三日目 爆鳴気
実験室のドアを開け、三人は急いであたりを見回した。しかしそこは、煙や炎などはない、いつもの実験室があった。
「あら、みんな今来たところ? ちょうど今実験をしていたのだけれど」
奈良坂さんはまるで何もなかったかのような口ぶりだ。そして、彼女の目の前には、よくわからない何かが置いてある。おそらくそれが、さっきの爆発と何か関係があるのだろう。
「奈良坂先輩、さっき、実験室から爆発音が…」
「これのことねっ!」
奈良坂さんはおもむろに机にあったその何かを手に取った。よくわからないが、ペットボトルの下半分が切られたものが固定台に固定されている。
「今していた実験は爆鳴気というものよ。皆も、名前くらいは聞いたことあるんじゃない?」
「爆鳴気? なんですかそれ?」
「あら、知らないようね。それなら折角だしもう一度やって見せてあげるわ」
すると、奈良坂さんは持っていた固定台を机に置き、今度は横にあった水素ボンベを持った。
「さっき持ったこれはいわゆる爆鳴気の実験装置みたいなものよ。まずペットボトルの下半分を切り取って、上のキャップに穴をあけ、そこにガラス管を通す、ここでちゃんと密閉しておかないとうまくいかないわ。こうしてできたペットボトルを固定台にセットしたら完成よ」
「実験装置にしては、やけに簡単そうな作りですね、てっきり、もっとしっかりしたものだと思ってました」
「それでそれで、次はどうするんですか?」 宮浦は俺の言葉なんかお構いなしに、次の説明を催促した。
「次はこのペットボトルの上側のガラス管を抑えながら、下側からこの水素ボンベで水素を入れるわ。あまり入れすぎるといけないから、注意が必要よ」
「えっ? 完全に密閉されていないのに水素を入れても、どっかへ行っちゃうんじゃないですか?」
「いや、その心配はないと思うぞ、根岸」
「そうよ、何も心配はいらない。ちゃんと水素はこのペットボトルの上に集まってくるわ」
「どうしてですか?」
「水素の比重は、周りの空気を1とすると、約0.07、つまり、空気の重さの0.07倍しかないの。 だからこの中に入れた水素は、ほとんどが上に集まっているってわけ」
「あぁ、なるほど。だから上を抑えて逃げないようにしてるってわけか」
「さて、準備はこれで終了。あとはこの抑えてる指を離して、火を近づければOK」
そういって、奈良坂さんは右手を水素ボンベからチャッカマンに持ち替えた。
「ほ、本当に大丈夫なんですよね、奈良坂先輩。一気に爆発して大惨事になったりしないですよね」
「さっきやっても何も被害はなかったんだし、そんなビビんなくていいじゃん根岸〜 さぁ、どうぞ先輩!」
「それじゃあ行くわよ!!」
威勢のいい合図から、奈良坂さんの指が離れ、管の近くに火が近づく。しかし…
「あれっ? 管の上に火がついてる」
「しかも全然爆発してないし、どういうこと?」
「まあまあ慌てずに、もうちょっとよ」
管に着いた火は徐々に小さくなっていく。このままでは、火が消えてそれで終わりなのではないかと皆が思った直後
『ボンっ!!!』
さっき聞いたあの爆発音が聞こえた。 何も起きないと思っていた俺たちは、一瞬のけぞってしまった。
「うわっ! いきなりかよ。何か心臓に悪い実験だな」
「でも不思議〜、管にずっと火が着いてたと思ったら、急に今度はペットボトルの中に火が着いて一瞬で消えていくなんて」
「確かに、最近の水素に対するイメージを考えると、そう思ってしまうのも無理ないわね。だけど、ちゃんと考えてみれば、案外当たり前なことでもあるのよ」
「当たり前…? 水素が火に当たると爆発するってことですか?」
「そう、野依君が言ったように、水素は爆発するっていうイメージが強くて、中々言われないのだけれど、実際は「燃える気体」でもあるの」
「「「燃える気体?」」」
「と言っても、普通の生活ではまず見られないからわかりずらいかしら。少し簡単に説明するわね。 まず、水素の性質について、水素は、燃焼範囲が広いという性質を持っているの。燃焼範囲っていうのは、簡単に言えば、空気中にどのくらい混ざると燃えるかっていうこと。水素に関して言えば、約4%~75%、つまり、水素が空気中に4%~75%混ざって何らかのエネルギーが加われば、着火したり爆発するの」
「4%~75%って、結構広くない? 何かすぐにあちこちで爆発しそう」
「安心して、宮浦さん。水素は空気中にはほとんどないから、爆発することはほとんどないわ。 さて、じゃあ今度は、この実験の説明もしようかしら。まあ、今の説明を聞いて、少し分かったところもあるかもしれないわね」
「え〜っと…あの管の先が燃えていたのは、水素が集まっていたところに火が着いたからで…」
「濃度が薄くなってきたから、濃度の濃い下の方へ火が向かって行って、最後は一気に爆発したってことか」
「惜しいっ!!! 最後のところが少し違うのよね。そこが、この実験の一番重要なところなの」
「さっき言ってた、バクメイキってやつ?」
「正解。爆鳴気というのは、水素の容積と酸素の容積が2:1で混ざった気体のことで、それが燃えると爆発音がするの。だから、さっき聞いた音は、爆鳴気による音だったってこと」
「なるほど、だから爆鳴気っていうのか。というか、こんな簡単に実験ってやるものだっけ?」
「確かに、実験というよりは、ちょっと試してみました、みたいな感じだな。思ったよりも結構楽しく見れたし」
「私も、化学ってよく難しくて、めんどくさいことしかやらないみたいなイメージばっかだったけど、こういう軽い感じの実験もあるんだ」
俺たち三人は、思い思いのことを口にしていった。そして、それを言えば言うほど、奈良坂さんの顔は、どんどんドヤ顔になっていく。
「みんな楽しめてくれたかしら。この実験は、水素に関するちょっとした性質を学ぶことができて、なおかつインパクトもある面白くてためになる実験なの。よかったら、君たちも実験してみる?」
「えっ!? いいんですかっ?」
宮浦が真っ先に反応した。まぁ宮浦は最初から結構この実験に興味があったようだし、試しにやってみたいというのもおかしくはないことだ。
「じゃあやってみるね。 え〜っと、まずはこの管を抑えて…次に、ここに水素を入れてっと」
思ったよりかなりサクサク進めていく。案外宮浦はこういうのが得意なのかもしれない。
「よしっ、準備完了。 もう火を着けていいですよね?奈良坂先輩」
「ええ、いいわよ。でも一応音には注意しておくのよ」
「はーい。それじゃあいくよ〜」
宮浦が火を着けた瞬間
「みなさ〜ん、大丈夫ですか〜」
突如、福山先生がドアから入ってきた。
『ボンっ!!!』
「ひっ!? な、なんですかそれ?」
いきなりの爆発音に、先生は思わず奇妙な声をあげて、少し腰を引いてしまった。
「あら、先生、こんなところで何を?」
「何を? じゃありませんっ。いきなりびっくりさせないでくださいよ〜」
「しょうがないじゃありませんか。第一、いきなり入ってきたのは先生の方ですよ」
「でも…」
そこからは、奈良坂さんと福山先生の水掛け論が続き、結局、今日はこの実験だけで終わってしまった。




