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リバーシブル・アース  作者: 沙φ亜竜
第2章 デイリー・ライフ
9/33

-3-

「ううう……」

「アトリ、どうした?」


 モニターに目を向けながらも集中できず、うなり声を漏らしていたぼくに、隣の席のセキレイが声をかけてきた。


「いや、なんだか体調が悪くてさ……」


 弱々しく答えると、反対側の隣から耳にキンキンと響く声が割り込んでくる。


「ちょっと、アトリ、大丈夫? 無理しちゃダメだよ~ぅ? 帰ってもいいよ? ヒバリさんと雷鳥さんが休憩中だから、ちょっと大変かもだけど……。あたしたち、超絶頑張るから!」


 それは、ゆりかもめの声だった。

 心配してくれているのは伝わってきたけど、そんな言い方をされたら余計に帰れなくなってしまう。


「ん……大丈夫。でも一応、テルリンのとこ、行ってこようかな」

「そうだな、行ってこい。薬をもらって飲めば、すぐに治るかもしれないしな」

「う~ん、だけどなんか、怪しい実験薬を飲まされそうでちょっと怖いかも」

「ははは、確かにそうだな~! ま、ひどくならないうちに、行ってこいよ。こっちは任せておいて大丈夫だから」

「アトリもセキレイもひどいな~。テルリン、怒っちゃうよ?」

「ほうほう、ゆりかもめは今度体調崩したら、テルリン直行だな?」

「はうっ、それは嫌だよ~ぅ!」


 そんな他愛のない会話を残し、ぼくは部署を出る。

 目指すはテルリン。というか、医務室。

 テルリンというのは、この雛森支社に常勤している保険医だ。


 照葉樹林(てるはじゅりん)さん。年齢はヒ・ミ・ツ♪ と、本人は言っている。

 二年ほど前に三十路を越えたことを、すごく気にしているらしい。だから、年齢の話題はタブーだ。

 新入社員のぼくにまで年齢が伝わっちゃっていることを考えると、今さら隠したところで無駄だとは思うのだけど。


 それはいいとして、テルリンには他にもふたつほど、厄介な部分がある。

 そのひとつが、さっきも話題に出た実験薬だ。


 なにやらいつも研究開発に余念がないテルリン。

 たいていは、どんな症状にも効くとかいう激しく怪しい薬の開発だったりするわけで。

 具合が悪くて医務室に行った社員をつかまえ、「おお、ちょうどいい薬があるぞ!」と言って自分の作った実験薬を飲ませる、といったことを頻繁にやっているのだ。


 当然ながら、成功した試しなどない。

 だからこそ、医務室に行くくらいなら山を下りてでも病院へ行く、という人が多いのが実情だ。


 ――う~ん、そんなふうに考えていたら、行きたくなくなってきた……。


 とはいえ、ゆりかもめやセキレイに負担を強いるわけにもいかないのだから、ここは覚悟を決めるしかないか。

 ぼくはグッとこぶしを握りしめ、医務室を目指した。



 ☆☆☆☆☆



 それにしても、こんなに体調が悪いのは、どうしてなのだろう?

 軽い頭痛と吐き気、微妙な腹痛が同時に襲いかかってきていた。

 普段からぼくは、あまり体調を崩すことがないというのに。

 少し考えて、ある原因に思い至る。


 ――昨日ラーメンに入れたタマゴ、賞味期限をかなり過ぎてたかも……。


 このところ食堂で食べることが多かったから、冷蔵庫に入れてあったとはいえ、あのタマゴはかなり古くなっていた可能性がある。

 いつ買ったのか、まったく覚えていないし……。

 ホトトギスもあのタマゴを食べたけど、大丈夫だったかな……? もし体調を崩したりしてたら悪いよね……。


 ぼくはそんなことを考えながら、廊下を歩いていた。

 そこで、ふと気づく。


 ――考えてみたら、完全にタダ飯食いじゃん、あの子。もし体調を崩しても、それは自業自得ってやつだ。ぼくが悪いわけじゃない。だいたい金銭的にあまり余裕のないぼくなんかにたかるなんて、それ自体がひどいことだし。


 今さらながらそのことに思い至った。

 ただ、それでもぼくは、あのホトトギスという女の子に怒りの念を持ったりはしなかった。

 最初に会ったときのお母さん染みた感覚が、やっぱりまだ残っているのだろう。


 ほどなくして、医務室のドアが見えてきた。

 ホトトギスのことより、今は自分の体調について考えないと。

 頭を切り替え、ぼくは医務室のドアノブに手をかけた。


「うん、これはただの風邪だな。よし、ちょうどここに、いい薬が……」

「いえ、市販の風邪薬をお願いします」


 容態を診てくれたテルリンが、嬉々とした表情で棚の中から紫色の液体が入った怪しげなビンを取り出そうとするのを、ぼくは素早く制止する。

 テルリンは明らかな不満顔をこぼしつつも、市販の薬を取り出し、それを渡してくれた。


「ほらよ。水は自分でどうにかしろ。無理矢理そのまま水なしで飲むのがお奨めだ」

「こらこら、そんな意地悪な言い方するもんじゃないよ、テルリン~」


 ぶっきらぼうな様子で箱入りの市販薬を投げつけるテルリンに、突然やけに軽い声が向けられた。


「すまないね~、ぼくのテルリンが意地悪なことを言って。自慢の実験薬を試すことができなくて、ふてくされてるんだよ」


 ニコッ。

 爽やかな笑顔を浮かべながら、そう話しかけてきたのは、東屋純(あずまやじゅん)さんだった。

 確か、第二十七対策執行部の人だったはずだ。


「ぼくのテルリンってなんだ、こら! 撤回しろバカ!」


 ボカボカボカボカ!

 テルリンから思いっきり後頭部を連続で殴られながらも、笑顔を崩さない純さんは、ある意味すごい人なのかもしれない。


 なんというか、かなり軽い喋り方である上に、見た目的にも赤に近いような茶髪だったり派手な服装だったりで、チャラい感じというのがしっくりくる感じだろうか。

 そんな雰囲気ではあるけど、純さんは二十九歳で、テルリンが「早くこっち(三十路)の世界に来い~!」なんて言っていた。

 ……というかテルリン、年齢は秘密なんじゃなかったっけ?


「純さんは、どうしてここにいるんですか? まだレベル2の警報が継続中のはずですけど……」

「フッ……、ぼくも体調を崩してしまってね。テルリンの愛で治してもらおうと思って、ここまで来たってわけさ」


 前髪をかき上げながら、純さんは恥ずかしげもなく言ってのける。


「ウチに愛なんてない! とくに純なんかには絶対にない! あるのは実験薬だけだ!」


 言いきるテルリン。


「フッ……、そんなに恥ずかしがることないのに、マイハニー」

「くだらん呼び方するな! 純の診察はとっくに終わってるだろうが! 仮病は病気じゃない! 早く任務に戻れ、このバカタレが!」

「はっはっは、相変わらずツンデレだなぁ、テルリンは! そんなところも、素敵なんだけどね!」

「デレなんてない! 早く出ていけ!」


 ――なんというか、すっごくお似合いなのではないだろうか、このふたり。

 もちろんテルリンは即刻否定するだろうけど。


「あっ、そういえば……」


 医務室から出ていこうとする純さんが不意に立ち止まり、真面目な口調でつぶやいた。


「ちょっと小耳に挟んだんだけど、宇宙人が忍び込んでるって噂、聞いてるかい?」

「え……?」


 まったく思いもよらなかった言葉に、ぼくは疑問符を浮かべるだけだったのだけど。


「ああ、そうらしいな」


 テルリンは落ち着いた様子でそう答えていた。


「あの、それってどういうことですか?」


 ぼくの疑問に、純さんが説明を加えてくれる。

 今回、宇宙人警報のレベル2が発令された。

 でも通常、そんな急速にレベル2になるなんて、ほぼありえないことなのだという。


 どうしてそうなったのかを説明づけるためには、前回のレベル1の警報のときに宇宙人がすでに地球に忍び込んでいたと考えるのが妥当なのだそうだ。

 つまりは、その宇宙人がスパイとして侵入し、仲間の宇宙人たちを地球へと向けて導いている、ということだ。


 まだ噂でしかない段階とはいえ、会社側としては無視できないと判断した。

 すでに始められているという調査の途中経過によると、どうやら宇宙人がいるとすれば、雛森町に潜伏している可能性が高いらしい。


「宇宙人……ですか……」


 いろいろと説明してもらったものの、いまいちぼくには信じられなかった。

 宇宙人警報というのは、レベル2でもまだ気づかれていないことが前提になっているはずだ。

 もし宇宙人が地球にまで到達していたなら、すでに気づかれてレベル3になっていてもおかしくないような気がする。


 そもそも、前回のレベル1のときに宇宙人が来ていたのだとしても、宇宙船かなにかで来るとすれば、さすがに気づかれないはずはないだろう。

 この日本中央電力雛森支社の宇宙観測設備は、かなりの精度を誇っているのだから。


「ま、あくまでも噂だよ。気にすることはないさ。なにかわかれば、会社側から連絡が入るはずだしね」


 純さんはそう言い残して、医務室を出ていった。


「それじゃあ、ぼくもこれで……。テルリン、ありがとうございました」


 市販の薬をもらっただけではあるけど、一応お礼を述べて、純さんに続いて出ていこうとするぼく。

 その背中に、テルリンからこんな声がかけられた。


「お大事にな。大切な部下を診てやったのだから、ヒバリには感謝してもらわねばならんな。今度思いっきり抱きつかせてもらうから、覚悟しておくようにと、伝えておいてくれ」

「あ~……、はい……」


 苦笑をまじえながら、ぼくは曖昧な返事だけしておく。

 ふたつほどあると言ったテルリンの厄介な部分、そのもうひとつは、これ。

 テルリンは女性が好きなのだ。


「女性同士だから、構わないだろう?」なんて言いながら、ことあるごとに抱きついたりキスしたり……。


 怪しい実験薬の件と、この件によって、医務室にはほとんど誰も訪れない。

 単にテルリンがサボりたいがために演技しているんじゃないだろうかと、ぼくはこの人と会うたびに考えているのだけど。

 真相は謎のままである。


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