【同日 午後六時0八分】
修正入るかもね
【同日 午後六時0八分】
窓の外では、雪が淋しく降っている。その光景を見ながら、僕は時の経つ早さを実感していた。ついこの前まで中学生だった僕が、気が付くと高校生になっている。久々に、当時の仲間とこうして集まっているというのは新鮮な体験だった。
僕らは、浮かれた空気に身を任せて会話を続けていた。約一年ぶりに訪れた、「カフェ・小日向」は当時とほとんど変わらず、木造建ての、落ち着きのある内装のままだった。大きな扉の正面に、L字型で5×2の七人掛けカウンターがあり、向かって左側には四人掛けテーブルが三つ程、奥から並べられていた。そして、入ってすぐ右側には六人掛けテーブルが一つ。僕らはそこに座って、持参したお菓子(ポテチや、ポッキー等のチョコレート類)と、マスターが淹れてくれた少し苦めの珈琲を片手に、この「小日向会(自称)」を楽しんでいた。
店には僕たちと、一組の中年のカップル、それとハットをかぶって酒を嗜む初老の男がカウンター席にいるだけだった。
「しっかし…。よくもまぁクリスマス・イブだというのに、この店は何も変わらないね ぇ」
と、神木陵が溜息をつく。
その言葉にこの店のマスターの娘で看板娘でもある小日向明日香が楯突く。
「何よ。私がパパに言ったのよ。世間の波に流されて合わせるようじゃ、来る客も来な くなるってね」
小日向は、少し眉をひそめて不機嫌を露にしている。
彼らとは中三の時、同じクラスだった。こういうやり取りは、今も変わらないようだ。見ていて僕は微笑ましくなる。二人は現在、同じ高校に通う恋人同士。中学時代から、今も続くカップルは結構珍しい。
「何か分かるよ、そういうの。店全体が木の匂いがするからかな。俺ここに来ると、自 然と心が落ち着くんだ。この雰囲気を、クリスマスだからって壊すことないと思う」
そう言ったのは、中学時代、僕と同じサッカー部だったもぎ茂木たくみ琢実だ。
確かにその通りだ、と僕も思う。僕は琢実のこういう感性が気に入っていた。
僕と琢実は元々、仲が良いとは言えなかった。入部したての頃の部活では、しょっちゅういがみ合い、チームメイトを困らせた。
そんな彼との関わり方が変わったのは、入部して半年が過ぎた頃、帰り道のある出来事がきっかけだった。
それからというもの、僕は琢実と一緒に帰ることが日常になった。そのうちに、二人ともが似た様な感性を持っているのだ、ということに気付き、共有するようになっていった。
その共有する感覚がたまらなくて、僕は他の場面でも、彼と過ごす時間を次第に増やしていった。
そして今に至る。高校は離れてしまったが、彼は僕が頻繁に連絡を取り合う、唯一の知り合いだった。
その琢実の意見に、神木が反論する。
「でも、年に一回の聖なる行事の日だぜ。しかも今俺ら高校一年生じゃん。少しくらい 楽しもうよ!」
「与えられた楽しみは存分に………ってやつ?」
小日向が、思いついたように口を挟む。
「そう。『与えられた楽しみは、存分に楽しめ。どうせ、与えられた悲しみは、存分に悲しむしかないのだから。』ってね」
「相変わらず、だね」
僕らが知り合ったときから、神木がよく口にしていた言葉だ。彼の、素直で明るい性格にとても似合っているなぁ、と僕は聞く度に思う。神木と一緒だと、何事も明るく変わってしまうのだ。
中学三年の最後の体育祭。僕と神木、そして小日向有する二組と、琢実がいる一組とが、全級リレーでトップを争っていた時のことがあった。
走者はアンカーの一つ手前、小日向に回っていた。この時点で僕らはトップ。二位の一組に十メートルほどの差をつけていた。
陸上部だった彼女は、クラスの女子の中でもダントツに足が速かった。対して、一組のラストから二番目の走者 (確か美術部の女子)は、そんなに速くないはずだった。
この状態のままアンカーまで渡れば、いける!
クラスの誰もが、そう思っていた。なにせ、うちのアンカーは陸上部のエース、神木陵に他ならなかったからだ。
かくして、その予想は的中した。ただし、途中までは…。
最後のコーナーに差し掛かったとき、不意に小日向がよろけた。危ないと思ったのも束の間、彼女は足を滑らせて倒れてしまった。観客席から、落胆の声が上がる。
彼女はおそらく、僕らの知らないところで相当なプレッシャーを背負っていた。
一位を守るため、出来れば差をつけたい。陸上部として、負けられない。
…そして、意中の人にカッコいいところを見せたい…。
その意識が仇となってしまったのだ。しかし彼女はそれでもすぐに立ち上がった。
彼女は歯を食いしばって再度走り出す。
その姿は、何よりも見ている人々を魅了した。
結局、僕らはエース神木の奮闘空しく三位で競技を終えた。悪くない成績だけど、小日向の精神を折るには十分だった。
小日向は、グラウンドにうずくまって泣いた。体育祭に最も真剣に取り組んでいたのは間違いなく彼女だった。誰よりも早く来てもっと練習しようよと、僕らに声をかけていたし、クラスのモチベーターにもなっていたのだ。だから、誰も彼女を責めようとしなかった。けれど、逆にその気遣いがクラスの空気を重たくしていた。
その雰囲気の中で最初に口を開いたのが、神木だった。
「小日向……」
だが彼女は顔を上げない。
僕はこの時、神木に大きな期待を寄せていた。
彼なら、何とかこの空気を変えてくれるのではないかと。
それは、神木を慕うみんなも同じだったと思う。
可笑しな話だ。さっきまで、小日向に期待をしてプレッシャーを掛けていた張本人たちが、懲りずに同じことを繰り返している。過度の重圧は、時に人を傷つけるものなのに。
でも、誰もが彼に期待せざるにはいられなかったのだ。
彼には、それだけ僕らに思わせる信頼があった。
期待と信頼。二つの言葉は似ているようで、異なるものだ。「期待」はひたすら望むだけでも、「信頼」は、人を信じることなしに出来ない。
僕らは、小日向を本当に「信頼」していただろうか。
僕らは、神木を「信頼」しているのだろうか。
「信じよう」
僕はその場で呟いた。何人かが、怪訝な顔でこっちを見る。
僕は少し、ボリュームを上げて言う。
「神木を、信じよう。彼なら大丈夫だよ」
コクッと、うなずいてくれる人がいた。たぶん、聞いてた人には伝わったはずだ。そ して…。小日向も、信じよう。あいつは、こんなことで折れるほどやわじゃない彼女も、信じるに値する人物だ。
これだけで、ちょっとだけクラスに色が戻った気がした。
僕も、小日向のように体育祭の熱に感化されたのかもしれない。
小日向が反応せず、暫く黙っていた神木は唐突に喋りだした。
「俺さ、たぶんお前のこと好きだ。…付き合ってくれ……」
ばっと、小日向がグシャグシャの顔を上げる。目まで真っ赤で涙を浮かべていたが、その中に驚きの表情が読み取れた。
予想外のセリフに、一気に周りが大爆笑を起こした。僕も思わず腹をかかえて笑った。
なんだよー。
この状態で告白?神木ってやっぱスゴイ…!
慰めるんじゃなかったの?………。
口々に好き勝手言いながら、みんなが主役二人の周りに集まる。
もうさっきまでの悲壮感は、どこにも見当たらなかった。
彼は、期待は裏切ったけど信頼は裏切らなかったのだ。
「あったなー、そんなこと」
僕がこの話をすると、琢実は、二組が羨ましかったと言う。あんなに楽しそうな組、他になかったと。
琢実からそう言われると、僕はちょっと誇らしくなった。
ところで、あの告白の返事というのも、現在に至るまで語り継がれている。
「あの時の小日向は悲惨というか、ただのネタとしか思えなかったよな。」
「あれか、『結婚してください!』ってやつだろ。白昼堂々の告白のお次は、まさかの プロポーズだもんな」
「うるさい!だってビックリするじゃんか。あんな公然で、しかもあの場面での告白だ よ?」
小日向は完全に乙女の表情になっていた。自分で気付いているだろうか。
僕らのようなティーン・エイジャーが、愛の告白として思い浮かべるのは、学校の場面が多い。
放課後の教室、屋上、校舎裏。部活の帰り道、下駄箱………。
僕らは時折、普段過ごすこの学校が生活の全てだと、錯覚してしまうことがある。
そうやって、世界観を狭めてしまえば、問題が起きた時に自然と殻に閉じこもりやすくなってしまう。人間関係で一揆杞憂する僕らの世界では、たとえ些細なことでも人生が日々変化していく。
恋は、その代表的な例だ。十代の恋愛は、青春と呼ばれるほどに大きな影響力を持っている。
だから、恋愛相談というのは慎重に相手と関わらないといけない、と僕は思う。
かつて、小日向の相談役をやってからそう考えるようになった。
僕は彼女を傷つけた。
彼女は僕に相談したことを、後悔しているのだろうか。
小日向は、神木とのやり取りを楽しんでいる。きっと内面では、色々な葛藤があって今の彼女がいる。その過程に、果たして僕は存在しているのだろうか。
空席に置いてある、一つの減ってないカップが見えた。
もう、冷めているだろうな。
自分の気持ちも、同じように冷めてしまったのだろうか。
そこまで思いを巡らせて、僕は一息つくためにマスター自慢の珈琲を啜る。ぬるい。
それとなく、一緒にいる彼らを眺めた。
弾む会話、心地良さそうな表情……。どれも、この場の雰囲気を作り出すパズルのピースのように機能しており、不和なんてこれっぽちもないみたいだ。
けど不意に、僕にはそれが表面だけのまやかしに思えた。僕を含め、ここに居る人は意識的に自分らの裏方を排除することで、今のパズル関係を成り立たせているのではないか。
まるで、足りない部分を補うかのように…。
僕は嫌な考えを消そうと、彼らから視線を外し自分の腕時計を確認する。
【午後六時五十九分】
集合は午後六時だったから、話し始めてもう一時間が経とうとしていた。後十秒で七時だ。
はっと、僕はそこで予告めいた不安を感じた。何だ、この嫌な予感は。僕は時計の針に、目を吸い寄せられた。
午後七時まで後五秒…。何となく、七時がきてはいけない感じがした。
…三、二、一、0。
しかし辺りを見渡しても、何か変わった様子は…ない。
……気のせいか。僕は少し、神経質になっていたのかもしれない。
気がつくと琢実が、ぐいっと僕の顔を覗きこんでいた。
「なぁ、どうかしたか?顔色、変だぞ」
その言葉につられて、全員がこちらを向く。僕は彼らの気配から、強い覚悟を垣間見た気がした。
まさか、こいつらも何か感じているのか?
ドクンッと心臓の脈打つ鼓動が早まる。
一息に変わった場の空気に、緊張感が漂う。決して静寂ではない。それなのに今、さっきまで気にも留めなかった些細な音、例えば僕の腕時計の秒針が刻む音や、マスターがカップを洗う水の音、あるいは外から漏れる微かなクリスマス・ソング――。それらがいつの間にか、僕の耳に届くようになっていた。
やはり、何かが来る。もうすぐ。そして僕らはそれが何であるか、来たとして何が起こるのか、おそらくわかっている。そろそろ僕も、覚悟を決めなければならない。
表と裏は、いつでも表裏一体だ。現実は、どうしようもなく僕らを襲う…。
僕は口元を固く結び、正面を見据える。誰を見るでもなく、そっと、扉の方に目を向ける。
そして唐突に、しかし着実に。ゆっくり扉が開いた。
「利久也……。いや…、りっ《・・》君」
現われた少女は、静かに僕を二度呼んだ。無表情で。また、無関心な風に。だが、その目は怒りを映し、じっと僕を捕らえていた。
意識せず、身体が硬直した。
――さぁ、五つ目のピースが揃った。パズル関係の崩壊が、始まる………。――