すべて世はこともなし
「終わりよければすべてよし」の王子視点です。
僕が彼女――婚約者として内定していたディアナと見合いをしたのは、九歳の時だった。
当時から彼女は公爵令嬢として、他の子供達に比べて並外れた完成度を誇っていた。父である王の同腹の妹姫を母に持ち、初代王の孫の流れを汲むセシル公爵家に生まれた、王家に次いで高貴な令嬢。
絹糸のような柔らかい金髪を結い上げ、落ち着いた青いドレスを着た美少女。
紫紺の瞳を向けられ、微笑みを受け、僕は真っ赤になった。
――初恋だったのだと思う。
婚約者として正式に決定した後の初顔合わせは、僕の緊張によって早々にお開きになった。
けれどそれ以降も僕と彼女は周囲の意図もあり、半月に一度のお茶会を続けた。ディアナは早熟で、いろいろと足りない僕を姉のように鷹揚とした様で導いてくれた。
特別大きな問題もなく、しばらく当たり障りない関係を続けていた。
そんなある日、城の図書館でディアナを見かけた。僕とのお茶会の日ではないので見間違いではないかと思ったが、もしかしたら僕に会いに来たのかも、なんて気分が昂揚した。
僕は課題に必要な資料を探しに来ていたが、常と同じようにタイトルを教え司書に探しに行かせていた。貴人専用の座席で待とうと向かい、彼女の姿を発見したのだ。
「やあ、ディアナ」
軽い気持ちで声を掛けたことを、僕は後悔することになった。
一瞬、彼女は不愉快そうに顔をしかめ、すぐに笑みを浮かべて挨拶を返してきた。
「ごきげんよう、アルス様」
いつも通りの笑顔にほっとして、僕はディアナに訊いた。
「あの、ディアナは何の勉強をしているんだい?」
些細な好奇心だった。
真面目な面もちで辞書と見比べながら読み進めていた書物が何なのか、ほんのちょっと聞いてみただけだった。
だけど――
「アルス様には難しいと思いますわ」
彼女は苦笑して、書物と辞書を片づけてしまった。
その態度に言いしれぬ不快感と不安を覚え、当たり障りない話題を提供してきたディアナにのって、話を逸らした。
まもなく、司書が頼んだ本を持って現れ、僕は逃げるように図書室を後にした。自室に戻っても、もやもやした気分で課題に集中できなかった。
夜ベッドでぼんやりしているときになってようやく、ディアナの態度の意味に思い至った。彼女は僕にはそれを理解できないと決めつけた――試すまでもなく、意味はないと。
実は彼女にずっと見下されていたのだと気づいたその時、羞恥心とか、惨めさとか、当時はそんな言葉は思い浮かばなかったけれど、酷く傷ついた自覚はあった。
無性に自分が情けなくなって、部屋でひとりきり、声を押し殺して泣いた。
翌朝、泣きはらした目で現れた僕を見て、母上が心配してくれたが、何も言えなかった。
あるいはその当時ならば、ディアナの言動を理由に、婚約者として合わないと申し立てることも出来たかも知れない。
けれど僕は、無気力になっていた。
何をしてもディアナには届かない。
このままではいけないと努力を重ねて、ようやく追いついたと思ったら、遙か先に行ってしまっている。
いつの間にか、同年代の子供が集まる場での周囲の僕を見る目も、どこか諦めに似た、ディアナと同じような感じが増えていた。
――気づいたときには、僕はもう無能のレッテルを貼られ、教育がだんだんなおざりになってしまっていた。
教師はにこにこと、簡単な問題を出し、当たると大げさに褒めた。叱られたこと、間違えを指摘されたことなど一度もなかった。
僕は勉強に意味を感じなくなった。
そんな中、僕の周囲を優秀な者で固め、足りない部分を補おうとする動きがあった。
リース公爵家嫡男ギルバート。
レイヴァン伯爵家嫡男ハーヴェイ。
ワーズワース子爵家嫡男ウォーレン。
皆、将来有望で、僕なんかには勿体ない人材だった。
けれど、いつしか彼らの存在は僕にとって、唯一の救いにもなっていった。
彼らは人格者だった。
ギルバートは社交術、ハーヴェイは学問、ウォーレンは武芸に秀で、嫌な顔一つせずに僕に自分の得意分野を教えてくれた。同い年なのに凄いと、そんな感想しか持てなかったが、優しくも厳しく教えてくれる彼らは今までの教師と比べて優秀な先生だった。
彼らは一様に、僕は馬鹿ではない。物事を覚えるのが人よりゆっくりしているだけだと言い、むしろ記憶力がよいと褒めてくれた。兄ができたような気持ちだった。
そして、僕のディアナに対する憧れだとか妬みだとか、劣等感だとか、そういった感情をも理解し、僕を肯定してくれた。
同時に、ディアナの僕への隠す素振りすらない見下した言動に、僕以上に怒りを感じてくれた。それは嘘偽りのない純粋な同情だった。
時折、彼らの父親が顔を出し、様々な話をしてくれた。
リース公爵は父上の若い頃の話や自分の失敗談をまじえて、僕たちが今後社交界に出た後気をつけるべきことをさりげなく諭してくれた。そこはかとなく女性への苦手意識が植え付けられた気がする。
レイヴァン伯爵は宰相で特に忙しいのに、学問の質問を受けてくれた。その答えは的確ながら凝り固まった思想ではなく、考え方が広がるように考えられていた。
ワーズワース子爵は騎士団長の仕事の空き時間で、僕たち四人を同時に相手取った稽古を付けてくれた。四人掛かりでも一度として掠り傷もつけられなかった。どれほど強いんだろう、あの人。
――学友を通じて、その父親たちとの交流が増えたことも喜ばしいことだった。
親子は似るものなのだろう。親子で同じ分野が得意でも、同年代に教わり切磋琢磨するのともまた違った視点で学ぶことができた。
周囲の優しさに甘えている自覚はあったが、それでもそんな穏やかな日々に幸いを感じていた。
何故僕なんかに彼らが心を、時間を割いてくれるのかという疑問には蓋をして。
――また、生まれて初めて、僕は父上に心から感謝した。
彼らを僕付きにしてくれたことに。
優秀な、腹違いの弟――同い年で、実は僕よりも先に生まれていたのではないかと言われている。正妃に配慮して、誕生日をずらしたのではないか――である第二王子に付けるという道もあったのだ。そうせずに、彼らと引き合わせてくれたことに、僕はまだ父上に見捨てられては居ないのだと安堵した。
そうこうしている内に時はたち、ディアナが公務で国外に出ることになった。出発したら、彼女は一年間は帰ってこない。
使い物にならない僕の代わりに、彼女が国を負うのだ。
僕は生きて玉座に居さえすればいい。
彼女をはらませ、次世代を産ませればいい。
――本当に?
僕はディアナの夢を知っている。
「お父さまとお母さまのような愛し合ってお互いを高め合う夫婦になりたいのですわ」
少し舌っ足らずな頃の彼女との、数少ない優しい思い出。出会ったばかりの頃に、どんな夫婦になりたいか、思い切って訊いてみた答え。
人を見下すことに慣れきった傲慢な彼女の、子供らしく純粋な夢。満面の笑顔。
僕は一体どうすれば――どうあればいいのだろう。
努力を続け、何とかしてディアナに並ぶことができれば一番いい。けど、努力が必ず報われるなんて有り得ない。生まれつきの素養があって、はじめて努力が生きるのだ。
僕にはそれがない。
ではこのまま、一生彼女にも周囲にも見下され、愚者と蔑まれ、生きていくのか。
はっきり言って、ディアナは僕を愛していない。僕も彼女を愛してはいない。
こんな僕たちでは、幸せな結婚生活など成立しようもない。
いっそ僕が廃嫡されてしまえば……。
そんなことさえ考えてしまう。
どうしても、十年戦争を切っ掛けに制定された法律が障害として立ちはだかる。
本来ならば、第二王子を王太子にするのが一番良いのだ。それは誰もが――僕の母である王妃ですら、同意するだろう事実。
いっそ僕がいなければ、と何度思ったことか。けれど、僕は死にたくはなかった。
どうすればいいのかわからないまま、流されるように時間は過ぎ、十七歳になっていた。あと一年で学園を卒業し、すぐに立太子、そしてディアナとの婚姻が待っている。
残り時間は少ないのに、打開策は見つからないまま、とうとう母上とディアナは国を発った。
ディアナとは婚約して以来、定期的に会っていた。多分ディアナは仲の良さを知らしめるためのパフォーマンスとして、僕は義務として。
それが唐突になくなって、何だか胸に穴が空いたような寂しさと、正反対の安堵を覚えた。
ディアナへの感情は、愛憎入り交じったという表現がしっくり当てはまるほど、混沌としていた。だから、不在というだけで喜ばしい反面どうしようもない不安を感じるのだ。
そんなときに現れたのが、リリアだった。
彼女は諸事情で入学が遅れたが、一年間だけでも学園生活をおくりたいのだと語った。
まるで常に監視をしているかのように僕が一人になった隙を狙って現れ、はしたなくしなだれかかってくる、まるで娼婦のような女。ディアナとは正反対だと思った。同時に、どこか似ているとも。
多分、自分に自信があるところが似ていたんだろうと思う。
そして彼女は、僕だけでなくギルバート達他の三人の前にも現れるという。
情報を共有して、ぞっとした。
僕の前ではすべてを許し包み込むような可憐な様を演じ、ギルバートの前では男にすべて従うようなおとなしい淑女。ハーヴェイに対しては知的で穏やかに、ウォーレンには快活で武芸に興味があるように振る舞う。確かにそれらは僕たちそれぞれの異性の好みに当てはまっていた。
僕たち四人の中で、彼女が要警戒人物となるのに時間は掛からなかった。
まさか他国の間者ではないかと、ハーヴェイの父上を通じて素性を調べてみたが、何て事はない庶出の平民の娘だった。
警戒を隠して、近づいてくるリリアを観察した。
リリア・マルメット。
観察が進むと、彼女はとても分かり易い娘だと分かった。
僕を理解していると、愛していると言った口で、他者に――それも複数の異性に同じように理解と愛を示す。
本当の僕を見ていると言いながら、身分と容姿にしか興味がないことがありありとわかるその眼差し。だって、僕のディアナに対する劣等感に気づきはしても、その本心にはちっともかすらないのだから。
貞淑さの欠片もない、恥じらいすら存在しないのではないかと思うほどの奔放な振る舞い。
それとなく肉体関係を唆されたときにはあまりの気持ち悪さに逃げ出してしまった。彼女はそれを照れ隠しだと理解したようだが。
三ヶ月ほどの観察を経て、彼女の目的が僕たち四人を――あるいはそれ以上の数の男を侍らせることと結論づけた。
国防に関係ないし、放置しても特に問題はないだろうと――たとえ正式にマルメット男爵の養女となっても国に何の影響も与えないだろうと、距離を置こうとした。
それを止めたのはハーヴェイの言葉だった。
「彼女を利用して、ディアナ嬢との婚約破棄をすればいいのでは?」
突然何を言い出すのかとハーヴェイを凝視すると、苦笑して詳しく説明を始めた。
つまり、恋に狂った王子として衆目の面前で婚約破棄を宣言する。理由はディアナが嫉妬でリリアを虐めたから、と言い張る。実際、リリアはディアナの不在に気づかず虐めを受けたと訴えてきている。
我々が利用してもしなくても、彼女が騒ぎを大きくすれば勝手にセシル公の怒りを買って自滅するだろう。
その前に少しだけ利用させて貰うのだ。
現時点でディアナの名を不用意に貶めている事実は変えられない。リリアの破滅は決定事項なのだ。
学園での言動がマルメット男爵に知られれば、貴族になるどころか放逐されるだけだろう。逆に貴族になったとしても、学園での彼女の名前は地に落ちている。社交界ではまともに生きていけない。
ならば、修道院に入れることで脅威から逃がすことが利用する代わりに僕たちにできる最大のことなのかもしれない。
「でも、いくらなんでも、ディアナが疑問に思うんじゃ……」
「いや、彼女は疑問に思っても俺たちが計画したことだとまでは気づかないよ」
ギルバートが自信ありげに言い切った。
「彼女は、ディアナ・セシルは、己が認めた人間以外をすべて見下している。たとえ俺たちが彼女を無実の罪で断罪しようとしても、怒りもしないだろうさ。きっと馬鹿を見るように蔑んで、正論で打開するはずだ」
確かに、と思わず納得してしまう。
だが、問題は他にもある。最大の問題が。
「僕がそんなことをしたら、側にいながらも止められなかったとして君たちが罰を受けることになるんじゃ……」
一番嫌な想像だった。
「まあ、それはね」
あっさりと肯定され、僕は反応に困った。
「でも大丈夫だよ。多分リース公爵家が侯爵家になるくらいさ」
「大事じゃないか!」
そんな簡単に済ませられる内容ではない。僕が反論しようとするのを制して、ギルバートは説明を続けた。
「父がセシル公爵に敵対する理由って、最初は初陣で揉めたとかそんなだったらしいよ。で、何かしら反抗し続けて気が付いたら敵対勢力の筆頭に仕立て上げられていた――引っ込みが付かなくなってるんだ、家は。だから、今回のことで罰せられても、未成人の俺が馬鹿やったってことで切り捨てれば傷は最小に済ませられる。その上、国を二分する勢力を弱められる」
上手くいけばだけどね。
そう締めたギルバートに続いて、ハーヴェイとウォーレンも僕を説得するように言を紡いだ。
「私もどちらかというと、自分の我が儘ですね。宰相候補なんて持ち上げられていますが、実際のところ、知識欲を満たしたいだけで、国政に興味はないんです。両親もそれは理解してますし、まあ、大丈夫でしょう。爵位が下がっても、今の我が国が宰相である父を手放せないのは誰もがわかっていることですから。もし宰相位から解放されたら、私と似たり寄ったりの父は大喜びではしゃぎ回るしょうね」
そうなの?
初めて聞く話に、宰相の柔和な顔を思い出す。
ダメだ。彼がはしゃぎ回る姿なんて想像できない。
「俺は騎士の息子ですからね。一度主と定めたアルス様が選んだ道を守りますよ。別に出世しなくても修行は何処でもできるし」
むしろアルス様を裏切ったら、親父に殺される。
遠い目をしてぶるりと震えるウォーレンに、誇張の陰はない。
「いいのだろうか」
君たちの厚意に甘えて。
王子としての義務を放棄して。
弟に王位を押しつけて。
――逃げ出しても。
「ずっと、聞いてみたかったんだけど」
結論を出す前に、長年の疑問をぶつけてみようと思った。
「どうして各分野で優秀な君たちが、僕なんかについてくれたんだい?」
僕は僕の価値を第一王子であるという以外に見いだせない。
「いや、なんか雛鳥みたいで放っておけないし」
「実の弟より素直でかわいいですよね」
「一人にしたらうっかり転んで死にそうで目が離せない」
思った以上に酷い理由だった。
あれ?
王族としての威厳何処行った?
むしろ、権力がどうとか父親の命令とかそういうのは?
「冗談、だよね?」
「「「紛う方なく本音」」」」
頭を抱えた。
比喩ではなく、実際に。
「アルス様の魅力は容姿とか地位とかじゃないんですよ」
ウォーレンの言葉に首を傾げるが、三人とも笑うばかりでそれ以上を言わない。
僕の決定を待っている。
「……わかった。僕はリリアを利用して、ディアナとの婚約を破棄する。それを理由に王位継承権を返上する」
そう決めてからは、目標が定まったこともあり、僕たちは素早く行動を開始した。
まず、学園内でリリアと無意味にいちゃつくこと。凄く苦痛だったが、頑張った。
貴族子女たちに僕が阿呆だと印象づけた。いや、もともとそう思われていたかもしれないけれど、誰もにわかるようにはっきりと行動で示す必要があった。
そして、宰相にばれた。
速かった。
柔和な笑顔を崩さずに、城の僕の部屋に現れたと思ったら、前置きもなく、「学園内での、とある女生徒への言動はなんですか?」と問われた。
ハーヴェイが固まって、誤魔化そうと口を開いたが宰相の一瞥で黙った。
問答無用で計画を吐かされ、宰相が一枚噛む条件で黙認してもらった。
その内容が、リリアがそれとなく訴えてきている虐めの目撃者として、実家の権力を削ぎたい生徒に協力させることだった。
いずれ明らかになる冤罪ならば、同時に面倒な相手も巻き込もうという肚だ。
頷く以外になかった。
勿論、彼らが冤罪話にのったらの話だ。断るなり僕を窘めるなりするならば今後に見込みありとして、今回は見逃す手筈だった。
それから、宰相を通して、リース公爵と騎士団長にもばれた。
二人とも最初こそ渋っていたが、宰相と三人で話し合いをしたようで、いずれ協力してくれるようになった。――といっても、セシル公爵が中途半端にリリアに手を出すのを止めたり、他国にいるディアナに情報流れたりしないようにするくらいだったが。もしかしたら僕たちの知らないところで何かやらかしていたのかも知れないが、彼らが言わない以上、知ることは出来なかった。
母上とディアナが帰国してすぐ、僕は父上にすべてを話した。
リリアと必要以上に仲良くしていることは父上も知っていたようで、特に驚く様子はなかった。僕の気持ちが変わらないことを見て取り、すぐに母上と側室、第二王子を呼びだしてくれた。
意外にも第二王子が強く反対したが、最後には受け入れてくれた。やはり頭の回転が速い。僕では王に相応しくないとわかってくれたのだろう。
彼ならば王として、ディアナの夫として、よく務めてくれるだろう。
そしてもう一つ。
僕の大事な学友たちのことを父上にお願いした――が。
やはり、無罪放免は不可能だった。
当たり前だ。
主の過ちを正すのも側近の務め。彼らは学友だが、臣下の子である以上、僕の言動を諫める必要があった。
それでもいずれ僕に爵位を与え、領地を任せるときに彼らが望むのならば共に行くことを許してくれた。王兄となる僕に仕えるのに相応しい役職を与えてくれる、と。
よかった。
これで彼らに少しでも恩を返せる。リリアの修道院行きは決定事項として皆が認識していたとおり、確定した。それでも彼女の言動に照らし合わせれば、生温い罰ではあった。
王子である僕に対する無遠慮な振る舞いや、その婚約者で公爵家令嬢たるディアナを貶める言動。不敬罪を適用されれば死刑にもなりかねないところを、衣食住が保証された修道院行きで済むのだ。
感謝しろ、などと口が裂けても言わないが、すでにセシル公爵に目を付けられていた彼女の助命はそれが最善でもあった。
この一年間色々と不快な思いもさせられたが、これで貸し借りなしとしようと思う。
僕は両親と側室、弟に深く頭を下げて部屋を後にした。多分これから、父が弟に正式に王位に就くように言うのだろう。その場に僕がいるのは、彼と父が本音で語らう邪魔になる。
断罪を目前に、ハーヴェイがいい笑顔で紙束を持ち込んできた。
「……何これ」
ギルバートがにじみ出る笑いをかみ殺して問う。ちなみにウォーレンは気にせず爆笑していた。
「何って、台本ですよ」
各々の役割と基本的な台詞を書き出したのだという。
細かいことに、台詞の後に表情やその台詞に込められた感情までも書かれていた。
「父が乗り気で」
宰相作なの!?
僕はとりあえず一通り台本に目を通して、すべてを暗記した。なんか魔女とかすごい台詞もあったけど、気にしちゃいけない。まさか宰相の本音では、とか思ってないよ!
「なんか、棒読みになりそうで怖い」
「俺は覚えられるか自信ないです」
僕とウォーレンが自信喪失しているのを後目に、何故かやる気のギルバートが練習してみようとか言い出した。
ハーヴェイも、下手扱いたら父に嫌み言われますよ、なんて言って、卒業式典までの一週間、毎日学園から帰るとすぐに練習をするようになった。
一度時間を作って親たちが勢ぞろいで見に来た時は、舌噛んで死ねると思うほどの羞恥心に襲われた。
父上たちそんなに暇なの?
そんな目で見ていることに気づいたのだろう。母上が「本番をわたくしたちはみれないのだからいいじゃない」と拗ねていた。側室も母上に同意し、二人で僕たちを笑い物にしていた。
――母上たちっていつからそんなに仲良かったんですか?
そんなこんなで、運命の日。
彼女はギルバートの言ったとおり、焦りもなく僕たちを愚か者を見る眼差しで見据えていた。
己の正しさを疑わない、絶対者のように。
それでも久しぶりに話をしてみると、彼女の言葉に首を傾げる部分もあった。
いくら僕が頭悪くても、婚約者であるディアナの一年もの不在に気づかないはずがないのに。
そこまで愚かだと、疑われない自分に情けなくなった。
結果――というのも何だが、予定通りに婚約は無事解消された。
彼女は立太子した弟との婚約を発表し、諸国に挨拶した通り王太子の婚約者として式典に訪れた各国の王族をもてなした。
そんな中、僕は人知れず侯爵位を与えられ、長閑な地方の領地に一人で向かった。
いずれギルバートたちと再会できる日が来るだろうが、それまでは独りで立って歩かなくてはならない。
些か身構えすぎていた感はある。
だが、領地の屋敷に着いた僕は、すでに到着していた使用人の中に彼らの姿を見つけて唖然とした。
「何してるの、君たち……」
力ない問いに、彼らはいつも通りに笑って見せた。
僕の執務室に移動して、再びここに居る理由を問うと、
「立太子と婚約の二重の慶事で、恩赦を得たんだよ」
とギルバートからあっさりした説明が返ってきた。
「恩赦?」
「そう。俺はアルス様の補佐として、ハーヴェイは家令、ウォーレンは王族の血を持つアルス様の護衛として、こちらに配属されたんだ」
「本来なら自宅蟄居処分だったのを左遷にしたってかんじですね」
ウォーレンが言葉を継ぎ、僕はやっと驚きから醒めた。
「こんなに早く会えるとは思わなかったよ……」
長ければ数年――彼らの気が変われば、一生会えないことも覚悟していた。
それが、わずか一年ちょっと。
いや、それも長かったけれど。
でも。
「こうしてまた一緒にいれて嬉しい。これからもよろしく頼むよ」
「はい、我が君」
ハーヴェイが優雅にひざまずき、残りの二人もそれに倣う。
――我が君、か。
僕が王家の血を引く以上、主従関係は一生変わらないだろう。それを少し寂しく思えど、安泰であった嫡男の座を捨ててまで僕に付いてきてくれた彼らの真心に歓喜が沸き起こる。
彼らが真実何故僕に尽くしてくれるのかなど、もう気にしたり疑ったりしない――ように気をつける。自信がなくなる度に大事な友の真意を疑うなんて、本当に惨めな人間にはなりたくない。
なるならば、彼らが後悔しない主に。
「ではまずは、領地を直接見て回りたいな」
やる気を出して言ってみたが、ハーヴェイに笑顔のまま却下された。
「いえ。まずは引継ぎの書類からです」
「……ハイ」
彼らが居れば、僕は道を間違えない。
……と、思う。
台本あった! ディアナ正解。
タイトルの「すべて世は事も無し」について。
すべてこの世は無事平穏である、という意味で使いました。
ディアナのこと、王位のことなど悩みは尽きないアルスですが、基本、彼の世界は平和です。学友の兄のような父のような包容力に、やや子供っぽさが抜けない程度には。
割と周囲に恵まれ、愛されていたアルス王子。
ディアナといい彼といい、視野が狭く思いこみが激しいのは血筋でしょうか?
情緒の発達途中にディアナの無意識の悪意を知ってしまったが為に、好意に疎くなってしまった不憫な子。好意を持っていた相手に嫌われていると気づいたら、誰だって臆病になりますよね。
それでも腐らず純粋に育ったのは、両親や学友を含む周囲の愛情を感じ取っていたからかも知れません。
環境が変わって、やはり領主として様々な問題に悩みながらも、無闇に否定されることが無くなった分、アルスなりに幸せに生きていけると思います。
もう一話、第二王子視点で終わりにします。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




