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「所長さん――」
ぼくは、黙ったまま険しい視線を向けていた所長さんに、電話の内容を伝えた。
おそらくは伝えるまでもなく、わかっていたのだろう。
所長さんの表情は、まったく変わらなかった。
ぼくは話し終えるやいなや、今度は自分の意思を伝える。
「所長さん、ぼく、行こうと思います」
「アトリくん、これは罠です。ここはまず、様子を見てから、じっくりと対策を練ったほうが……」
「そんな余裕はありません!」
所長さんの反論に、ぼくは思わず声を荒げる。
いくら相手がヒバリさんたちだとはいっても、ホトトギスの命がかかっているのだ。
悠長なことをやっているあいだに、手遅れにならないとも限らない。
最近何度も会って、ぼくがホトトギスに惹かれているというのも、もちろんある。
でも、それだけじゃない。
もしそんなことになったら、ヒバリさんたちだってどんな処罰を受けるかわからない。
「しかしだね、アトリくん。自ら罠にかかりに行くような無謀なことを……」
「ホトトギスは、ぼくが助け出します!」
なおも止めようとする所長さんに、ぼくは立ち上がって大声で叫び返す。
その力強さで、ぼくの決意のほどが伝わったのだろう。
所長さんは真面目な顔で頷くと、こう答えてくれた。
「……わかりました、行きなさい。任せましたよ」
「はい!」
勢いよく返事をし、ぼくは部署を飛び出した。
☆☆☆☆☆
会社の敷地から外へ出たところで、携帯電話が着信音を響かせる。
素早くポケットから取り出すと、ぼくは電話に出た。
「はい、もしもし」
「ヒバリよ」
それはヒバリさんからだった。
あとで電話すると言われていたわけだし、登録してある名前が携帯電話の画面に表示されてもいるのだから、名乗られるまでもなく、わかってはいたのだけど。
「アトリくん、答えはだいたい予想がついているけど、とりあえず訊くわ。あなたひとりで来てくれるかしら?」
ヒバリさんの問いかけに、ぼくは迷うことなく答えを返す。
「はい。今、会社の外に出たところです」
「ふふっ、行動が早いわね。それじゃあ、そこから山の中を雛森町とは反対方向に進んでちょうだい」
「山の奥のほうですよね? 会社の訓練施設辺りを目指せばいいんですか?」
「いいえ。そこを越えた、もっと先よ。そうね、また訓練施設を越えるくらいの時間に連絡するわ」
プツッ。
通話はそこで途切れた。
ぼくたちの会社は、かなり広い敷地を持っている。
いつもぼくたちが働いている雛森支社の建物と社員寮以外にも、訓練用の施設や倉庫などが、山中の何ヶ所かに点在しているようだ。
今ではもうほとんど使われていないような建物が、山の中にいくつも存在しているという話は聞いていた。
もっとも、ぼくには詳しいことはわからないのだけど。
ヒバリさんとの通話にも出てきた訓練施設というのは、主に研究所から雛森支社と名前が変わった頃の名残で、今はあまり使用されることのない場所だ。
電力会社の新入社員にとっては、電柱など高い場所に登る訓練なんかも必須となっている。そういった訓練を行っていたのが、その訓練施設なのだ。
現在の雛森支社に関してだけ言えば、「リバーシブル・アース」専用の施設という位置づけになっているため、そういった訓練は免除されているのだけど。
だからこそ、ぼくはこの支社への勤務を希望した、というのもあったりする。
それはともかく、訓練施設にはトレーニングルームなんかもあり、今でも体力作りのために通う人はちらほらといるらしい。
古くて薄汚れているとはいえ、会社の施設ということタダで使うことができるため、なかなか便利そうではある。
ちょっと雛森支社の建物や社員寮から離れているのが難点だけど、山道を往復するのも訓練や体力作りの一環とも言えなくもないだろう。
そういえばゆりかもめが、ダイエットのために通おうかな、なんて言っていたっけ。結局、「面倒だから行くのやめたよ~ぅ」と、あっさり断念していたけど。
とにかく、ぼくは懐中電灯を片手に、真っ暗な山道を歩いていく。
当然ながら山道に街灯なんかが整備されているはずもない。
季節にもよるけど、夜、家に帰る時間帯には辺りは基本的に真っ暗になっているため、普段から懐中電灯を携帯してあったのだ。
訓練施設を通り抜けた辺りで、宣言していたとおり、ヒバリさんから電話がかかってきた。
さっきの電話のあと、こちらから折り返し電話をかけてみたのだけど、電源を切っているようだった。
携帯電話の電波で居場所がバレるのを怖れているのかもしれない。
電話に出ると、ヒバリさんはそのまままっすぐ山道を進むようにと指示してきた。
「本当にひとりで来てるわよね? もし嘘だったらどうなるかは、わかってるわよね?」
「もちろんです。大丈夫、ぼくひとりですよ。ホトトギスを助けるヒーローが、姑息なマネなんてできません」
「ふふっ。そう言いながら、声に力がないじゃない?」
「……山道で疲れただけです」
「ま、そういうことにしておきましょうか。それじゃあ、電話はこれで終わり。かなり細い道だけど、まっすぐ進めばわかるはずだから」
何度か言葉をやり取りしたあと、今回も唐突にヒバリさんから通話を切る。
道なのかどうかわからない、うっそうと茂る草むらをかき分けるようにしながら、ぼくはしっかりと足を踏みしめて歩いていく。
やがて目の前には、ツタが一面に絡まり、周囲の草むらにも紛れてカモフラージュされたようにたたずむ、ホコリまみれの小屋が現れた。
小屋とはいっても、結構な大きさがある。
ただ、かなり年季が入っているようで、今にも崩れそうなほどだった。
ツタに絡まれてわかりにくくはあったものの、ドアがついているのは見て取れる。
建物なのだから、入り口があるのは当たり前だろうけど。
ぼくは慎重にドアへと歩み寄る。
辺りは真っ暗闇だ。ひっそりと静まり返っている。
今にも外れてしまいそうなドアに、ぼくはおそるおそる手をかけた。
ギィーーーー……。
ドアはきしんだ音を響かせながらも、抵抗なく開いていく。
小屋の中も、外と同様、真っ暗だった。
ぼくは真っ暗な部屋を懐中電灯で照らし出していく。
と、小屋の奥側にある柱に、縛られている女の子の姿が浮かび上がった。
「ホトトギス!」
「んん~~~~~~っ!」
それは、猿ぐつわをはめられて微かなうめき声しか出せない状態のホトトギスだった。
座った状態で柱に縛りつけられ、身動すらできなさそうだ。
ぼくは急いでホトトギスのもとへと駆けつける。
そのとき。
――来てくれたのねん! 嬉しいだわさ!
……え?
ぼくは一瞬、なにが起こったのかわからなかった。
今、ホトトギスの声が、はっきりと聞こえたような気がする。
だけど、猿ぐつわのせいでまともに声を出せないはずでは……?
ぼくが困惑する中、突然辺りが強烈な光に包まれた。
いや、小屋の電気が点けられただけのようだ。暗闇に慣れたぼくの目には、まぶしすぎただけだった。
そして、
「よく来たわね、アトリくん。ちゃんとひとりで来たみたいね、安心したわ」
明るくなった小屋の中に、ヒバリさんの声が響き渡った。