391〈ネオとの秘密協定〉
「こんなところですまないな。野草茶くらいしかないが……」
アダムは自家製の雑草を天日干しにしたお茶を振る舞おうとするのを、レオナが止める。
「アダムさん、どうせなら、こちらを味わってみませんか?」
レオナが取り出したのは、いつもの大首領様謹製のファンタジー産地紅茶だ。
思わず、俺とアダムは同時に生唾を飲み込んだ。
「おかしなものだ。記憶には残っているのに、味は思い出せない。ただ、それは幸せなものだと私は知っている」
レオナの出す紅茶をひと口飲んで、アダムは唸る。
「んむ……なんと言うか、口から全身に溢れるこの香り……そして、舌を刺激する苦い部分と甘い部分が、飲み込んだ後の空気に合わさり、さらに香りを引き立てる!」
アダムが紅茶を楽しむ様子をレオナが楽しそうに眺めていた。
その後、皆さんもどうぞ、とレオナが全員分の紅茶を用意する。
俺は護衛として来ていることを暫時忘れて、相好を崩す。
さすが、レオナだ。分かっているな。
「ゐーんぐ……〈フルーツを思わせる芳醇な香り……そして、渋味により甘味を感じるだけでなく、飲み込むと、後を引く旨味がたまらないな……〉」
「ふふ……グレンさん、アダム氏と同じこと言ってますよ!」
シシャモが笑う。
「ゐーんぐ……〈俺の方がもう少し高尚なこと言ってるだろ……〉」
「まあ、楽しんでいただければ私は満足ですから……」
レオナはにこにこと応じる。
アダムの護衛、名前は浅瀬るというらしいが、彼も「うまい! これはうまい!」と喜んでいた。
浅瀬るはおそらく、ヒーローを元にした『シュリンプマン』なのだろう。
肌の色がメタリックシルバーだ。
ある意味、昔の人々が考えていた、肌の色が違う宇宙人という感じだ。
ひとしきり、お茶を楽しんでから、本題に入る。
「さて、聞いたお話では、共闘の可能性があるとか?」
「ああ、我々の望みは簡単だ。人としてこの世界で生きたい。そのためには『人間アバター生成技術』が欲しい」
「……なるほど。ですが、我々と貴方たちガイガイネンは、そもそもの考え方にかなりの乖離があります。その点はどうお考えですか?」
「それは、人の皮を被ったところで、人間社会での生活に不可能があるという意味か?」
「端的に言えば、そうなります」
「ふむ……例えば、我らが『ネオ』となった後、変わったことがある。
簡単に説明すると、我らにはこの世界での記憶が百年分、湧き出るように生えた」
「生えた?」
「もちろん、この世界での我らの歴史はようやく一年目になろうとしている程度に過ぎない。
だが、ある時から、この世界で過ごした百年分の記憶が我らの中に存在している」
「それが『ネオ』になった後、ということですか?」
「そうだ。まるで本来の記憶を保ちながら平行世界の世界線を跨いだような、もしくは今から百年前に時間移動してやり直して来たかのような感覚と言えばいいか……」
俺はアダムの話を聞きながら、思わず考えていた。
百年後の未来世界が『リアじゅー』だとすると、現実との関わりはどうなっているのか。
例えば、『リアじゅー』で得たスキルを俺は現実世界で超能力として発揮している。
それは未来世界から現在世界に技術を持ち帰るようなものだ。
ただ、そうなると未来世界には百年前から超能力が存在していたことになる。
つまり、リアルスキル、発動前と発動後の未来世界は同じではないはずなのに、俺たちの『リアじゅー』は変わっていないように感じる。
だが、今のアダムの発言からすると、変化はあって、ただそれを俺たちプレイヤーが認識できていないだけという可能性がある。
ああ、そうだ。自分のバカさに思わず鼻で笑ってしまう。
『リアじゅー』を運営しているのは、超A.I.である浮遊都市の中枢、『ユミル』や『ガイア』であって、元からあの超A.I.に倫理観を求めるのが間違いだ。
なにしろ、玉井や白せんべいは、云わば生体部品として組み込まれているし、そもそも『リアじゅー』運営なんて、ろくなもんじゃなかった。
つまり、俺たちプレイヤーの認識をずらして違和感を消すための脳操作くらいは、やって当たり前だった。
「なんで笑った?」
アダムの護衛の浅瀬るが訝しげに俺を見る。
「ゐーんぐ……〈いや、失礼した。アダムの発言を笑ったんじゃない。ここの運営をちょっとな……それと、自分のバカさ加減か……〉」
「いいんだ、浅瀬る。私の元となった男には、こういう側面もある。自己否定を挟まないと己を保てない弱さだ」
「なるほど……」
「ゐーんぐっ!〈俺のコピーに言われたくねーよっ!〉」
思わず俺は指摘するが、アダムはそれをどこ吹く風と受け流す。
「図星だからか。安心しろ、私は生まれた時からお前とは別のモノとして派生している。
嫌ならお前も変化を厭わないことだ」
ぱくぱく、と俺は声にならない叫びを胸の内で吠えた。
危ない。ギリギリで抑えられた。
相手は俺のコピーだが、アダムだ。
交渉相手にキレてどうする。
そこでレオナが話を続ける。
「つまり、その突然、生えた百年の記憶があるから人間社会の複雑なルールの中でも生きていけるということですか?」
「まあ、そうなる。もっとも、人の世に慣れるのは、時間が必要だろうとは思う。
我ら『ネオ』も多様化が進み、個体としての考え方はひとつではなくなってきた。
より我らの生存を優先して、侵略の道を行こうと主張するものもいる。
まあ、我らは中でも、人間の生活様式に憧れて、人の世の中で生きたいと考える一派と思ってもらえれば良い」
「ガイガイネン全体の意志ではないと?」
「元々、我らは群体としての意識が強かった。だが、私や彼のように模倣人格として進化した時、個という考え方が生まれた。
最初、模倣人格のみにあった個という考え方は、いつしか全てのネオに行き渡った。
それからだ。人の世に憧れを持つモノが増えたのは……私はその代表として来ている」
正直、意外だった。
『ガイガイネン』は一枚岩だと思っていたが、内部で起きた変化により多様性を持つようになっていたらしい。
話し合いが進み、まず最初に五人〈五匹ではなく、人の世で暮らすことを望む以上は、人として数えるべきだろう〉に『人間アバター』を与え、様子を見ることになった。
その見返りは、『ネオ』からの戦力貸与である。
これは秘密の協定だ。
『ガイガイネン』に『人間アバター』を与えることは、公になれば様々な波紋を呼ぶだろう。
俺たちはお互いに沈黙の誓いを立てて、その場を後にするのだった。




