-5-
テルリンたちと別れ、ぼくとホトトギスは散歩を再開した。
といっても実際のところ、テルリンと純さんのふたりは、隠れてぼくたちについてきている。
テルリンは、手伝ってやる、なんて言っていた。
べつにぼくはそんなことを望んでもいないし、だいたい見られていたら落ち着つかない。
だから断った。
それなのにテルリンは、「まぁまぁ、そう言うな。任せておけばいいのだ」と聞く耳を持たなかった。
ぼくはため息をつき、諦めて放っておいたのだけど、テルリンと純さんはしっかりとついてきているようだった。
しかも、一応隠れているみたいではあるものの、さっきからテルリンの髪の毛がチラチラと見えている。
純さんは純さんで、どう考えても面白がってついてきているだけだろうし、テルリンの暴走を止めてくれるような期待はできない。
「わ~、あのケーキ、美味しそうだわさ~!」
食後すぐだというのに、ホトトギスはケーキ屋のショーウィンドウにかぶりついて、よだれを垂らしていた。
今さっき食堂を出るときに、「ふ~、おなかいっぱいだわさ! もうなにも食べられないだわよ」なんて言っていたはずなのに。
女の子の場合、甘いものは別腹なんだろうけど……。
ともかくここは、こう言う以外、ぼくに選択肢はなかった。
「買ってあげるよ」
「ほんと? ありがとだわさ!」
ぼくの言葉に、ホトトギスは満面の笑みを向けてくれる。
ほわんと、温かな気持ちに包まれる。
ホトトギスの笑顔を見るためなら、ぼくは悪魔にだって魂を売るかもしれない。
大した品揃えもない、小ぢんまりとしたケーキ屋に入り、ホトトギスが選んだショートケーキをひとつ買う。
「アトリは、食べないのかや? あちきのを、半分こ?」
ホトトギスはちょっと不満を含んだような表情で問いかけてくる。
「いや、ぼくはおなかいっぱいだから。これはホトトギスが全部食べていいからね」
「わーい!」
ホトトギスは素直に喜びを全身で表す。
正確な年齢も聞いてはいないけど、見た目からすれば十代後半、おそらくは十八歳前後と思われる女性だとはとうてい思えない、あどけない様子だった。
たったひとつだけのケーキではあるけど、それを紙の箱に入れ、さらに動いたりしないように紙製の仕切りを詰め込む店員さん。
箱の上部にある取っ手みたいになっている部分を持ち、ぼくはなるべく斜めにしないように気をつけながら歩く。
隣に寄り添うホトトギスは、じ~~~~~っとその箱を見つめていた。
ああもう、またよだれを垂らしてるし……。
「う~、あちき、我慢できない。すぐにケーキを食べたいだわさ」
うん、まぁ……。
言葉に出して言われなくても、そう考えているのは丸わかりだった。
ふと視線をずらすと、曲がり角にある建物の陰からテルリンが顔を出していた。すぐ横には、純さんもいる。
そして、なにやら身振り手振りでぼくに伝えようとしているみたいだった。
テルリンが右手になにかを持っているような感じで、それを大きく開けた純さんの口の中に……。
つまり、ぼくがケーキを持って、ホトトギスに食べさせてやれ、と?
そんな恥ずかしいこと、できないってば!
……とはいえ、考えてみたら、他に方法はないかもしれない。
すでにホトトギスはぼくからケーキの箱を奪い取り、フタを開けて右手を突っ込もうとしていたのだから。
手づかみで食べ始めたりしたら、どんな汚い食べ方をするか、わかったもんじゃない。
もちろん、そんなことを口に出して言ったりはしないけど。
「あ~、ホトトギス、ストップ! ぼくが持ってあげるよ」
そう言って、ケーキの箱を奪い返す。
おもちゃを取り上げられた子供のように怒りの顔を向けてくるホトトギスの口もとに、ぼくはショートケーキの尖っているほうを差し出した。
ぱくっ。
ぼくがつかんでいるショートケーキに、笑顔でかぶりつくホトトギス。
なんだか、こっちのほうが恥ずかしくなってくる。
「うは~、美味しいだわさ! スウィートでデリシャスでトレボンでトレビアンだわよ!」
……甘くて美味しくて、とても美味しくて素晴らしい?
言葉の意味はともかくとして、とりあえず満足してくれているのは伝わってきた。
ただ、ぼくがケーキを持ってあげていても、ホトトギスの食べ方はあまりお上品とは言えず。
口の周りには生クリームがベッタリとくっついてしまっていた。
ハンカチを取り出すためポケットに手を入れようとして、再び建物の陰から顔をのぞかせるテルリンがまた、なにかジェスチャーをしていることに気づく。
テルリンが純さんの顔に自分の顔を近づける。そしてペロリと舌を出すと、純さんの口の周りを舐めるような仕草を……。
って、そんなこと、できるわけないっての!
ハンカチを取り出して、拭いてあげよう。そう考えながら、手をポケットの中に滑り込ませる。
…………。
ぼくの指先がつかんだのは、ポケットの内側の布地だけだった。
しまった、ハンカチを持ってくるの、忘れてた!
だけど、いくらホトトギス本人が気にしていなさそうだとはいえ、口の周りを生クリームまみれのままにしておくのも、さすがに問題だろうし……。
そうするとここは、テルリンの希望どおり、舌で舐め取るしかないってことに……。
じーっと、ぼくはホトトギスを見つめる。
ホトトギスは口の周りを生クリームだらけにしながらも、きょとんと小首をかしげ、ぼくを見つめ返してきた。
か……可愛い……。
で、でも、さすがに、口の、周りを、舐めるだなんて、そんなこと……。
真っ赤になって心の中で焦りまくっているぼくだったのだけど。
すぐに気づく。
べつに舌で舐め取る必要はない、ということに。
ホトトギスがぼくの持っているケーキの最後のひと口を食べ終えると、ケーキを包んでいた紙を丸めて箱の中に捨てる。
ぼくはすかさず、すっ……と右手を差し出し、人差し指でホトトギスの口の周りを拭っていく。
微かに触れる柔らかな唇の感触にどきまぎしながらも、ぼくはくっついていた生クリームを綺麗に拭き取ることに成功した。
まだちょっと残ってはいたけど、それくらいならホトトギス自身が自分の舌で舐め取るとか、自分の手で拭うとかするだろう。
「あ……ありがとだわさ」
「いえいえ」
こんなの、いつもの盛大な吹きこぼしに比べたら、大したことないしね。
ぼくはそう心の中でつけ加えていた。
う~ん、指で拭った生クリームは、どうしようか。ハンカチもティッシュもないし、服で拭うわけにもいかないだろうし……。
建物の陰からは、またもやテルリンがなにやらジェスチャーをしていた。
テルリンは自分の人差し指を、ぱくっとくわえた。
つまり、ホトトギスの口の周りについていたその生クリームを、食べちゃえ、と。
だから、そんなこと、できないってば!
――あっ、そうか。箱の中に捨てた紙とか箱自体とかで、拭い取ってしまえばいいんだ。
と、ぼくが思い至った、その瞬間。
ぱくっ。
突然ホトトギスが身を屈めたと思ったら、ぼくの人差し指にしゃぶりついてきた。
「わっ!?」
あまりのことに驚いて、とてつもなく恥ずかしくて、それでも右手を動かすことはできなくて、ホトトギスの成すがままのぼく。
柔らかくも湿り気のある物体が指に絡みついてくる感触で、ぼくの顔は火が出そうなほど真っ赤になっていた。
ホトトギスはペロペロと執拗に舌を使ってぼくの指を舐める。
いや、まぁ、ぼくの指についた生クリームを舐めているだけなのだけど……。
建物の陰から顔を出しているふたりが、生温かい笑顔をこちらに向けていた。
うう、恥ずかしい……。
そんな思いになんて気づきもしないのだろう、ホトトギスはぼくの指から口を離してその身を起こすと、
「ケーキは全部、あちきが食べていいって約束だったからねん。生クリームだって、残しちゃったらもったいないだわさ!」
満足そうな笑顔で言い放つのだった。