208 side︰静乃
昔、夜は怖いものだったそうだ。
夜の闇の中には妖怪や幽霊、精霊や魔物が飛び交っていて、人を飲み込む怖さに、皆が震えていたのだと言う。
今、怖いのは夜じゃない。
昼でも夜でも、人通りのない裏通りは普通に危ないし、ディープネットも歩き方を間違えると怖いことになる。
街はどこでも灯りと監視がセットになっていて、昔あった夜の怖さは違うものにすり変わっている。
魔物たちは人の裏側に引っ込んで、糸を引こうにも、人の悪意に引き摺られて振り回される有様だ。
闇を祓う勇者は組織という鳥籠の中で、少しずつ腐っていき、聖なるモノは闘争心を満たすただの容れ物と見られている。
環境は人を少しずつ排除しようと変質していて、天変地異はコントロールされている。
今、黄昏時すらも人の手の中だ。
誰そ彼。強い太陽光線が横から照りつける時、そこにいるはずの人が誰か分からない。
今では、専用のモニター付眼鏡でスキャンをかければ、そこにいる人が誰なのか分からないなんてことは、有り得ない。
人は誰でもIDで管理されている。
ここは理想郷を超えた反理想郷への道を辿っている。
畏れがない。
光と闇の境界線が消えようとしている。
いや、違う概念にすり替わろうとしているのかもしれない。
『リアじゅー』はゲームだ。
『REEARTH_JUDGEMENT_VRMMORPG』
仮想現実。
かりそめの箱庭。
このゲームがやりたくて、やりたくて仕方がなかった。
ベータ版は外れた。
第一陣は受験のために断念。
第二陣は予約抽選で外れた。
第三陣は買った当日に事故。でも、知り合いの伝手で何とか滑り込めた。
ひと月遅れながら、何とかスタートできた。
この一年ちょっと、私は『リアじゅー』がやりたくて、調べまくった。
調べていく内に、どんどん深みに嵌って、随分とディープなネットの闇にも手を伸ばした。
『リアじゅー』はどこの会社でも実現出来ないオンリーワンな技術力で作られていて、運営に国が関わっているとか、世界規模の実験のために作られたとか、そんな噂もあった。
ただ、技術を超えたもうひとつの世界がある。
それだけで私には充分だったとも言える。
そうして調べていく内に仲間ができた。
例えば会長、スーパー墓、ネズ吉ちゃん、他にも数名。
彼らも『リアじゅー』に魅せられた人々だ。
基本的には個人的に動いているが、横にゆるく繋がっている。そんな関係だ。
情報のやり取りをして、たまに協力して、たまに敵対する。
そんな関係が心地良かった。
とある考察サイトがあった。
管理人はサードアイ。
彼の考察は興味深いものだった。
『リアじゅー』と現実の繋がりについて、というものだ。
ベータ版の終わり、ラグナロクイベントで『ブラッククロニクル』が消えてから、現実での技術発展が加速度的に進んだことを指摘していた。
それ以外にも、レギオンレベルの上昇が現実にどういう影響を及ぼしているのか、ガチャ魂酔いにかかったプレイヤーの現実などを指摘していて、その奇妙な符合を面白可笑しく眺めていた。
この考察が私の中で確信に変わったのは、私が『リアじゅー』を始めてからだ。
最初のガチャで『死を視る者』を手に入れ、すぐにガチャ魂酔いにかかった。
レイド戦巡りで少しずつ私の中にソレが貯まるのが分かった。
プレイヤーの死の瞬間のイメージが入り込む。
千人を超えるくらいで、私の中の何かが麻痺して、ガチャ魂のイメージが入って来た。
私には二人の兄がいた。
粗暴だが弟妹に優しい兄、臆病で大食漢な二番目の兄。
残念ながら、二人とも頭は悪かった。
一番上の兄はその粗暴さ故に危険視され、拘束された。
二番目の兄は、一番上の兄を騙しうちのように拘束した神々が、報復を恐れて海の底へと追放された。
馬鹿な神々だ。
二番目の兄は温厚で臆病なのだ。そもそも泣き寝入りが精々で、報復など考えもしないだろうに。
唯一、二番目の兄が癇癪を起こすとしたら、空腹に耐えられなくなった時だろう。
そして、最後。私だ。
神々は私をどうするか考えた。
預言者によると、私たちはいつか神殺しをすると言われているらしい。
当然、神々は私のことも危険視した。
だから、私は自分から死者の国に行くと告げた。
片目の主神は、私の殊勝な態度に気を良くして、死者の国を治める権利をくれた。
主たる神々の子息たちがこぞって私に求婚したがったのも一因かもしれない。
息子の手前、あまり無碍にもできず、かといって手元にも置きたくない。
死者の国を治める重要な役割という足枷をつければ動けなくなるだろうという思惑が透けて見える。
まあ、このイラつくヤツらから離れられるなら、どこでも良かったが、神々が死者の国に来た時、先に入って周りを掌握しておけばヤツらに復讐できるだろうという思惑もあって死者の国を選んだ。
まさか治める権利をくれるとは、片目の主神は盲目かと疑ったほどだ。
ただ、私は死者の国の辛さを知らなかった。
死者は自身の辛さを訴えてくる。
どう死んだだの、死ぬはずじゃなかっただの、不条理だだのと言われても、一度死者の国に来れば、基本的に出ることは適わない。
死者の国の女王になった私は、来る日も来る日も死者の訴えを聞かされる。
こうして私は死者の国の女王として、半分死んだように過ごすのだった。
なるほど、ヘルに私は酔った。
痛みは信号とか言っていたからだろうか?
それとも事故にあった時に半分死んだのか?
根本的な考え方が似ていたからかもしれない。
それからだ。
病院内で、死に向かう人が分かるようになった。
道端の犬が死ぬだろう予感が走った。
翌日にはその犬が消えていて、雨による川の増水に巻き込まれて死んだという話を近所の人から聞いた。
決定的だったのはラグナロクイベントでグレちゃんたちが勝利してからだ。
急に始まるオカルトブーム。
夜が少しだけ怖くなった。
サードアイの考察は、私が感じた感覚を正確に言い当てていた。
さらにサードアイはいつかゲーム内に登場するであろう『大いなる者』についても言及していた。
『大いなる者』は何らかの概念を司っているだろうというものだ。
言うなれば、神が神になる前段階のナニカ。
彼らは何らかの理を持っているだろうとしていた。
『リアじゅー』の背景設定に照らし合わせれば、『大いなる者』は魔法文明世界の信仰ということになる。
それに名前が付くと神と呼ばれるのだ。
名前が付けば、性格が固まり、神としての個性を持ちうる。
これが科学文明世界の影響でなされていることらしい。
風が吹けば桶屋が儲かると言っていたものにバタフライエフェクトと名前が付いたようなものと書かれていたが、その辺りは私もあまり良く分からない。
とにかく、名前が付けば概念は固まる、ということらしい。
つまり、法則性が生まれるのだそうだ。
法則性が生まれれば、その概念に畏れがなくなる。
熱は分子の振動が生み出すもので、振動が止まれば冷える。
この法則が生まれる前は、熱いと冷たいは別個のものとして認識されていた。
ただ、これを『リアじゅー』に当て嵌めると、科学文明世界の一人勝ち状態ということになる。
サードアイによれば、魔法文明世界の衰退は現実世界での科学的発展を示しているものの、人々の心がついていけていない状態として警鐘を鳴らしていた。
畏れがなくなれば、人は神のように振る舞い始めるだろうとしている。
最近、認可間近と言われている遺伝子組換え人間なんて、その第一歩のように感じる。
デジタルを感覚的に捉えられるネズミが流行ったのはちょうど『ブラッククロニクル』が無くなった頃だ。
このまま魔法文明世界が消えていったら、どうなってしまうのだろう?
人が何ものにも畏れを抱かなくなったら?
とても危険なことだと思った。
『リアじゅー』がただのゲームとしてあるためには、全体のバランスを調整しなくてはいけない。
ラグナロクイベントが起きると、世界に大きな変化が訪れる。
それを最小限に抑えつつ、少しずつ魔法文明世界の復興を目指す。
バランスを保ちながら、今の偏った世界を立て直すことを目的に、私はレギオンを作ることにした。
どちらにも与する、どちらにも敵するレギオン。
私と同じ思想に至った者たちだけで作るのが理想だが、まずは実験的に数人の同志を幹部に迎えて、他は野良戦闘員の受け皿としての役割を持たせるのがいいだろう。
グレちゃんは理解してくれるだろうか?
無理かもしれない。
ベータの頃からの流れを知り、それを現実と繋げて考えられて、ようやく入口に立つのだ。
私のようにガチャ魂酔いが現実に影響を及ぼしてしまうようなことでもなければ、簡単には信じられないだろう。
だから、グレちゃんにも内緒だ。
グレちゃんをこのゲームに引き込んだのは私だから、グレちゃんには普通にゲームを楽しんでもらう。
私は、私の道を見つけてしまったから、その道を進むしかない。
でも、ここまで貯め込んできた『リアじゅー』のゲーム知識を存分に生かせると思えば、やりがいはある。
さあ、今日から『グレイキャンパス』の本格始動だ。
私は気合いと共に『リアじゅー』にログインした。
いちおう、既定路線です。
予定ではグレンくんたちが既にSIZUと合流していたはずだったんですけど、書いてる内に『りばりば』が勝っちゃったから、仕方がない。
サードアイは新キャラですよ。
デジタルネズミくんはインプラントされた無線脳波変換チップによって、自分で餌箱に餌が補充されるプログラムを組みます。
デザイナーズチャイルドは現状、やべぇ方向に進んでいます。
「人が人を作る? なーんせーんす!
我々は現代のアヌンナキを目指すのだ!」




