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俺は何故、飛び出してしまったのか。
尾上さん、いや、にこぱんちとは決別したようなものだ。
会長から渡されているクレジットカードで、量販店のスーツを買い、製薬会社ビルの前まで来て、そんなことを考える。
いや、そもそも、あの白せんべいの通信だか暗号だかには『いつ』が抜けている。
今なのか、明日なのか、それとももっと先のことなのか、それすらも分からないのだ。
だと言うのに、勢いだけで来てしまった。
「神馬さん……?」
ビルを見上げて、ここまで来たはいいが、どうしようかと考えていると、名前を呼ばれた。
俺のすぐ横に、尾上さんが立っていた。
「あ……」
尾上さんは無事だった。そして、『いつ』なのかが判明した。
おそらくは、『これから』なのだろう。
尾上さんは問答無用で俺の手を取ると、三棟離れたビルの路地裏まで引っ張っていく。
「何してるんですか、ここがどういう場所か知ってるんですか?
それにそんな無防備に出歩いていい立場ではないでしょう……狙われているんですよ、もっと気をつけて下さい!」
「尾上さんこそ、なんであのビルに?
Bグループの拷問施設ですよ?」
「なっ……そんなことまで知っているんですか?
……はぁ。ハッカーでも雇ってるんですか?
犯罪で証拠を得ても、証拠にならないんですよ」
尾上さんは肩を落として、俺を恨みがましく見てくる。
その反応を見て、俺は尾上さんが俺の話を信じてここまで来ているのだと感じた。
「もしかして、証拠を掴もうとしてここに?」
「ええ、正しい方法で言い逃れできないように追い込むのが自分のやり方ですから」
なるほど、尾上さんはこれが罠だと知らずに内部に乗り込んで、そのまま……。
「いいか、これは罠だ。
あんた、殺されるぞ」
俺は下手に取り繕うのを止めて、単刀直入に事実を突きつけた。
「ふん、上等!
下手なことをすれば、連中は自分で自分の首を絞めることになります。
それに自分は、簡単には殺されませんよ」
「いいや、殺されるよ。
ウチのテレパスとスーパーハッカーが出した予言だ。
それくらい、この問題は根が深いんだ!
あんた一人、始末してもなんとかできるくらいにな!」
「予言?
それを信じろと?」
「ああ、Bグループによって能力開発され、超A.I.ユミルと同化したやつらが出した答えだ」
俺と尾上さんはビルとビルの隙間で口論に及ぶ。
人通りがないのが救いだ。
「ユミル? 浮遊都市計画の?」
「そうだ。Bグループがユミル内部に実験施設を作っていた」
「そ、そんなことまで……」
「ああ、俺たちの組織はそれを突き止め、拷問による超能力開発と情動操作を繰り返されていた人たちを強奪に行った。
そこで一人のテレパスが自分の未来視を信じてユミルと融合したんだ。
そうすることで、ユミルは超A.I.として世界を創造する力を得た、時間を超越してな。
そうして生まれたのが『リアじゅー』だ。
もっとも、百年先の未来でだけどな」
「百年先の未来?」
「今のユミルを空から眺めると分かるよ。
あそこは『リアじゅー』内だと『シティエリア』の新フィールドって呼ばれている。
たぶん、ガイアは旧フィールドと同じような区割りがされているんじゃないか?」
「なんだって!?」
尾上さんの目が驚愕に見開かれる。
それに俺は少し意外だな、と感じつつも続ける。
「尾上さんはAグループだろ。分かるんじゃないのか?」
「自分は……神馬さんの所とのプロジェクトが始まってから、Aグループには殆ど関わっていないんだ……」
う、そうか。たしかに付きっきりで勉強させてもらったりしたな。
「とにかく、Bグループはそれから、マギクラウンを作った。
そして、ユミルを好き勝手動かせるマスターコードを手に入れた。
覚えてないか?
マギクラウンがNPCを使った非道な実験をしているだとか、そんな噂が流れた頃だ……」
「なんだと……そんな……矛盾だらけじゃないか……」
尾上さんは自分の額を抑えて、何が本当か考えているようだった。
「細かいことは、俺にも分からない。バカだからな。
ただ分かるのは、『リアじゅー』が百年先の未来で、今という時代と密接な関係にあるってことだけだ……。
だから俺たちは、もう一度、ユミルに乗り込んで、マスターコードの使用をやめさせ、超A.I.ユミルへのアクセス自体を封印したんだ。
一人のスーパーハッカーが超A.I.ユミルと融合することによってな……」
「つまり、ユミルのA.I.が二人の人間を呑み込んだ、と?
そんなことがあれば、自分の耳に入らないはずがない!
その話が本当だとしたら、今、ユミルは誰からの制御も受けない状態ということだ。
国家プロジェクトだぞ。それが暴走状態になっているとしたら……」
「暴走していないんだろ?
別に国家プロジェクトを止める必要はないんだ。百年後、『リアじゅー』のシティエリアがあの状態ということは、国家プロジェクトは遂行された。
そして、この先のどこか、未来の時間でこの国はダメになった。
そういうことだろ?」
「ダメになる?
何故だ? 原因は?」
「隠されている。『リアじゅー』で分かる未来は、この国はいつか『ガレキ場』と呼ばれるようになって、人々は『シティエリア』で生きている。
それだけだ。
与太話だと思うなら、Bグループは人体実験をしていないし、国家権力が裏で糸を引いていることもない。
つまり、俺が、尾上さん……アンタに吹き込んだ、でっち上げに過ぎないってことだ。
それなら、あのビルに昇る理由もないだろ」
「また、そうやって自分の覚悟を問うのか……。
教えてくれ。何故、自分にそこまで話す?」
「アンタが恩人で、友人だからだ……。
死んで欲しくない」
俺は尾上さんの瞳を真正面から見つめる。
偽ざる気持ちだ。
俺から友人呼ばわりされるのは、色々と思うこともあるだろうが、ここは嘘を吐く場面じゃない。
尾上さんも、俺の目を真っ直ぐに受け止める。
その真意を、探るような色が見える。
やがて、尾上さんは言った。
「分かりました。ここに来るのは時期尚早だったようですね。
ついてきて下さい。どうせあなたは死んでる身だ。時間はありますよね。
自分を友人だと思っているなら、そこらでお茶でもしましょう。
聞きたいことは山ほどある」
尾上さんは俺に背を向けて歩き出した。
俺はそれに並ぶ。
「ええ、死んだ身ですからね。
定職もないんでお供しますよ。もちろん尾上さんの奢りでね!」
「いやいや、今回は奢りますけどね。
あなた、大農園の大富豪でしょ。
次は頼みますよ!」
「いいですよ。一本三百万ゴールドのヴィンテージワイン、奢りますよ」
「ハハッ、それは剛毅だ!」
こうして、俺は尾上さんを予言から救い、また新たな友誼を結ぶのだった。




