226〈はじめての大日本引越しサービス社〉
ログアウト後、静乃にレポートを書こうとしたら、会議内容は書かなくていいとの連絡が入っていた。
聞いたら面白くないからだそうだ。
まあ、俺からの情報漏洩を疑われないようにという配慮もあるのだろう。
なので、一度全部書いてから、重要そうな部分を割愛するという二度手間なことをして、レポートを送った。
今までの習慣で、ひと通り書かなくては気が済まない癖がついていた。
たまに自分で見返すと、新たな発見があったりするものだ。
静乃からは『郊外』エリア緩衝地帯化計画に問題があると指摘された。
今、プレイヤーたちがこぞって畑作りをしているせいで、少しずつNPCの流入が起きているらしい。
いわゆる、地域の活性化に繋がっているそうだ。
そうなると、『作戦行動』が起きる可能性が出てきて、ヒーローレギオンもパトロールを送ってくるということらしい。
困ったものだ。
これは対処のしようがない問題なのでどうにもできない。
問題が起きたら、畑を持つプレイヤーがそれぞれにできることで協力するのがいいのかもな。
そして、翌日。
金曜日だ。
今日は前回、事故が起きて中断した新型車両の社内お披露目のやり直しだった。
今回こそは、と開発チームも気合いが入っているらしく、整備は万全ということらしい。
その成果はまずまずのものだった。
営業部としては引越し業者に狙いを絞り、売り込みをかけようという話になり、手分けして引越し業者を当たる。
来週、土曜日に今日のようなデモンストレーション会を行い、購買意欲を煽ろうという作戦になった。
大手企業が見に来てくれれば、中小企業も食いつく。
まずは大手企業のトラのマークで有名な企業を当たろう。
『トラ、トラ、トラ、我、引越しに成功せり! 貴方に電撃作戦のような引越し体験を!』という看板を眺めながら、大日本引越しサービス社を訪れる。
ようやく顔の腫れも引いたので、営業再開だ。
プレゼンは上々、素早い引越しを売りにしている会社に、更にスピードと丁寧さを提供できるという話は、それなりに効果があった。
部長に手応えありと伝えると、今日は直帰してよしとのお達しが出たので、どこかで外食してから帰るかと、周囲を見回す。
意外と大通りから一本、奥に入った道なんかに隠れた名店があるんだよな……。
さらっと天然食材を扱った店でもないだろうかと、嗅覚を研ぎ澄まさせる。
ああ、こっちの脇道でも行ってみるかとフラフラと歩いて行く。
トラ……人?
ああ、タイガーなマスクの……凄い目が合っている。
大日本引越しサービス社の近くだから、かな?
サッ、と目を逸らす。
「ぐるる……」
なんか、ヤバくないか?
チラ見する。
「グルアアアァァァっ!」
瞬間的に昨日のニュースが頭の中で蘇る。
ネコ科のデザイナーズチャイルドが大学の研究室から逃げ出して……。
ここは山を挟んで隣県で、まさか、いやいや……。
本能的に赤いラインを避ける。
ギャリギャリ、とコンクリート壁が俺の後ろで抉れる。
マジか!
タイガー人間の瞳の光が揺れる。
こっち見んな!
「グガアアアッ!」
牙が迫る。
「ぐがあああっ!」
がきっ! と音がして俺の首を狙った牙が、より大きな牙で防がれる。
【サーベルバンパー】だ。
俺はタイガー人間に覆い被されるような体勢で地面に背中を打ちつけた。
この野郎……とヤツを睨む。
「グルァッ!?」
ヤツが困惑の声を上げる。
襲って来ておいて、何を!
ヤツの腹に足を置いて、引っ剥がす。
ドムッ! と音がして、ヤツが吹っ飛ぶと同時に、俺の身体からMPが抜けていく感覚がある。
「グ、グルルルルゥ……」
───ワータイガー〈DC〉があなたの群れに入りたそうにしている───
はっ!?
正気に返って、自分の顔に触れる。
なん……とも、なって……ない……。
良かった……。
スキルが発動したような気がしたが、気のせいか。
白昼夢でも見ていたか?
「ガウ……」
うおっ!? 目の前に人型の虎、ワータイガーが!?
いや、だとしたら白昼夢は……。
だが、今はそれよりも目の前のこれだ。
ワータイガーが、その場に座って、両手を地面について、座り込んだ猫みたいに、じーっと俺を見つめている。
何かを願うような瞳だ。
俺は恐る恐る近づいて、手を伸ばす。
その手をワータイガーがザラザラの舌でペロリと舐めた。
また、俺の身体からMPが抜けていく感覚が……。
「危ない! 離れて下さい!」
そんな声が聞こえて、銃声が響いた。
───テイムに成功しました───
そんな声が聞こえたような気もするが、俺は誰かに後ろから抱えられ、地面に引き摺り倒され、ワータイガーは悲痛な叫びを上げて、その場に倒れた。
その後はもみくちゃだった。
都市迷彩の軍人が現れて、ワータイガーを車に載せて、俺もまた救急車に載せられ、近くの病院に運ばれた。
「いやぁ、危なかったね。隣県から逃げ出したデザイナーズチャイルドがこっちまで来てて、都市部をさまよってたなんてね……。
でも、軽傷で済んでラッキーだよ、あなた。
下手したらデザイナーズチャイルドに食い殺されてたかもしれないんだから……。
まあ、詳しい話はするなと言われているから、さわりだけ説明するけれど、その前にまずは、今回のことは申し訳ないですね」
「はぁ……」
軽傷は都市迷彩の奴らに引き摺り倒された時に負った怪我なんだが、この人に言うことなんだろうか。
この人、隣県の大学の研究員だという中裃という俺と同世代くらいの男は、寝不足そうな瞳を擦りながら説明した。
「あれね。まだ研究段階なもんで、お話できることが殆どないんですけれど……まあ、遺伝子組み換え人間ってやつね。
まあ、元が動物だから遺伝子組み換え動物なんじゃないのか、とか、そこら辺は色々と議論が絶えないところではあるんだけれども……人の形をして、人の言葉を理解して、人の代わりに労働力になるなら人間でいいじゃないと、思うんだ。
その辺り、分かるよね?」
「はぁ……」
「そんでまあ、遺伝子組み換え人間には情動操作っていう、ある種の学習が必要になる訳だけれども、ちょっとした手違いで檻が開いちゃってまあ、色々と問題になっちゃった訳で……ああ、問題と言っても、ウチの研究のせいじゃなくて、お役人が分かってないのが問題なんだけれども、いや、並行してふたつの研究に金を出すのは難しいから、どっちが優秀か見極めるだとかなんだとか言ってだけれども、そんなの最初にこっちに金出してたんだから、後からのぽっと出なんかに金出す余裕があるなら、こっちに回せってことなんだけれども、お役人はすぐ成果、成果って、試行錯誤に金が掛かるってことが分かってない訳なのよ。
その辺り、分かるよね。
人の進化が先だとか、動物の進化が先だとか、ウチの研究の意味が分かってないのが問題な訳で……ええと、何の話だっけ?」
「知らんがな……」
大人しく説明を聞いておこうと思ったら、愚痴っぽくなって暴走し始めたので、つい、突っ込んでしまった。
「ああ、そうそう、なんでこうなったかの話だったよね。
ええと、AグループとBグループってのがあって、ウチらはAグループで先に研究してたんだけど、後から来たBグループが人の革新とかなんとか……まあ、超能力に目覚めた人間のその先を研究するとか言い出して、ウチの情動操作の研究結果を寄越せとか言って来て、それならウチに金を出すのが筋って話でしょうということをやんわり伝えたら、どっちが優秀か試すとか、優劣じゃないだろうに、そんな話で……」
俺のツッコミはこの中裃氏の情動に一切の変化を与えられなかったようで、仕方なくいつ止まるのかと聞いていると、扉がノックされた。
「中裃さん、すまないがそろそろ……うおっ、あんたはグ……」
扉を開けて入って来た軍人が俺を見て驚く。
ゴツい身体に割れ顎で彫りの深い顔。
目がギョロギョロしている。
そいつが俺を見て驚くが、俺からしたら軍人に知り合いなどいない。
「ああ、いや、失礼しました。
少々、知り合いに似ていたもので……」
「ああ、どこまで話したかな……?」
中裃氏はそれでも止まらない。
「役人が悪い?」
「そうそう、役人が悪いんだよ!」
「中裃さん、変なこと吹き込まないでくれ。
すまないが、彼の言ったことはほとんど妄言だ。
ちゃんと謝罪したいというから時間を取ったが、今の話はほぼ全て妄言だ。
信じないように」
「ええと、あんたは?」
「ああ、失礼。
私は日本陸軍情報一等士官、尾上と申します」
「まあ、あれだ。彼は寝てないみたいだから、発言があちこち飛んでて、俺は一割も理解してないよ」
「そうですか」
「ただ、謝罪の言葉は聞いた? うん、たぶん、聞いたから……」
「分かりました。いちおう、今日のことは他言無用でお願いします」
「他言無用ですか……まあ、分かりました」
「まだ、まだ話は終わってないんだよ尾上さん!」
「中裃さん、あまり時間はないんですよ。被検体一号が起きますから……」
「ああ、そりゃ大変だ!
ああ、そうだ、もし身体に異変とか生じたら、ここに連絡して貰えますかね?
腕を食われそうになったとかだと、何か起きたら大変だから……」
「え!?」
「いや、念のためだよ、念のため」
「はぁ……」
「じゃあ、失礼するよ!」
中裃氏はバタバタと去っていった。
「すみません。お時間を取らせてしまって……もし、何かありましたら、こちらにご連絡ください。今回のことでなくてもいいですから。
よろしければ、こちらにもお名刺いただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、ええ……」
俺の元には中裃氏と尾上さん、二人の名刺が残された。
軍部で送ってくれると言われたが、それをやんわり断って、俺は家に帰ったのだった。
ああ、外食し損ねたな。




