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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

答えは口付けで

作者: 星丘ルル




「俺、2組の長谷川と付き合う事にしたんだあ」

 その一言に、結城真白ゆうきましろはミルクティーの並々入ったマグカップを傾ける手を止めて呆然と目の前の少年を見遣る。テーブル越しに座っている男――吉川文斗よしかわあやとはさして気にも留めずに、オレンジジュースをぐい、と飲み干してグラスを空にする。窓から差し込む光が鮮やかに文斗の明るめの髪を染め上げる。

「だから、さ。暫く真白とは一緒に帰れないかも」

「そう、か……」

 朗らかな笑顔を浮かべてそう口にする文斗に真白はぎこちなく頷く。文斗に彼女が出来たというのは祝福するべき事で、なにもそれに水を差す事も無いと思うのだが、真白の心境は複雑だった。

別に、真白と文斗はどうという関係でもない。ただの家が隣同士なだけの幼馴染だ。けれど、文斗はいつでも真白の傍に居てくれた。もはや家族のようなもので、隣に文斗が居ないというのはどうにも不自然なのだ。それに、自分はどうにも文斗に対する独占欲が強いようで男でも女でも文斗と仲良くしているとどうにも嫉妬、というものをしてしまう。思春期によくある女子の友情か、と自分で一人突っ込みを入れてしまう程度には深刻だ。

真白は目の前の文斗をそっと見つめる。高校一年の夏に初めて染めた髪は、今は程よいマロンブラウンの柔らかな色味を帯びていて。緩くふわふわと外に跳ねさせた髪は大してセットなどしていないというけれど、その甘くゆるりと垂れ目がちで幼さを残しながらも何処か男の色気を感じさせる顔立ちに良く似合っている。確かに、男の俺から見ても格好いい。と、真白は内心納得する。そういえば長谷川さんってうちのクラスにたまに遊びに来てたな。今思えばあれは文斗目当てだったのか。長谷川さんは抜きん出て美人というわけではないけれど、明るくて人懐っこい、俺から見ても良い人……だと思う。 それに華の男子高校生、彼女の一人も作りたいだろう。寧ろ今まで自分が文斗を束縛しすぎていたのかもしれない。胸に抱えた原因不明の苦しさを飲み込んで、真白はゆっくりと頷く。

「わかった、長谷川さんと仲良くしろよ」

「……うん」

 文斗の返事を聞いて、真白はすっかりぬるくなったミルクティーを一口飲む。それはいつもよりも、苦く感じた。


 ◇ ◇ ◇


それからというものの、文斗と過ごす時間は以前より随分と減った。というのも、授業が終わるごとに文斗の元へ、彼女が現れるのだ。彼女が文斗の腕に腕を絡ませる。それに応えるように文斗は笑顔を返す。その光景は、真白にとっては実に面白くないものだった。

「……あんな薄っぺらな笑顔浮かべて」

 吐き捨てるように呟く。そして小説のページを捲るものの内容は全くといっていいほど頭に入ってこない。教室の喧騒に紛れて、文斗と長谷川さんの会話が真白の耳に入ってくる。それに無意識に聞き耳を立てている自分に気がつくと、呆れたように短く切りそろえた未だ染めた事のない墨色の髪を揺らすように首を左右に振って小説に栞を挟んで閉じる。 真白は読んでいた小説の表紙をぼんやりと眺める。表紙には青空を背景に若い男女の姿が描かれている。これは最近映画化もして書店でも飛ぶように売れている、と聞きどのようなものかと手にとって見た次第だが、今の真白にこの爽やかな恋愛モノは些か複雑だ。物語の中の男女が自然と文斗と長谷川さんに変換されてしまう。誰から見ても概ね似合いの恋人だと思われるような二人。二人が次第により近しくなっていく。そんな様子を想像するだけで真白の心は、ぎゅう、と締め付けられたように息が出来なくなるのだ。


 俺が、女だったら。文斗と恋人になれたのかな。


ふ、と。そんな考えが脳裏に浮かぶが、すぐさまそれを否定する。顔も性格も頭も良い文斗と自分などが釣り合うわけもないし、そもそも自分は文斗に恋愛感情など抱いていない。筈、だ。

……本当に?

 心の中で誰かがそう問いかける。

ああ、俺たちは『幼馴染』なんだから。

 だから、俺がどんな感情を持っていようといまいと関係ない。俺は文斗にとって良い幼馴染でいるだけだ。

真白は、小説を机に置くと立ち上がる。そうしてゆっくりと足を踏み出して教室の外へ出る。その様子を一つも見逃さずに文斗が見つめていたなんて知らずに。


 ◇ ◇ ◇


「はあ……」

 真白は中庭の隅にある木陰にいた。ここは死角になっていて他の生徒には滅多に見つけられない、真白と――文斗だけの場所だ。文斗が長谷川さんと付き合う前は良くここで昼食を食べた。それももう遠い昔のような感覚だけれども。真白はここへ来る途中に寄った購買で買った、ペットボトルのミルクティーのキャップを開けようと、捻る。しかし華奢な印象を与える雪のような白さの肌に筋肉のついていないすらりとした腕ではその印象通り力が弱いのか、はたまた手が滑って開けにくいのか、中々キャップが開かない。何度も何度も挑戦しても断固として開く事のないそれに疲れたように息をつく。すると、手が伸びてきてそのペットボトルを軽い動作で取り上げる。なんなんだ一体、とでも言いたいのか真白は伏し目がちの瞳を上げて、手の主の姿を見遣ると、ピタリと固まる。否、動けなどしなかった。

「相変わらず真白はキャップ開けるの下手糞だね」

 ゆっくりとした口調に、低く聴き心地の良い声。そこに居たのは紛れも無く文斗だった。文斗は固まっている真白の様子にさして疑問も抱かずすんなりとキャップを開けて真白にペットボトルを握らせると、真白の隣に座り込む。

「……ありがとう」

「どーいたしまして」

 人懐こい大型犬のような眩しい笑顔に、真白は自分の心の苦しさから解放されていく。ああ、やはり文斗の傍に居る時は、本を読んでいるときよりも、どんなときよりも安心して心が穏やかになるのだ。けれど。ふと気になったのは文斗の彼女である長谷川さんの存在だ。まさか。

「……長谷川さんは?」

「ああ、うざったいから置いてきた」

 やはり。自分の予感が当たっていたことに小さく息を吐く。

 しつこいんだよねえ、なんて続ける文斗を普段なら諌めるのだけれども、今の真白は安堵のあまり普段愛想の無い表情を柔らかく緩めてただ頷くだけだった。

「あれ、なに笑ってるの?」

 不思議そうに文斗が問いかける。真白の緩んだ表情を嬉しそうに眺めている文斗に真白は、決して華やかではないものの睫が長く程よく整った瞳を細めて見つめる。

「ん、文斗の傍に居られるのが、こんなに嬉しい事なんだなって。思っただけ」

「――、」

 穏やかなその笑みは清廉、という単語を彷彿とさせる。真白は言葉を詰まらせ、瞳を丸くした文斗を不思議そうに眺める。

「? 文斗どうし――」

 その言葉よりも早く。真白の薄い唇が塞がれる。それが文斗の唇だと気付く頃には片腕を掴まれ、もう片方の手を腰に回し密着させるように抱き寄せられていた。ペットボトルが地面へと落ちて、ミルクティーが零れる。何度も啄ばむように唇を軽く重ね合わせて、文斗の舌が真白の唇をなぞる。熱いそれの温度が伝わる事と擽ったさに真白は小さく肩を震わせる。 「ん、っ」

「……っ、は」

 真白の口内に舌が侵入してくる。絡めるように触れ合う舌の温度が溶け合って、ひとつになる。激しく舌を絡めあわせ、文斗は普段の様子とは違う荒々しくて噛み付くような、乱雑な男を感じさせる口付けに真白は、はあっ、と息を溢した。けれど文斗はその吐息すらも逃したくないかのように角度を変えて真白の舌を吸い上げる。その全てを奪われてしまうような、喰らい尽くすかのようなキスに真白は翻弄されていた。思考回路も、身体も、心も、とろとろに溶かされてしまいそうだ。しかし如何せん真白は恋愛など全くの無知で、普通の軽いバードキスはおろかディープキスの方法など知るはずも無い。角度を変えて幾度も行われる口づけに上手く息ができない。全て絡めとられてしまい、頭がぼうっとする。それは酸欠のせいなのか、気持ちよさからなのか真白には理解できなかった。ふっ、と、意識が遠のく感覚に襲われ、もう無理だと告げるように真白は文斗の程よく筋肉のついた胸板を数回叩く。すると文斗は慌てて唇を離すと、眉を下げてへにゃりと情けない笑顔を作る。それは泣きそうな子供のような笑みで、はじめて見る文斗の表情に、真白は言葉を失う。真白の知る彼はもっと明るくて影などひとつもない、自分とは正反対の太陽のような存在のはずだ。しかし今の文斗は弱弱しく、必死に母親を探す迷子の子供のようなそんな雰囲気を漂わせていた。

「あや、と」

「ごめんね、真白。でも、俺、我慢できなかったんだ」

 真白の頭を撫でて、文斗はくるりと身体を反転させてそのまま何処かへ向かうように足を踏み出す。その文斗の背中は、今までの『吉川文斗』とは全く別の人間のようで、真白はただ見送る事しか出来なかった。一陣の冷たい風に木々が、寒々しい音を立てる。黒壇の髪が風によって乱れるのも気にもせずに、真白はただひたすらその後姿を呆然と見つめていた。


◇ ◇ ◇


あれから文斗と話す事は殆ど無く、数ヶ月が過ぎた。あの日の出来事は今も忘れられず真白の心を締め付ける。そんなある日真白は忘れ物を取りに行くために生徒も教師も通っておらず、昼間の喧騒とは正反対の廊下を真白はひとり歩いていた。しっかりと閉じられた大きなガラス窓からは目を細めても鮮やかに瞳に焼きつくようなオレンジが差し込んでいる。廊下には真白が歩みを進める度に鳴る上履きの靴音だけが静寂のまま時が止まったような錯覚を覚えるこの廊下に変化をもたらす。藍色のブレザーが日差しに照らされて複雑な色に変化し、右肩に下げられたスクールバッグは教科書や参考書などの他に真白が普段愛読している本が数冊入っているため、ずっしりと重量を感じさせるように真白の右肩はやや下がっている。髪色と同様にガラス玉のような、黒曜石のような瞳はただぼんやりと廊下の奥の真白のクラスの教室を目指していた。

「――だから」

 真白が教室の前に到着すると、教室の中から男女の話し声がする。そのうちの片方は真白の中でもっとも馴染みのある声で。その低めの声は間違いなく文斗のものだ。けれどその声色は何処かいらついていて、冷たく切り捨てるような物言いで、真白は身を固くさせる。そして女の声の主はきっと長谷川さんだろう。彼女は甘く媚びる様な口調で文斗に詰め寄る。 見つかっては、いけない。真白はそう思いドアの横へと身を潜める。そうしてわざとではないにしろ必然的に会話が聞こえてきてしまうわけで、真白は息を殺して会話に聞き入る。

「だから。俺は真白と離れるつもりは無いから」

「えぇ? だって、あの人……根暗だし、地味だし、吉川くんに釣り合わないよ?」

 真白、と確かに自分の名前を呼ばれた事で、話題の中心が自分だと理解する。そして長谷川さんが口にした自分への陰口に背筋が冷たくなる。誰かに悪意を向けられるほど恐ろしいものは無い。心拍数が上がり、苦しくなる。ショックからか込み上げてくる涙を抑えようとした瞬間、机を蹴り飛ばしたような激しい音が真白の耳に入る。

「お前、消えろ」

「な、なに言ってるの? 吉川くん」

「同じ事は言わない。さっさと消えろ」

 それは氷のように冷たく、雪のように淡々と。そう続けられる言葉に長谷川は表情を歪めて教室から走り去る。

固まったままの真白には目もくれず。

そうして真白は呆然と立ち尽くす。ドアから顔を出した文斗は立ち尽くす真白に気がつき瞳を見開く。

「もしかして、聞いてた?」

「……うん」

 真白はぎこちなく頷く。そんな真白に文斗は教室の中に入るように促す。それは先ほどの冷たい態度とは全く違っていて。おずおずと中に入るとそこには蹴り飛ばされたような机と椅子が転がっていた。

「ああ、気にしないで」

 にこやかにそう告げる文斗に真白はある種の不安を感じる。けれどそんなこと気にもしないとでもいうかのように、文斗は真白に向き直り口を開く。

「あの時は、勇気が無くて言えなかった」


――けど。


 その真剣な眼差しに、真白は黙って文斗を見やる。この顔は冗談などひとつもついていない顔だ。幼馴染の真白はそう確信した。

「好き、なんだ。恋愛対象として。小さい頃から、今まで」

 苦しげに、けれどしっかりと吐き出されたその言葉に真白は驚くと共に喜びが芽生えていた。

恋愛対象。その言葉がすとんと心に落ちて消化されていく。それはどんな言葉より今の真白にはぴったりとくる言葉で。

「俺、も。恋……してる。たぶん、お前に」

 思わず口を突いて出た言葉は空いていたパズルの最後のピースが嵌ったように真白の言葉を満たす。そうか、恋を、しているのか。そう認めた瞬間不思議と心が軽くなる。

真白は呆然としている文斗にそっと微笑みかける。その笑顔は何物にも変えがたい柔らかで優美な微笑で。


「好きになっても、いいか?」


 答えは口付けで。




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