話したかったこと
「じゃあなぞなぞを解いたし、あの時話せなかったことを今話してもらうよ」
「…うん。いいよ」
翼は了承した。
「その写真にさ、彼女が映っているだろ。話したいことはその子のことなんだ」
「この子がどうかしたの?」
「名前は木口愛っていってね。当時の愛は精神病にかかっていたんだ」
「精神病…?」
精神病といっても種類や軽度、重度等がある。彼女はどれなのだろうか。
「うん。それも重度でね。常に近くに家族か僕がいないとすぐ発狂してしまうんだ」
「でも、当時ってことは今は治ったんでしょ?」
翼は首を振りながら語った。
「ううん。治んなかった。そして、今はこの世にいないんだ」
「…何で?」
「話せば長くなるけど、いい?」
翼は真剣なまなざしで式を見る。
「…うん」
式も覚悟を決めた。
「もとは愛は、精神病なんかじゃなかったんだ。だけど、ある事件が、彼女を一生苦しめることになったんだ…」
「ある事件?」
「愛は見知らぬ男に襲われたんだ」
「……!」
翼の言葉に、式は驚きを隠せずにいた。
「…何でまた」
「理由はわからない。もしかしたら愉快犯だったのかもしれない。でも、その男のせいで愛は心に傷を負ってしまったんだ」
翼の表情が怒りに滲んでいる。思い出したくもないできごとだったのだろう。
「その男は捕まったの?」
「いや、そのときは捕まらなかった。多分今も捕まっていないと思う」
そんな危険な男が今も世に放たれている。
翼が怒るのも無理はない。
「それで、何で俺にこの話をしたんだ?」
「…僕は愛以外に同級生の知り合いがいなかったんだ。愛とは幼馴染で物心つく前からずっと一緒だったんだ。だから、恋仲になるのも難しくはなかった」
「……」
「僕は小さいころから人見知りでね。友達がほとんどできなかったんだ。愛は僕とは正反対の性格で、明るくて友達もたくさんいた。僕は彼女が羨ましかったんだ」
翼は目を細めながら空を見た。
「もうすぐ愛の一周忌なんだ。僕は参加することはできないけど、個人的にお参りに行こうと思ってた。そのときに、僕の友達を一緒に連れていきたかったんだ。僕も友達が作れるくらい成長したんだって、愛に見せたかった」
式は、今の翼の言葉に違和感を覚えた。
「…何で、俺なの?」
「最初にも言ったけど、君には不思議な魅力を感じたから。もちろん、それだけじゃないよ」
翼は決心したような表情で語った。
「君は、人の死を見ているから。命が尽きる瞬間を経験しているから、僕は君と仲良くなりたかったんだ。人の命の尊さを、身をもって知った君なら僕の気持ちもわかってくれるんじゃないかって思ったんだ」
「…命の尊さ、か」
式は前に起きた殺人事件を思い出していた。
確かに、式は人が死ぬところを見てきた。
犯人は狂気的な人物だった。
そんな犯人に、無情にも命を奪われてしまった罪のない人々。
命の価値は、人それぞれだというのか。
式も翼も、死んでしまった人々を見て、それぞれ何かを学んできた。
二人が感じた不思議な魅力の正体は、互いに死を経験しているということなのかもしれない。
式は話題を変え、質問をした。
「この写真に写っている愛さんは暗い表情をしているけど、この頃にはすでに病気にかかっていたの?」
「うん。この頃は亡くなる一か月前くらいかな。海外の病院で愛の病気が治せると聞いて僕と愛と愛のお母さんの3人でいってきたんだ。僕は無理を言ってついてきただけだけどね」
「愛さんのお父さんはいないの?」
「愛のお父さんは愛が小さいころに離婚したらしいんだ」
翼は写真を眺めながら言った。
「この写真は、海外で治療を受ける前にした観光地巡りのときの写真なんだ。僕はせっかく海外にきたから目いっぱい楽しもうとしたんだけど、愛は全く楽しめなかったみたいなんだ。その理由も、あとでわかったんだけどね」
「なんでなの?」
「…愛は日本の病院にいたころに、治せる方法を聞いたんだ。でも、その方法がとんでもないものだったんだ。この話を僕が聞いていたら海外になんて絶対に行かせなかったと思うよ」
「…そのとんでもない方法って何なの?」
式は唾をのみこみながら聞いた。
「ロボトミー手術って聞いたことあるよね。治療法はそれだったんだよ」
「ロボトミー手術って、確か今では禁止されているんじゃなかったっけ?」
「日本では1975年から禁止になっているよ。でも、海外では今でも秘密裏に行われているらしいんだ」
翼は空を見上げて語った。
「そのあとのことは、だいたい想像がつくと思うけど言うね。もちろん手術は失敗し、愛の精神はボロボロになってしまった。人格は変わり果ててしまったし、知能も大幅に低下してしまった。まともに話すこともできなくなってしまったんだ。何事にも無気力になってしまって、傍からみると廃人のようだった。いや、そうだったんだろうね。最後には隔離施設に預けられて生涯を終えたよ」
その話を聞いた式は絶句したが、それでも気になることがあったので聞いてみた。
「…何で愛さんはロボトミー手術のことを聞きながらも治療を受けようとしたの?お母さんは反対しなかったの?」
「反対どころか、賛成側だったよ。でも、それも無理はないと思うよ。精神が狂ってしまった娘の介護をやり続けるなんて、君にはできるかい?しかも治る見込みはない。どんな治療薬を飲んでも治らなかった。僕だったら耐えられないかもしれない。愛のお母さんも同じだったのさ。いくら介護しても治ることはない。身も心も疲れ果ててしまったんだよ。そんなときに聞いた治る可能性であるロボトミー手術だ。すがってしまうのも無理はない」
実際に、家族の介護をやり続けるのがつらい、もう耐えられないという理由で起きた殺人事件がいくつもある。死ぬまで終わらない奉仕をやりたくない人や、変わり果てた家族の姿をもう見たくないという人もたくさんいるだろう。
式も、その状況になったら自分がどのような行動をとるのかを想像することができなかった。口や頭では一生介護し続けると決めても、実際にその状況になったら諦めてしまうかもしれない。そのようなことを考える自分が嫌になってきた。
「…愛が亡くなった後、僕は愛の部屋へ行ったんだ。彼女がいなくなってしまったという現実が信じられなかった。彼女の部屋で何度も泣いた。後悔した。僕があの話をもっと早く聞いておけば彼女は死なずにすんだのにって。そんなときだった。部屋の机に置いてあった一枚の手紙を見つけたのは」
「手紙?」
「その手紙には、愛が手術を受けることを決めた理由が書かれていた。手術を受けたのは、僕といっしょに過ごしたいからだって。もうこんな狂っている自分が嫌になったって書かれていた」
その手紙には、愛の本音が書かれていたのだろう。だがそうすると、
少しおかしいところがある。
「さっきから気になってたんだけどさ、手術を受ける前の愛さんの精神の状態はどんな感じだったの?」
「最初にも言ったけど、すぐに発狂したり、時折人格が変わってはすぐ素に戻ったりと不安定だったよ。手紙を書いていたときは多分素の状態だったんだろう」
「……」
「以上が僕が君に話したかったことだよ」