ナメクジとの対話
「は?おい!サチ!」
「ちょ、何やってんのよ!?」
「サチ!危ないよー!!」
3人の声は俺の耳に届いているが、ここは無視だ。実際に見せた方が早い。
前方からは、ナメクジの触手が迫って来ているが、それが到達するよりも早く、俺の足が湖の水に触れる。
「え?……水の上を、歩いてる?」
そう俺の足は水に沈まず、湖の上を陸地と同じ様に歩けている。3人は俺の足元を見ている様だが、俺は前方のナメクジを見据えていた。
ナメクジは触手の動きを止め、体を覆っている粘液すらも停止する。停止の波は湖にも波及し、俺の足元の波紋も停止した。
そんな異様な光景を無視して、俺はナメクジへと歩き続ける。
次第に、停止したナメクジは小さく萎んで行き、湖は空気に溶ける様に姿を消していく。湖は平らな地面に変わり、ナメクジは黒い鎧を纏った人間へと姿を変えた。
黒鎧が、機械を通した様な不思議な声音で話しかけてくる。
「……ヤケクソになって近づいた訳ではなさそうだな。」
「まぁ一応は見抜いたつもりでした。」
そう、つもりだった。
「正体が人間とまでは分かりませんでした。」
「だろうな。湖全体に幻影を写す力場を張っていたが、湖の外にまで伸びた触手の説明がつかないからな。」
その通り。力場の外に出てきた触手が、見せかけだけのものならばまだ分かるが、あの触手は確かに本物だった。
「アレは私の魔法によるものだ。……一応聞くが私が魔人だという考えは無かったのか?」
「それはあり得ません。魔人ならあのナメクジより強いでしょう。自分より弱い魔獣なんかに化ける意味は有りませんので。」
黒鎧は恐らく、俺が全て分かっている事を分かっている。それでも尚、質問を続けるのは、この状況を観察している試験官達に聞かせるためだろう。
「ではお前の推測では、ボスの正体は何だと思っていたんだ?」
「ナメクジより弱い小型の魔物かと。巨体から触手を伸ばした様に見せ、実は地中か水中に隠れたまま攻撃をする、という性質を持たせた人工の魔物だと思っていました。」
俺の回答を聞いた黒鎧はゆっくりと頷く。
「うむ。それこそがこの課題に用意された正解だ。」
どうやら正解したらしい。
しかし俺としては、黒鎧の言い方に少し引っかかりを覚える。
「それはつまり、本当の正解では無いと?」
「ああ、真実は別にあるが、あまりにも一般的な常識とかけ離れているため、それを見抜くというのは受験生には無理だと判断された。」
された。と言うからには、この人はそうは思わなかったのだろう。
「しかし、この島にいる人間の中でお前だけは見抜ける可能性を持っている。……どうだ?当ててみるか?」
「もちろんです。5秒下さい。」
随分と過大評価されている様だが、挑戦は受けよう。俺は再び思考加速を起動する。
しかしここまで情報が出揃った今なら、答えは一瞬で出る。
「……あなたは先程あの触手を指して、『アレは私の魔法によるものだ。』と言いましたよね?」
「言ったな。」
「であれば答えは正しくソレです。幻影だったのは湖だけで、ナメクジはあなたが生体魔法で変身した姿だった。……どうです?」
黒鎧はたっぷりと間を置き、勿体ぶった様なタイミングで答える。
「……正解だ。それこそが真実だ。よくぞ辿り着いたな。」
なるほど、確かにこの真実は見抜けないだろう。なにせこの人は、力場などという大掛かりな技術を使った訳でもなく、文字通りその身1つで鑑定スキルを欺いて見せたのだ。
生体魔法をここまで使いこなせる人間なんて、一般的にはいないとされている。巨人に変身して死んだ男の話は、ブラックジョークとして有名だし、あんな軟体生物に変身して無事でいられるなんて、正しく神の御業だ。
正直俺は、生体魔法にしか適性がない時点で、魔法は諦めていた。しかし、まさかこんな所で偉大な先駆者に出会えるとは。LUK5とは思えない幸運だ。この運を逃してなるものか。
「ありがとうございます。あの…あなたはギルドの方ですよね?お名前を聞いても?」
「私はギルドの裏方でね、名前は名乗れないんだ。一応周りには『化神』なんて大仰な呼ばれ方をしているよ。」
化神か。
めっちゃカッコイイな。
化神さんは試験の話は終わりとばかりに、少し砕けた口調になっている。
「すぐにアナウンスがあるだろうが、試験はこれで終わりだ。」
「え?でも期限は明日の夕方までじゃ……」
「未開堂氏は、『制限時間は48時間』と言ったはずだ。まぁ細かい事はどうでもいいが、48時間というのはあくまで制限時間だ、終了時間では無いよ。君がクリアしたのは所謂『裏課題』というやつでね。これがクリアされると強制的に試験は終了となる。」
化神さんが言うには、このタイプの試験は過去何度か行われているが、裏課題がクリアされた事は無かったらしい。大抵の人は、化神さんの変身した姿に恐れをなして、挑む事さえ無かったそうだ。
「さて、それでは私はこれで失礼するよ。また会う機会があればその時はよろしく頼む。」
そう言って化神さんは、瞬きの合間を縫う様に唐突に姿を消した。
「ちょっと、サチ!どうなってるの?」
「ごめん。ボスの周回プレイは無しみたいだ。」
ザザッ!
パーティーの3人と見学者2人が近寄って来たところで、試験開始の時と同じく、頭の中にノイズ音が入る。
「《あーあー、諸君聞こえるかー?未開堂晃だ。たった今、裏課題『51人目の乗客』がクリアされた。これにより、ギルド採用試験の第2ステージを終了する。今から諸君を集合させるので、その場を動かずにいて欲しい。》」
そんな念話が聞こえたかと思ったら、直後に視界が入れ替わった。
気がつくとそこは、白い砂浜と青い海を望む、リゾート地の様な景色に包まれていた。同じ島にいる様だが、森の中から砂浜に一瞬で転移させられたらしい。
砂浜には、受験者達に墜落したと思わせていた飛行機が、墜落など知らんと言わんばかりに傷1つ無い状態で置いてあり、その隣には小型の戦闘機が置かれている。
周りを見ると、他の受験生も全員いるようだ。皆口々に「なにがどうなっているんだ?」とか、「明日の夕方までじゃねぇのか!」とか言っている。
そんな受験生達の間を縫うように、リコ、カナデ、イチトの3人が集まってきた。少し遅れて、ヒカルとフタバの2人も来る。
「サチ、これってどうなってるの?あのナメクジから出てきた人と関係あるのかな?」
「ヒカルか。お前らには悪い事したな。再出現すると思ってたから待たせてたのに。」
「それはしょうがないよ。ボク達も同じ事考えてたし。」
ヒカルはそう言ってくれるが、これではポイントの独り占めだ。
「あー君達とこうして直接話すのはこれが初めてだな。」
すると、砂浜に停まる戦闘機を背に、1人の女性が話を始める。
「改めて、私が未開堂だ。」
未開堂試験官の後ろには、10数名の人達が立っている。おそらく皆試験官なのだろう。
「君達の混乱も分かるが、これはやむ終えない処置なのだ。一から説明するから聞いてくれ。」
そうして未開堂試験官による説明が始まった。
まず、この第2ステージは第1ステージの続きであると考えて欲しいとの事。つまり、加点の為に要求されるものも基本的には同じなのだ。
まず求められるのは、判断力。2日間とはいえ、未開の島で生活するというのは、それなりに判断力が必要になる。目の前にいるのは自分に勝てる魔物なのか、水や食料の調達は可能なのか。と言った点が見られていたらしい。
次に、戦闘力だ。これはシンプルで、魔物との戦闘の様子を観察する事で測れる。受験生の段階でそこまで高い戦闘力は求められないが、この島にいる人間なら、徒党を組めば倒せる程度の魔物しか存在しないとの事だ。
そして最後に、度胸だ。
これは言うまでもなく、ボスに挑むかどうかで測る。本来はボスに挑んだ段階で加点がされるものだそうだ。ボスに挑んでしばらく適当に戦っていれば、ボスが倒されたフリをしてくれる仕様になっていたのだという。
確かに見た目は恐ろしげな魔物だが、冷静に考え、島の魔物のランクを見れば、受験生でも勝てる程度のボスである事は判断がつく。しかしそうは思っても実際に挑むには度胸が必要だ。
度胸、あるいは勇気と言い換える事も出来るかも知れないが、これこそが冒険課の仕事には欠かせないものなのだ。それを測るというのは試験においてとても重要な事なのだろう。
しかしそうとは知らず、俺が正体を暴いてしまった。これも一応は加点条件の1つとして用意はされていたが、今まで1度も使われなかったパターンで、試験官の間でも半ば忘れられていたそうだ。
そしてこの条件を満たしてしまうと、当然の事ながら試験の続行が出来なくなる。ボスが偽物で、ダンジョンも偽物だと吹聴されれば試験どころでは無くなるからだ。
聞けば聞くほど申し訳なくなってくるな。
「……以上だ。続いて最終ステージに移るが、まずはランキングを見てほしい。合格点に届いた者のみを表示しているので、名前の載っている者は飛行機に乗り込んでくれ。」
そう言われ、俺達はガリバーを起動する。
試験を中断させたペナルティで、−2万点とかになっていなければいいのだが。




