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テルリンは徹夜でホトトギスを看病してくれた。
ぼくもホトトギスを見守ります、そう言ってみたのだけど、次の日の仕事に響くだろう、と諭された。
それを言ったらテルリンもそうなのでは、と反論してみたものの、
「いつも適当に仮眠を取ったりしているからな。どうせここには、大して人は来ない。いくらでも休憩している時間はあるさ」
と笑い返されてしまった。
う~ん、会社の保険医として、はたしてそれでいいのだろうか。
そんなツッコミを飲み込みつつ、ぼくは空いているベッドで寝かせてもらうことした。
翌日の朝。
ホトトギスはまだ目覚めていなかった。
ちょっと心配になったけど、テルリンは呼吸も正常だから心配いらない、と容態を伝えてくれた。
「アトリ、キミには仕事があるだろう? 彼女のことはウチに任せて、早く自分の部署に向かえ」
そう言われたぼくは、素直に従う。
ホトトギスのことが気がかりではあったけど、だからといって仕事を休むわけにもいかない。
宇宙人警報がやっと解除され、今はゆったりとした、いわば待機状態にある。
とはいえ、再び警報が発令されないとも限らない。
代休消化のために出社人数が減っている今だからこそ、しっかりと自分の役割はこなす必要があるのだ。
「それじゃあ、ホトトギスのこと、よろしくお願いします」
ぼくはそれだけ言い残すと医務室を出る。
そして、まだ朝の涼しさが残る廊下をコツコツと微かな足音を響かせながら歩き、第三十八対策執行部へと向かった。
☆☆☆☆☆
部署のドアを開けると、そこにはゆりかもめの姿だけがあった。
「あっ、アトリ、おはよ~! ……うわ、すごい寝グセ!」
ゆりかもめはぼくの顔を見るなり、目を丸くしてそう叫んだ。
そういえば、鏡も見ずに出てきてしまった。ぼくの髪の毛は今、いったいどんな状態になっているのだろうか?
おそるおそる頭を両手で触ってみる。
――うっ、これは、確かにひどい……!
鏡を見るまでもなく、おそらくスーパーサ○ヤ人のごとき形状だろうと想像できるなんて、どれだけ寝相が悪いんだ、ぼくは!
心配ごとがあると、寝相にまで悪影響が出るものなのかもしれない。
ともあれ、今のぼくはそんなことに構っていられるような精神状態ではなかった。
テルリンは大丈夫だと言ってくれたけど、それでもやっぱり、ホトトギスのことが心配だったのだ。
「……直さないの? その寝グセ」
髪の状態に気づいたのに、そのまま席に座って突っ伏していたぼくに対し、ゆりかもめが怪訝そうな声をかけてきた。
「……うん、べつにいいや」
ぼくは抑揚のない声でそう答えることしかできなかった。
ゆりかもめも、それ以上、言葉をかけてはこない。
ただ黙って、ぼくのほうを見つめているようだった。
やがて、ヒバリさんが部署に入ってきた。
セキレイと雷鳥さんは代休を取っていて、今日は出社してこない。
もっともふたりとも社員寮にはいるだろうから、緊急事態が起これば駆り出される可能性もあるのだけど。
「アトリくん、ゆりかもめさん、おはよう」
「おはようございます」
朝の挨拶だけ交わし、沈黙が続く。
ヒバリさんも、ぼくの様子がおかしいことには気づいているに違いない。
もちろん寝グセでおかしい、ということではなく、精神的に落ち込んでいるのを感じ取っているはずだ。
でも、声をかけていいものか、悩んでいる。そういうことなのだろう。
上司であるヒバリさんが入ってきたのだからと、さすがにぼくはデスクから顔を上げ、キーボードに手を置いてモニターに目を向けていた。
ヒバリさんは、ゆりかもめにアイコンタクトで、どうしたのかわかる? といったことを尋ねているようだった。
声は出さず、ゆっくりとかぶりを振るゆりかもめ。
ぼくは視界の端でふたりの様子を見てはいたけど、自分からはなにも言わなかった。
しばらくして、ヒバリさんが声をかけてくる。
「アトリくん。どうかしたの? 悩みごとなら、もしよかったら相談に乗るわよ?」
沈黙に耐えきれなくなったから、というわけではなく、自分の部下が悩んでいるのなら力になりたい、といった思いからなのだろう。
そんなヒバリさんの厚意を、無下にすることもできない。
「ありがとうございます。実は――」
ぼくは素直に、昨日ホトトギスと一緒に会社の近くまで来たところで彼女が倒れ、今は医務室で寝ているということを伝えた。
「……なるほど。つまりアトリくんは、ホトトギスさんが心配で仕事が手につく状態じゃない、ってことね」
ヒバリさんの声は、ぼくを責めるようなものではなかった。
それどころか逆に、優しさを多分に含んだ、温かな声だった。
「ここは大丈夫だから、そばについていてあげたら?」
さらにヒバリさんは、そんな気遣いの言葉すらかけてくれた。
だけどぼくは、甘えるつもりはない。
「いえ、仕事はしっかりしますよ。セキレイも休みだし、油断はできないですから。テルリンが看てくれてますから、ホトトギスは大丈夫です、絶対」
それは、自分に言い聞かせているという意味合いのほうが強かったのかもしれない。
「……強がる必要ないのに」
ゆりかもめが、ぽそりとつぶやく。
ただ、そんなゆりかもめの顔は、苦味を堪えているような複雑な表情をたたえていた。
「わかったわ、仕事、頑張ってね。でも、どうしても気になるようなら、いつでも言って」
一方のヒバリさんは、優しくそう微笑みかけてくれた。
☆☆☆☆☆
業務時間が終わると、ぼくはそそくさと部署を出て医務室へと向かった。
ドアを開けて医務室の中に入ると、ホトトギスが笑顔で出迎えてくれた。
「アトリ、お帰りだわさ!」
「……うん、ただいま」
なんかちょっと違うのでは、と思わなくもない挨拶を交わすぼくたち。
ホトトギスの笑顔の魔法で、ぼくの心は一瞬にしてほわんと温まる。
そんなぼくに、テルリンが声をかけてきた。
「アトリ、ようやく来たな。見てのとおり、彼女の意識は戻った。だが、念のためしばらく安静にすべきだ。もう数日ほど、ここでゆっくり休んでいってもらうつもりだ。異存はないな?」
「……はい、わかりました。ぼくもまた、ここに泊まります」
「ああ、わかった」
こうしてぼくとホトトギスは、二日目の医務室の夜を迎えることになった。