たちを進める。
「スコルを動かしたか!
あくまでも敵対すると?」
「我ら兄妹は、生きるも死すも同じく別ける。
兄妹は仲良く手を取り合うものだと教えたのはテュール、お前だ!」
「何故分からぬ!
死して後、ヘルヘイムを治める者が変われば、全てが消える。
お前が死者の国の女王になったのは、意味があるのではないのか?」
「知らぬな……兄が立つなら、妾も立つ、それが我らの生き方だ!
それ以外、知らぬ! そこまで追い詰めたのは貴様ら神々ではないか!」
「くっ、それは……だが、耐えろ、ヘルよ!
お前が死者の国を治める限り、死して後、ようやくの安寧が訪れるのだ!」
「安寧? ヘルヘイムを見たか父よ。
氷と闇に覆われた死に満ちた世界……そこに安寧があるとでも?
オーディンはエインヘリャルを集めるためにミズガルズに戦乱を放ち、戦乱は多くの死者を生んだ。
怨嗟と絶望に溢れる国に、安寧などないのだ。
妾の望みはひとつだけ。兄たちにもう一度、まみえることだけだ……。
その為なら、この終わりを終わらせる力をどこまででも振るおうぞ!」
養父は震えていた。私の怒りによってではなく、悲しみと絶望に震えていたのだ。
「ならばもう、問答は良い。
そこまで頑固に育ててしまったのも、私の不始末。
この命を賭してでも、お前は通さん!
ぬおおおおおおおぉぉぉっ!」
「全ての無念の終着よ、我が最凶のガルムよ!
あの痩せ衰えた老骨を喰らえ!
喰ってヘルヘイムを見せてやれ!
そして、妾を兄たちの元へ!」
「グルォォォオオオーーーンッ!」
あれほど勝てぬ戦いはするなと言っていた養父が、ヘルとそれを乗せるガルムへと立ち向かっていた。
戦いは千日手に陥りそうだった。
予言者が見せるタペストリーは、予言ではなく今だ。
そう、これは今なのだ。
ヨルムンガンドが父に唆されて、ヘルはそれを理解していながらも呼応した。
俺はここで鎖に縛られ、脳天を貫かんとする鋼に怯えるだけなのか?
何故、これを見せた?
俺は予言者の姉妹『ノルニル』に聞くべく唸る。
「終わりがはじまり」「終わりが終わる」「足りない糸を紡がねば、布は織れぬ……」
過去と現在と未来を見る『ノルニル』が俺の前で紡ぐタペストリーは全て一本の縦糸で繋がっている。
織りかけのタペストリーは横糸が足りていない。
鋏を持つ『ノルン』が俺の前に進み出る。
「我が権能により、その鎖は断ち切れる。
我らに糸を……」
「糸を紡ぎ……」「歴史を織る……」
俺を縛るのは、鎖ではない。俺を脅かすのは鋼の剣ではない。
弟妹たちへの想いなのだ。
終わりがはじまり、終わりが終わるのなら、俺はこの『ノルニル』たちの使命に応えねばならない。
彼女たちは歴史を織るための存在だ。
未来を織らねばならないから、ここに来た。
その鋏は、俺の鎖を断ち切る鋏ではない。
俺はそっと鋏持つ『ノルン』を鼻先で押しやった。
それから、天に向かって気炎を吐く。
腹の奥底に渦巻く黒い炎を解放する。
鋼の剣は溶けて消え、俺は歩き出す。
ぶつりっ、ぶつりっ、と俺を縛る鎖は細糸のように弾けて切れる。
ヨルムンガンドとヘルが動いたことさえ知れたなら、鋏など必要ないのだ。
簡単だ。我慢をやめればいい。
「おお……糸が紡げる……」「なんと禍々しくて、鮮やかな糸か……」「未来が……」
『ノルニル』たちを尻目に、俺は炎を撒き散らしながら、走ったのだった。
全身がびしょ濡れだ。
悲しくて、それが狂おしい程の怒りを燃え上がらせて、そうして俺は目が覚めた。
「夢か……」
おそらくはガチャ魂が見せた夢だ。
北欧神話で言うところの『神々の黄昏』のはじまり。
夢だが、夢ではないのだろう。
ラグナロクの概要は知っているはずだが、やけに生々しく、微妙に俺の知る神話とディテールが違っている。
「くそ……また掴み損ねたな……」
俺の理が何なのか、いや、フェンリルの理が何なのか、まだ俺には分からなかった。
俺が想像していた『終わりのはじまり』はヨルムンガンドの、『終わりの終わり』がヘルの理だとしたら、フェンリルは?
ふたつめの予言が俺には分からないままだった。
スコルとハティ……北欧神話において、スコルは太陽をハティは月を飲み込むと言われている。スコルとハティは狼の姿をした巨人族。だが、別の説では、フェンリルが太陽を、マーナガルムが月を飲み込むという話もある。
エインヘリャル……北欧神話において、主神オーディンがラグナロクを乗り切るために集めた永遠の戦士たち。これを集めるためにオーディンは世の中に戦乱を振り撒いたとされている。戦いの中で勇敢に死んだ者の魂であり、オーディンの館で永遠の戦闘訓練をやらされるが、これが天国という人々が世界にはいる。
ミズガルズ……アースガルズというアース神族の住む高台の世界の周りにある人間の住む世界。
ガチャ魂同士の関係性などは、完全に作者のフィクションです。いちおう、念の為。
気になる人は、北欧神話をチェック! チェック!




