雪月の談
カメテ付近の大森林。
その中で、木の枝の上に立ち、月を眺める男がいた。
髪の色は黒。そしてその右手には、銀髪のカツラが握られている。
「ホントっ、あいつら人使いが荒いよなぁ・・・」
思わずといった様子で愚痴を漏らす男。
吐いた息が白く染まり、その気の抜けた顔も相まって、口から魂が抜け出ているかのようだ。
「えっと、今日は定時連絡の日だっけ」
だがそれでも、与えられた任務はしっかりと遂行する主義らしい。
半ば閉じられた目をこすりながら、とある魔法を発動させる。
『どうしました?定時から少しばかり遅れていますよ?』
その魔法の名は念話。ブルーも同じ魔法を使えるが、それよりもずっと伝達範囲が広くなっている。
そしてその言葉を聞いた男は、眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな声色で言葉を発する。
『うるさいな。色々あったんだよ』
『ほう、色々ですか。詳しく説明しなさい』
『そうだな・・・、本当に色々あったんだが、一番大事なのは黒い使者が現れたことかな』
『・・・それは少々面倒ですね』
若干の焦りを含んだ声が、念話を通じて届けられた。
だがそれもほんの一瞬、すぐに厳格な雰囲気を取り戻して、その男を質問攻めにしる。
『で、そいつはどうなったんです?』
『東の方に飛んでいったよ』
『逃がしたんですか!?』
『しゃあねぇだろ、表立って行動するわけにはいかないんだから』
『違いますよ。何故一撃で仕留めきれなかったのかを聞いているのです!!』
耳をつんざくような怒声に、その男も顔をしかめる。
だが特に声を荒げるでもなく、起こったことを淡々と話し始めた。
『俺じゃなくて勇者が戦ってたんだよ。胴を真っ二つにはしてたけど、俺たちはそれくらいじゃ死なないだろ?』
『・・・それは失礼、早とちりしていました』
『ハハハ、分かればいいんだよ』
口調は優しいが、その顔は”ざまぁみろ”といった感じで、ぐちゃぐちゃに歪んでいる。
だがそれも無理はなかった。彼は念話越しにいる相手に、年中無休無賃金で扱き使われているのだから。
『で、これで俺の仕事は終わりなんだよな?』
『は?勇者がその役目を果たすまで、貴方は監視を続けてください』
それがさも当然であるかのように、言い放たれたその言葉。
だがその男が黙って受け入れるはずもなく、抗議の声を上げた。
『は?ふざけんなよ!!これ以上俺に働けっての!?』
『ふ~む、貴方が嫌ならそれでもいいんですよ。ですがその場合、私たちはマンモンに頭を下げる羽目になります』
『そうじゃそうじゃ!!あんな奴に頭を下げるなんぞ、死んでもご免じゃわいッ!!』
『そうですよ。そんなの、生き恥をさらすようなもんじゃないですか』
急に念話越しの相手が増える。
黒髪の男は、眉間のしわをさらに深くしながらも、数の有利を取られた今では、もう対抗できないことを悟ってしまった。
『チッ、だったら俺にも頭を下げろよな』
『嫌ですよ、貴方に下げられるのは、顎の先くらいです』
『意味の分からん単語作るんじゃ・・・』
『あなたのくだらない戯言に付き合うつもりはありません。それで、監視の任務は継続してくれるんですよね?』
断られることなど考慮していない。
頷かれるのが当然、みたいな声色だった。
尤もその男も、断るようなことはしない。
断ったら後が怖いのである。
『・・・受けてやるよ』
『おぉ、そう言ってくれると信じていましたよ』
『うむ、この仕事はお主にしか任せられんからな』
『そうそう。私たちは今の仕事で忙しいからね』
”殺してぇ”などと考え始めてしまった黒髪の男。
もはや堪忍袋の緒も切れかけている。
これ以上話していると、そのうちブチ切れてしまうだろう。
それにどうしてもやっておきたいことがあった、だからなんとかしてこの会話を終わらせようと模索する。
『用が済んだならもう切っていいか?』
『ふむ、もう少しあなたの報告を聞いておきたいのですが・・・』
『大したことじゃねぇよ。黒龍の出現とか不死牛の復活とか』
『結構大したことありますよね?』
『じゃあ明日教えてやるよ』
『今やればいいじゃないですか?』
『それは・・・』
『どうせあれでしょ。強い願いを持った魂を見つけたとかでしょ』
『・・・正解だよ』
子恥ずかしそうに顔を赤くする男性。
だが念話越しの相手は、いまいち納得していない様子だった。
『理解できませんね。狭小な者共の願いなど、無視してしまえばいい』
『お前は外に出たことが無いから、そんなことが言えるんだよ』
『それは私も同感かなぁ。生き物だ!!って一括りにするには難しいくらい、外の世界は複雑なんだよ』
『そうなのか。わしも一度、外の世界に出てみたいものじゃのお』
『だったら早く人化の術を覚えることだね』
『ホホホ、手厳しいのぉ』
爺さんと孫の会話には、いささか辛辣すぎる。
まぁそんなものには微塵の興味が無い黒髪の男、とっとと念話を切りたくてうずうずしていた。
『じゃあもう切るぞ』
『えぇ、ペリオル、よろしくお願いしますね。我が主から授かったその名に恥じぬよう、しっかり励みなさい』
だがそれを聞いた黒髪の男。
思わずといった様子で、念話越しの女性に怒鳴る。
『今はリュークだろうが!!お前がそう名乗れって言ったんだろ!!』
さんざん扱き使われたあげく、向こう方は自分で言ったことも忘れている。
無理もなかった。
若干の呆れも含んだその怒号。
そして念話越しにいたもう二人も、その女性を煽り始める。
『まぁまぁ、ルバイヤも年だからしょうがないよ』
『然り然り、儂らはぴちぴちだからしっかり覚えておったぞ』
『・・・ほとんど同い年でしょう』
仲がいいのか悪いのか、そんな感じで煽り合う四人。
それもそのはず、彼ら四人の付き合いは非常に長かった。
『じゃ、ほんとに切るぞ』
『うん。元気でね、リューク』
『そうじゃぞ。ネイの覚醒にはお前の協力が必要なのじゃ。何者にも邪魔させるんじゃないぞ』
『分かってるよ』
『それなら良いのじゃ。達者でな』
『おう、ルバイヤ、ラゲル・・・』
『ゴートンっ!!』
『そうそうゴートン。お前らも元気でな』
『えぇ、それじゃあよろしくお願いしますね』
そう言って念話が切断される。
「お前ら、息子に言いたいことがあるんだろ?言ってきていいぞ」
そしておもむろに虚空に向かって話し始めた。
だが彼には見えていたのだ、強くきらめく二つの獣人の魂が。
「でもしっかり帰って来いよな」
最後にそう釘を刺して、魂を見送る黒髪の男、リュート。
その表情は優しさに満ち溢れ、先ほどの顔とは大違いである。
「・・・ビョルケスか。ちょっときな臭いけど、大丈夫かな」
そしてそれと同時に、次の任務に対しても少しばかりの憂鬱を覚えるのだった。