四話
――葵の言うとおりにしてから結構経つんだが、まだ凛は元に戻ってないのか? やっぱり俺のせい――
「ほらほら、そんな自己嫌悪しなくても、ちゃんと凛は元に戻ったんだから、いつまでも引きずっちゃ駄目よ」
いつの間にか背後に立つ葵に気付くどころか、耳を塞いでいた腕をとられるまで考えに夢中になり気付かなかったらしい。
「……確かに少し引き摺りすぎたみたいだな」
幸いにも凛は大丈夫みたいだし、これ以上俺が引き摺ってては話が進まないか。
「――それで結構時間がかかってみたいだが、何か話してたのか?」
「ちょっと姉妹で、恋愛トークしてだけよ」
「もう! 姉さん!!」
顔を真っ赤にして怒っているが、パッと見た感じではいつもの凛に戻ってるな。
「……もう大丈夫なのか?」
「あ、はい。大丈夫です。ご心配をおかけしてすいませんでした」
「いや、俺のやり方が拙かったんだ。凛があの話を聞いてショックを受けることは想定しておくべきことだった」
「……兄さんも姉さんと一緒で、あの人が言うことは出鱈目だと思ってるんですね」
眉間に皺を寄せ、こちらを疑うように凛は見てくる。
ん? 葵が少し話してるのか。ならさっさと本題に入った方がいいか。
「さて、どこから話したものか」
いざ話そうと思ったら、意外に難しいな。だが、こうやって凛も召喚されるような存在になったんだし、今までのことを話した方が、凛にとっても今後の役に立つはず。きっと葵みたいに、厄介事が向こうからやってくる気がする。今回は俺達があの場にいたから追いかけて来ることが出来たたが、次はそうとは限らないしな。
「――朔。色々と話すつもりなら、この部屋に結界くらい作らないと不味いんじゃない?」
どう話すか考え込んでいたら、葵はこの部屋が監視されている可能性を示唆して注意してくる。
その事に納得した朔は、気配がない事は確認済みだが、念には念をとそうだなと、結界の準備に取り掛かろうとする。
「――結界?」
凛が葵の言葉を聞き、眉をしかめている。
まぁ、信じられない話かもしれないが、一度見せれば凛も納得するだろ。そう思った朔は、あえて自分で結界を作らず、他の手で結界を作る事にする。
「――凛。これから起きる事は全て、種も仕掛けもない現実だ」
そう言い終わると同時に、朔はこの世界に来る時にも使った懐中時計を取り出す。
◇
そう言って、兄さんは一見古そうだけど、細かい所まで意匠が凝らされているお洒落な懐中時計を取り出しました。
「……兄さん、そんなものでなにをするつもりですか」
正直がっかりですよ、兄さん。姉さんと兄さんの話を聞いて考えてみた結果、姉さん達は魔法を使えると推測できる。本来なら鼻で笑うような話ではありますが、現在の私は居世界に召喚された勇者らしいので、魔法の存在を完全に否定するのは難しい。
それに二人から使えると言われたら、多少は疑いはするも、なんとなく二人なら使えそうとも思ってしまうのだ。特に私の姉ならば不思議ではない気がする。そしてそんな姉が使えるなら、普通の人では考えもつかない手段を用いてでも、使えるようになっていそうなのだ、私が生涯愛していこうと誓った兄さんは。
――だと言うのにだ。あんな思わせ振りなことを言った後に、取り出したのは使い古された懐中時計。
ふざけんなってんですよ。凄い魔法が見れるかもと不覚にもときめいてしまった、私の乙女心を返せってやつですよ、バカヤロー、コノヤローですよ。
確かに、姉さんとの会話で結界を作るみたいなことを言ってたので、見た目が地味な魔法になるのかと思っていましたが、その後にあんな思わせ振りなことを兄さんが言わなければ、ここまで期待していなかったというのに。
――このどうしようもなくがっかりした感情をどう処理すればいいんですかね、ねぇ、兄さん?
そんな複雑な乙女心を全てを込めたかのような冷めた目で、凛は朔を睨みつける。
「――なんか、今の沈黙の間に凛にスッゲー罵倒された気がするんだが、気のせいか、葵?」
いえ? 気のせいじゃなく、現在進行形で罵倒してますよ、バカ兄。
「気のせいじゃなく、現在進行形で罵倒されてるわよ、朔」
「……やっぱりか」
流石は姉さん。私の気持ちを寸分違わずに兄さんに代弁してくれました。そして姉さんの発言でがっくりと肩を落とし落ち込む兄さんは……実にいい気味です。
「――確かに凛の言うとおり、ただの懐中時計に見えるんだけど、後でそう思ったことを後悔すると思うわよ」
「……ただの懐中時計ですよね?」
……今更になって墓穴を掘ってしまった気がします。葵の発言に嫌な予感がして、たらりと凛の額に冷や汗が流れる。
「……凛。あの朔があんなタイミングで、ただの懐中時計を出すわけないでしょ?」
……そうなのだ。あの兄さんがわざわざあのタイミングで出すものが普通な訳ないです。
その証拠に、先ほどから姉さんはこれから起きることを期待しているのか、懐中時計から目を離さない。それだけで、自分はとんでもない失言をしてしまったと確信する。
「朔もいい加減いじけてないで、さっさとしなさい。ついでに私に向かってやりなさい」
葵はもう待てないとばかりに目を爛々と輝かせ始める。
「……分かった」
ショックを受けたままだった兄さんがようやく動きだし、持っていた懐中時計を姉さんに向かって放り投げる。
「こい、『時計屋の白兎』」
兄さんのその言葉とともに、ポンッと音が鳴り、姉さんが白い煙に包まれる。
煙が晴れると、姉さんの腕の中には、雪のような真っ白な兎が、頭にはシルクハット、体にはベストを着て、腕には兄さんが放り投げた懐中時計を持って、身動ぎせずにじっとしていた。
「こんなに早く呼んでしまって悪いな、時計屋」
苦笑交じりに兄さんが白兎さんに謝る。
「いえ、ご主人に使ってもらえてこそ、私の存在意義があるのです。ですので、呼んでもらえないと、逆に困ってしまいます」
「そう言ってもらえると助かる。で、早速で悪いがこの部屋に防音と人除けの結界を頼む」
「お安いご用です」
そう言って、軽く頭をペコリと下げる白兎さん。――そして持っている懐中時計の蓋を開け時を知らせる針がゆっくりと動きを止める。それと同時に先ほどまで窓から僅かに漏れていた喧噪が全く聞こえなくなりました。
それが兄さんが言っていた防音と人除けの結界がはられた証なのだとなんとなく理解する。その証拠に白兎さんは自身の主に与えられた仕事の終了を伝える。
「ご主人、完了いたしました」
「相変わらず仕事が早いな」
「それが、私の仕事ですので」
「思ってたよりも早く会えたわね、白兎君」
「はい。また会えて嬉しゅうございます、奥方様」
白兎さんの仕事が終わったのを確認した姉さんが、白兎さんに話し掛けているけど、やっぱり姉さんは白兎さんのこと知っていたみたいですね。
…………ていうか喋ってる!? 色々と不思議なことが起こっていたので流してしまっていたけど、あのふわふわもこもこして抱き心地がさぞ気持ちいいことが予想できる白兎さん、喋ってます!!
私の内心の驚愕なんて気づきもせず、姉さんは白兎さんと互いの紹介を始める。
「そういえば、まだお互いに名乗ってなかったわね。私の名前は葵よ。これからは葵って呼んでくれると嬉しいわ」
「承知いたしました。では、これからは葵様と呼ばせていただきます。それと、私には名前はございませんので、ご主人のように時計屋か、葵様が今まで仰ったように白兎君で構いません」
「え! 名前ないの? ちょっと朔! どういうことよ」
姉さんは白兎さんに名前がない事を知り、兄さんに何故名前がないのかと問い詰めだす。姉さんが怒るのも、もっともですね。あんなに可愛らしい白兎さんに名前をつけていないなんて。
「あー、悪い。わかってはいたんだが、時計屋と同時進行で作ってたやつにかかりきりで名前考えてやる暇がなかったんだよ。それに時計屋がな」
「――ご主人は多忙でいらっしゃるので、私の名前なぞ、後回しで構わないと進言したのです」
自分自身の名前のことなのに、主である兄さんのすることを優先するように言うなんて、なんて忠誠心の持ち主なんでしょうか、この白兎さんは。
「そうだったの? じゃあ、私が考えてもいい?」
「私にも考えさせてください!!」
こんな機会を逃すなんてありえない! と白兎さんの名付け親に立候補する。名前も考えて、ついでに白兎さんと仲良くなれる機会を逃すのは勿体ないですからね。
そんな絶好の機会を逃さんとする私に、姉さんがいちゃもんをつけてくる。
「えー、でも、凛は白兎君の懐中時計を馬鹿にしてたしさー」
くっ! ここにきて先ほどの発言を後悔することになろうとは。姉さんもこんな可愛らしい生き物が出て来ると知っていたのなら、教えてくれてもよかったのに!!
思わず拳を握り、姉さんに反論しようとするも、話も聞かず大したものではないと決めつけてかかってしまったのは私なのだと、ぐっと喉元に出かけた言葉を堪える。
そんな私の事を気遣ってくれたのか、白兎は私の事をフォローし始める。
「いいのですよ、葵様。妹御は今までは魔法といった不可思議な世界を知らずに生きてきたご様子。それならば、私の懐中時計を普通のものだと思われても仕方がございません。ですので、妹御も先ほどのことを悔やむなどなさらぬよう願い申し上げます」
「――っ、そう言ってくれると、こちらも非常に助かりますそれと姉さんのように私のことも凛と呼んでもらえると嬉しいです」
「承知いたしました。――お話を戻しますが、凛様も葵様も私の名前を考えてくださると仰ってくださいましたが――」
ちらり、と自分の事を抱きしめる姉さんを見上げ本当に名付け親になってくれるのかを確認する白兎さん。それに対して頷いて答える姉さん。
……にしても、姉さんのポジションが羨ましいですね。次の機会があれば頼んでみましょう。白兎さんを抱きしめることを夢見ていると、白兎さんは名付け親についての条件に付いて話し始める。
「――ですが、お二人が考えてくださる名前を私などが選ぶという愚行は、私には犯せません。そこで最後はご主人に決めてもらいたいのです」
「は? 俺?」
今まで話にまざらなかった、兄さんは白兎さんに話を急に振られて驚いていますが、確かに最終的には主である兄さんに決めてもらいたいという白兎さんの気持ちも十分理解出来ます。
「私はそれで構いません。姉さんは?」
「私も構わないわよ」
「私も姉さんも異存はないようです。なので、白兎さんは少し待っていてくださいね」
「かしこまりました」
「おい、お前ら。時計屋の名前を決めるのはいいが、早く決めてくれよ。できれば今日のうちに決めて起きたいことや、凛に話しておいたほうがいい話とか、まだまだしなくちゃいけないことがたくさんあるんだからな」
兄さんに言われて気付きましたが、元々はそのために白兎さんを呼びだしたんでしたっけ。白兎さんが可愛すぎて忘れていました。
私もかなり落ち込んでいたと思うんですが、白兎さんの可愛さでそんなの吹っ飛んでしまったようですね。
――やはり、可愛いは正義ですね!
「わかりました、兄さん」
「わかってるわよ、朔」
兄さんに手早く決める事を約束した私達は、白兎さんの名前を考え始める。
――いざ、名前を考えると難しいですね。
こういう時、姉さんは直感で考えるから、もう決まっちゃっていそうです。その分、シンプルな名前だと予想して、こちらは少しひねった方がいいですね。
まず、思いつくのはあの雪のような真っ白な体毛。そう考えると雪を意味する言葉にしたいところですが、そこで素直に英語を選ぶと、姉さんとかぶると思うので却下。他の外国語から考えてみますか。
しかし、それだけだと少し味気ない気がするので、何かもう一押しが欲しいところですね。……白い特徴以外で目につくところといえば、何かないと考え、白兎さんの見てもう一つ印象的なものがあった事に気付く。あの深紅の瞳である。
……ふむ、なら宝石に例えるのが妥当なところですかね。加えて、今までの白兎さんをみて、似合いそうな宝石言葉だと尚良しですね。
「――決まりました」
「決まったの? じゃ、どっちが先に発表する?」
私が決まったこと知らせると、どちらから言うかを聞いてくる姉さんを見て確信する。やっぱり姉さんは既に決まってましたか。
「……姉さんが先に思いついたみたいですから、お先にどうぞ」
「ならそうさせてもらうわね。――私が考えた白兎君の名前は……スノー=ホワイト! 白兎君の雪みたいに真っ白な体毛にはぴったりでしょ? それに色言葉が優雅・純粋とかがあって白兎君にはぴったりだと思ったのよね」
我ながらいい名前でしょ? と自慢げに姉さんは言う。名前こそシンプルで予想通りでしたが、色言葉なんて考えてくるとは予想外でした。しかし、私が考えた名前も負けてない筈です。
誰かの名前を決めるような重大イベントはこれが初めてなので少し緊張した面持ちの中、私は自分が考えた白兎さんの名前の候補を姉さん達に告げる。
「次は私の番ですね。――私が考えた白兎さんの名前は……ネージュ=ガーネットです。意味は、ネージュがフランス語で雪。これは、姉さんと同じ理由で考えました。ガーネットは白兎さんの宝石のような深紅の瞳にはぴったりだと思って選びました。宝石言葉も白兎さんを見ていて思っていた忠実などの意味がありましたしね」
「……こりゃ、決まったな、葵?」
「そうね、白兎君も嬉しそうだし」
「あの、どういうことですか、姉さん、兄さん」
二人だけで結論をつけずに、ちゃんと言って欲しいです。そんな不満が顔に出ていたのか、姉さんが理由を答えてくれた。
「あれ? 凛気付いてないの? 凛の考えた名前を言った後の白兎君の反応に」
そう言われ、姉さんに抱かれている白兎さんをみると、耳が小刻みにピクピク動いています。あと、心なしか瞳がキラキラしているようにみえるところをみるに、姉さん達の言うように私の名前を聞いて喜んでくれたのかもしれない。
「凛も分かったようだし、『時計屋の白兎』は『ネージュ=ガーネット』と命名する。そして凛がガーネットに込めた想いをしっかりと受け取って、俺だけじゃなく凛や葵にも忠実であってほしい。――まぁ、俺もお前に恥じないよう、良き主として頑張るからよ」
――兄さんが言いきると同時に、ネージュさんの腕の中にある懐中時計が光りだす。そして光がおさまった懐中時計は最初に見た時は古くさく見えていたのに、今じゃ新品同様に光り輝いています。
「兄さん、今のはなんだったんですか?」
「あぁ、今のは俺と時計屋、いや、もうネージュか。俺とネージュとの契約が正式に決まった証しみたいなもんだよ。ネージュみたいな奴には名前ってのは重要な意味があるんだよ」
「そ、そんな重要なことを姉さんや私じゃなくて、兄さんがしっかり決めて下さいよ!?」
魔法の知識やルールなんて皆無な私や、そういったものを無視しちゃいそうな直感型の姉さんの二人で決めさせるなんて、知識皆無な私でもありえないことが分かりますよ!?
慌てふためく私とは裏腹に、兄さんは冷静に答える。
「仮の名ならともかく、真名を変えるのは、流石に無理だ。それに相応しくない名前ならちゃんと却下するつもりだったさ。まぁ、それ以前に――」
ちらり、と兄さんがネージュさんに視線を送れば、ネージュさんは異存はないと頷く。
「――あれほど、私のことを考えて下さった名前を断る筈がありませんよ。危うく、ご主人が認めてくださらなかったら、私自ら凛様が考えた名前がいいと進言するところでしたよ」
恥ずかしげにそう言う、時計屋の白兎改め、ネージュ=ガーネット。
「そこまで気に言って貰えてるな、私はもう何も言いませんが、こういうことは前もって言って下さいよ?」
毎度毎度、大切な事を後で知らされるのは勘弁してください、と兄さんに目線で抗議する。
「ああ、分かった。――さて、いよいよ本題に入るぞ」
――私の抗議を聞き入れてくれた兄さんは、いよいよ本題に入る事を告げると、今まで和やかだった雰囲気が吹き飛んで、部屋の空気が張り詰めた気がする。
「凛も気になってると思うが、何故俺が魔法を使えるか、それを含めた話を色々と説明しようかと思う」
そんな空気にした張本人は、そんなことなど気にも留めず、何故自分が魔法が使えるのか話し始めようとする。
――兄さんが真剣な顔をして話をしようとする中、外の様子を伺えば、いつの間にか日は沈み、窓から見える景色が真っ暗になっていて、夜になっていたことを初めて知る。一体この長く、今後の人生を大きく左右しそうなイベントが多々あった一日は何時になったら終わるのかと、私は溜息を吐かずにはいられませんでした。