光らない月
私は光姫。そ。みつきって言うんだ。
光のお姫様。 なんて言うと幸せ一杯って感じでしょ。
名前には、付けた人の願いが表されてると思う。だから、その名前を付けてくれた人が、私の幸せを願ってくれたのは確かだと思う。
でも、名前が、その子の現実を表す訳じゃないのも確かだったりする。
小難しいことを言うって? まぁ確かに、私には理屈をこねまわしてしまう癖があるとは思う。けど、やはり私が孤児で、施設で育ったってことが大きいと思う。
私は、施設でも学校でも、周囲に溶け込むことができなかった。
幼い頃は違った。はっきりと覚えてる訳じゃ無いけど、昔はもっと温かくて柔らかい、優しい時間に包まれていた様な気がする。
けれども、物心がつく、というか、周囲のことが見え始めた頃、だと思う。そんな時間は崩れてしまった。
直接は、私が余計なものを見るからだった。
いつも何かを見てしまう。他の誰にも見えてない何かが見えてしまう。聞こえてしまう。それは、みんなと違うことだった。みんなと違う、ということがどういう意味か。
そのことに気付くのが遅かった。
多くの、とても多くの場合、明らかにみんなと違う何かがあるってことは、みんなと一緒にいることが難しいってことだった。
幼い子供って言うのは残酷だ。
何も知らない無垢な心で、何の躊躇いも無く異物を取り除く。私が異物と判定されるまでなんて、あっという間だったと思う。
最初の呼び名は嘘吐きだった。
けど、ほどなくその呼び名は『化け物』に変わっていた。
私も、そこまで言われて何も感じない訳にはいかなかった。
理不尽だと思ったし、調子に乗り、かさに掛かって私を追い立てるみんなを見る視線に恨みと憎しみがこもってしまうのは止められなかった。
化け物じゃないのに。 人間なのに……。
いっそ、本当に化け物だったら……。
そんなことが頭を掠めたことはあった。けど、私に光姫って名前をくれた人がいた。私はまだ、人間で居たかった。
とにかく。
そんなものを見たくなくて、あまり外には出なくなった。 そして、みんなとは一緒に遊べなかったから、一人で過ごす様になった。
そんな私にできること。一人目立たずに時間を過ごすことができ、そこから楽しみも得ることができるもの。
自然に、本を読んで過ごすことが増えていた。
学校では、図書室の片隅で本を読んで過ごした。学校から帰ると、近くの図書館に行っては、やはりその片隅でひっそりと本を読んだ。
物語の世界に入り込んでしまえば、幸せだった。 その世界では、喜びも、悲しみも、心躍る探検も、物語のみんなと一緒に過ごすことができた。
物語の中にこそ、私の居場所がある。 そんな錯覚すら覚えそうだった。
けど、なんとなくそれだけじゃいけない。そう感じてはいたと思う。
だからかもしれない。
ある日、気分がよかった私は、現実を探検することにした。勇気を振り絞って施設の近くを歩いた。日の光の中を歩き回るのは、思った以上に楽しかった。
そして、意外な場所を見つけた。
施設の近くにある神社。
その神社にある森は、清々しい空気が満ちていた。 そして、何より重要なことに、その森の奥では、私だけが見てしまう様な存在が感じられなかった。
だから、その森の奥では、安心することができた。 それだけじゃなかった。
私は、そこで私の運命を動かす人と出会った。
お兄ちゃん。
もちろん、本当の『兄』じゃない。そう呼んでるだけ。その神社の神主さんの子だった。
最初は、ただ、少し年上で、これまでの同い年の子供たちに比べると、少しだけど落ち着いた人、それだけだった。
けど、話していると楽しくて、色んなことを話した。それまでに読んだ本のことを話したり、そして、お兄ちゃんが読んだ本のことを話してくれるのを聞いたりしている内に、私は欲張りになっていた。
もっと一緒に居たい、もっと近付きたい、そう思い始めていた。
それでも、私の秘密を話すことは考えられなかった。何かが見えるなんて知られたら、化け物扱いか、嘘吐き。 知られてしまったら、そこでこの関係も終わり。
だから、お兄ちゃんにだけは知られたくない。そう願っていた。
そんな願いが何時か破られるってことを恐れ、けど密かに予想していた。
その予想は外れなかった。
でも、予想外のこともあった。
その日、近くの公園に何かがいることを見つけてしまい、そっと目で追っていた。それは、花壇の上にいた。それが何か、は判らないけど、暖かいものを感じ、動きが気になっていた。
もちろん、誰にも見られない様に十分に気を付けていたつもりだった。
だから、不意に声をかけられた時、心臓が止まるかと思った。
「見えるの?」
いつもと変わらないお兄ちゃんの声音。
今、お兄ちゃんは、どんな顔をしてるだろう?
その顔に浮かんでいる表情を見たくなかった。きっと疑いと嫌悪の視線で私を見てる。これまでの、誰もがそうだったから。
でも、一縷の望みを繋ぎたかった。お兄ちゃんは、私にとって唯一の希望だから。
決死の覚悟で、ゆっくりと振り向いた。ギ ギ ギ、と私の首から音がしなかったのが不思議なくらいのぎごちなさ。その時、私の顔は真っ青だったと思う。
やっと見上げたお兄ちゃんの顔に、いつも以上に無防備な笑顔が浮かんでいるのを見て、どれほど安心しただろう。
お兄ちゃんは、そんな私を見て、笑顔のままで言葉を続けた。
「みつきちゃんには、見えてるんだね?」
優しい笑顔でそう訊かれた瞬間、私は心を決めた。 それは、振り向く以上に大きな決意だったけど、一瞬で決めた。お兄ちゃんなら信じられる。いえ、信じるって。
「…… うん……。 花壇の周りに……、 でも、ちょうちょうじゃないみたい」
その時、見えていたものを正直に伝えた。
「うん。 ま、あれは害のない精霊だから、気にすることはないよ」
「ふーん……」
さも当然、と言った感じの答えに、一瞬、その意味を理解し損ねた。
「え? も、もしかして、お兄ちゃんも、……見えるの?」
「まぁ、 な」
その時の、お兄ちゃんの表情はちょっと複雑だった。
優しい表情、というのは変わらなかったけど、喜びというよりは、苦しみや悲しみ、そんな気持ちを感じた。
やはり見えるってのは辛いことなんだ。その時に思ったのは、その程度だった。
それでもとにかく、お兄ちゃんは私のすべてを受け止め、理解してくれた。 初めての真の理解者。それが、大好きなお兄ちゃん。それはこの上ない幸せだった。
もっと早くお兄ちゃんと出会えていれば、何かが見えてしまうことの対処もうまくできたかもしれない。そうすれば、化け物と呼ばれることもなかったかもしれない。
けど、仲間外れにされ、神社の森に行ったから。だからこそ、お兄ちゃんに会えた。
みんなとお兄ちゃん。そのどちらかを選べ、と言われたら?
私の選択は決まってる。 お兄ちゃんと出会う為なら、化け物と呼ばれることくらい受け止めることができる。
それにもう、手遅れだった。
その時は、私も、みんなも、お互いを怖れ、憎み合っていた。
そんな私が視線を向ける先は、お兄ちゃんしかなかった。
一緒に居る時はもちろん、それ以外でも、私の目はお兄ちゃんを探すようになっていた。
けどそれは、目を向ける先がお兄ちゃんしかない、という理由ではなくて、単にお兄ちゃんを見ていたい。お兄ちゃんがいることを確認したい。そんな想いの方が強かったかもしれない。
そうやって、お兄ちゃんを見詰め続けている内に、特にお兄ちゃんが一人で居る時、遠くから見ている時に気が付いたことがあった。
お兄ちゃんは、何かが見えているだけじゃない。
時として、その何かと戦ってることがあるってことに。
色々と読み漁った本の内容から考えると、陰陽師という存在と一致すると思った。
物語に登場する陰陽師、特にその実態は、架空の、想像上のことだと考えていた。けど、この世界には、みんなに見えない何かが確かに存在する。
ならば、陰陽師だって本当にいる。 そう考えるのが一番自然だと思った。
少し経った、ある夜のこと。
心にざわつくものを感じながら外を見ていた時、暗闇を走り抜ける白い影を見つけた。それが白装束に身を包んだお兄ちゃんだってことは一目で分かった。
そのお兄ちゃんの少し後ろを、何かが移動していた。それは見たことがないものだった。その姿を見て、感じた瞬間、背筋に悪寒が走った。
禍々しい何かを感じた、という訳ではなかった。むしろ何も感じなかった。けど、何も感じないのに、確かにソレはそこにいた。その道理の通らない状態が、その違和感が怖かった。
そして、何も感じさせないソレを、お兄ちゃんは気付いて無い様に思えた。
とにかく、ソレは明らかにお兄ちゃんを追っていると思えた。
ひどく無謀だったけど、決断は一瞬だった。
私は窓から飛び出し、ソレを追って走り始めた。
良く晴れた日だったけど、新月で闇は深かった。それでも、私は見失わなかった。私にはお兄ちゃんの行く先も、ソレの行く先もはっきりと見え、感じることができた。
すぐ先の公園が戦いの場になっていた。
お兄ちゃんは、見るからに禍々しい、恐ろしい形相の化け物と対峙していた。
やっぱり、お兄ちゃんは本当に陰陽師なんだ。そう確信した。
印を結び、手元から繰り出す護符や式神を操って、化け物の動きを封じ、攻撃を加えている様だった。
その戦いを、じっと見つめているソレが、目と鼻の先に居た。
お兄ちゃんを狙っているのは明らかだと思った。
そんな中、お兄ちゃんの戦いは決着が付きそうだった。
弱った化け物に向かって、一際大掛かりな技を繰り出そうとしているのが判った。もう、まともに動くこともできない化け物になす術はないはずと思えた。
けど、その瞬間、化け物の表情が歪んだのが感じられた。
それが『わらった』のだ、と感じた瞬間、全てが符合した様に感じ、お兄ちゃんの後ろに漂っていたソレに飛び掛った。
ソレが何者なのか、具体的に何をしているのか、そんなことは何も考えてなかった。ただ、そうしないとお兄ちゃんが危ない。ソレはお兄ちゃんを罠に嵌めようとしてる。そして、その瞬間こそ、当にお兄ちゃんが罠に足を踏み入れた瞬間なんだ、そう直感したから。
「だめー!」
そう叫びながら、何も考えず、ただ、ソレにぶつかった。
私がぶつかった瞬間、ソレの手からとてつもなく禍々しい何かが飛び出したけど、それはお兄ちゃんから逸れてくれた。
私の行動がどれだけ無謀なのものでも良かった。とにかく、お兄ちゃんへの攻撃を逸らすことができた。それが全てだった。
その一撃に全てをかけていたのか、外れたと見るや、ソレは退くことを決めた様だった。
「……。 ナカマヲ、カエシテモラオウカ?」
改めてよく見ると、もはやソレは禍々しい気が噴き出してくるのを抑えておらず、明らかに異形のものだった。
私は、地面に押さえつけられながら、ソレから目を離せなかった。
闘気、威圧感、自信。 禍々しさと共に、そんな力あるものの証明とも言える雰囲気が、静かに溢れ出ていた。
ソレは異形ではあった。 けど同時に、凄絶なまでに美しかった。
私の運命は、ソレの手に握られていた。
そして、お兄ちゃんの手は、あの化け物の運命を握っていた。
「コノオンナト、ワレラノナカマ。 コウカンダ」
「分かった。 だが、罠じゃないだろうな」
「ワレハシンゲツ。 ヤミヲスベルモノダ。 タトエダレトデモ、イッタンカワシタヤクソクハタガエヌ」
私が何も言えないうちに、人質交換の様に、私と化け物が交換された。
「律儀なんだな」
「ヒツヨウナコトダ」
そういうと同時に、掻き消えるようにソレは消えた。もちろん、あの化け物も一緒に。
その後、すぐに私たちは神社に戻った。そして、私はこっぴどく怒られた。 考えも無しに闇に、妖怪に挑むなんて、死ぬ気なのか? 厳しく、そう怒られた。
けど、最後に苦笑しながら言ってくれた。
「でも、みつきのおかげで助かった。 ありがとう」
だから、その日のことは私にとっては良い思い出になってしまった。
ダメなのは、お兄ちゃんと一緒に闇と戦うことに味を占めたってことだと思う。
それで、足手まといにしかならない決戦の場に、足を踏み入れてしまったのだろう。
結果は、誰にとっても予想外だった。
望ましくない結果だったのだろうか?
その答えは、まだ出てないと思う。
前例が無い、予測もできない事態は始まったばかり。
私は、お兄ちゃんの想いを胸に、光姫として、そして深月として生きていくつもり。