Ⅳ:真夜中の<お仕事>
深夜零時。
夜の住宅街からは部屋の明かりが消え、そのかわり街灯の光が目立つ。
俺がビルの玄関から姿を表すと、源が待ち構えていた。
「こんな時間に呼び出して、一体何の用だ?」
源が眠たそうな目で俺に文句を言った。
「昼に言いましたよね。今度遠藤さんの家へ行くとき、連絡しますと。」
そうだ。
源を呼び出したのは他でもない、俺自身だ。
「ということは、今から遠藤さんの家へ行くのか?」
「その通りです。」
「いや、どう考えても迷惑だろ…」
「大丈夫ですよ。遠藤さんの胸ポケットの中に、『深夜1時頃、もう一度伺います。』と書いた紙を入れておきましたので。」
俺がそう言うと、源は呆れた、という顔をしていた。
「ところでそれ、普段着か?」
「ええ、そうですが。」
ちなみに今俺が着ているのはパーカーとジーンズ。
「……普通だな。」
「この方が動きやすいですから。」
「あと…その杖はなんだ?」
俺の身長の3分の2くらいはありそうな杖を指差しながら源が言った。
「ああ、これは悪霊退治に使う道具です。」
「そう、なのか…?」
あまり信じていない、という顔をしていたが、とりあえず源は納得してくれたらしい。
「ここで立ち話をしていても時間の無駄ですし、もう行きましょう。」
「あ、ああ……って、おい。ちょっと待て!!」
出発しようとすると、急に源が呼び止める。
「まだ何か?」
「いや、お前の隣にいる女の子は誰だよ!?」
源が大声で俺にそう言った直後、源の声が周囲に響き渡り、当の本人は「しまった」という顔をしていた。
……時間と場所を考えろ。
真夜中の住宅街だぞ。
……などと呆れている場合ではなかった。
やはり誤魔化せなかったか。
できれば気づいてほしくはなかった。
俺の隣には今、小さな女の子がいる。
そして俺と手をつないでいる。
一応警察官の源が不審に思うのは当然だろう。
だが正直……説明が面倒くさい。
というか長くなる。
「お前、まさか誘拐……」
「違います。この子は親戚の子で、訳あってしばらく私が預かっているんです。」
源がとんでもない誤解をしかけていたので、俺は適当に誤魔化した。
だが、源は「ではなぜその子を連れていく?」と続けて質問した。
……しまった、答えられねぇ。
俺が答えられずに冷や汗を流していると、俺達のものではない別の声が聞こえた。
「私、こう見えてますたーのお仕事の助手をやっています。」
若干シリアスだった雰囲気が、その間の抜けた声でガラガラと崩れた。
今まで一言も声を出さなかった少女が、突然喋り出した。
「じょ、助手って、君が?」
「君ではありませんよー。私には穂という名前があります。稲穂の穂と書いて、スイでーす。」
女の子…スイはそう源に自己紹介した。
「そ、そうなんだ。でもスイちゃん、女の子はこんな夜遅くに出歩いちゃだめだよ。」
と、源が当たり前のことを言った。
しかし、スイはこう答えた。
「大丈夫ですよー。ますたーがついていますから。」
「…さっきから気になっていたが、そのますたーというのは、この男のことか?」
そう言って源は俺に視線を向ける。
「はい。ますたーは私の命の恩じ……じゃなかった、悪霊退治の師匠ですので、敬意を込めてますたーと呼んでいます。」
「そ、そうか。だがコイツが無理矢理『ますたー』と呼ばせている訳ではないのか?」
源がそう言うと俺は「失礼な!」とツッコミそうになるのを必死に抑えてこう言った。
「私にそんな趣味はありませんし、それに人前でその呼び方は止めろと何度も言っているのですが、全然直してくれません。…もう、放置しています。」
これは本当のことだ。
そんな俺の表情を読み取ったのか、「そ、そうか。疑って悪かった。」と源は言った。
「だがやはり女の子を夜遅くにーー」
「では改めて、遠藤さんの家へ行きましょうか。」
「はーい!」
源の言葉を遮りながら俺がそう言い、ようやく俺達は移動を開始した。
……源がしかめっ面をしていたことは言うまでもない。
*
「教祖様、こんな時間に一体…」
「申し訳ありません。しかしおかしな出来事がいつも夜中に起きる、と言っていたことが気になりまして。」
「はあ……」
そう言って俺は半ば強引に敷地の中へと入った。
すると、
オオオオオ、オオオオオ、
突然、得体の知れない黒いオーラのようなものが遠藤さんの家を取り囲んだ。
「わ、私の家が!?」
「これは一体、な、何がどうなって…」
遠藤さんと源は突然の出来事にパニック状態だ。
「ま、ますたー。これはやはり…」
「ああ。どうやら<当たり>だな。スイ、お前は二人を守っていてくれ。」
「了解しましたー♪」
スイがぱあっと明るい笑顔で返事をし、俺は家へと向かった。
すると、家を被っていたオーラが攻撃してきた。
オーラそのものを弾にしてそれを俺に向かって飛ばしてきたのだ。
しかも何発も飛ばしてくる。が、
「よっ、と。」
……まあ、慣れているので簡単に避けられるが。
問題は後ろにとばっちりがいかないかだ。
源と遠藤さんはすっかり怯えている。
だが、スイがいるから大丈夫だ。
なんせ穂は……
そのとき、
「うお!?」
シュッ!
いきなり頭上から包丁が振り落とされたが、間一髪避けた。
だが、その直後にもう一撃。
キンッ!!
今度は杖でそれを防いだ。
…遠藤さんの奥さんが何かに操られているかのように、包丁を振り回しながら俺に襲いかかってきたのだ。
さらに……
「……何だと?」
遠藤さんの子供(兄妹)が二人がかりで俺の足にしがみついていた。
おかげでうまく動けない。
「オイオイ、マジかよ。」
右手は杖で奥さんの包丁攻撃を防いでいる。
……だが幸い左手は使える。
俺はジーンズのポケットから、<お札>を三枚取り出した。
お札には漢字で「退」、そして五芒星が描かれていた。
奥さんの攻撃が弱まった一瞬の隙を突き、三人の額にそのお札を貼り付けた。
直後、「ウ、ウゥゥ……」と、三人はその場に崩れた。
「スイ!この三人も<結界>に!」
俺が大声で指示を出すと、
「はいはいはーい。了解しましたー!」
と、明るい返事が帰ってきた。
この調子なら安心して任せられる。
さて。
そろそろいくか。
「オイ、いい加減に姿を見せたらどうなんだ?」
俺はわざとらしく挑発する。
「貴様ハ一体、何者ダ?」
地面に響くような低い声が聞こえ、遠藤さんの家から出ていた黒いオーラが、巨大な化け物の形へ変化した。
「俺はただのインチキ教祖だ。…それで、お前は──」
「我ハカツテ、コノ地ヲ治メテイタ大名ダ。」
俺の言葉を遮って黒いオーラは答えた。
「ようするにタチの悪い悪霊だろ?」
この黒いオーラの正体が悪霊だということは、昼間ここに来た時すでに気づいていた。
「……タチノ悪イ…悪霊…ダト…?」
俺の言葉に反応したらしい。
「ああ。だってそうだろう?遠藤さんの家に取り憑き、真夜中になると家族四人全員の意識を奪った。」
「……………」
悪霊が黙っていたので俺は続ける。
「遠藤さんだけじゃない。お前はこの近辺に住む人々からも意識を奪っていった。少しずつ、一日に二世帯くらいのペースで。」
これも昼間の<お清め>の時に信者達が住民から集めた情報だ。
というか、実は信者の中にも遠藤さんのような現象にあった人がいた。
「……………」
悪霊はまだ黙っていた。
一気に追い詰めるか。
「お前の目的は大方この近辺の人々の意識を操り、そしてこの土地にお目の国でも作ろうとしたんだろうが、お前にパワーが足りず、時間がかかった。…いや、そもそも出来なかった、のか?」
「……………」
「そこでお前は仕方なく遠藤さん一家の意識を奪った。どうせエネルギーも奪っていたんだろう。そうやって徐々に意識を奪う人数を増やして言った。」
「……………ダ」
悪霊が何か言いかけたので、そろそろいい頃合いだと思った。
「要するにお前は、ただの、ザコ。……ってことだよなあ?」
俺がそう言った直後、
「……ダ、ダマレェェェ!!」
とうとう悪霊の逆鱗に触れてしまった。
……いや、触れてやったと言うべきか。
「貴様ニ何ガ分カル!!我ガザコダト?フザケルナ!!我コソガコノ地ヲ、国ヲ、ソシテコノ世界ヲ……………ン?」
突然、エキサイトしていた悪霊が動きを止めた。
そして俺はニヤリと笑った。
「ナ、ナンダコレハ!!ドウナッテイルンダ!?ウ、動ケヌ……」
ようやく悪霊は自分の身に異常が起きていることに気づいた。
「雑魚呼ばわりしたことはあやまるよ。だがこんな単純な罠に引っかかってる時点で、お前は大物にはなれないかもな。」
「ワ、罠ダト……?」
「ああ。お前の周り、よく見てみろよ。」
俺がそう言うと、悪霊は周りを見る。
そして気づく。
「コ、コレハ式神……カ?」
悪霊の周りをフワフワと漂う紙人形に。
「そう。俺が作った手製の式神だ。」
「ダガコンナ紙切レ一枚ナド、恐ルルニハ……………ナニッ!?」
そう。
紙切れは一枚……もとい式神は一体だけではない。
この悪霊が逆上し冷静な判断力を失った隙に、俺は大量の式神を(バレないように)放っていたのだった。
そしてこの大量の式神達は、悪霊の動きを封じる<結界>の役割も担っている。
あとはこの杖で……
「調子ニ、乗ルナアァァァアッッ!!」
悪霊が無理矢理、式神の結界を破壊した。
破れてただの紙くずとなった式神達が宙を舞う。
「貴様ナド、我ガ全力ヲモッテスレバ簡単ニ屠レルトイウコトヲ、ソノ身ニ嫌トイウホド思イ知ラセテクレル!!ワァーッハッハッハッハー!!……………ハ?」
悪霊の視界から、俺が、消えた。
「ド、ドコダ?一体ドコヘ消エタ!?」
「ここだよ。」
「ナッ!?」
背後から声が聞こえ、悪霊が驚きながら振り向くと、そこには――
……そこにいるはずのない、いるわけがない俺の姿が、悪霊の瞳に映った。
俺は宙に浮かび、そして完全に静止していた。
悪霊が困惑するのも無理はない。
「シ、死ネエェェェ!!」
わけが分からないという様子で悪霊が滅茶苦茶に攻撃してきた。
一方俺は悪霊に背を向け、杖で空を切りながらこう叫んだ。
「地獄門、強制開錠!!」
「ナニッ!?」
攻撃しながら悪霊が叫ぶ。
その直後、俺が杖で切った何もない場所から、巨大な裂け目が現れ、悪霊の攻撃をすべて飲み込んでしまった。
そして巨大な腕のようなものが現れて悪霊を簡単につかむと、あっという間に裂け目の中へと引きずり込んだ。
「ウアァァァ!!ヤ、ヤメロオォォォ……」
……裂け目が閉じるとき、悪霊の断末魔のような声が聞こえた。