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matataki

上昇ハイウェイ

作者: 大橋 秀人

瞬くと、高速道路の手前にある電光掲示板が『渋滞』の赤い文字を煌々と浮き上がらせていた。

そのまま乗るか、それとも一般道で帰るか。

洋一は岐路に立たされていた。

「渋滞だって、どうする?」

「自分で決めれば?」

突き放した口調で真奈美は言い放つ。

久しぶりの休暇で旅行に来たというのに、初日からケンカをして帰る段になっても妻は冷たい態度を崩さなかった。

「一般道だと短く見積もっても6時間はかかるぞ」

赤みがかった夕闇に包まれた田舎道を走りながら洋一は妻の様子を窺うが、真奈美はなんの反応も示さない。

六時間見積もると帰宅するころには日付が変わってしまう。

「高速ならスムーズに行って2時間。多少遅れたとしても渋滞が解消するのを待つほうが利口だよな?」

目の前の掲示板を通過しながら彼は言うが、やはり反応はない。

「いい加減、機嫌直せよ」

「そんなことも一人で決められないの? 優柔不断」

優しい口調で接しても、刺すような答えしか返ってこない。

「口を開くと嫌なことばかり言うよな」

洋一は苛立ちを車の運転に反映させないよう努めたが、そう思う時点で自分がイラついているのだと自覚せざるを得なかった。

高速道路に入る前の螺旋道路を加速しながら走っていく。

体が重力に引っ張られる感覚に抗うのが、それが彼にできる唯一の抵抗のようなものだった。

高速に入ると真奈美は助手席のシートを倒して自分の上着を膝に掛けた。

「おい、寝るのかよ」

「ええ、何か?」

「お前が寝たら、これから帰るまで、俺はなにしてればいいんだよ」

「嫌なことしか言えないから、口を噤んで寝たほうがいいのかなと思って」

そう言って妻はそっぽを向いた。

「本当に寝るの? 俺も疲れてるから、一人だったら居眠りしちゃうかもよ?」

そんな声にも反応を示さない。

車内に流れる音楽も、行きの車中で既に聞き飽きていた。

洋一は一通り責める言葉を吐き通したあと、ため息をつき前方を見た。

【多重事故の為 通行止め】

ぼんやりと見た電光掲示板にそんな文字が浮かんでいた。

「おい。通行止めだってさ」

他人ごとのように真奈美に語りかけていると、間も無く車はトンネルに入り、と同時に前方にハザードランプを焚く車が速度を落としていくのが見て取れた。

「なんだよ、もう渋滞始まっちゃったのかよ」

車が止まると、洋一はヘッドレストを両腕でつかんで伸びをした。

「一体どこまで続いているんだろう」

カーナビを見ながら一人ごちるが、真奈美はそっぽをむいたままだった。

画面を見ると、これから進む道路に赤い線が延々と記されていた。

「おいおい、ほんとにどこまで続くんだよ」

携帯電話で渋滞情報を検索しようとするが、トンネル内でネットが繋がらず断念した。


車内に響く音楽も聞き飽きると耳に入って来ない。

洋一は前方の全く動かないテールランプをぼんやりと眺めていた。

昔は遠出すると、他愛のないことを話しているうちにいつの間にか目的地に着いていたものだ。

それが時が経つにつれ段々と会話が減り、同じ場所に行くにも距離が長く感じるようになってきた。

夫婦関係にもバイオリズムは存在するのだろうが、俺たちは今、確実に下降線を辿っている途中だろう。

もしくは、長い底辺を走行中なのかもしれない。

動かない妻を見ながら夫はそう思う。

離婚という文字が頭をかすめたこともある。

しかし、それを選択する具体的な理由が洋一には全く思い浮かばなかった。

喧嘩したから別れる。

そうであれば二人は当の昔に別れていたはずだ。


「今、どこらへん?」

真奈美がゴソゴソと起き出した時には、夫は異変に気づいていた。

一時間経っても車は動かず、尋常じゃない状況に巻き込まれている可能性が出てきたのだ。

「渋滞で全く動いていないんだ」

その声を訊くと、妻ははじめに洋一がしたように情報の確認を取ろうと携帯電話を手にし、そして諦めた。

「もう少しでトンネルの出口になる。そこで渋滞情報を調べよう」

動き出しても歩行スピードより遅い現状に苛立ってしまいそうになる。

「ま、渋滞抜ければ流れるだろうから」

が、こんな時、真奈美は意外とポジティブだったりする。

「うん、そうだね」

その声を聞いて洋一は少し気楽になれた。

高速道路にもかかわらず、業を煮やした人が側道を歩いていく。

「どこに行こうとしているんだろう?」

「トイレかしら?」

「もしかしたら、トンネルを出て渋滞情報を調べてるのかも」

「そうかもね。でも、分かったからと言ってここからすぐに出られるわけでもないのにね」

冷静な妻に苦笑いしながら洋一はゆっくりと車体を前方に進めた。

そして漸くトンネルを出た時、携帯電話を駆使するまでもなく電光掲示板が事態の深刻さを物語っていた。

【多重事故のため通行止 渋滞30キロ】

トンネル一つを潜るのに一時間半を要した後に、信じられない文字を目にし、洋一は絶句せざるを得なかった。

「おいおい、マジかよ・・・」

無理に笑ってみるが、妻は俯いてなにやら調べものをしている。

「やばいよ。そうとう大きな事故があったみたい。ニュースにもなってる。まだだいぶ先だけど、10トントラックが横転して道を塞いじゃってるみたい」

真奈美はそう言いながら携帯電話を夫に渡し、文面を見るよう促した。

簡易ニュースからでも事態の大きさがうかがえるような内容に、洋一は観念してハンドルを握りなおすしかなかった。

「とにかく、次の出口までなんとか耐えるしかないってことだ」

ガソリンは幸い給油したばかりで問題ない。

夕食も高速道路に乗る前に済ませてきたし、長いドライブの友としてお菓子や飲み物も積んであるから空腹になる心配もない。

「トイレは大丈夫?」

有り余る時間の中で、彼は問題を一つ一つ想定していった。

「まだ大丈夫、ありがとう」

「もしかしたら当分トイレにはいけないかもしれないから、水分は極力控えたほうがよさそうだな」

それを聞くと妻は手にしていたペットボトルを素直に戻した。

「差し迫った問題はトイレのことくらいだと思うけど、あと何かあるかな」

「・・・さすがに明日の仕事に間に合わないってことはないわよね」

「それまでには流石に帰れるだろう」

と笑い飛ばすように言った夫の顔が青ざめていく様が真奈美には見て取れた。

半ば冗談で言ったことが、膠着状態のあまりに長さに現実味を帯びてくる。

一向に進まない前方の車を見て妻はいきなり笑いだした。

「どうした?」

洋一がそう訊ねると、

「万が一、間に合わなかったら、会社になんて言おうか考えたら笑えてきた」

真奈美は上着を肩まで被りなおしながらそう答えた。

「夜のあいだ中だんなと二人きりで車内にいましたなんて言ったら、きっとキチガイ扱いされるわ」

「なんだよ、たまにはこういうのもいいじゃないか」

「いやよ。仲がいいって思われちゃうじゃない」

「それのどこがいけないんだよ」

妻の悪い冗談が思いのほか洋一の心を軽くさせた。

「とにかく、今は無事に帰ることを考えて進もう」

夫は背筋を伸ばして改まると、まともなことを口にする。

「運転変わろうか? もう二時間になるでしょ」

「大丈夫、全然走ってないし」

「つらくなったら言ってね。いつでも変われるから」

進んでも歩行速度と変わらない現状にイラつきながら、真奈美は努めて明るく振舞った。

「妙にやさしくないか?」

「別に」

「寝ててもいいんだぞ?」

「わかってる」

そう答えても一向に眠ろうとしない妻の姿がどういうわけかどこか楽しげに見え、洋一は肩の力が抜けた気がした。

「こんなことってあるんだね」

サイドブレーキを引いて完全に止まった車列の先に目をやりながら夫は言う。

「きっと今日のことは、絶対忘れない思い出になるわ」

すると妻は可笑しそうにそう告げた。

そうだ、この人はピンチの時になぜか笑える人だった。

そんなことを洋一は思いつつ、進み始めた前方の車に追いつくべく、サイドブレーキを外したのだった。


巻き込まれた渋滞は高速道路を降りてからも慢性的に続いた。

夫婦は何度か運転手の交代をしつつ、なんとか自宅へ戻ることができた。

見慣れた風景が戻ってきたころには、夜が明けていた。

朝焼けがどうしようもなく平凡な田園風景を赤く煌かせていた。

「帰って来た」

「ええ、でもお家に着くまで油断しないで」

夫婦は途中から、まるで何かスポーツをしているみたいにお互いを励ましあった。

二人とも眠気がないわけではなかったが、夜通し運転してきたことで気分がナチュラルハイになっていた。

妻に励まされながら最後の駐車を終えると、洋一は大きく一つ息を吐いた。

「おかげさまで何とか家にたどり着くことができたよ」

「ええ、今回は流石につらかったわね」 

「ああ、だけど君が一緒にいてくれて助かった」

「私も。一人だときっと途中で挫折していたわ」

帰路に着いただけで言い知れぬ達成感が二人を包んでいた。

普段は思っていても口に出ない感謝の念が素直に出たりした。

「よし、とりあえず一時間でも寝よう」

時計の針は、すでに6時を指していた。

出発から数えて12時間のドライブも、終わってしまったら悪いだけのものではなかったのかもしれないと洋一は考えた。

「お疲れ様」

「おつかれさま」

当たり前のことを当たり前に言える。

そんな当たり前のことが心地よかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんだかんだ言っても、夫婦ってこういうものだと思いますよ。 もともとは赤の他人だったのだから。けれど、お互いに相手のことを「この世で一番大切な人」だと思って結婚したのだから。 100組の夫…
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