二話
――学生の最大の楽しみであると言っても過言ではない夏休みに入っても、部活がある彼女は、大して生活リズムが狂うこともなく、毎日を平穏無事に過ごしていた。
……今日という日までは。
本日の部活も終わり、真面目な正確な彼女はいつものように寄り道もせず帰宅をしていたら、突然足元に幾何学模様の陣が現れ、気づけば身動きどころか助けを呼ぶための声さえ出せない事に気づく。
暫くの間、必死に抵抗してはみたが、どうすることも出来ずやはり無理なのか、と彼女が諦めかけた時、地面がこれまで以上に光りだし、視界全てを覆い尽くした。
そのあまりの眩しさに彼女は目を瞑ってしまったのだが、目を開けば、先ほどまでいた場所とは全く別の場所に移動していた。
警戒しながら辺りを確認すると、薄暗い部屋には彼女の身動きを封じた巨大な幾何学模様な陣がある以外は、余計な物が一切の物が置かれておらず、その代わりなのか、鎧を着た兵士とローブを着た、いかにも物語で登場する魔法使いっぽい人達が、彼女の周囲を取り囲むように配置されていた。
彼女から言わせれば、それはあまりにも異様な警戒態勢に見えた。しかし、彼らにしてみれば彼女はそれだけの警戒する必要がある対象だということなのだろう。
そこまで考えたところで、彼女にとって一番最悪の結論が頭に過る。
……もしかするとこれって、物語でたまに見掛ける異世界に召喚されたってヤツですか?
じゃあ、私はこれから物語の主人公みたいに、この人たちが敵対している人たちと戦わないといけない訳ですか!?
そんなの無理です! 今の状況でさえ完全には理解出来ていないというのに、こんな味方がいるかも全く分からない場所に、一人で乗り越えていける自信は、私にはありません。
――せめて色々とふざけた存在である姉と、その姉と並ぶためにと常識をぶっ壊した気味な姉の彼氏であり、私にとっては兄も同然な二人がいれば、と無い物ねだりをしてしまう。
この場をどう切り抜ければいいのか考えるも、特に有効な解決策は思いつかない。それでも、どうにしかしなければならないと、彼女は必死に頭を巡らせる。
――しかし時間というものは有限で、周りが静止したのかと勘違いしてしまいそうな空気の中で、他の者達とは明らかに違う身形の男性が彼女の前にゆっくりと歩み寄り、話しかけようとしてきた。
「おま――」
だが、その男性が話すタイミングを見計らったように、再度、足元の陣が光りだす。
「なっ!? どういうことだ!? 一体何がどうなっているのだ!!」
――身形のいい男性は、想定外な事態に慌てて彼女から距離を取り、激昂したかのように叫ぶが、答えられる者は誰一人としていない。このような事態を誰も想定していなかったのだから当然であろう。
これから何が起こるのか分からない兵士達が出来る事は、これから召喚されるモノがどんなものであっても対応できるようにと警戒し、待ち構えるだけである。
兵士達は腰に携えた剣を何時でも抜刀出来るようにと構え、ローブを着た魔法使いらしき人達は手を前に突き出し、いつでも魔法が発動できるようにと前もって準備などをして、彼女が召喚された以上の警戒態勢をとって相手を待ち構える。
そして、召喚された彼女はといえば、この状況に全くついていけず、呆然と足元で光る陣を見つめる。今の彼女が理解していることはただ一つ。自分が召喚されたらしい陣から誰かが召喚されるかもしれないということだけだ。
出来るならば自分に協力的な者であればいい、と願いながら。
――両者、思惑は違えど注目するものは同じで、皆の緊張が極限に高まったかと思われた時、魔法陣がこれまで以上に光りだし、彼女が召喚された時と同様に、光が辺りを覆い尽くした。
……やがて光りが収まり、視界が回復した彼女の目に映った者達は二人の若い男女であった。その二人を見た彼女はこの場に召喚された以上に驚愕してしまう。
彼女がそうなってしまうのも仕方がない。彼女がこの世で一番信頼している人達が目の前にいるのだから、その驚愕は計り知れないが、そんな驚愕は一瞬の間の事で、喜びの気持ちが上回る。現状は何一つ解決されていない。二人も召喚されてしまい、事態は更に悪化してしまったと言ってしまってもいいだろう。それだというのに、二人を見ている彼女は安心のあまりに泣いてしまいそうになっている。
――――当然だ。二人は彼女が先ほどまで考えていた姉と兄なのだから。
そんな喜びも束の間の事で、彼女同様にこの場を理解できていない二人に先に召喚された者として、何をどう話したらいいか考えていたら、突然彼女の兄貴分とも言える男性が彼女の方に向かって来る。……だが、彼女に向かってくる勢いが些かおかしい気もする。
――いや、あの、その勢いだとぶつかります。
しかし、男性は彼女のそのような思いなど無視するかのように、その勢いを止める事はなく、それどころかそのままの勢いで、抱きついてくる。
「よかった! 無事だったんだな、凛!」
そう言いながら、気持ちが昂ってきたのか、男性はますます力強く彼女を抱き締めてくる。
「に、兄さん!?な、ななにをしてるんですか!!」
普段の兄ならば、不用意に女性に抱き着くなどという行為など絶対にしない。その事を理解していた彼女は二人の登場によって、焦っていた気持ちが落ち着いてきたというのに、彼の不自然ともいえる行動に、今度は別の意味で落ち着けなくなってしまった。
だと言うのに、彼女の兄とも言える存在は、彼女を全然離してくれないどころか、顔を彼女の耳許まで近づけてくる。彼女はそれを見て、慌てて彼を引き剥がそうとすると――
「――落ち着け凛。俺達はこの状況を大体把握してる。だからこの状況を打破するために、これから俺が一芝居打つから、お前はなにも言わず、俺に任しとけ」
他の人たちに聞こえいないよう、囁くように小声で言われてようやく、彼女は兄が急に抱きついてきた理由を知る。彼女が理解したことを察した兄は、ゆっくりと抱き締めていた手を放して距離をとる。
そのタイミングで、二人が召喚される前に話しかけようとしていた男性がまた彼女たちの前に歩み寄る。
「……色々と聞きたいこともあるが、今のやり取りをみるに、貴様はそこにいる勇者殿の兄なのか?」
「はい、その通りでございます」
相手の質問に、兄は膝をつきながら、普段ならば使わないような丁寧な言葉遣いで男性に答える。
「ふん、礼儀は弁えているようだな」
兄さんの態度に相手はご満悦らしい。その目は明らかに他者を見下していているのが丸分かりで、私は嫌いですが。
そんな彼女の思いなど余所に、男性は質問を再開させる。
「では、次の質問だ。貴様ともう一人の関係となぜこの場いるのかを聞かせてもらおうか」
その目は、一つでも気にくわないことがあれば、切り捨てると言わんばかりの冷たい眼差しだったが、その眼差しに大して臆する様子もなく、兄は淡々と語りだした。
「……では一つ目の質問からお答えさせてもらいます……彼女は私の妻です」
この場の空気でなければ、問い質していたかもしれないですね。確かに二人は付き合ってはいますが、私が知る限りではまだ結婚はしていないはず。なぜそんな嘘をついたのか彼女が不思議に思っていると――
「……っち、そうか」
目の前の男性が、忌々しそうに舌打ちをして彼女は理解する。――こういう男に手を出させないために、先手をうって牽制してるわけですね。
流石兄さん、たった今召喚されたというのに、そこまで考えてしまう頭の回転の早さには、いつもながら関心してしまいます。
「――もう一つの質問ですが……私と妻が歩いてるところに彼女の妹の凛を見つけ、声を掛けようと近付こうとしたところ、突如、妹を中心にこの場に描かれている模様が浮かびあがり、声をかけるも、侵入を試みるも悉く失敗し、その間に妹は消えてしまっていました」
兄さんが悔しげに答えているのをみて、私が魔法陣の中で慌てた頃にそんなことなっていたのかと思っていたましたが、さっきから兄さんに任せて静かな姉さんが、微妙に肩を震わせて笑いを我慢しているのをみて、今の部分は嘘なのだと分かってしまった。
――この大嘘つき! 思わず私のために頑張ってくれたのかと思って兄さんに感動していた少し前の私の気持ちを返してほしいです!!
恨みがましく彼を睨みつけるも、そんな私の気持ちなど露知らず、兄さんはぺらぺらと饒舌に嘘を続ける。
「――妹が消えてしまい途方にくれていた私達でしたが、ふと、地面を見るとまだ先ほどの模様が消えていなかったのを知り、もしかすると妹のように模様のなかに入れば、妹の場所に行けるかもしれないと思いたった私達は模様が消える前に乗り込んだ結果、今までは入ることすら無理だったのにすんなりと入ることができ、気付けばこの場に着き妹と再会出来たというわけです。
何分このようなことは初めての経験ですので、色々と混乱していて説明がおかしなところも多々あったかと思いますが、その辺はご容赦していただきたい」
最後に頭を下げてそう言う兄さん。兄さんはそう言ますが、召喚されて大した時間をとらないうちに、あれだけの説明が出来れば十分だと思います。私など、このまま一人でどうすればいいのかわからず、途方にくれていたというのに。
兄が話した内容について、顎に手を添えて考え込んでいた男性は、ローブを着た魔法使い達の方向に視線を向ける。
「――成る程、そういった事情であったか。しかし、召喚が再度起動したことは理解出来ん、こういった場合もあるのか? 王宮魔導師共よ」
質問に答えるために、ローブを被った中年の男性が前に出て来ました。
「……前回の勇者召喚の時には、召喚の際に一緒に行動していた為に、勇者に巻き込まれた形で召喚された者がいたと記録にございますので、今回のような、こちらが予期せぬことも起こりえるかと思われます」
「……ふむ、そうか」
男性はしばらく考えこんでいたが、そういうこともあるか、と思い込んだのか、肯く。
そして男性が口を開こうとした瞬間――
「――申し訳ございませんが、私達からも質問してもよろしいでしょうか」
――しん、とその場が一瞬静まり返ったあと、男性はおもむろに口を開く。
「……確かにこちらばかり質問したのでは、フェアではないな。よい。質問することを許可する」
「ありがとうございます。では単刀直入にお聞きします。まず私達、正確には妹にしてもらいたいことがありこの場に召喚した。これに間違いはありませんか?」
あまり考えたくなかった話を振られ彼女の体が一瞬ビクッと震える。その事に気付きもせず、彼の質問に男性は答える。
「その通りだ。貴様の妹である勇者殿にしか出来ないことがあり、それを解決してもらう為に我々が召喚の儀を行った」
男性の答えに肯き、暫く沈黙した後、意を決した後、彼は口を開く。
「――やはり、そうですか……では、最後の質問です…………その問題が解決した時、我々は元の世界の帰れますか」
兄さんの言うとおりです! 今までそこまで考える余裕がありませんでした。それが一番大事な事なのに。
「…………すまぬな。この召喚は一方通行でな、貴様達を元の世界に帰してやることは出来ぬ」
目を伏せ、すまなそうに語る男性のその話を聞いて私の中のナニかが崩れ落ちた音が聞こえた気がしました。
「…………申し訳ございません。妹も大分ショックを受けた様子、本来ならまだ話すことがあるやも知れませんが、今日はこの辺にしてもらいませんでしょうか?」
彼女の様子がおかしいことに気付いた兄が、話の中断を願い、男性もそれを了承する。
「そうだな。本来ならこのあとに我が父である、国王との謁見の予定であったが、勇者殿がこのご様子では無理であろう。私が父上に言っておこう。それと、近くのメイドに貴様達の部屋へ案内させよう」
「お気遣いありがとうございます。それと、出来たらでよいのですが、部屋は三人一緒の部屋でお願い致します……今宵は皆、一人では落ち着けぬと思いますから」
「心得た。メイドにもそう伝えておこう」
「こちらの我が儘をお聞きいただき誠にありがとうございます。」
――――そうやって兄さんが頭を下げつつ、笑っていた事を、私は先ほどのショックから脱け出せず、気づく事はありませんでした。