ビョルケスの夜1
温暖な夜風吹くビョルケスの街にて、二人の男女が横に並んで歩いていた。
アンリとネイである。
こんな夜中に男女二人、甘い雰囲気が流れていそうなものだが、彼ら二人は今日会ったばかりであり、言うなれば仕事上の仲間であった。
それ故愛の言葉なんて飛び交うはずもなく、聞こえてくるのは盛り上がりのない、詰まらない会話ばかりであった。
「今日は本当にありがとうございました」
「いえいえ、気にしないでくださいよ」
アンリの返答に、そうやって返したネイ。だがそんな返答では会話が続くはずがない。
この場に満ちたのは不気味な沈黙、いつの間にやら夜の喧騒もほとんど聞こえなくなってきていた。
「何か静かになってきましたね」
「えぇ、ここは中央から外れた路地裏ですから」
「・・・近道ですか?」
「えぇ、近道です」
温かな風が頬を撫でる。
コツコツという足音が、静かな路地裏に響き渡っていた。
「・・・人がいませんね」
「路地裏ですから当然です」
「すみません、田舎者だからそう言うのには疎くて」
「あら。そういえば、ネイ様は旅の方でしたね」
「そうですね、まぁ最近始まったばかりですが」
街の明かりもほとんど届かない。
彼らを照らすのは、雲からこぼれた月明りのみ。
「旅、といいますが、目的地はお在りで?」
「イーナウドです。だからもうちょっとしたら終わりですね」
「あら、それは結構。そのイーナウドにはどんなご用件が?」
「それは内緒です」
「あら、そうですの」
アンリの口角が吊り上がる。
まるで天に浮かぶ三日月のよう。
「っていうか本当に道あってるんですか?さっき来た歓楽街に戻ってきた気がするんですが」
「あら、あってますよ。私が道を間違えるはずがないですもの」
ネオンみたいな外灯が、路地裏に差し込み始めた。
つい先ほどの歓楽街に戻ってきたのである。客呼びの声もかすかに聞こえ始めた。
「・・・依頼のお礼、しないとですよね?」
「え?明日でいいですよ」
「それはそれです。これは私個人のお礼・・・」
「へ?」
誘惑するような動きで、上着を脱ぐアンリ。
大人の色気?が、ネイの目を釘付けにする。
「ちょっとその辺で休憩しましょう?幸いここなら、場所にも困りませんよ」
柔らかな肢体をネイに押し付け、そう言ったアンリ。
その仕草は色気に満ち満ちており、断ることなど不可能に思えた。
さぁ、ネイの返答は?
「え?早く帰った方が良いんじゃないんですかね?」
否、まさかの否ッ!!
断られたアンリのほうも、まさか断られるとは思っていなかった。見たことの無いようなびっくり顔を浮かべている。
別にアンリに色気がなかったわけではない。
タイタスなら間違いなくうなずいていただろうし、ラスでさえ心動いていただろう。
にも拘らずネイは断った。
何故か?その理由は単純明快、ネイはアンリの言葉を文字通りに捉えたのだ。
まさか”休憩”に変な意味を含ませているなど、考えてもいなかったのだ。
だがそれも無理のないことである。
ネイの育った環境は、驚くべき程に俗世離れした場所だった。
外の世界の知識は本頼り、そんな環境の中に、お色気本が入り込む余地などなかったのだ。
「ほらいきますよ、このまま歩けばいいですか?」
「・・・すいません、間違いました」
「えっ!?」
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・
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「今日はいろいろとありがとうございました」
来た道を引き返し、城の前についた二人。
その間アンリはずっと、俯き気味であった。
ついさっきの失敗を引き摺っていたのだ。
初めてやる割には上出来だったものの、そんな情報は彼女にとって慰めにはならない。
彼女からしてみれば、任務は成功と失敗の、ゼロとイチしかないのだから。
「・・・先ほどはどうして断ったんですか?」
「何でって、人は待たせない方が良いと思うから?」
「・・・私って魅力がないんですかね」
この会話、嚙み合っていない。
ネイからしてみれば、なぜこんなことを問われているのかがよく分らなかった。
いくら魅力があろうとも、人を待たせるのはよくないことなのだ。
「そんなことはないですけど・・・」
「お世辞は結構です。それでは」
「あ、ちょっと!!」
アンリが振り返って頭を下げた。
彼女はそれっきり足を止めることなく、城の中に消えていく。
ネイは黙ってそれを見つめるしかなかった。
・
・
・
「やぁ、アンリ。調子はどうだ・・・って、何読んでんの!?」
ミシェルに呼び出されたアンリとベルティエ。
彼ら二人はミシェルの部屋で待つように言われていたのだが、その彼女の部屋の中に、そんな声が響き渡った。
「見たらわかりませんか?本を読んでるんですよ」
「いや、それを聞いてるんじゃないよ。何でここでそんなもん読んでんのか聞いてるんだ」
「この本を参考に作戦を立てたのですが、うまくいかなかったのですよ。だから理解が足りなかったのかと思いまして・・・」
「いや、その作戦ってなんだよ?絶対ろくなものじゃないだろ」
「体で籠絡しようと・・・」
「だと思ったぞ、駄目に決まってんだろ?ミシェル陛下に怒られるぞ」
肩をすくめながらそう言ったベルティエ。
アンリとの付き合いも、ミシェルと同じくらいに長く続いていた。
それゆえに、ミシェルがどれほどアンリを大切にしているのかを、身をもって実感していたのだ。
「そういうのは専門の奴らに任せておけばいい。大体何でそんなことしようとしたんだ、断られたのか?」
「いえ、依頼は受けてくださいました」
「ふむ、それは重畳。で、何で君はそんなことをしたんだ?」
「聞きたい情報があったからですよ。結局聞けず仕舞いですが」
「ふむん、それについてはこちらで探りを入れてみるよ。っていうか相談してくれたらこっちで動いたのに、どうして勝手に動いたんだ」
「お礼を兼ねてました。まぁ、受け入れられることはありませんでしたが」
「受け入れられたら大変だ、二度とやってくれるなよ。後、お礼に関してはこっちでやるって話だったろ」
「それはそれですよ。私は私でお礼をしないと」
「ははは、素晴らしい心がけだね」
そう言ってベルティエが笑った。
面白かったから笑ったのでもなく、嘲るために笑ったのでもない。
どちらかといえばこの世の不条理から目をそらすための現実逃避だった。
「人の上に立つべきは、君みたいな人物なんだろうな。俺はそんな心、幾久しく忘れてしまったよ」
「ふ~む、理解しがたい事象ですね」
「ま、そう思うのも無理はないな。俺たちはもう汚れ仕事に慣れきってしまったのさ、国家の秩序を守るための、ちょっとした犠牲なのだと都合よく考え始めてしまっている」
「・・・難しいですね」
「まぁな。正しいことしてるかどうかは、俺にはわからない。それを決めるのは俺達じゃなくて、俺達についてきた民たちが決めることだ」
「ふむ、ミシェル陛下もよくおっしゃられてますね。私にはよく分りませんけど」
「そうか。まぁ、ある意味では現実逃避とも取れなくはないが・・・、今更退けないからな」
「責任をもって最後まで貫き通しましょう」
「だな」
二人の会話が締めくくられ、部屋の扉が音を立てて開く。
「待たせたの、お主ら。それでは打ち合わせを始めようかの」
「「ハッ!!」