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「う~ん、状況はこう着状態に入ったわね」
バリボリ。
ヒバリさんが、うま○棒を食べながらつぶやく。
こんな時間にそんなものを食べてたら、太りますよ?
なんてことは、口が裂けても言えない。言ったら地獄を見ることになる。
ヒバリさんと雷鳥さんは、リバーシブル・アースが安定したところで、第三十八対策執行部に戻っていた。
そのあとも緊迫した状態が続き、結局レベル2の状態は解除されないまま、すでに終業時間を遥かに超えている。
もう夜もすっかり更けてきていた。
「仕方がないわね。あなたたちはもう帰っていいわ」
「気をつけて帰るんだよ」
ヒバリさんの声に合わせて、雷鳥さんも言葉をつなぐ。
「はい……でも、ヒバリさんたちは……」
ぼくは遠慮がちに答える。
「ふふっ。もちろん、泊り込みね。ま、仕方がないわ。立場上、ってやつよ。でも明日あんたたちが出勤してきたら、少しゆっくりさせてもらうから、今日はしっかり休むのよ」
そう言ってくれたヒバリさんの声からは、その笑顔とは裏腹に、渋々ながらという様子がありありとうかがえた。
仕事に情熱を燃やす真面目なヒバリさんでも、泊まり込みはさすがに嫌なのだろう。
ぼくは家まで結構歩くことになるし、会社の仮眠室なんかに泊まるという選択肢だって考えられたけど、緊迫した現状を考えれば泊り込みの社員が使う可能性も高い。
ここはヒバリさんの言うとおりにするのが、最良の選択だと思えた。
休むときにはしっかり休む。それは社会人としての務めでもあるのだ。
「それじゃあ、お先に失礼します」
ぼくたち新入社員三人は素早く帰り支度を整え、ぞろぞろと部署を出る。
社員寮に帰るだけのゆりかもめとセキレイに別れを告げ、ぼくはひとり、山道を下っていった。
☆☆☆☆☆
とりあえず、夕飯も食べていなかったぼくは、コンビニでインスタントラーメンを買って帰ることにした。
カップラーメンでもよかったのだけど、五袋セットのインスタントラーメンを買うほうが経済的なのだ。
中に入れる具も、ほとんどいつもタマゴだけと、ちょっと寂しいけど。
自分なりのこだわりとして、最初にどんぶりに水を入れて、それを鍋に移す。
きっちり一杯分の水で、スープが薄すぎず濃すぎず、確実にちょうどよく仕上げられるのだ。
お湯が沸騰し始めたらインスタントラーメンを鍋の中に入れ、箸で適度にほぐす。
そして時間を見ながら、好みの固さに麺を茹で上げていく。
麺がある程度柔らかくなってきたタイミングで、タマゴを落とす。
最終的にタマゴが半熟の状態となるように、上手く調節するのがポイントだ。
それを全部どんぶりに注ぎ込めば、ひとり分のラーメンの出来上がり。
べつに威張れるようなものでもないけど、麺の固さとタマゴの半熟加減に、なんとなく満足感を得られる。
……もっともそれ以上に、空しさのほうで胸がいっぱいになるのだけど。
ともかくぼくは、自分の住んでいるアパートへと戻ってきた。
「ふ~っ」
いくらオンボロなアパートだといっても、自分の居場所に戻ってくると、やっぱり落ち着くもので。
敷きっぱなしの布団の上に、大の字に寝っ転がる。
と、そんな安息を迎えた瞬間。
ピンポーン、と、チャイムの音が響いた。
時計の針はもう、十時を回っている。
――こんな夜遅くに、いったい誰だろう?
首をかしげつつ、ぼくは重い腰を持ち上げ、ドアを開ける。
そこには、ひとりの女の子が立っていた。
☆☆☆☆☆
ずるずるずるずる、もぐもぐもぐもぐ、ずずずずずずずず。
う~ん、どうしてこうなっているのだろう?
ちゃぶ台を挟んだ反対側には、ちょこんと正座をしながらラーメンを一心不乱にすする女の子。
それは、このあいだもジャンボカツ定食をおごってあげた、ホトトギスという名の女の子だった。
「こんな時間に、どうしたの?」
ぼくの問いかけに、
「もごもご、あふぉふぇ、もご、ふぉのあふぁーふぉに、もごご、ふぁいうのをみあふぇああら、もごぐ、ごほっ、ごげっ、ぶふぉっ!」
ラーメンを口いっぱいに含みながら答えようとして、豪快にぐちゃぐちゃになった物体をまき散らすホトトギス。
言うまでもなく、それらの物体はぼくの顔面や服、ちゃぶ台やその上に置いてあったぼくのラーメンにも襲いかかってきた。
「だ~っ! まったくもう、学習能力ないなぁ~……。って、ぼくもか……」
思わず文句が飛び出したけど、話しかけたのはぼくのほうなのだから、こっちに責任がまったくないとは言いきれない。
ぼくは顔やら服やらちゃぶ台やらをフキンで拭きながら、ホトトギスに言う。
「食べ終わってから話そう」
こくん。ホトトギスは黙って頷く。
学習能力は、一応あったということか。
じっと、ぼくは自分のラーメンを眺める。
う~ん……、さっき飛び散ったの、この中にも入っただろうなぁ……。
でも、捨てるのももったいないし、ま、いいか。
再び豪快にラーメンをすすり始めたホトトギスと一緒に、ぼくもずるずると音を立てながら遅い夕飯を胃の中に流し込んでいった。
「……で?」
ラーメンを食べ終え、お茶を用意してひと息ついたぼくは、ホトトギスに再び問いかけた。
彼女は素直に口を開く。
「うん、あのね、このアパートに入るのを見かけたから、来てみたんだわさ」
「こんな遅い時間に?」
「うん。……迷惑だった?」
瞳をうるうるさせながら、ホトトギスは上目遣いで訊いてくる。
そういう仕草は、反則じゃないだろうか。もし迷惑だと思っていたとしても、そんなことなんて言えなくなってしまう。
もっとも、ぼくはべつに、迷惑だなんて全然思っていなかったのだけど。
というより、ホトトギスのことが少し気になっていたから、会えて嬉しいというのが正直な感想だった。
それにしても、こんな時間――もう十一時近いこの時間に、女の子とふたりきりだなんて……。
そう考えて、自分の置かれた状況に、今さらながらに赤面してしまう。
そんなぼくに、ホトトギスからトドメのひと言。
「ひとりじゃ、寂しいかな~と思って……」
ドキッ。
「そ……それって、どういう……」
どぎまぎと挙動不審気味になりながらも、どうにかぼくは言葉を返す。
喋り方とか行動とか、なんだかちょっとおかしな部分はあるものの、最初に会ったときにも思ったけど、顔立ちはとても可愛らしい。
幼く見えるけど、おそらく十代後半だろうと思われる女の子が、こんな夜遅くに男のひとり暮らしの部屋に来て、こんなことを言うなんて。
「あちきも、寂しかったから……」
ドキ、ドキ、ドキ。
鼓動が高鳴る。
これって、つまり……。
ゴクリ。ツバを飲み込むぼく。
だけど――。
「というか、おなかすいてたから……」
……んっ?
「また、ご飯にありつけるかな~、なんて思ったんだわさ」
戸惑うことなく、そう言ってのけるホトトギス。
え~っと……。
ホトトギスの様子は、そういうふうに言って恥ずかしさを紛らわそうとしいてる……といった雰囲気では、もちろんなかった。
呆然としたまま声も出せずにいるぼくに構うこともなく、ホトトギスはさらに言葉を続ける。
「おなかいっぱいになっただわさ。やっぱりご飯は、誰かと一緒じゃないとだわね。それじゃ、あちきは帰るとするだわさ!」
そう言うが早いか、素早く靴を履き、玄関のドアを開ける。
「ごちそうさま。ありがとねん!」
どうにか立ち上がり玄関までふらふらと近づくぼくに、ウィンクと短いお礼の言葉だけを残して、ホトトギスは去っていった。
夜遅い時間なのだから、ホトトギスは女の子だし送ってあげるべきだったとは思うのだけど。
だらしなく口を開けてポカーンとしていたこのときのぼくに、そんなことを考える余裕なんてあるはずもなかった。