46 隠されし悪意
ヤマトが主な拠点にしている国エルダーワード。そのエルダーワードから東南の方向にナグートと言う町がある。国としてはエルダーワードに属しているが、位置的にはルーネス国とエンタイト国との境に位置し、三つの国の中継点になっている。
そのナグートからエンタイトの王都方面へと一台の大きな荷馬車が二頭の馬に引かれてゆっくりと進んでいた。目的地はナグートからさほど遠くない彼らの住む村だった。
荷馬車の御者台にはごく一般的な農作業着を着た男が二人座っており、荷馬車本体には人一人なら背中に乗せて飛べるほどの大きなワイバーンが身体を丸めて寝ていた。
「良い天気だなぁ」
荷馬車の御者台で手綱も持たずに身体を反らした男が空を眺めながら言う。
「今日はお前も手綱持ってくれるんだよな」
「ああ、今回はホント、世話になっちまったからなぁ」
「いや、基本的にお前が飛んで、俺がフォロー、って決まりだから当然だろ」
この二人はワイバーンを使って遠隔地に手紙や小包などを運ぶ運び屋を生業にしている。ふんぞり返っていた小柄な男がワイバーンに乗り、手綱を持っている方が荷物のフォローをする役割分担になっていた。
ワイバーンは翼竜とも呼ばれ、前足がコウモリの様な皮膜の翼になった魔獣だ。大きな翼を持つが身体が大きいせいで羽ばたく力は弱い。なので飛び立つ時は木の上に上ったり、崖の上から滑空したり、長い助走をしてからかろうじて飛ぶ。なので走る力がかなり有り、近場の獲物などは走って追い込んだりもする。
現在、二人のワイバーンは荷台で眠っている。前回の配達でワイバーンが野良のワイバーンに襲われ、浅からぬ怪我を負った。かろうじて目的地までは到着し、搭乗者と荷物は守り切ったが傷は悪化し、通常であれば安楽死も覚悟しなければならない状態だった。
しかし、最近治療魔法を使える魔道書使いが増え、国のお抱え魔道書使いさえも治療魔法の修行と称して低額で治療を請け負ってくれる様になっており、フォローの男がナグートの詰め所に交渉に行って二人の魔道書使いを派遣してもらえた。しかも、通常のヒールでは完治しにくいと判断され、高度な呪文であるリカバーを使用してもらい、ワイバーンは完治した。
さらに治療代は銀貨五枚。去年ぐらいだと低級のヒールでさえ掛けてもらえない額だった。二人にとっても二十日は飲むのを控えようか、という程度の出費で済んだ。
「飛行船はバンバン飛ぶは、治療魔法が安くなるはで、時代は変わったなぁ」
「ああ、飛行船と言えば、俺たちの仕事が無くなるかと思ったがなぁ」
「まさか急ぎの書類とかいうのが多くなるとは思わなかったな」
「お前も従魔を持ってみるか?」
「その前にあのヒールが使えるという生活魔法の魔道書だろう」
「魔法の適性があればなぁ」
「今度冒険者ギルドで測定してもらうか?」
「だなぁ」
二人ののんびりとした時間が流れる。ちなみに、冒険者ギルドで魔法の適性があるかなどの測定は行っていないし、生活魔法は魔道書使いでは無い一般人でも使える魔法として有名だ。
そして暫くの後。馬車は緩やかな登り口にさしかかる。
「あー、押してくれー」
「おー、判ったー」
手綱を持つ男の指示で小柄な男が御者台から飛び降りて馬車の横について押し出す。二頭の馬であれば問題無く馬車を引く事が出来る坂だが、馬の負担を減らすために一人が降りて押す事にしている。この世界の従魔や家畜は大きな財産だ。
途中、手綱持ちと後ろから押す役割を何度か交代して、平坦な道にまで抜ける事が出来た。
「はぁ、はぁ、お疲れさん。毎度、この坂には苦労させられるなぁ」
「こいつらを潰しちまったら、村の連中に何言われるか判らねえからなぁ」
二人の住む村はワイバーンを従魔にするために集まった集落が元になっていた。役割分担としてこの二人の様にワイバーンを直接操る者。野生のワイバーンを捕まえる職人。従魔術を行使する魔道書使い。鞍などの装備品を作る職人などが兼業しながら、その生活を支えあっている。馬もワイバーンも、一応は二人の財産ではあるが、村が頼りにする仲間でもあった。
「ワイバーンの操り手は増やせねぇのか?」
「トッポのガキが飛行船に色気出してるからなぁ」
「飛行船かぁ。小型の飛行船なら野良のワイバーン相手でも振り切れるらしいな」
「小型っちゅうても人が十数人は余裕で乗れる船と同じぐらいの大きさらしいぞ」
「ああ、それぐらいあれば、戦力って言うらしいな」
「勢い付けて槍投げたり、石落とすだけでも完全武装の兵隊を倒せるらしいからなぁ」
「若い奴らが色気出すのも判るけどなぁ。従魔術使いの爺さんも、いい年だしなぁ」
「ワイバーンでチマチマやるのも、いつまで続くか判らねぇからなぁ」
「飛行船かぁ」
「飛行船なぁ」
馬車を押して汗をかいた二人を涼しい風が撫でる。
そして漸く彼らの村が見えてきそうな距離に達した。そこで二人は村の方から立ち上る白い煙を見ていた。
「こんな時間から釜に火を入れてるのか?」
「俺たちをねぎらって…、なんてワケもねぇか。皮でも茹でてるのか?」
「ああ、鞍を新調するとか言う話もあったなぁ」
不安を感じていた。だけどそんな不幸は有るはずも無いと、希望を口にする。そこへ別の煙が村の方向から上がった。
御者の手綱を握る手が上下に揺れる。意識せずに馬を急かしていた。馬車の揺れは大きくなり、御者の二人の心の不安が伝わったのか、荷台で寝ていたワイバーンが顔を上げて御者の二人に顔を寄せる。
「あ、お、俺は、こいつで先に飛んで行ってみる」
「わ、判った。急いでくれ」
一人が御者台から荷台のワイバーンの背に乗り移る。
「すまねぇ。疲れてるとは思うが、ちょっくら村まで飛んでくれ」
ワイバーンはその言葉に応える様に、荷台で翼を広げた。それを見た手綱を持っている男が馬の走る速度を上げさせる。
そして馬のスピードが乗ったところでワイバーンがふわりと浮かんだ。後方に流れるが、ワイバーンは強く羽ばたいて高度を上げていった。
ワイバーンがしっかりと風を掴んだ事を確認した御者は馬の速度を落とす。
「頼むぞ。何も無かったって言ってくれ」
杞憂であってくれ。そう願いながら空に浮かぶ十字架の様なワイバーンの姿を見つめた。
男にとっては長くて短い時間が過ぎ馬車が村を直接見る場所にまで来ると、男の杞憂が不幸な現実となって目の前に広がっていた。
まるで嵐でも起こったかの様な、倒壊した家。数件の家は轟音を立てて燃えさかっている。大きなワイバーンが地面に倒れ伏しているのも見える。男は馬を走らせた。後の事なんか考えずに、必死に手綱を上下に振る。
村の手前まで来ると、馬をしっかりと止める事も無く飛び降り走り出した。
「ロッソ! コーゴー! サン!」
名前を叫びながら走るが応える声は無い。
「カチア! ランゴー! カーラー!」
すでに力なく歩いていた。そこで、ついさっき飛び出していった相棒の事が気に掛かった。
その相棒の家の方向へと向かうと、直ぐに相棒が乗っていたはずのワイバーンが地面に伏しているのを見つけた。いや、伏しているのでは無く、バラバラになって転がっている。
「あれ~? まだ生き残りがいたんだぁ?」
その声に、震える全身を押さえ込む様に顔を上げる。
そこには紺色のローブを纏った、成人前と見える一人の少年が立っていた。何故か少年の周囲を一冊の本が漂い、回っている。
「な…」
その光景に非現実的なモノを感じて、何を言って良いのか判らなくなる。
「えっとぉ、まだ試していないのは~、あ、コレがあったか。まぁ弱いけどいっか~。『フージン!』」
少年が何を言っているのか、男には判らなかったが、最後の言葉と共に少年の周りを浮かんで回っていた本が捲れ、次の瞬間に男は強烈な衝撃を受けて吹き飛ばされていた。
何故か全身に力が入らない。力なく地面に叩き付けられて一瞬、自分の身体が目に入る。それは血みどろな腹と、離れたところに落ちる自分の足だった。
「とりあえず探し物は見つかったからいいかぁ。あ、さっさと合流しないとヴェルに怒られるなぁ」
少年は自ら起こした行為に不満も満足も示さずに、ただつまらなそうに空を見上げていた。暫くすると、少年の元へと一頭のグリフォンが走り寄り、無造作にまたがった。
「合流地点に行くぞ。北だ」
そう言って少年はグリフォンを飛び立たせ、その場を去って行った。後には燃えさかる村と、血まみれの男だけが残った。
それから丸二日。
ナグートの街から来たエルダーワードの兵士に男は発見され、ナグートの治療院で一命を取り留めた。しかし失った足は再生不可能であったため日を改めて棒状の義足を取り付ける事になった。
そしてその男からの話で、グリフォンに乗る魔道書使いの少年が破壊活動を行っていた事がエルダーワードの王都に知らされた。
その後。廃墟になったワイバーン使いの村で、新しく建てられた多くの墓と片足の男の亡骸が、遺体を焼却に来た兵士達に発見された。
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エルダーワードから西にゆっくり歩いて二ヶ月という場所にガンカクジンと言う王国がある。
かつては三つのダンジョンを抱え、多くの冒険者と、その冒険者達の戦利品であるダンジョン資源によって潤い、他国への影響も強いと言う強国だった。
しかし、ダンジョンコアの管理が出来るヤマトを支配しようとして失敗し、その罰で三つの内二つのダンジョンが停止される事になった。それはダンジョンから魔獣が湧き出す事を意味し、その対応に多くの兵士や有能な冒険者を投入しなければならなくなった。ダンジョンであれば浅い階層は弱い魔獣、深い階層は強い魔獣という区分けが為されていたが、湧き出す魔獣はその区分けが無い。そのため常に全力を要求される状態が続き、瞬く間に国力が疲弊していった。
罰を受ける前までは潤沢な資産で他国への融資などで優位に立っていたが、今では多くの商人が逃げ出し、多くの貴族までもが逃げ出し、融資していた他国から援助を乞う国へと成り下がっていた。
しかし、それでもかつては周辺国では一番の大国であったため、衰退しても大都市である事は変わらない。
そんな王都の片隅に、円形の塔をイメージさせる石積みの建物がある。
その昔、貴族のグループが魔獣の脅威から自分たちを守るためだけに建築を強行したという曰くのある建物で、現在も貴族の所有物という扱いだ。しかしどの貴族かははっきりせず、王族からの調査も入らない状態なので誰も立ち寄らない場所になっていた。
通常の戦砦ならスッポリと収まってしまう様な塔の中央。
そこは収集家でもあった先代ガンカクジンギルドのギルドマスターであった者の収集物の保管庫があった。いや、保管庫では無く、封印すべき危険物の隠し場所が正しい。
封印されし物はいくつもあり、封印は幾重にも施されていた。しかし、ここにその封印を一枚一枚剥がして行く者がいた。
「うん。大丈夫。ゆっくり。壊れない様に」
魔法で作られた光に照らされる中、ブツブツと呟き、空中に魔法の光を描き、それをぶつける。描いてはぶつけ、描いてはぶつけの作業を繰り返す。一つ一つの魔法の光はそれぞれ違う形をしており、単純な繰り返し作業では無い事が知れた。
その時。
描き出した光が封印と反応して小さな爆発が起きた。
爆発により声も無く弾き飛ばされて地面を転がる。しかし、ある程度予想していたかの様で、程なくその人物は落ち着いた様子で起き上がった。
「けほっ、ごほっ。はー、はーぁ。まだ。まだ、大丈夫」
声は高めで体つきはやや小柄。人物は女性だった。しかし長めの髪は乱れ、普段から櫛を入れていないのがよく判る感じでボサボサだった。
女性は一緒に吹き飛んだ書類をかき集めると再び元の位置に戻って作業を再開する。
この場所の封印は一枚の紙だった。
その紙は魔法により封印を行う様に術式が描かれ、術式が起動している限り設定した周辺空間が強固に固定される仕組みだ。それこそ石積みの砦を一発で吹き飛ばすほどの火力があれば壊せるモノだが、複数人の人力程度ではせいぜい掘り起こすのが精一杯で、金属製の重い金庫と似た様なモノだ。
つまり中身が必要ならば、『壊す』では無く『開ける』必要がある。
女性はその作業を数十時間繰り返していた。
そして。
「解けた」
そう呟くと、その紙を一気に剥がした。その紙の下には。
「あっ」
大きく、細かい装飾模様が施された鍵が設置されていた。
女性は一度その場から離れると、壁際に無造作に置かれたリュックの中から小箱を取りだして、元の場所の鍵に覆い被さる。そして小箱の中から何本もの鋼線で作られた針金を取りだして鍵穴に差し込んでいった。
さらに数時間。鍵穴に突っ込んだ鋼線同士を針金を巻き付けて固定しつつ、数本の錐を強く押し込みながら漸く鍵が開いた。
大きく息を吐くと、使った鋼線等を小箱に押し込み、蓋が閉まっていない状態でも構わずにリュックに入れた。
今まで石の床に金属の輪が出ていて、そこに開ける仕組みも無いのに鍵が掛かっていただけだったが、鍵その物を外すと一メートル四方の扉が現れた。
その扉を開けると、まるで本棚を床に仰向けに置いたかの様な仕切りで区分けされていて、女性はその一つ一つを丁寧に取り出していった。
その中にこの女性の目的に物があった。
それは『悪魔の本』。
悪魔の本と呼ばれる物はいくつかの種類が存在する。本自体の管理を悪魔にさせるモノや、悪魔そのものを封印する本。悪魔を利用する方法を書いたモノや、悪魔によって施された呪いを封じたモノもあった。さらに、悪魔も精霊悪魔と悪魔族とに分類され、特に悪魔族は破壊の象徴であり人が決して手を出してはいけない存在と言われている。
女性の手にした本がどんな種類のモノかは不明だったが、女性は本と、その周辺の書類や箱などを一気にリュックに詰めるとその場を後にした。




