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食事を終えたぼくたちは、いつもどおり商店街を軽く歩き回った。
今日は比較的早めに食堂に行ったこともあり、まだ時間は二時前。
せっかくだから、雛森山まで足を伸ばそう。
ぼくはそう提案してみた。
山を歩くことになるし、嫌がるかなという思いもあったのだけど、ホトトギスは笑顔で頷いてくれた。
というわけで、ハイキング気分で山道を歩く。
山道とはいっても、ぼくにとっては出勤するたびに通っている、慣れ親しんだ道だ。
ぼくには、上り坂を歩きながらも、ホトトギスを気遣う余裕があった。
「朝に通ると鳥たちの声が響いたりして、とても清々しいんだけどね。昼間だとちょっと暑いかな。ホトトギス、大丈夫?」
「んみゅ、大丈夫、だわさ。これくらい、へっちゃら、だわよ」
答える声は、息も荒く、途切れ途切れ。強がっているだけだというのが、丸わかりだ。
やっぱり女の子には、ちょっとつらいんだな。
ぼくはそっとホトトギスの手を握り、歩調を合わせながら先導する。
ほどなく、汗ばみながら歩くホトトギスにも、景色を楽しむ余裕が出てきたようだ。
「うわ~、町があんなに小さく見えるだわさ! それに綺麗なお花がたくさん咲いてるだわよ!」
「うん、いい景色だよね。空気も澄んでるし、今日みたいに晴れて暖かな日だと、ほんとに気持ちいいよね」
嬉しそうに景色を眺めているホトトギスを、ぼくは温かな気持ちに包まれながら眺めていた。
長いあいだ続いていた宇宙人警報が解除され、神素の噴出も止まり、久しぶりに自然な空が顔を出している。
まぶしくなるほどの青空が、ぼくたちを歓迎してくれているかのように包み込んでいた。
雨が降っていたりすると、この辺りは涼しく……というよりも冷たいと思うくらいにまでなってしまい、歩くのも困難になるのだけど。
「あっ、なんか建物が見えてきただわさ」
ふとホトトギスが山の上のほうを指差しながら言った。
「あれが、ぼくの勤めてる会社だよ」
いつも通っている山道をホトトギスとふたりで歩いてきたのだから、会社の建物が見えてくるのも当然だった。
べつに会社を見せたいと思って連れてきたわけじゃなかったけど、雛森山には雄大な自然以外なにもない。
ということで自然と、会社のほう向かっていたのだ。
もちろん、会社の敷地内にまでホトトギスを案内しようとは思っていない。
ホトトギスがどう思っているのか、いまいちわからないけど、ぼくにとっては気になる女の子とふたりきりでのハイキングなのだ。
会社の人に見られたりするのも、気恥ずかしいものがある。
とくに社員寮に近づくのは避けたかった。
今日はゆりかもめも休みを取って、社員寮でのんびりしているだろうから。
なんとなく、今と顔を合わせるのは、気まずく思えた。
どうしてそう思うのか、自分でもよくわからないのだけど。
暖かい日差しを受けながら、傾斜が比較的緩やかになる会社の敷地近くにまで、ぼくたちは到達していた。
ここから見下ろすと、町並みがかすんで見えるほどだ。
ホトトギスがいたこともあり、一時間以上かけて、ぼくたちはここまで歩いてきた。
いつもよりゆっくりだったとはいえ、ぼくでも少し疲れを感じていた。
小柄なホトトギスのほうは、かなり疲れているのではないだろうか。
それでもホトトギスは決して泣き言をこぼすことはなかった。意外と強情なのかもしれない。
と、突然――。
ぼくの手が強く、下のほうに向かって引っ張られる。
いや、ホトトギスが倒れたのだ!
「ちょっと……! ホトトギス、大丈夫!?」
ぼくは屈み込んで、むき出しの地面に身を横たえたホトトギスに呼びかける。
額には汗が玉のように浮かび、息も荒く、眉根を寄せて苦悶の表情。
肩に手をかけ、優しく揺すってみるも、ぼくの呼びかけには応えてくれない。
どうしよう……。
山歩きで疲れただけだとは思うけど、様子がおかしいのは確かだ。
もしかしたら、病気ということもあるかもしれない。
だけど、ぼくは信じていないけど、ホトトギスがもし本当に宇宙人のスパイなのだとしたら、病院に連れていくのも問題があるだろうか……。
それ以前に、ホトトギスを抱えたまま山を下りるなんて、いくらなんでも無理だ。
幸い会社が近い。
先日の件もあるし、気が引ける部分はあるけど、医務室でテルリンに診てもらうのが最良の選択だと考えられた。
ホトトギスの姿を会社の人たちに見られてしまうことになるけど、この際それは仕方がない。
ぼくは素早くホトトギスを抱え上げると、一路、会社の敷地内を目指した。
☆☆☆☆☆
「どうでしょうか……?」
「うむ、ただの風邪だな。問題ない」
ベッドに横たわったホトトギスを診てくれたテルリンの声に、ぼくは安堵の息を吐く。
「でも、倒れるなんて……。風邪とはいえ重症なんですか?」
安心はしたものの、ぼくの心配は消え去ったわけではない。
つかみかからんばかりの勢いで、ぼくはテルリンに詰め寄る。
「いや、大丈夫だろう。もともと風邪気味だったところに疲れが重なって、足に力が入らなくなっていた、という感じのようだ」
テルリンの答えに、ぼくは再度、息をついた。
「もっとも、彼女が宇宙人だとしたら、どうなるかはわからんがな」
せっかく安心したというのに、テルリンはわざわざ不安材料を投げ込んでくる。
テルリンとしては、保険医としての意見を率直に述べているだけなのだろうけど。
「ま、そんなに心配するな。大丈夫だよ。ちょうど今日はウチが泊まり込みの当直の日だ。このままここに寝かせて、ウチが朝までしっかりと看病してやるさ」
「……あの……、ぼくもここに泊まったらダメでしょうか……?」
ぼくは今日、ホトトギスが風邪気味だったということに、まったく気がついていなかった。
もっと注意深く様子を見ていればよかった。
後悔の念が押し寄せ、そう頼み込んだぼくの強い決意を含んだ口調に、テルリンは優しい笑顔を向けてくれた。
「それほどまでに心配しているのだな。ま、ウチは構わないぞ。当直だと見回りもしなくてはならないからな。そのあいだ、彼女がひとりきりになるのを避けるためにも、キミがいたほうがいいだろう」
「ありがとうございます!」
ぼくは素直に頭を下げた。
☆☆☆☆☆
夜、ホトトギスは安らかに寝息を立てていた。
「それじゃあ、見回りに行ってくる。……寝てる彼女に、あんなことやこんなことをしても、ウチとしては全然構わないからな」
「そんなことしません!」
「ふっふっふ、ま、行ってくる」
医務室からテルリンが出ていき、狭い医務室の中にぼくとホトトギスのふたりだけが残された。
テルリンにはあんなふうに反論したけど、可愛らしい寝顔をさらけ出しているホトトギスを見ていると、ついついぼくもいけない考えを浮かべてしまう。
寝てるんだし、少しくらいなら……。
って、ぼくはなにを考えてるんだ! ダメだって!
かなりテンパった思考に顔を真っ赤に染めながら、ぼくはテルリンが戻ってくるのを待った。
寝間着なんてなかったから、少しでも楽になるようにと、ホトトギスのブラウスのボタンは襟から三つめまで外されていた。
テルリンはホトトギスをそんな状態にしてから、心なしかニヤニヤとした視線をぼくに向けつつ医務室を出ていった。
布団がしっかりとかかっているから、問題はないと思っていたのだけど。
暑いのか汗ばむホトトギスが布団を押しのける。そのたびに胸もとが見えかけ、ぼくは慌てて布団をかけ直してあげる。
そんなことを繰り返しながら、ひたすら時間が過ぎるのを待っていた。
――テルリン、早く帰ってきて……。そうじゃないとぼく、どうにかなっちゃいそうだよ……。
だけどその願いは、なかなか叶ってはくれず。
結局テルリンが戻ってきたのは、それから二時間も経ったあとのことだった。